第3話 異世界漂流
――身体が動かない。目の前が真っ暗だ。頭がぼーっとする。寒いな。
『警告、生命活動に支障をきたす負傷を確認。直ちに止血及び応急処置を施してください』
頭の中で無機質な女性の声が響いている。
『マスターからの応答無し。身体制御主導権を切り替えます』
『主導権取得。生命維持プログラム立案、直ちに実行します』
『生命維持及び回復のため、AS解放レベルを15パーセントにまで引き上げます』
『――成功、現在AS解放レベル15パーセント。続けて代謝効率を上昇、負傷箇所の細胞分裂を活性化』
頭の中の声は自分勝手に呟き続けた。
『――止血に成功。引き続き負傷箇所の治癒を優先します』
――何だ……一体何が…………。
「――ハッ」
唐突に目を開け息を吸い込んだ。
「が、はあっ」
腹部が猛烈に熱い。手で触れるとドロドロとした赤黒い血が手にへばりついた。腹部が裂けているようだ。今も傷は残っているが血は止まっている。
喉がカラカラで、軽い頭痛と目眩がする。
気分の悪さから額に手を当てて周囲を見渡し、驚いた。
そこは樹海だった。五十メートル以上はある巨大な大樹が大地から突き抜けるように幾つも立ち並び、ちっぽけな遠夜はひとり、ポツリとその大樹の海の中で尻もちを着いて座っていた。
「ここは……何がどうなって……」
理解が及ばないでいる遠夜の頭の中で、無機質な女性の声が聞こえた。
『おはようございます、マスター』
「サラか……もしかしてこの傷、お前が?」
『肯定です。傷口付近の細胞を活性化させ止血及び治癒を試みました。その際にAS解放レベルを15パーセントにまで引き上げました。現在ある程度の止血は完了しており、傷口の修復を優先しています。傷口が開く恐れがあるため激しい運動はまだ控えてください。体内の血液が不足しているため、まずは水分補給の優先を推奨します』
「そうか……ありがとう」
人工知能サラは遠夜の脳に直接移植されたシステムであり、自身の高すぎるAS適合率を補助、制御するために作られた存在である。基本的に非常時以外には表に出て来ないように設定してあるのだが、彼女が出てきたという事は今がその非常時なのだろう。
「サラ、この状況をどう判断する?」
『記憶の最後の映像と衝撃から推察するに恐らくですが、次元航行艦にて次元転移の途中何らかの原因により機体が損傷し、次元航行艦が墜落したものと思われます。その際にマスターは艦の外に投げ出された可能性が高いです』
「つまり、ここは……」
『マスター達が目指していた
それを聞いて再び周囲を見渡した。
辺りには変わらず遠夜を取り囲む巨大な大樹の群れ。少し肌寒くて霧ばった湿った空気。妙な静けさの中に嘲笑う様な奇妙な鳥の鳴き声が響いた。
まずい状況を理解する。仲間とはぐれた挙句、傷を負った状態で水も食料も武器もなし。どこに何が潜んでいるかも分からない。
咄嗟に右手で口元を覆い隠した。
「サラ、有害ガスやウイルスは大丈夫か?」
『現状確認できていません』
「そうか、しかし防具服くらいは着ていたかったな」
サラは遠夜の身体のことなら何でも分かる。肺に取り込んだ空気に有害となる物質は含まれてはいないようだ。
「しかしここは一体どこなんだ? こんな巨大な木、資料にも載ってなかった」
『恐らく目標座標から大きく外れた場所に転移した可能性が高いです』
事前の資料で見た画像や映像にこんな巨大樹は無かった。もっと背の低い広葉樹と川があったはずだ。
「まずい状況だが、まずはケイネス達と合流しなきゃな。なあサラ、艦は墜落した可能性が高いんだよな?」
『肯定です』
「なら近くにあるはずだ。俺の身体が機体から投げ出されたってことは、それ程遠く離れちゃいない」
