第7話 とくダネ
古本が運転するパトカーの後部座席に座って、窓から外を眺めている。
街並みが見える。人々は生活に追われている。人間って凄い生き物だ。
賞賛ではなく皮肉の意味で。
自分の周りで事件が起きない限り、他人事。自分以外には興味が無いと言う証拠。
俺もその一員だが。
空は晴れて青空なのに濁っているように感じる。それはきっと、さっき見た遺体のせいだ。
希望が一ミリもないあの絶望した死顔を見たせいで間違いない。
人の命は時計の針のように修理はできない。止まれば、もうその時点で永遠に動かない。
パトカーが停車した。
「着きました」と、古本は言った。
「じゃあ、行きましょうか」
助手席に座っている深山さんはシートベルトを外している。
「分かりました」
俺もシートベルトを外す。そして、ドアを開けて、外に出た。
目の前にはYM社のビルが聳え立っている。正確な階数は把握できないが、30階ぐらいはあるだろう。さすが、大企業。
俺達はYM社へ向かう。
守谷の奴は遺体を見ても平気なのだろうか。ふと、考えしまった。でも、探偵なら何度も見ているのだろう。平気になってしまうのか。慣れてしまうのか。
遺体を見る事に慣れるのだけは嫌だ。
YM社の前に着いた。入り口の自動ドアが開く。
俺達三人はYM社の中に入る。
エントランスの正面には受付がある。受付には受付嬢が二人、座っている。
受付の前には名前も知らない観葉植物が活けられている鉢が置かれている。
あまり馴染みのない場所だからアレルギーが出てしまいそうだ。それになんか落ち着かない。
そわそわしそうになる。でも、今は有瀬吉平ではなく守谷鍵だ。守谷鍵らしくしないと。
深山さんと古本は受付へ向かう。俺は二人の後についていく。出来るだけ堂々と歩く。
「警察です。後ろに居るのは探偵の守谷鍵さんです。捜査協力してもらっています」
深山さんはスーツの胸ポケットから警察手帳を取り出して、開く。そして、顔写真が載っている方を受付嬢二人に見せる。
古本も同じように警察手帳を見せた。
「は、はい」
「どう言ったご用件で?」
受付嬢の1人が深山さんに訊ねる。
「本日未明、遺体で見つかった岩野聡史さんについて、社長の道川康利さんにお話を伺いたいので繋いでくれませんか」
「しょ、少々お待ちくださいませ」
受付嬢の1人は慌てて、内線の受話器を手に取り、ダイヤルを押している。
深山さんと古本は警察手帳を胸ポケットに戻す。
あれだな。ドラマとかで見るやつだ。マジで見たのは初めてだ。ちょっとうきうきしている自分が居る。
不謹慎だ。人間とはやっぱり恐ろしい。違う感情になった途端、前の感情が簡単に消えてしまう。自分でも怖いほどに。
「お待たせしました。エレベーターで10階に行ってもらってもよろしいでしょうか」
「分かりました」
「10階に着けば社長が居る会議室までは専務の松田義正が案内しますので」
「はい。ありがとうございます」
深山さんは受付嬢達に頭を下げる。古本は1テンポ遅れて頭を下げた。
俺も軽く頭を下げた。
深山さんと古本はエレベーターへ向かう。俺も後についていく。
深山さんは乗車ボタンを押す。エレベーターのドアが自動で開く。
俺達三人はエレベーターに乗る。
古本がかご操作盤の10階のボタンを押す。
エレベーターのドアが自動で閉まり、上昇していく。
何とも言えない雰囲気だ。息が詰まると言うか、重苦しいと言うか、10階に早く着いてほしい。
まだ、この人達の事をよく知らない。それに下手に話せば、ボロが出てしまう。
変装中は色々と気を配らないといけない事が多い。だから、変装を解いた後はどっと疲れが出る。
エレベーターが止まった。10階だ。エレベーターの自動ドアが開く。
エレベーターの前には短髪の中年男性が立っていた。スーツの着こなし的に筋肉質だな。この人は。なんと言うか、やり手って感じがする。まぁ、苦手なタイプだ。
