第6章 石山合戦

信長軍が迫る中、本願寺の鐘が鳴り響いた。重く、低い音が空に広がり、戦が始まることを告げる。堂内では僧たちが経を唱え、武装した僧兵たちが次々と門へと向かっていく。頼廉もまた、顕如と共に本堂に佇んでいた。


「来るな……」


頼廉が静かに呟く。その声に顕如は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


「だが、もう避けられぬ」


顕如は決して動じることはなかった。むしろ、その瞳には強い決意が宿っている。頼廉もまた覚悟を決めていた。


一方、希介はすでに本願寺の外にいた。希介の役目は、戦場の混乱に紛れて信長軍の動きを探ることだった。本願寺の命運を左右する情報を持ち帰るため、単身敵陣へと忍び込む。


希介が着ている足軽の鎧の音に気をつけ夜の闇に紛れながら、希介は織田軍の陣へと忍び込んだ。兵たちは松明を灯し、酒を酌み交わしながら士気を高めている。その光景を影からじっと見つめながら、希介は僅かに口元を歪めた。


「暇してんのかよ」


そうニヤリと笑いながら呟いた瞬間、彼の背後で草を踏む音がした。咄嗟に身を翻すと、そこには織田軍の兵士が立っていた。


「貴様……!」


兵士が叫ぶと同時に、希介は瞬時に刃を抜き、一閃。兵士は声を上げる間もなく倒れた。


だが、今の一撃で周囲の敵に気づかれてしまった。あちこちから松明が掲げられ、希介の姿を照らし出す。


「…仕方ないな」


希介は刀を構え、精神を落ち着かせた。


希介の前に、次々と織田兵が押し寄せてきた。彼は迅速に地を蹴り、敵の攻撃をかわしながら、闇に溶け込むように動く。


「囲め! 逃がすな!」


指揮官らしき男の叫びが響いた。兵たちは陣形を組み、希介の逃げ道を塞ごうとする。しかし、希介は焦ることなく、地形を利用しながら敵の間を縫うように駆けた。


だが——


「…ッッ!」


足元が僅かに滑った。死体の血が足元を襲ったのだ。織田兵の一人がその隙を見逃さず、槍を突き出してくる。躱したが、脇腹に浅い傷を負った。血が滲み、衣を染める。


「くっ……」


痛みを押し殺しながらも、希介は素早く身を翻し、逆に敵の懐へと飛び込んだ。刃が閃き、敵兵の喉を裂く。


その瞬間だった——


「待て、貴様……」


突如、背後から別の男の声が響いた。希介が振り返ると、そこには織田軍の高級武将と見られる男が、静かに立っていた。


「貴様の動き……ただの足軽では無いな」


男は鋭い眼光で希介を見据え、ゆっくりと刀を抜いた。


「…ふっ、何に見える?」


希介は再び構えを取り直し、ニヤリと目の前の男と対峙する。


戦場の混乱の中、本願寺を巡る戦いはますます激しさを増していった。


2人が見つめ合った瞬間、同時に動き出した。

刀がぶつかり合い、どちらも劣らない動きに織田兵はその場を去った。


お互いが息を整える為、1度空間が止まったかのように動きを止める。

希介は、目の前の武将をじっと見据えた。敵の佇まいからして、並の兵とは違う。これまでに何度も戦場をくぐり抜けてきた、戦いの勘を持つ男だとわかる。


「貴様の名は!」


武将が笑ないながら聞く。


「……」


希介は睨み付けながら無言を貫く。


「名乗るつもりはないか。まあよい、どうせここで果てるのだからな。石山本願寺も、これで終わりだ」


そう言うと、男はゆっくりと刀を構えた。次の瞬間——


「——ッ!」


鋭い斬撃が、夜の闇を裂いた。


希介は寸前のところで躱し、すぐさま間合いを詰める。しかし、先程と比べ物にはならないくらい反応は速かった。希介の刃が届く寸前で身を翻し、逆に刀を振るう。


「チッ……!」


希介は飛び退いて距離を取った。


(こいつ、強い……)


「さぁ、どうだろうな!石山本願寺はそう簡単には落ちないぞっ!」


敵の動きを見極めるため、希介は慎重に動いた。しかし、傷を負っている分、じわじわと不利になっていくのを感じる。


「終わりだ」


武将が低く呟き、一気に間合いを詰める。閃光のような一閃が、希介の胸元を狙う——


だが、その瞬間、戦場の向こうから爆音が響いた。


「——!」


織田軍の陣に火矢が降り注いでいる。本願寺側の奇襲か。


「何故だ?何故押されている!」


武将が乱れ出し完全に動きを止めた。


「はっ、言っただろ!」


武将は睨み、


「おのれぇぇぇ!!!」


うぉぉぉぉと刀を振り上げる。

先程よりも速さが上がったのが人目見ても分かった。


希介も交わすので精一杯だった。


ガキン!ガキン!

