33『異端皇帝フレさん──1245年』


 裁判と云えば、検事が告発をして弁護人がそれに反論を行い、裁判官が双方の意見と証拠を元に判決を下すと云うのが現代では普通に考えられるものである。

 だが中世のこの時代では、それを行っているのはヨーロッパでメルフィ憲章を制定したシチリア、神聖ローマ帝国しか無い。

 そして宗教裁判とはもっと明確に終わるものである。

 裁判長である聖職者が罪状を読み上げ、判決を言い渡す。そこには反論も弁護も存在しない。裁判というのか形だけのものであった。


 1245年6月。

 リヨン公会議は開かれる事となった。

 ヨーロッパ中の聖職者を呼びかけての会議だが、その参加者は僅か150人程度であった。 

 インノケンティウス3世が開いたラテラノ公会議の10分の1以下の規模である。これには理由があった。

 正直ローマ教皇のやり口には疑問を持っていた聖職者が多く、またローマゆかりの地ではなく逃げ延びたリヨンでこそこそと開くのに呆れて参加を見送った者。

 また、シチリア王国と神聖ローマ帝国からは殆どの聖職者が不参加と云う形で抗議の意を示した。

 普通の会議ではないので、大勢の参加者が集まれば教皇の意見を変えられるという形ではない。むしろ、送り込む人材を最低限に絞ることでフレデリカの弁護を可能にするという作戦であったのだ。

 リヨン公会議に送り込まれたのはフレデリカ側近のタッデオである。

 聖職者の会議であるので皇帝のフレデリカは直接参加できないのだ。


「ガツンとやってこいタッデオ! 我が許す!」

「承知」


 メルフィ憲章に傾倒して法学を学んだ彼は優秀な裁判官も務めた経験がある。 

 リヨン大聖堂に鐘の音が鳴り響く。公会議の始まりを示す合図を、タッデオは教皇の正面に座りながら聞いていた。

 大聖堂に集合したヨーロッパの聖職者達を前にインノケンティウスは告げる。


「皆の者、此度の公会議では攻め寄るモンゴル軍、そして再びイスラム教徒の手に落ちたエルサレムに派遣する十字軍について話し合いたいと思うが……」


 一息ついて、告げる。


「それよりもまず、神の正しき道を外れ、もはや直しようのない邪悪な異端となった皇帝を罷免する裁判とさせて貰いたい」


 やはり来たな、とタッデオは教皇を睨んだ。

 事情を知らない参加者はざわざわと突然の事に騒ぐ。

 タッデオは立ち上がり朗々と告げる。


「裁判と云うならば弁護人が必要だ。それに皇帝が異端に値すると云う証拠を聞かせて貰おうか」

「控えろ!」

「断る。私は法により、皇帝を弁護する用意がある」


 枢機卿に怒鳴られてもタッデオは静かに受け流し教皇を睨んだままであった。

 ならば、と。教皇は云う。

 

「ならば告げよう。皇帝の悪行の数々を。それを聞けば神ならぬ愚人にさえもかの者が、皇帝に値しないどころか害悪ある存在だと知れよう」

「御託はいい」


 そして、教皇とタッデオの戦闘が始まった。

 教皇の告げる罪状にタッデオが反論を行うと云う形だ。タッデオの反論は教皇のみならず、各国からやって来た王代理の聖職者に伝えて正当性をアピールすることが目的であった。

 たとえそれで異端の名目が免れなくても、とフレデリカから予め云われていたが、


(負けるものか……)


 素晴らしき法を作ってくれた法治国家の先駆者を守らねばならないと使命に燃えている。

 教皇の罪状読み上げが始まった。


「皇帝は実の息子ハインリヒを虐待し、精神的に追い詰めて自殺に追い込んだことが罪である」

「皇太子ハインリヒは国内法を無許可で変更し続け領民に被害を及ぼす反乱行動を起こし、再三の忠告の後に皇帝は法に基づいて処罰を行ったに過ぎない。その後に自殺には関与していない」

  