俺達はエレベーターから降りる。
「警察の方々と守谷鍵さんですね。わたくし、専務の松田義正です。よろしくお願いします」
松田さんは俺達に頭を下げた。
この人が専務か。副社長の岩野さんが亡くなったから、この会社の実質的ナンバー2って事か。
「本日、こちらの副社長岩野聡史さんが遺体で見つかったのはご存知でしょうか」
「はい。連絡は受けています」
松田さんは表情を変えない。冷たい人なのか、それとも、悲しいのを我慢しているのか。どっちだ。それとも、それ以外か。
よく分からない人だ。でも、第一印象だけで決め付けるのもよくない。もう少しこの人を知らないといけない。
「社長にお話をお伺いする前に少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
深山さんは松田さんに訊ねた。
「大丈夫ですよ」
「岩野さんを恨むような人はいましたか」
「いえ、いないと思います。人望も厚く、仕事熱心な模範的な人でした」
「そうですか。ありがとうございます」
梶野については一切聞かなかったな。まぁ、聞くだけ無駄だもんな。梶野と岩野さんの接点はほぼゼロに等しいし。
「それでは会議室に案内します」
松田さんが俺達三人を会議室へと誘導する。
梶野はなぜ岩野さんを殺したのだろうか。ただの愉快犯か。それとも、理由が何かあるのか。証拠が少なすぎて分からない。
松田さんが会議室の前で止まった。そして、会議室のドアを三回ノックする。
「松田です。警察の方々と探偵の守谷鍵さんをお連れしました」
「そうか。入ってもらってください」
会議室の中から男性の声が聞こえる。この声の主が社長の道川康利さんなんだろう。
「分かりました。それでは皆さん入ってください」
松田さんは会議室のドアを開けた。俺達三人は会議室の中に入る。
会議室中央には長いテーブルがあり、両サイドには6脚ずつ背もたれが付いた高そうな椅子が置かれている。
そして、部屋の奥の壁にはモニターが設置されている。その前にも椅子がある。その椅子に白髪交じりの40代後半ぐらいの男性が座っていた。
「社長。入っていただきました」
「ご苦労。松田君」
白髪交じりの40代後半の男性は椅子から立ち上がり、こちらへ向かって来る。
松田さん程筋肉質ではないがたるんでいるわけでもない。それに歩く姿に貫禄がある。大企業の社長ってやつか。スーツも靴も腕時計も全てブランド品。成功者だけが許された服装だ。
「社長の道川康利です」
道川さんは俺達に頭を下げた。遠目では分からなかったが目元が腫れている。
きっと、泣いていた証拠だ。それだけ、岩野さんと関係が深かったのだろう。
「深山です」
「古本です」
「探偵の守谷です」
各々自己紹介をしていく。
「岩野についてお伺いした事があるんですよね」
「はい。そうです」と、深山さんは言った。
「何でも聞いてください」
道川さんの声は少し震えているような気がする。ほんの少しでも感情が動くと涙を流しそうな感じがする。
「ありがとうございます。それでは、岩野さんを恨むような人は居ましたか?」
深山さんは松田さんにした質問と同じものを訊ねた。
「居ません。断言します。彼ほどに素晴らしい人間は会った事がありません。なぜ、彼が……彼が……」
道川さんは大粒の涙を流して、言葉を詰まらせた。
この涙が物語っている。道川さんにとって、岩野さんは掛け替えのない人だったと言う事が。
「ありがとうございます。椅子にお掛けください」
深山さんは道川さんに椅子に座るよう促す。
「すみません」
道川さんは近くの椅子に座って、泣き続けている。なんと言うか、対象的だな。
感情を露わにしている道川さんと全く感情を表に出さない松田さんが。まぁ、感情を表に出していないだけで松田さんも悲しんでいるはずだろう。
感情の表現の仕方は人それぞれだし。