火花がちり、一般の兵では見分けることが出来ない程、激しくぶつかり合った。


希介は柔軟な身体を生かし、木の幹を活かして足場にし横から突っ込んで行く。

だが、それにも対応するのが信長の兵。


希介は走りながら考える。


普通に戦えば勝つことは見込めない。

ならば、この地を活かすのみ。


希介は、武将を凝視した。


(そうだ、そうだ!)


希介は転ぶフリをした。


「はっ!どうした!疲れが出たか!」


武将がそう話すと、希介は土を手に持ち顔に投げつけた。


「!?なんだ!」


この土は湿ってはいなかった。土と言うより砂のようだった為、武将の目を直撃した。目を擦っている隙に、希介は武将の後ろに行方を晦ます。


「お前、俺よりも弱いな。お前なんかがぁ、あの信長の使いなんて、信長も劣ったものだ!」


「なんだと!!!」


武将が振り向き、刀を思いっきり振った。


そう、この時。この時を待っていた。


フッと希介が笑い刀を握り直した。

この武将は、短気だ。何か気に食わないことがあれば感情に流され、刀を大きく振るくせがあったと希介は見抜いたのだ。


その隙を突き、希介は咄嗟に地面を蹴り、男の懐へ飛び込んだ。そして——


「終わりだ」


低く呟くと同時に、希介の刃が男の喉元を断ち切った。


「ぐぁっ!!」

男は崩れ落ちる。最後は呆気なかった。


「貴様っ!!」


「っらぁ!」

希介は刀で滅多刺しにした。その感情はもはやない。

希介ははぁ、はぁと呼吸を整えながら辺りを見渡した。


信長の駒を潰したということに安堵している暇はなかったのだ。


(まだ終わりじゃない……)


希介の呼吸は荒かった。胸の傷からは血が滴り、身体が徐々に冷たくなっていくのを感じる。だが、まだ倒れるわけにはいかなかった。


「……戻らねば」


信長軍の陣をかき乱す奇襲は成功した。しかし、織田軍の勢いは衰えず、むしろ本願寺への攻撃が激しさを増している。


希介は、身を隠しながら本願寺への帰路を急いだ。


だが、その途中——


「——動くな」


冷たい声が背後から響いた。


振り返ると、そこにはまた織田軍の武将が立っていた。鎧をまとい、確かな殺気を漂わせたその眼差しには、確実に希介を仕留めるという意志があった。


「しつこいなっ……」


希介は再び刀を握り直す。しかし、先ほどの戦いで負った傷が痛み、満足に動ける状態ではなかった。


「お前のような者を、このまま逃がすわけにはいかん」


武将がじりじりと間合いを詰める。希介は冷静に周囲を見渡し、どうにか脱出する方法を探る。


——だが、逃げ道はなかった。


「終わりだ」


戦うしかない。殺るしかない。

希介はその使命感を身体中張り巡らせた。


駒を潰さなければ。



ふと、過去を思い出した。




あれは、まだ子供の頃だ。


「おい、そこの坊主。怪我はないか?」


声が響いた。


振り返ると、頼廉が駆け寄ってくる姿があった。


「…」


がっちりとした体型に、丸坊主。僧の様だったが、どこか違う雰囲気が漂っていた。


「その血、どうしたんだ」


着物は血だらけで足の肉が裂け脂肪が見えていた。あのまんまだと死んでいたかもしれない。頼廉は希介の怪我の具合を見ようと着物の裾を捲ろうとした時だった。


「触るなっ!」


手を後ろにしたと思えば、小さい刃物を頼廉の胸に刺そうとした。

頼廉は勿論素人では無いので、簡単に避けた。


「ほぉ…坊主もただもんでは無いな?」


「ぐ……!」


頼廉は腹を殴り、気絶させ軽々と担いだ。

その後は丁寧に看病され、完治するまで石山本願寺に置いたのだ。


希介は最後まで名前を告げなかった。


それから随分たって、頼廉を探し出した。

恩を返したい。ただそれだけの事だった。


ゆっくり目を開けた。

覚悟が決まったのだ。


「言っとくがぁ、俺はやる事やってから死なないと気が済まないんだ」


「…何が言いたい」


「お前のこと切り刻んでやるよ」


相手の返事を待たずに飛び出したのは既に深夜を回っていた。


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