 きっぱりと告げる。

 そしてこの場にフレデリカが居なくてよかったと思う。彼女はあれで、身内について侮辱されるとキレるのだ。


「皇帝は配偶者をこれまで三人も早死させたことは、妻を虐待していたことの証拠である」

「もしそうだと云うのならば証言はあるのだろうな。皇帝は妻どころか愛人にも平等に情を回し、一切女性関係で問題が起こったことはない。誰が、どんな虐待をしたと証言したのだ?」


 まあそもそも。

 女性同士の結婚について問題視すべきな気もしたが、教皇至上主義に陥っている相手はその最大な権力者であったイノケンティウス3世の決定を覆せないのだろう。

 証言については教皇側は言及しないまま次の罪状へ移る。


「イスラム教徒のスルタンと友好を続けているのはキリスト教の皇帝としての利敵行為である。また、ギリシャ正教のニケイア帝国に娘を嫁に渡しているのもまた、異端行為に上げられる」

「アイユーブ朝はそもそも隣国だ。隣国と仲良くして国民の安全を守るのは王として当然の行為に過ぎない。それにニケイアはギリシャ正教と云うが元は同じキリスト教だ。別に神聖ローマ帝国の国教をギリシャ正教に変えたわけでもない」


 当然のことを、当然のように反論しているのに。

 教皇の顔に焦りも怒りも生まれないのがタッデオには腹立たしかった。

 証拠もなくいちゃもんをつけているだけのような内容で、裁判としてはお粗末極まりないのである。


「国内のルチェラの街に居たキリスト教徒を追い出して、イスラム教徒を住まわせたことは許しがたい」

「追い出したとは云うが納得の末に補助金を出して移住してもらっただけだ。それにルチェラのイスラム教徒の中にも、ローマ教会が派遣した宣教師によってキリスト教徒に改宗した者も居るから一方的にどちらの宗教を優遇しているわけではない」


 というかそれはお前らが派遣したから知ってるだろうとでも言いたげなタッデオである。

 フレデリカの統治下では信仰の自由を認めている。それは住民側にも求められることで、宗教を理由に迫害が起こることはあってはならないとしていた。

 一度はユダヤ教徒が子供を殺したと訴訟が起こったことがあるが、わざわざ皇帝自ら丹念に調べあげて無実だと証明したこともある。


「フォッジアの宮殿では連夜享楽的な宴が行われ、サラセン人の女を侍らしている」

「皇帝はあまり自発的に宴を行わない。普段彼女が食べるのは精々、パンかパスタだ。宴は来客をもてなすためであり、サラセン人の女は職業が踊り子なので雇っているだけだ。踊り子はキリスト教側には居ないからな」


 これも事実だ。フレデリカはとりあえず手早く食事を済ませることを好む。また、客人の為に宴を開くときだけはケチをしないようにしている。

 自主的な享楽で宴を楽しむ時間があれば本を読むか鷹狩りでもしていた方が彼女は安らぐだろう。


「フォッジアの宮殿にはサラセン人の女を多く住まわせている。イスラム教のハーレムを作っているのだ」

「確かに宮殿に女は居るが、彼女らは織物、特に高級な皇帝、官僚などが着用するものを織るために雇っている。単なる産業振興政策の一つに過ぎない」


 これまで中東や東ローマから輸入していた織物を自国生産することでシチリアはかなり儲けを得ている。王ならば自国の利益となる産業を発展させるのは当たり前だとタッデオは云う。

