第9話 家庭環境




 僕が上辺だけの関係や取り繕うという言葉に敏感なのは、完全に家庭環境のせいである。


 今朝も、リビングに降りると両親が喧嘩していた。


 いつものことではあるが、昔からずっとこうだった訳じゃない。数年前なら、まだ笑顔に溢れた家庭だったと思う。しかし僕が十歳になったあたりから、両親が細かいことでいざこざを起こすようになった。


 家の中にいる僕から見れば、そんな二人は仲の悪い夫婦だとはっきり言えるのだろうが、この夫婦にそんな感想を抱く人間はこの世で僕一人だけなのかもしれない。


 理由は、両親が二人揃って体裁を過剰に気にする人間だったからだ。


 親戚の集まりや、お客が家を訪ねたとき、まるで他者からの評価が人生で最も大切であるかのように、二人は仲睦まじい夫婦を演じ始める。口調も声のトーンも表情も、何もかもが普段と異なっていた。


 そして、また家族だけの空間になると長い溜め息をついてから不機嫌そうになる。少し時間が経てば、自然と言い争いが起きていた。


 子どもの僕には、それが何よりも恐ろしい光景だった。


 また、人からの評判を気にする両親は子どもの評判も大事だったらしく、僕を他の子どもと比較することも多かった。


 こういうとき、たちが悪いのは母であった。

 母が僕の比較対象に選んだ人物は百合恵さんだった。


 百合恵さんの情報に常にアンテナを張っていた母は、百合恵さんが成果をあげる度にそのことを引き合いに出しては、あなたは努力が全然足りないと僕を叱責した。


 僕が中学に上がってから、それは段々とエスカレートしていくのだが、残念ながら百合恵さんのような人には人生を何周しようとなれやしない。


 母は自分の息子と兄の娘でどうしてこんなにも違うのかと嘆き「百合恵ちゃんがうちの子だったら良かったのに」と月に一回は言う人だった。けれど、そういうときのしかめっ面も、三者面談になれば先生の前で愛想のいい笑顔にがらりとチェンジする。


 こんな環境で育ってきたため、家での居心地は最悪で、僕は駿矢にそのことを愚痴っていた。それでも両親だけを貶すことに最後の良心が痛んだのだろう。主語を広義的にして「他人から見える姿ばかりを気にして、取り繕っている人間が大嫌いだ」と話していた。


 そんな生活が続く中、中学校を卒業する前に、両親は僕へ期待することを諦めた。


 というのも北高への受験を強く勧めていたのだが、僕がそれを拒否して西高を受験したからだ。


 高校は行けさえすればどこでもいい派の人間だったから、別に西高じゃなくても良かった。しかし北高ともなれば話は変わってくる。受験に落ちる可能性が極めて高すぎるし、仮に受かっても入学してから勉強についていける気がしない。


 そのときに、初めて親と大喧嘩した。


 身の丈にあった高校に進学したい僕VS子どもに学歴を求める親二人。


 結局、学校と通っていた塾の三者面談それぞれで「この成績で北高は難しいです」ときっぱり言われてしまい、ついに親の方が折れた。


 まだ良い大学に行ってくれたらと考えを切り替えたらしいが、その後西高の進学実績を見て愕然としていた。言っておくが、難関大学への進学者が少ないだけで別に西高も悪くはない。


 その日から、親は僕への関心をめっきり無くした。


 子として悲しむべきだったのかもしれないが、人生で一番気が楽になり解放された瞬間だった。


 それにコミュニケーションがまったく無くなったり、無視をされるようになったりした訳じゃない。最低限の会話はしているし、今までのように百合恵さんが新聞に載ると母がそれを嫌味ったらしく伝えてきていた。


 ただこれまでと違うのは、僕への『こんな子どもになって欲しい』みたいな期待が微塵もなかった。


 親にはもう二度と期待をさせないために、小学校から通わされていた塾を辞めて、西高では部活動に所属しないことを選んだ。


 塾も部活動もないが、休日は外に出ている。

 家の中にいても両親の喧騒が耳障りだし、もし静かだったとしても負の感情が積み重なった場所であることに変わりはない。


 だから夜は散歩に出かけるし、休日も適当にどこかをほっつき歩いている。


 しかし、今日は珍しく行き先が決まっていた。


 三日前、水野から連絡が来ていた。


《 今週の日曜日って空いてますか? 午後から作戦会議しましょう! 》


 水野とのことを僕はすっかり忘れていた。

 連絡先を交換したのが確か二週間前くらいで、そのときはまだ五月だった。六月に入るまで何も音沙汰がなかったから忘れていても仕方がない。


 それに駿矢に関する相談を受けた日は夜に椎名との一件があり、そっちの出来事の方が印象的すぎて尚更覚えていなかった。


 そういえば、面倒なことを頼まれていたんだったな。


 駿矢へのお礼の品だけなら別にいいが、付き合う方法なんていくら考えても思い付かない。

 これでは、今週末に会っても意味がない気がした。


 僕に案がある訳でも、助言ができる訳でもない。

 取り繕ったり嘘を吐いたりしたくはないから、正直に《 悪い。特に良い案が思い付かなくて、次の機会までには 》と文字を打っていた途中で、椎名から不参加を見透かされたかのように連絡が来た。


《 ゆずちゃんの作戦会議(?)私も当然行くからさ、それが終わった後は私の息抜きに付き合ってほしいな。夜じゃないならいいんだよね? 》


 椎名の手の平の上で踊らされているような気がして癪だったが、水野に送る予定だった文面を削除して《 何時にどこ集合? 》と送った。






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