目を閉じて意識を集中させた。
常人離れした五感が周囲を探る。
風の音、木々のざわめき、虫や小動物の気配。
感じる。そう遠くない場所から物音、それと焦げ臭い匂いが漂って来ている。
「あっちか……」
痛みを堪えて立ち上がり、気配のする方へと歩き始めた。
結果から言えば、目的のものはすぐに見つかった。
だが、
「マジ、かよ……」
そこにあったのは確かに先程まで遠夜が乗っていた次元航行艦だったのだが、もはや跡形もなかった。楕円体だった機体の半分以上は潰れるように大破し、重要な部品の数々がそこら中に散らばっている。残った鉄の塊は見事に炎上し黒煙を上げていた。まるでミサイルか何かで撃墜されたかのようだ。
「おい!誰かいないのか!」
大声で叫びながら大破した機体に駆け寄る。
「生きてたら返事をしてくれ!」
誰からの応答もない。
慌てて瓦礫と化した機体の装甲を引き剥がしていく。
『激しい運動は控えてください。腹部の修復を優先したためその他の傷は回復が遅れています。重症箇所は腹部意外に左橈骨、左上腕骨、左鎖骨、左大腿骨、肋骨二本の骨折です』
「言ってる場合じゃないだろ!」
全身の痛みなどそっちのけで崩れ掛けの瓦礫をこじ開けた、その先で、
「嘘だろ……」
太さ二十センチもある金属柱に腹を貫かれ息絶えたケイネスの遺体がそこにあった。さらにその隣、頭部が完全に潰れた白人の男、恐らくはハンデリーが。
ということはそっちで身体のあちこちが折れ曲がった挙句、身体の半分が燃えて黒焦げになっているのがダスに違いない。
首を捻って奥を見ると、壁にもたれ座り頭から血を流す女性の姿がある。サーファだ。一瞬それ程酷い怪我をしていないように見えてすぐに駆け寄ったが、彼女の右脇腹は潰れ内蔵が飛び出した状態だった。
覚悟していたことだ。任務中は何が起こるかわからない。常に死と隣り合わせだ。彼ら彼女らも覚悟してこの任務に挑んでいる。だがそれでも、
『アメリカ陸軍特別精鋭班ケイネス・ドット曹長以下四名、死亡を確認。死亡時刻不明。遺体発見時刻、実験開始予定時刻から計測後四時間四十二分十六秒。記録します』
「…………外へ運ぼう」
せめて弔いくらいはしてやらねば浮かばれない。遠夜は精鋭四名の遺体を運び出した。
――
辺りはすっかり暗闇に呑まれた。
吐く息が白く消える。日が落ちると気温はかなり下がるようだ。
暗闇の中からじっと夜空に浮かぶ星々を見て思う。ここが地球とは別の世界だという実感があまりない。
真上で一際大きく黄色い光を放つ星は、まるで地球で見た月そのものに見える。昼間空を照らしていたのは同様に太陽だと思った。事前に聞いていた情報によれば、この世界の環境は地球とかなり酷似しているらしいのだ。気候や、一日の周期、今目の前に見える天体さえも実に良く似ている。あまりに似ている部分が多いため、この世界は地球と何らかの関係があるのではないか、そう考える研究者たちもいるらしい。
目の前で燃えている焚き火が弱まってきたので、集めておいた枯れ木を適当に投げ入れる。
日が落ちる頃には霧は晴れて湿気が薄まったので、火を起こすのに苦労はしなかった。そう言えばケイネス達と艦内で話をしていた時、火の起こし方がどうのと話題になっていた。彼らがいればこのキャンプも少しは楽しめただろう。
「はあ……」
溜め息が漏れる。
ケイネス達の遺体を運び出した後、四人全員を埋葬した。彼らとは本当に短い付き合いではあったが、仲間が死んで気分がいいはずはない。
ケイネス達の墓のすぐ隣には完全に鎮火し沈黙した次元航行艦の残骸が残っている。この艦も夜が明けたら粉々に破壊し弔ってやる必要がある。そういう決まりなのだ。この世界にもしも知的生命体が生息していた場合も考えての措置だ。わざわざ我々人類の技術を提供してやる訳にはいかない。
