第8話 感情の名前

 あの転校生。あたしが思っていたよりも危険人物のようだわ。


 お昼休みに食堂で起きた事件。それをあたしたちはリアルタイムで見ていた。

 去年、高等部になって彼女が入学してから状況は大きく変わった。


 羽森様ともう一人の二強だった派閥は崩壊し、気が付けば鈴宮さんがその座に着いていた。

 前任者の取り巻きを掻っ攫った鈴宮さんは彼女と違って愛嬌があった。だからこそ彼女の取り巻きたちは自我が強い印象があるわね。

 前任者である彼女が取り巻きの誰かと深い関係になったという噂は聞いた事がない。でも確かにあの振る舞いは……いいえ、やめた方が良いわね。


 転校生が言っていたように、鈴宮さんの取り巻きは彼女を欲しがっているように見える。押しても引いても反応の薄い前任者と違い、鈴宮さんはいつも笑っていて男子たちの言葉にちゃんと反応を返していた。


 チャンスが無さそうな前任者から、もしかすればがありえる鈴宮さんに乗り換えたという事なのでしょうね。

 だからこそ男子たちは鈴宮さんに気に入られようと必死だ。プレゼントをしたり、食堂の良い席をとっておいたり、様々な形でポイント稼ぎをしているわ。


 それを知っているからこそ、転校生の行動には驚いたわね。


 確かに男に囲まれてチヤホヤされている女というのは、同じ女として苛立つ事もあるかもしれない。もしも取り巻きの中に好きな人がいたとすれば、感情はぐちゃぐちゃになってしまうかもしれないわ。


 だけど転校生は違う。彼女は今日からなのよ。一目惚れの可能性がないわけじゃないと思うけれど、それでも色恋が理由だとは思えなかった。


 目に付いた対象に噛み付く狂犬。彼女の行いはあたしの目にそんな印象を与えた。

 そんな彼女をどうにかして羽森様と接触させようとしていただなんて……あたしはなんて愚かなのかしら。


「姫森様——」

「違うと思いますよ」

「——えっ?」


 あの転校生は危険だわ。そう思って口にしようとした瞬間、羽森様に遮られた。


「ど、どういう事よ」

「確かに彼女の行動は秩序を乱す喜ばれたものではありません。ですが、一切の考えもなく反射的な行動には見えませんでした」

「……何か意図があるって事?」

「おそらくはそうです」


 どうやら羽森様の目には、あたしにはわからない何かが映っているようだわ。

 それに、あまり表情を変えない羽森様だけど、あたしだからわかる。羽森様は確かに、微笑んでいた。

 興味深いものを見つけたかのように、楽しそうにしていた。


「どうしてそう思ったのよ」

「彼女が鈴宮さんに声を掛ける前、こちらに視線を向けていたんですよ」

「視線? それが何って言うのよ」

「さあ、真意はわかりません。ですが、まるで私にこれからする事を見ていろと、そう言われた気がしました」

「……はあ? 何よそれ、意味がわからないわ」


 鈴宮派閥に喧嘩を売るからそれを見ていろですって? 何がしたいのかまるで見えてこないわね。

 だけど、わざわざ羽森様を見たって事は……もしかして転校生ながら知っているのかしら。あたしたちのクラスが中心となっている派閥のあれこれを。


「私にはまるで、これから貴方たちの敵たちと明確に敵対するという宣言に見えました」

「……仲間になりたいって事?」

「さあ、それはどうでしょうか。むしろ……いいえ、少なくとも私たちから接触するのは控えた方が良いですね」

「はあっ!? なんでそうなるのよ!」


 仲間になりたそうにしているというのなら、こっちから声を掛けた方が彼女にとって親切なはずだわ。

 誰よりも優しく、困った人にはすぐに見返りを求めずに手を差し出す羽森様がわからないはずがないわよね。意地悪? いえ、もっとありえない。……だめ、やっぱりわからないわ。


「言葉ではなく視線だけでの意思表示ですから。彼女には彼女なりの考えがあるんだと思いますよ。だから待ちましょう。何かが起こるその日まで、楽しみにしていましょう」


 そう言って羽森様は笑った。確かに、笑っていた。


(どうして? あの転校生には何かがあるって言うの? あたしは……あたしにはそんな顔見せた事なんて……ないじゃない)


 ずっと側にいたあたしじゃなくて、視線を交わしただけの転校生に向ける感情。

 だけど、これは良い事。ええ、良い事だわ。

 あたしが何かをする事なく、羽森様と転校生の間に繋がりが出来た。

 危険人物かもしれないけれど、羽森様が受け入れているのならば問題はない。そう、何も問題はないのよ。

 全部、良い事だわ。

 そう……あたしは何度も心に刻み込んだ。

 それはまるで……——


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