 そしてあの少女がわざわざレズハーレムなぞ作る図がまるで想像できなかった。


「皇帝の軍勢にはサラセン人どころかニケイア人まで居る。それでキリスト教徒たるロンバルディアを攻撃したのは侵略行為である」

「彼らは単なる傭兵だ。適正な金を払い、軍律に従えば皇帝は傭兵の出自は問わない。大体、キリスト教徒同士が殺し合うよりマシではないか」


 皮肉げに告げるタッデオである。

 だがやはり、教皇は動じない。


「皇帝はエルサレムがイスラム教徒によって陥落したと云うのに十字軍を編成しようともしない」

「十字軍を編成していないのは必要が無かったからだ。皇帝に再びエルサレム奪還の十字軍を起こさせるならば、国内を乱す行為を即座に止めるべきである」


 実は去年にエルサレムはイスラム教徒の手に落ちている。 

 アル・カーミルの息子の一人、パレスチナの北あたりの太守であったサーリフが戦場奴隷の軍を向かわせて奪い取ったのである。

 しかしながら去年までは平和だったので十字軍の準備をしていろとは、的外れな指摘である。


「皇帝は教皇領を侵攻し奪いとった」

「それは返還に応じると皇帝は声明を出している。イギリスやフランスにも証人になってもらっているだろう」


 正直に云えばフレデリカとしても面倒くさい土地はいらない、というのが本音であった。

 シチリアだけでもかなりの黒字を出している国なので、一々周りから文句を出される教皇領などさっさと返還したいのだが、統治者が居なくなっていた上に生活水準が自国に比べて低かったので平定した土地に支援を行っていたのだ。

 教皇の言葉は、とうとう呆れるような問題に踏み込んだ。


「皇帝の周囲には若い男の出入りが多く、それを引き連れて移動しているという。これは皇帝の忌むべき少年趣味である」

「……!」


 とりあえず物でも投げつけようかとタッデオは思ったが、机には何も置かれていなかったので諦めた。

 恐らくフレデリカの幹部が聞けばほぼ全員がキレるようなことである。

 自分の皇帝がショタ喰いのビッチだと云われたようなものだ。しかも、今の幹部にはその「出入りしていた若い男」だった者も居るのだ。

 タッデオは脳内で、


『子供可愛いですペロペロ』

『フレさん喪女すぎてショタコンだと思われてるぞ』


 と、云う恐らく云われたら爆笑したであろうフレデリカと隊長を思い浮かべて、荒々しい息を吐きながら答弁をした。


「彼らは皇帝の息子と、彼女が統治する国の貴族の子弟である。息子と同然の教育を受けさせるがために学ばせていた者達だ。全てそれに参加した者は誰か記録が残っている。その内の誰が関係を持ったという証言があるのか、聞かせてもらおうか!」

 

 証拠はもちろん出なかった。

 もはや教皇の糾弾はフライデー以下の、下衆の勘ぐりでしか無かった。

 さすがに参加していた、中立よりであった他国の聖職者も鼻白んで教皇を見ている。

 あまりフレデリカと教皇との争いを関知していなかった聖職者は、両者は[叙任権]で争っていると思っていたのである。歴史の教科書にもそう書いてある。

 叙任権とはつまり、自国の聖職者を王が任命するか教皇が任命するかの違いである。

 しかしここに来て認識が変わった。


(教皇が死ぬほどいちゃもんをつけてきて、王位を剥奪してくる)


 と、当然諸国の王の代理としてやって来た聖職者にダイレクトに伝わったのである。

 大聖堂の空気は冷えきっていた。表立って言葉を挟む者は居ないが、教皇に対して冷めた目線が突き刺さった。

 しかし図太さはティレニア海の嵐でも冬のアルプスでも消せない教皇である。しれっとした様子で、


「以上の罪状をよく皆に知ってほしい。判決は2週間後に続きの公会議を開き、言い渡すこととする」


 批判の目線は気にならないが、空気を読む能力は確からしい教皇はこの冷えきった場で宣言しては反発が生まれると思い、ひとまず会議を一旦休止することとした。

 フランスやイギリスの王代理としてやって来た聖職者は、代理の名の通りに王の代わりに発言してその影響力は判決に異を唱えて邪魔をするかもしれないからだ。

 タッデオは一切の教皇側から確かな証拠が無く、そして裁判だと云うのに被告も呼んでいない上に裁判官役と検事役が教皇一人と云う無茶な状況にも気に入らなかった。

 

