第8話 お湯は沸かせられる探偵



15時。


 まだ胃に何も入れていない。お腹が鳴り続けている。ご飯を食べる気にならないが、なにかお腹に入れないと、色々と支障が出てきそうだ。


 でも、その前に報告をしないと。守谷がうるさい。それにもう変装を解きたい。足が痛すぎる。あー、一分一秒でも早く解きたい。今この瞬間でもいい。


 変装を解くか解かないか葛藤しながら階段を上りきり、守谷探偵事務所のドアを開けた。


 守谷探偵事務所の中に入る。

 守谷はノートパソコン前の椅子に腰掛けながらカップラーメンを食べていた。


 おい。お湯沸かせるじゃねぇか。てめぇ。俺に料理作らせなくてもいいじゃねぇか。


 この怒りをこのままぶつけたい。しかし、ぶつけた所で意味がないのが分かる。


 無駄な事はしない方がいい。無駄を増やせばまた怒りが増えるだけだ。


「捜査終わったぞ」

「おつかれー」


 守谷は適当に言った。


 おいおいおい。労いの気持ちがないのか。貴様は。


「変装は解いてもよろしいでしょうか?」

 俺は憎たらしく訊ねた。


「いいよ。でも、先に報告」

 守谷はカップラーメンを食べるのを中断した。


「はい。分かりました」

 あれ、なんだろう。今すぐこいつを殴りたい。


「ほら、早く」

 守谷は催促してくる。


「公園で見つかった遺体の身元は岩野聡史。YM社の副社長です」

 感情を押し殺して報告する。


「あの大企業の副社長か」

「はい。それに黒いポストカードが遺体の近くに落ちていたようです」


「また例のやつね」

「YM社の社長と専務両方が岩野は殺されるような人ではないと」


「その社長と専務はどんな感じだった?」

「社長は大号泣、専務は感情ゼロ」


「そっか。了解」

 守谷はカップラーメンを食べるのを再開した。


 な、なんだ。こいつは。頼む、法律。こいつだけは殴っても罪に問わないでくれ。


「犯人はやっぱり梶野か?」

 なんかこの事件には裏がありそうな気がする。ただの直感だが。


裏がなければ梶野で決定なんだけど。でも、その梶野もどこに居るか分からないし。それにそれだけ犯行を続けている犯人が指紋を残すだろうか。


いや、もしかたら、俺が殺したぞと自慢したいのか。考えれば考える程分からなくなる。


 守谷はカップラーメンを口に入れるのを止めて、「まだ分からない。証拠が少なすぎる」

と、言った。


「だよな」

「あとは何かあるか?」


「あとね。……あ、これだ」

 俺はズボンのポケットから表崎千尋さんの名刺を取り出して、デスクの上に置いた。


 守谷は名刺に視線を送る。

「世話になっている現談社の記者か。なんで名刺をもらったんだ?」


「重大な情報を持っているから、何か事件の情報をくれって言ってきたんだよ」

「事件の情報を言ったのか?」


「何も言ってねぇよ。守秘義務だろ」

「噓言えばいいじゃないか。情報だけ聞き出して」

 守谷は悪い顔をしている。こいつ、本当に性格悪いな。


「ずるいだろ。それ」

「ずるくて結構。それに現談社の社員の給料は俺が稼いだお金が含まれてるんだからな。ちょっとぐらいいいんだよ」


「……その性格どうにかしないと友達できねぇぞ」

 少し心配になるわ。


「友達なんかいりませーん」

「はいはい。じゃあ、変装解いて帰るわ」


 心配するだけ無駄だな。

「服は後日でいいから洗えよ」


「はい。分かりました」

 あー本当にむかつくな。こいつは。いい加減にしろと言いたい。でも、給料を一応もらうんだから仕方ないか。それに師匠や子供達を守る為にも。


 でも、一つだけ確信した事がある。


 こいつが会社の社長だったら確実にブラック企業。いや、ブラック超えてカオス企業だ。






21時30分。

 優奈に呼び出され、居酒屋「白鴎族」にやって来た。


 守谷に変装して長時間居たから身体のバランスがおかしい。自分の身体なのに自分じゃないみたいだ。足はパンパンだし。


 優奈以外なら断っていただろう。でも、優奈だから断らない。いや、断る事ができない。だって、飯奢ってくれるから。


まぁ、呼び出されるって事は愚痴を聞かされるのだろうけど。それぐらいは別にいい。


 ドアが自動で開く。

 居酒屋「白鴎族」の店内に入る。


 店内は普段と同じように賑わっている。


「いらっしゃいませ」

 男性店員が俺のもとへ駆け寄ってくる。この前着た時と同じ男性店員のような気がする。


「あのー」

「あーあの方なら101号室でいらっしゃいます」

「ありがとうございます」


 これはこの男性店員に覚えられてしまったやつだ。どっちかが印象的だったのだろう。きっと、優奈の酔い方だろうが。


 俺は店の奥へ行き、101号室の前に着いた。扉を三回ノックする。


「はーい。どなた」

 101号室の中から優奈の甘ったるい声が聞こえる。


 これはベロベロに酔ってらっしゃる。


「有瀬だよ」

「あっり。入って。一分一秒でも早く」


 あー、入りたくねぇな。でも、入らないとな。


「はいはい」

 俺は扉を開けた。


 部屋の中にはトマトのように真っ赤な顔をした優奈が掘りごたつ席に座っている。


 テーブルの上には食べ差しの焼き鳥や枝豆が皿に乗っている。さらに空のジョッキが4杯程ある。これはもっと呑んでるな。どこかで止めてやらないと吐くな。そして、二日酔いになる。