「いえ、それだけ素晴らしい人だったと言う事が分かりました」
「……はい。絶対に犯人を捕まえてください。亡くなった岩野の為にも」
道川さんはズボンのポケットからハンカチを取り出して、涙を拭った。
「捕まえます。必ず」
深山さんは宣言した。
「ありがとうございます」
「それではこれから岩野さんのデスクなどを調べさせてもらってもよろしいでしょうか」
「えぇ。松田君。案内してくれ」
「はい。分かりました。それでは皆さん、案内しますのでついてきて下さい」
松田さんは会議室のドアを開けた。俺達三人は頷く。
YM社の入り口前。時刻は14時10分。昼ごはんはまだ食べれていない。まぁ、遺体を見たから食べる気にはならないが。
俺は外の空気を吸っていた。探偵は警察じゃないから岩野さんの物を物色は出来ない決まりらしい。だから、俺が居ても意味がない。それに少し休みたかったから好都合だ。
事件に関する物が見つかれば後で見せてもらえばいいし。
それにしても、探偵と言う職業は息の詰まる出来事の連続だな。これを本業にはしたくないな。しようとも思わないけど。
「すみません。守谷鍵さんですか?」
スーツ姿の同世代ぐらいの女性が近寄ってきた。化粧は薄い。しかし、顔のパーツがしっかりしていて美人だ。
ブラウンのボブ。伸ばしすぎると色々と弊害が出るのだろう。
それに目力が強い。何かしらの信念があるように思える。
首にカメラを掛けている。左肩にカメラカバンを掛けている。
あれだな。これは十中八九記者だな。うわー一番、この変装した状態で会いたくなかった人種だ。
「そうですが。何でしょうか」
深山さん達早く来てくれないか。記者を捲く方法なんて知らないぞ。俺は。
「岩野聡史さん殺害事件の捜査をされているんですよね」
いきなり、取材か。面倒だな。
「守秘義務なんでお答え出来ません」
これしか回避方法を知らない。
「もし、話したくなったらこちらへ連絡してください」
女性はズボンのポケットから名刺入れを取り出した。そして、名刺入れの中から名刺を一枚出して、俺に押し付けてきた。
俺は名刺を嫌々受け取った。名刺には週刊現実「表崎千尋(おもてざきちひろ)」と書かれている。
「名刺を渡しても無駄だと思うんですけど」
簡単に情報を提供するか、普通。もしかして、だめもとなのか。
「そんな事ありません。私も重要な情報を持っているので」
表崎さんの目が力強い。それはもう睨んでいると同じだぞ。
「……重要な情報ですか」
「はい。かなりの特ダネだと思います」
自動ドアが開いた。
YM社から深山さんと古本が出てきた。
「捜査を終えたので帰りましょうか。そちらの方は」
「……守谷さんのファンです」
表崎さんは驚きながら嘘をついた。思った以上に警察が出てくるのが早くて驚いたのだろう。でも、その噓はばれるだろう。どこからどう見ても記者だし。
俺は面倒な事を避ける為に咄嗟にズボンのポケットに名刺を入れた。
「いや、記者でしょ。事件についてなら何もお答えする事はありません」
「違います。それでは失礼します」
表崎さんは頭を軽く下げて、そそくさと去って行った。
「何か聞かれましたか」
深山さんは訊ねて来た。
「特に何も」
「捜査に関する事は何も言ってませんよね」
「はい。言っていません」
「それなら大丈夫です。疑ってすみません」
「いえ、色々とありますもんね」
「そう言ってもらって助かります。それでは帰りましょう。事務所までお送りします」
「ありがとうございます」
俺達三人は駐車しているパトカーへ向かう。
梶野はどうやって大勢の人々を殺害しているのだろうか。やはり、透明になる技術でも持っているのだろうか。
……あほだな、俺。そんな、現実離れしたことばかり考えて。
俺は現実に起こっている事件を捜査しているんだぞ。
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