第2話 後輩とラジオ

「先輩!危ない!」


 気づくと俺は、大学の食堂でぼんやりしながらお昼ご飯のA定食を食べていた。ご飯を食べながら携帯電話のメールをみていると、いつの間にか後輩が隣に座っていた。足音も、椅子をひく音も聞こえず、俺はどれだけ携帯電話とご飯に集中していたのだろうか。


「先輩、こんにちは」


「おう」


 後輩は、隣でパンを食べながらウォークマンで音楽を聴き始めた。俺はご飯を食べ終わり席を立とうとしたが、後輩がぐいっと俺の腕をつかみ、問答無用に座らせた。


「なんだよ」

 

「先輩、ちょっと聞いてください!」


 後輩が自分のイヤホンの片方を俺に渡してきた。しかたなく後輩から受け取った片方のイヤホンを自分の耳にはめた。とあるラジオ番組のようだった。リスナーから投稿されたとあるカップルのあまいシチュエーションのセリフを、女性パーソナリティーが読むコーナーという説明している声が聞こえる。


 『それは、彼氏である先輩との朝の出来事。目覚めたら、いつものベッドではなくて、白いベッドの上だった。シーツに彼の匂いがうつっていて、まるで先輩に抱きしめられているような、夢の続きなのか、不思議な感じがした。幸せという言葉が本当にあるとすれば、今このときが幸せというのだろうか。


「おはよう」


 先輩の声が隣の部屋から聞こえてきた。お湯を沸かしている音やコーヒーの香りも、自分の家でも同じことをしているのに、先輩の声があるだけで全く別の特別な出来事のように感じる。まだ夢の中にいるようだった。


「お、はようございます」


 声を出そうと思ったが、ねぼけているので声がでなかった。しかし、先輩の声と顔は夢ではないと頭の中で目覚ましがなり覚醒した私は、ベッドから起き上がった。カーテンが少しだけゆれている。窓があいているんだろうなとぼんやり目で確認した。太陽はすっかりのぼっていた。