「これが裁判であってたまるか……!」


 そしてひとまずの解散となる。

 2週間の中休みがあるとすれば、国の代表としてやってきた聖職者などは一旦フランスやイギリスに戻り王に報告する時間がある。

 タッデオと教皇の言い合いの記録も、連絡員によってアルプスを渡り北西部イタリアのトリノに居るフレデリカに渡された。

 教皇が読み上げた罪状を確認して、


「頭痛くなるというか、頭悪くなりそうな内容を喋るね……この教皇」

「何と言うか、グレゴリウスから恥を抜いたような……あいつでもまだマシな言い分をしていた気がするが」

「教皇がしていい内容じゃないよね……皇帝がショタ喰いの美少女だなんて批判」

「びしょ……いや、まあ。それより、タッデオの反論が実直すぎるのがやや問題だな」


 隊長は腕を組みながらアルプス山脈の方を見る。


「この国では通用する内容だが、相手は教会法だ。しかしあいつ以外に交渉役は居ないからな」

「隊長は知識はあるのに交渉は苦手だもんね」

「ああ。俺に行かせる場合は、部下が錯乱して教皇を殺害した後始末の方法を考えてからにしてくれ。なるべく錯乱の演技は頑張る」

「嫌だよ。隊長と教皇じゃ隊長の方が大事なんだから」


 などと云っていると、慌てて連絡員が再びトリノに訪れた。


「大変です!」

「どうしたの? 動きがあった?」

「教皇が2週間中休みの約束を破って、1週間で会議を再開させました!」

「恥知らずかよっ!?」


 皇帝を貶める為ならばモラルなど捨てる覚悟の教皇であった。

 

 彼が約束を早めたのには理由がある。

 つまり、国に連絡に行った王の代理人聖職者が帰ってくる前に会議を終わらせると云う作戦である。

 油断して、というか普通教皇が約束を破るなど考えても居なかったフランスやイギリスの代理人は離れていた。

 フレデリカがタッデオの援軍にと送り出したピエールもまだ到着をしていないのである。幸いタッデオはピエールを待つ為にリヨンに留まっていたのだ。

 会議の参加者はとうとう100人を割った。それでも行われる。


「教皇が命ずる。以前に述べた罪状の全てが確かであり、皇帝の代理人の反論は全て却下する」


 そして、


「皇帝はその地位に確かな人格、精神、能力に欠如し、その者が行う行為はキリスト教に対する反逆的異端行為である。教会の敵にして、キリストの敵である皇帝には処分を下さねばならない。

 彼の者から神聖ローマ皇帝の位を剥奪する。ドイツの選帝侯は、即急に新たな皇帝を選ぶように要求する。

 彼の者からシチリア王国を取り上げ、真の所有者たる教皇がシチリア王国を預かる。我輩が次の王を選定しよう」

 

 タッデオは我慢しきれずに立ち上がり叫んだ。


「これが裁判であってたまるか! こんなことが法を名乗っていいものか!!」


 歯を食いしばり教皇を睨んで続ける。


「これから多くの騒乱が起こり、無辜の民が苦しむだろうよ! だがそれは皇帝が起こしたのではなく、教皇が引き起こすこととなった!!」


 ──こうして。

 神聖ローマ皇帝フレデリカは、公式に[異端][アンチクライスト][皇帝失格]のレッテルを貼られることとなったのである。 

 或いは──タッデオの能力が悪かったわけではないが。

 教会法に詳しく、教皇の思い上がりやローマ教会の気質も熟知していて宥めて妥協点を作らせる、異様に柔軟な交渉者であるチュートン騎士団のヘルマンがずっと交渉を行っていればこうはならなかったかもしれない。

 しかしそれは望むべくもない。彼が倒れたことでフレデリカが破門を受け、そのままヘルマンは亡くなってしまったのだから。   

 



 ******





 報告を受けてフレデリカは早速筆を取った。

 

