第11話 被害者の恋人


 15時30分。

 守谷探偵事務所の前に着いた。


 俺は守谷探偵事務所のドアを開けて、中に入る。

 守谷はデスク前の椅子に腰掛けて、ノートパソコンで執筆をしている。


 俺は事務所のドアを内側から閉める。


「どうだった?」

 守谷は執筆を中断して、訊ねて来た。


「何も収穫なしだよ。事件に関しては」

「そうか。……ちょっと待て。事件以外に何か収穫あったのか?」


 守谷は少し驚いているようだ。


「あぁ。収穫と言うか、仕事を取ってきてやった」

「仕事を取ってきてやった? どう意味だ?」


「言葉の意味のままだよ。現談文庫の相良って知ってるか?」


「知ってるも何も私の担当だ。もしかして、会ったのか?」

「あぁ、会ったよ。その相良に新作のプロットを寄こせと言われてさ」


「……何をした?」

 守谷の声は震えている。こんな守谷を見るのは初めてだ。


「新作はどんな内容か言ったんだよ」

「……新作の内容だと」


「あぁ、苦し紛れに大怪盗の弟子が探偵代行をして事件を解いていく話って言ったんだ」

「…………」


 守谷は少しおどおどしているように見える。


「それがなんとOKが出たんだよ」

「な、なんだと」


 守谷の声が裏返った。今、俺と守谷の立場は逆転している。圧倒的に俺が上の立場に居る。なんと言う、優越感。


 あー楽しい。楽しすぎる。この世の中で一番の娯楽と言っても過言ではない。


「今週中にプロット提出だってさ。頑張って」

「き、貴様」


 守谷は声を荒げている。


「いや、自分が新作のプロット出していないのが悪いんでしょ」

「くそ。事実だから言い返せない」


「素直でよろしい」

「……覚えておけよ」 


 守谷は弱い敵キャラみたいな捨て台詞を吐いた。


「あー怖い。すぐに忘れるようにします」

 これで普段の仕返しが出来た。快感だ。


「……こっちはずっと根に持ってやるさ」

「はいはい。それじゃ、変装解いてきます」


 俺は衣裳部屋へ向かう。


 また今度、守谷に変装した時に仕事をもらってこよう。だって、執筆は守谷がしないと意味がないからな。


ただ守谷にだけ実害があるだけだから。俺にはデメリットはない。


 俺は衣裳部屋のドアを開けて、中に入る。そして、変装を解いていく。


 変装を解いていくのは全身に纏った鎧を脱いでいくよう感覚。どんどん身体が軽くなっていく。


それに視界も普段の自分のものになる。守谷に変装している時の視界はまだ慣れない。


 ――30分程が経った。

 俺は変装を解き終えて、ソファに座って休憩していた。


 今は何を言われても動く気にはならない。やっぱり、変装は身体的にも精神的にも負担が大きい。だって、自分を偽って、長時間いないといけないから。


人間、どんな仕事だって自分を偽り続けたらいつかは壊れる。


 そんなに人間の身体も心も丈夫には出来ていない。皆、どこかで無理しているだけだ。


 突然、チャイムが鳴った。俺は守谷に視線を向ける。


 守谷は顎で「行け」と命令してくる。あー動きたくないけど仕方がないか。だって、仕事の依頼人かもしれないし。


 俺はソファから立ち上がり、入り口のドアの方へ向かう。


 一体誰だろう。検討がつかない。深山さんか古本か。


 俺はドアを開けた。そこには週刊現実の部署に居た優しそうな短髪男性が立っていた。


 白いYシャツ、紺色のビジネスパンツ、履き潰した黒色の革靴。


 カメラは持っていない。取材ではなさそうだ。


「あ、貴方は、あの時の」

 や、やべぇ。今は守谷じゃなくて、俺だ。俺の状態ではこの人に会っていない。気を抜きすぎていた。


「どこかでお会いしましたか?」

 優しそうな男性は不思議そうに訊ねて来た。


「いいえ。他人の空似ですね。すいません」

「そ、そうですか」


「それでどうかなされましたか?」

 どうにか誤魔化す事ができた。


 いやー危なかった。これからは気をつけないと。


「守谷さんにどうしても話したい事がありまして。現談社では話せなかったので」

「そうですか。それじゃ、中へどうぞ」


 俺は事務所の中に入れるように道を開ける。


「ありがとうございます」

 優しそうな男性は頭を下げてから、事務所の中に入った。


「そこのソファに座ってください」

「はい」


 優しそうな男性は俺の指示通りにソファに座った。


 俺は冷蔵庫から冷たいお茶が入ったペットボトルを取り出す。


 ペットボトルの蓋を開けて、お茶をコップに注ぐ。


 ペットボトルの蓋を閉めてから、冷蔵庫に戻す。その後、冷蔵庫を閉める。


 お茶が入ったコップを優しそうな男性の前のテーブルの上に置く。