「はい、コーヒー」


 先輩はいつもどおりの声で小さなテーブルの上にコーヒーカップを2つ置いた。一つは先輩の。もう一つは私の。


「あ、りがとう、ございます」


 コーヒーを飲む前に、顔を洗わせてもらおうと声を出そうと思ったら、声がかすれていた。


「体、大丈夫?」


「はい」


「はいって、お前、そんなかすれた声で返事をして、大丈夫なわけ……」


「すみ、ません」


「あやまるなよ。わるかった。今日はのど飴なめてろ」


「はい」


 先輩に頭を撫でられた。先輩の手は大きくて、きれいだった。この時までは幸せでいっぱいだった。このあとにあんなことが起こるなんて……』


 俺は途中でイヤホンをとり、隣でニヤニヤしている後輩の顔を見た。


「なんだよこれ」


 呆れた声で俺はつぶやいた。


「何って、私が聴いているラジオ番組のシチュエーションコーナーなんです。今のは私が考えたシチュエーションセリフで、先輩へのプレゼントです!」


 後輩は自分のウォークマンからカセットテープを取り出し、丁寧にケースに入れて渡してきた。


「いや、プレゼントって言われても、というか、今のセリフってお前が考えたの?」


「はい。なんか、先輩のことを考えたらとまらなくて」


「……こわ」


「えへへ」


「今の所、私から先輩への誕生日プレゼントです!受け取ってください!」


「いらねー」


「そんなこと言わないでくださいよー」


 このヘラヘラした顔と声をしている後輩は、同じ大学のサークル仲間で、付き合っていない。ただの先輩と後輩だ。この後輩が一方的に俺に絡んできている。


「先輩の何気ない仕草にキュンとすることがふえて、そんな先輩のことを考えたら妄想が止まらなくなって、セリフ付きで考えてみました。採用されてうれしいなぁ」


 俺は、大きなため息をついた。


「……はぁ。お前さ、俺じゃなかったら、とっくのとうに食われてるかもしれないぞ。あんまり男に変な妄想するなよ。家に帰って勉強でもしろ」


「はーい、先輩はキュンとしませんでしたか?あと、セリフの続き、最後まで聞いてくださいね!」


 俺のカバンに無理やりカセットテープをねじ込んでいたが、返すのも面倒だからそのまま受け取っておいた。


「はいはい。俺これからバイトだから。じゃあな」


「先輩!ちゃんと最後まで聞いてくださいねー!」


 俺は、後輩の話を半分以上聞かずに立ち去った。後輩は遠ざかる俺になにかいっていたが、俺は振り返ることなく立ち去った。俺は女に優しい態度もできないし、後輩想いでもない。だが、この後輩が絡んでくることが嫌ではなかった。もちろん、本人には決して言えない。


「ふー、今日も疲れた」


 俺は部屋に帰ってきて、とりあえずテレビをつけた。事故のニュースが流れていた。現場からの中継で駅前でスピードを出した車が何人か歩行者にあたり、電柱に衝突したようだった。俺はコンビニの弁当を食べて、風呂上がりに、昼間に後輩からもらったラジオの音声を聞くことにした。バッグの奥底にあったカセットテープをラジカセにセットし、再生ボタンを押した。午前中に聞いた甘いセリフの後に、楽しそうな女性パーソナリティーと音楽が流れていた。


「あいつこういうラジオを聞くのか。意外だな」


 途中で、何度か途切れ始めて、電波の調子が悪いのかと思った。よくあることだと思ってそのままにしていたら、突然、キーンという音が部屋中に響き、俺は耳を塞いだ。


「何だ?」


「やっと、……つ…がった…」 


 確かにラジオから聞こえてきた声は、先程まで聞いていた女性パーソナリティーの声ではなかった。だが、どこかで聞いたことのある声だった。


「せん…い!先輩!聞こえますか?先輩、目を覚ましてください!せんぱい!せ」


 俺は怖くなって、一時停止のボタンを押して、カセットテープを取り出した。


「こわ、一体何なんだ」


 鬼気迫る声に驚き、その声が、さきほど大学で一緒にいた後輩の声だと気づくまで数分かかった。だが、再びスイッチを入れる気がしなかった。静かになった部屋で俺は背中からじわじわと汗がでる。そしてすぐにテーブルの上に置いていた携帯電話がなった。


「うぉっ、って電話か、びっくりした。なんだ、母さんか」


 携帯の画面には母からの着信だった。迷わず着信にでるが、


「もしもし」


 俺はいつもどおりに電話にでた、つもりだったが、俺の声は母さんに届いていないようだった。なぜか、母さんが電話の向こうで、妹と話している声が聞こえたのだった。


「お母さん!今、お兄ちゃんの後輩って人から連絡があって、お兄ちゃんが事故にあったって……!」


「本当にあの子!なにしているの!早く出て!今どこにいるのよ!」


 いつものおっとりとした母の声ではなく、めずらしく焦っている声がした。


「母さん、何言ってるんだ……」


 俺の声は全く聞こえていないようだ。俺は自分の部屋にいることを告げようとした矢先、妹から事故というワードがでてきた瞬間、俺の手から携帯電話がすりぬけ床に落ち、意識が遠のいていくのを感じた。


 俺は今どこにいるんだ?事故?さっきまで大学にいて、後輩から無理やりラジオのセリフを聞かされたよな。それから、バイト先に行って、家に帰ってきたよな。あれ?そういえば、後輩が叫んでいたのは、最後まで聞けっていってたんだっけ?横断歩道でスピートを出したままの車が突っ込んできた映像は……あれ?どこまでが夢なんだ?俺はどこで後輩と別れたんだっけか。


「お兄ちゃん……目をさました?お兄ちゃん!私、先生呼んでくる!」


 妹の声が耳元で叫んでいるのが聞こえた。いつもうるさい声だと思っていたけれど、なんだか懐かしい声だった。さっき電話で叫んでいた母の声もなんだか懐かしい気がするのは、心配性の母と離れて暮らしはじめたからだろうか。