「おーけい。そっちがその気なら抗ってやる。まずはそこらの国が我を相手の十字軍に出ないようにだ」


 彼女は教皇との裁判についての手紙を各国に送りつける。

 その内容はこのようなものであった。


「教皇は裁判と云っておきながら被告人たる我を裁判の場に呼ばなかった。当人の居ない裁判など有効であろうか。 

 しかも証拠は一切具体的に出さず、証言はただ罪状の文を読み上げるだけ。そんなの子供でも出来る。

 弁護側の言葉の妥当性を一切認めようとせずに、白痴のように繰り返される証言のみを採用するなど裁判官として教皇は無能どころか失格そのものだ。

 そして考えても見て欲しい。一体どこに教皇が皇帝の位を取り上げて良いと云う法があるのか? 聖書や福音書に書かれているだろうか。ローマ皇帝が一度でも聖職者によって罷免されたことがあっただろうか。

 皇帝に戴冠するのは教皇の役目だが、それはあくまで神の代理としてである。教皇が神なのではない。皇帝は神に仕える王なのであって教皇に仕えているわけではない。

 これは他人事ではないと王侯や領主、都市長官にも告げよう。

 教皇は世俗のことである我らの地位や政治に口出し手出しをすることを躊躇わない。それがはっきりとわかっただろう」


 この手紙をヨーロッパの領主や王に出しまくった。

 日頃から教皇とのやりとりを報告されていた王達は、


「絶対やり過ぎだよこれ……」

 

 と、教皇の行為に正直引いていた。フレデリカと敵対するロンバルディアのミラノさえ、これに乗じて即座に攻めてくることはせずに息を潜めたぐらいだ。

 教皇は王より上の立場にある。それはこの当時の常識ではあった。

 しかしそれはあくまで、キリスト教と云う宗教の立場であり、国を管理運営して政治を行う事に関しては王がその責任を持って行うのである。

 宗教と政治を明確に分離しようとしたフレデリカのやり方は新しすぎてそれも極端であったが。

 グレゴリウスからインノケンティウスに続くこの明確な手出しは危機感を実らせるには十分な行為であったのだ。

 不信感を示したのは王だけではない。

 リヨンの司教がインノケンティウスに面会を求めた。

 ここは司教区なので実質その司教が街の長官と云うか、代表でもある。


「教皇。やり過ぎだと思います。確かにフレデリカ皇帝にも問題があるかもしれませんが、キリスト教の教皇として平和を乱すような……」


 そもそも公会議とは裁判の場ではなく、宗教上のこれからの方針を話し合う場なのだ。個人攻撃をしたあのような会議を自らの街で開いた事に、不快感を覚えていた。

 そう意見をした彼に、インノケンティウスはあっさり返した。


「あっそ。じゃあお前クビ」

「! ……失礼します」


 リヨンの聖堂から出てきた司教を街の人は注目していた。

 この街は平穏で緩やかな統治を行い、善政を敷いていた人柄の良い司教を住民たちは皆好いていたのである。

 彼は司教の位を示す帽子を脱いで、云う。


「私は神に仕えているのであって、教皇に仕えているわけではない」


 そう告げて、彼は修道院に篭もってしまった。

 すぐにその噂は広まり、リヨンの街は暴動もかくやと云う状況に陥った。

 他所から来た教皇がいきなり自分らの街を治めていた、人気のある司教を解任したのだ。意見をしたと云うだけで。


「田舎者共が」


 吐き捨てて教皇は再び街を離れた。

 リヨン北にあるクリューニーの修道院に今度は居を移したのである。ここならば強固な城のような作りであり、俗人も居ないので過ごしやすい。

 そこで引き篭もっているわけではない。既にフレデリカへの宣戦布告を行った教皇はクリューニーから指示を出す。


「ヨーロッパ中に対皇帝の十字軍を呼びかけろ。そして修道僧は全て、あの皇帝を批判し民衆を煽れ」

 

 異端と断じられたフレデリカを批判する説教を行わせることにした。

 フレデリカが情報戦略で人気取りを重視したようにこの教皇も、それに倣って彼女の人気落としに動員させたのである。

 シチリア国内だけに説教修道僧を送ったことはあったが、今度は欧州に無差別──というか全ての街や村で行わせる算段である。捕まえてエルサレムに放り込む作戦は使えないし、少し前にエルサレムはイスラム教徒に奪われたばかりだ。