「どうも」

 俺と守谷は優しそうな男性の向かい側のソファに座る。


「まずお名前をお伺いしてもいいでしょうか?」

 俺は訊ねた。守谷が聞くより自然だ。


「石裏達樹(いしうらたつき)です」

「石裏さんですね。話したい事と話せなかった理由を教えてくれませんか?」


 守谷が石裏さんに聞いた。


 守谷の奴、自分は現談社に行っていないのに行ったかのように言うな。もしかして、守谷に変装を教えたら、まぁまぁいい感じになるかも。


いや、駄目だ。こいつは確実に悪用する。悪用するに決まっている。この性格悪い男は。


「話せなかった理由は編集長の伊嶋忠の命令です。表崎さんに関する事と彼女が追っていた事件については誰にも口外するなと。もし、口外すればただではすまないと」


「……ただではすまないと? それは例えばどうなるんですか?」


 守谷は手で顎を触った。


「……会社を辞めるさせるために執拗な嫌がらせなどをすると思います。あー見えて会社の中では権力を持っていますから」


 あのバーコード禿、思った以上に面倒な奴なんだな。


「そうですか。それではその命令を背いてでも話さなければいけない事とはなんですか?」

「……表崎さんが。いや、千尋が追っていた事についてです」


 名前呼びと言う事は仲が良かったのか。


「何を追っていたんですか?」

 守谷は訊ねる。


「YM社のここ数年の急成長の裏側で起こっていた事件についてです」

「YM社って、あのYM社ですか?」


 声がつい出てしまった。


「はい。先日副社長の岩野聡史さんが亡くなったYM社です。千尋は急成長の裏で行われていた事件の真相を握る情報を手に入れたみたいなんです」


「……その真相を知っているのは表崎さん以外に居るんですか?」


 守谷の表情は真剣だ。こんな顔できるんだな。


「いえ、いません。でも、その真相を週刊現実に載せていいかを編集長には話したみたいです」

「それじゃ、その真相を知る人はこの世には居ないって事ですね」


「……そう言う事になります」

 石裏さんはとても辛そうな顔をしている。


「……恋人だったんですか?」 


 俺は訊ねた。こんな事聞かない方がいいのかもしれないけど。でも、自分が危険になってまで、ここに来たなら、仲は深かったに違いない。


「……はい。恋人でした。3日後の記念日にプロポーズをしようと思っていたんです」

 石裏さんは声を震わせながら言った。目からは涙が溢れ出ている。


「とても大事な人だったんですね」

 本当に愛していたんだと、この泣いている姿を見て思う。


「はい。世界一大事な人でした……もうこの世に居ませんが」

「……石裏さん」

 胸が痛い。


「守谷さん。お願いします。千尋を殺した犯人を見つけてください。お願いします」


 石裏さんは立ち上がって、守谷に深々と頭を下げた。


「……はい。必ず見つけます」

 守谷は断言した。


 ……ちょっと待て。この状況で思いたくはないが、それは俺がするってことだよな。


 お前は何もしてないの賞賛されるって事だよな。それはいいとこ取りってやつだよな。まぁ、犯人が見つかればどっちでもいいんだけどさ。


「あ、ありがとうございます」

「それで一つ質問してもよろしいでしょうか?」


 お金を取るのか。こいつならありえるぞ。


「何でしょうか?」

「表崎さんの住んでいた場所と家族を教えてくれませんか?」


 普通に事件に関しての事だった。ちょっとホッとした自分がいる。


「はい。家族は高校生の妹・万美(まみ)ちゃんだけです。両親は10年前に交通事故で亡くしています。住所は紙に書きます」

「お願いします」


 石裏さんはYシャツの胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。そして、メモ帳を開き、ボールペンで住所を書いている。


「ちょっといいか?」

 守谷が耳打ちしてきた。


「なんだよ」

 俺は小さい声で答える。


「表崎さんの妹の身が危険だ。石裏さんが帰り次第探しに行ってくれ」

「わ、わかった。アンタに変装せず、俺のままで行った方がいいか」


 守谷は有名人だ。色々と動き辛い。でも、俺は無名な一般人だ。一応、怪盗の弟子だけど。守谷に比べたら断然動ける範囲が広い。


「あぁ。その方がいい。妹さんに怪しまれないように私の名刺を持って行け」

 名刺でどうにかなるものなのか。


「了解」

 平気で人を殺すような犯人だ。何をするか分からない。一分一秒でも早く見つけないと。

そして、出来れば保護しないと。


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