「いってー、なんだよ。さわがしいな……」


 部屋にバタバタと急ぎ足でだれかが俺の顔や体を触っている。妹と母以外の声も聞こえてきた。目を閉じているのに、まぶしい。あれ?俺、いつのまに寝てしまったんだろう?目の奥から差し込む光がまぶしくて目を開けるのも大変だった。


 俺は交通事故にあって、3日くらい意識がなく寝ていたようだった。おかげで体がだるくてしかたがない。精密検査やリハビリ後、俺は退院した。久しぶりに大学に行く朝、玄関で母親から言われた。


「車に気をつけるのよ。あと、あなたの後輩の子にお礼言っておいてね。ちかに連絡をくれたり、お見舞いにも来てくれたりした子。ほら、ショートカットで……」


「後輩……え?あいつ、見舞いにきてくれたのか」


「そうよ。だって、あんた、あの子がいなかったら……」

 

 俺は友人にメールをして大学の食堂で待ち合わせをした。


「おう」


「久しぶり、体はもう大丈夫なのか?」


「ああ、まだ通院しないとだけど、とりあえず大丈夫そう」


「良かったなぁ、お前。あの後輩ちゃんにお礼言ったか?あの子、いなかったらお前、危なかったかもしれないんだもんな」


「ああ、そうみたいだな。母さんにも言われたよ。でも、そもそもあいつも駅に用事があるって」


「そうなのか?あの日、後輩ちゃん、授業中だったのにいきなり教室を抜け出して、お前を探していたらしいんだ。俺のところにも来てさ、バイトで駅に向かったことを伝えたら、後輩はいそいで追いかけていって。そこで、スピードを出しすぎていた車にひかれそうになったお前を助けたみたいだぞ」


 母親からは、たまたま俺と一緒に駅に向かっていた後輩が、よそ見をしていた車にひかれそうになったので、俺が後輩をかばって、事故にあったという話になっていた。


 後輩は受け身を取って大丈夫だったみたいだが、俺はそのまま地面に頭を打ち付けて意識を失ってしまったようだった。俺のスマホを使って妹に連絡をしてくれたようだった。後から聞いても情けない話だ。

 

 警察や救急車にも連絡して、いろいろ動いてくれていたようだった。お見舞いにもきてくれて、なぜかベッドの横にラジオを置いて帰って、その翌日、俺が目覚めたようだった。母や妹から、後輩にお礼がしたい、今度家に連れてきなさい!と言われてしまった。


 友人の話と母と妹から聞いた内容は少し違っていた。後輩はたまたま俺の隣にいたわけではなく、わざわざ追いかけてきてくれたのか。なぜ追いかけてきてくれたのかわからなかったが、助けてくれたのは確かなのだから、結局の所、お礼を言わなければならないだろう。


「せ、ん、ぱ、い!」


 ぐるぐる考えていたら、背後から足音なく後輩がやってきていた。


「うわぁ!び、びっくりした。ああ、お前か」


「先輩、目をさましてよかったですね。そうだ、先輩、私の声、聞こえました?」


「ああ、そうだな。お前のおかげで……って何?今なんて言った?声が聞こえただと?」


「だから、先輩って夢の中でもラジオ聴いているみたいだったから、私、起こしに行ったんですよ。結構大変だったんですから!でも、聞いてくれて嬉しかったです」


 口をすぼませながらも、へらへらとした顔で意味不明なことを言うこの後輩に、何から聞けばいいのか頭が痛くなってきた。


「ちょっと待て、どういうことだ?俺にわかるように説明しろ」


「まぁ、無事でよかったです。そんなことより、先輩!新作のラジオネタ、読まれたので聞いてくださいよ!」

 

 後輩は、再びカセットテープを自分のバッグから取り出して俺のバッグに入れようとしていた。お礼を言おうと思ったのに、なぜか言う気になれず、いつものように大きなため息をついた。


「いや、いいわ」


 俺はしばらくこの後輩にはかかわらないようにしなければと心に決めたのだった。


「えー、そんなこと言わないで!今度は大丈夫な内容ですから!」


 

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とあるラジオリスナーの日常 みやこ @myako8

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