 

 暫くして、クリューニーの修道院に来客が訪れた。

 フランス王ルイとその末弟シャルル。アラゴン王ハイメ。カスティーリャ王フェルナンド。そうそうたるメンバーである。

 彼らは教皇に従い十字軍の申し入れに来たのではない。

 やり過ぎな教皇を諌めにやって来たのだ。

 なおイギリス王がハブられているが、彼は議会の承認が得られず不参加になった。何をするにしても議会を開かないといけないのである。


「教皇」


 代表してルイが跪きながら進言を行う。


「フレデリカ皇帝に与えた処分は厳しすぎると思われます。同じくキリスト教を守る、教皇と皇帝同士。いがみ合い、互いに傷つけあうよりもキリスト教社会全体をどうかお考え願えませんでしょうか」


 いつもながら真っ当な意見である。

 聖王と後に呼ばれることになるルイは、キリスト教を非常に大事にしていたがそれと同時に義理堅い性格でもあったのである。

 彼の宗教的贔屓目に見ても当時の教皇のやり口はかなり衝撃的だったのだろう。


「我らからもお願い致す」

「西にムワッヒド朝。東にモンゴル。そしてエルサレムがイスラム教徒に奪われた今、キリスト教徒同士で争うこともありますまい」


 二人の王が同調して教皇と皇帝の歩み寄りを頼んだ。

 フレデリカの方は打算的で合理的なものの、それが故に利さえあれば説得は簡単に出来るので問題は教皇なのである。

 

「そんなことはどうでもよい」


 教皇は嘲る顔を隠そうともせずに云う。


「それより、フランス王。その弟の……シャルルだったな。貴様にシチリア王国を与えよう。故に、あの皇帝から奪い取る為にルイ王は弟に軍を貸せ。異端に対する十字軍を起こすのだ」

「うへぇ、まじィ? やっちゃう? やっちゃう兄貴ぃ~?」


 シャルルはニヤついた顔で兄を伺う。

 彼はとにかく自分の領地が欲しいのである。

 しかしきっぱりとルイは首を横に振った。


「エルサレムやモンゴルに十字軍を出せと云うのならば僕は赴きましょう。しかしフレデリカ皇帝とは決して敵対しない」

「貴様も我輩に逆らうのか?」

「それに」


 ルイは危惧すべきことを口にする。


「教皇が勝手に取り上げた領地を、弟に与えられれば。それは弟が破門を受けた時に再び取り上げられる儚い土地となりましょう」

「……」

「シャルル。帰るぞ。教皇、貴方の行動はフレデリカ皇帝の国内のみならず、我がフランスをも乱している。それをご理解ください」

「同じく。生憎と皇帝を攻める意味はわかりませんな」

「教皇の権威で土地を取り上げられるなら是非、スペインをレコンキスタして欲しいものだ」

 

 交渉は失敗に終わり、王達は不快感を露わに修道院から去っていった。

 この時に教皇は彼らを破門や異端としなかった。

 今はフレデリカを追い込む事に尽力するべきだと判断していたので、より批判が高まるフランスを明確に敵に回したくはなかったのだろう。

 だがルイの云った通り、教皇の行いに不快を示すのは土地を持つ王侯だけではない。

 ドイツどころかフランス国内でも、フレデリカ批判──と云うより聞くに堪えないゴシップを大声で街頭演説している修道僧を騎士が馬で追い回したことが何度もあったようだ。


 しかし教皇は自重しない。

 

「シャルルとやらは使えそうだ……」


 野心に燃えている目をした末弟のことも手駒の勘定に入れつつ。

 教皇は対皇帝の謀略を開始するのであった。

 性格が最悪でも、人気が最低でも、理解されずとも──教皇は、教皇の権力を以てして破滅を導くのである……。





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