「あっり。愛しのあっり」

「愛しのあっりです」


 扉を閉める。


「はやく座って」

「はいはい」


「はーいは一回」

 優奈の目はとろんとしている。これは確実に家まで運ばないといけない。


こんな状態の女性を夜の街に出してはいけない。なんと言うか、こう言うところは俺紳士だな。いや、普通か。普通だな。


「はい。了解です」

 俺は優奈の向かい側の席に座る。


「なんでもいいから頼んで」

「お言葉に甘えて」


「何でも甘えてくれてよろしくてよ」

 あれ、何もときめかない。普通に可愛いのに。なんでだろう。おかしいな。


「優奈がしらふの時に甘えさせてもらうよ」

「えー今がいい」

 優奈は駄々をこねる。


「今はよくない」

 俺はテーブルの端に備え付けられている液晶タブレットをタッチして、色々と注文していく。


「だーめ。そうしないとちゅーしちゃう」

「やめろ。今日はなんで呼び出したんだ」


「話しすり替えた」

 優奈は子供のように頬を膨らませる。


「可愛い優奈が何で、俺を呼んでくれたか教えてほしいな」

 これなら言ってくれるだろう。きっと。


「え、可愛いって言ってくれた」

 優奈はもじもじしている。これは可愛いな。


「言った」

 これで言うだろう。


「じゃあ、話す」

「うん。話して」


「あのね、あのね」

「うん。言ってごらんなさい」

「この前、話したじゃん。新人の美鈴ちゃん」


「言ってたな。なんか1人の客のおかげで店のナンバー2になった子だろ」

「そうそう。その子がね。ついに一位になっちゃったの」


「もしかして、その1人の客のおかげでか」

 金持ちって怖ぇー。


「うん。その通り。エグくない」

「それはエグイな。どんな金持ちだよ」


「アラブの石油王ではない事だけは分かってる。日本人だったから」

 優奈は突然真剣な顔をして言った。


「そっか。なんとも言えない情報ありがとう」

 戸惑った。いきなり、真剣な顔をしないでくれ。こっちが対応に困る。まぁ、文句は何も言えないが。


「あーブランドものばっかり買ってもらっててむかつく」

「ブランドものが欲しいのか」


「いや、別に。そんなに好きじゃないから」

「だったらいいじゃん」


 僻む必要なしじゃんか。やっぱり、女性のこう言う所って分からねぇな。


「なんか買ってもらってるのがむかつくの。それに何も頑張らずに1位にいるのがむかつく」

「そっか。そうなんだな」


 これは出来るだけ愚痴を吐かせてやった方がいいな。いつも頑張っているのは事実だし。奢ってもらってるし。


「それに彼氏が可哀想。最近はちょくちょく客と一緒に居る所を街で見かけるし」

「マジか。それは彼氏可哀想だな」


 金って人を変えるんだな。


「でしょ。マジあり得ない。彼氏大事にしろって感じ」

「そうだな。彼氏は大事にしないとな」


 喉まで「お前が言うな」と言う言葉が上がって来ている。誰の為に俺が彼氏を振ったんだ。あーでも、奢ってもらってるから言えない。


「マジ、その通り」

「だな。店の周りの事件は減ったのか?」


「前に比べたらだいぶ」

 それはよかった。今まで以上に増えたら色々と危険だし。


「そっか。怖かったら呼べよ。家まで送ってやるから」

「もしかして口説いてる?」


 優奈は嬉しそうに訊ねてくる。


「口説いてない。優奈みたいな美人が夜道を1人で歩いていたら危ないから言っただけだ」

 こっちは心配して言ってるんだそ。こら。


「やっぱり口説いてるよね?」

「だから口説いてない。一般論だ」


 あー、しらふに戻ってくれ。いや、しらふでもめんどくさいけどさ。今よりはましだ。


「くーどーけーよ」

「口説かない。俺みたいな男より、ちゃんとした男に口説いてもらえ」


 何もない男より、ちゃんとしている男と一緒になった方がいい。幸せになってほしいんだよ。絶対に口にはしないが。


「やーだ。あっりがいい」

 優奈はさらに駄々をこねる。


「駄々をこねるな」

「駄々をこねてません。願望を口にしてるだけです」


「うるさい」

 扉をノックする音が聞こえる。


「はい。注文された品を持ってきました」

 扉の向こう側からは男性店員の声が聞こえる。


「はい。お願いします」

 ナイスタイミング。これでどうにか話を遮断できる。


 扉が開く。店員がテーブルの上に注文した品とお冷が入ったジョッキを置く。


「以上です。ごゆっくり」

「ありがとうございます」


 男性店員は扉を閉めた。


「話終わってないよ」

「何の話だっけ」


 俺はテーブルの端に置かれている箱の中から割り箸を取り出して、割る。


「とぼけてるな」

「とぼけてない。いただきます」


 とぼけまくっている。これ以上この話をすれば、キスか何かされるに違いない。


この前結局されたから別にされても構わないが、後々面倒な事になるかもしれない。その可能性を摘むためにもこれが一番いいのだ。

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