「ホント、ついてないぜ」
唯一の帰還方法である次元航行艦は大破、チームメンバーは遠夜一人を覗いて全滅。滅茶苦茶になった物資保管庫から唯一回収出来たのは――
「EF式の拳銃ひとつに、単分子ナイフ一本、弾薬は熱弾マガジン一本の二十五発と強化弾マガジン二本の五十発、食料は全滅、水1リットルが入ったボトルが一本……」
ギュルリと腹の虫が鳴る。
「泣けるぜ……」
状況は最悪だった。
「サラ、俺は帰還できると思うか?」
『様々な可能性が入り交じっていますので明確に答えることは出来ません。ただ言えるとすると、マスターが自発的に地球へ帰還できる可能性は限りなく低いと思われます。救助を待つのが最善かと』
「艦は壊れてるんだし、まあそうだよな」
こんな所すぐにでも帰還したいと言うのに、別世界にいる他人に任せることしか出来ないこの状況は何とも歯がゆい。
「それで、救助が来るとしたら何日後になる?」
『明確には答えられません。私の予測ですと作戦本部がこちらの異変に気がつくのに五十一日』
「は?」
『次元転移装置、超高度素粒子加速器は大破した機体に積まれたもの一機しか製造されていなかったため、同じものを製造するとして向こう時間で最低四ヶ月、動作確認、転移実験、救助チームの編成、艦の設備の調整、その他――』
「ちょ、ちょっと待て」
『諸々合わせて向こう時間六ヶ月とするとこちら時間で約3960日、およそ十年半後になります』
「はっじ、十年半!? な、何だそりゃどーなってる!?」
『事前資料情報が正しければ、これまでの実験結果から導かれた地球との時間進行速度のズレは二十二倍でした。単純に、地球での一日がこちらの世界では二十二日に相当します』
確かに、事前に渡された資料にそんなことが書かれていた。
しかし、
「そ、そんな、ことって……」
『事実です』
無機質なサラの声が嫌味ったらしく聞こえてくる。
遠夜の脳裏に悪い想像がいくつも沸き上がり、堪らず勢い良く立ち上がった。
「冗談じゃない……! そんなに長い間待ってられるか!」
十年半という歳月をただこの場でひとりボーっとしているだけだなんて、そんなの絶対に嫌だ。何より気掛かりなのは、日本軍研究施設の病室で今も眠り続けている妹の雪乃だった。今までは遠夜が側にいたおかげで守ってこられたが、半年間も放っておけば周りの研究者たちは必ず彼女に何かするに決まっている。あそこはそういう環境なのだ。
もしも妹に何かあれば――。
『であれば、帰還する方法を探しましょう』
「はあ? さっきは自分から帰還できる可能性はないって」
『限りなく低いと言いました。現状考えうる可能性としては全くのゼロではありません』
「例えば?」
『この世界に我々人類と同等以上の技術を持った生命体が存在していて、次元移動の技術を所有している可能性です』
「そんなこと有り得るのか?」
『ですので可能性は限りなくゼロに近いです』
とは言え、現状他にやることは無い。幸い時間だけはまだたっぷりと有るのだし、この世界の何処かにいるかもしれない知的生命体を探すと言うのは目標として悪くない。
「まあ、生物自体はいるんだし、有り得なくはないかも。よしそれなら……」
『ただしこの場合、本実験の重要禁止事項第一項に該当します』
「実験なんてとっくに失敗してる。それよりも帰還が優先だ。俺はやるぞ」
いるかも分からない生物を探すという、果てしない目標が決まった。
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