『哲学女子の論理と恋 ~キャンパスミステリーな百合物語~』

ソコニ

第1話 存在と観察の境界線


第1話:図書館での偶然の出会い


「はぁ...」


青木理沙は、図書館の窓際の席で小さな溜息をつく。逆三つ編の髪が夕陽に照らされ、黒縁メガネの奥の瞳が静かに輝いている。ハイデガーの『存在と時間』の横には、最近読み破った推理小説が何冊も積まれていた。


「実存とは、可能性への企投...つまり、ミステリーにおける探偵の...」


メモを取ろうとした瞬間、廊下から物音が聞こえてきた。


「あ、あの、すみません!白衣が...!」


慌てた様子の女子学生が図書館に駆け込んでくる。彼女の白衣から薄い煙が立ち上っていた。理沙は一瞬躊躇したものの、立ち上がって消火器に手を伸ばす。


「こっちです!」


咄嗟に女子学生の手を引き、図書館の外の水道へと向かう。白衣の袖を水で濡らし、最後の煙を消し止める。


「ありがとうございます!実験の最中に試薬が...あ、本当にすみません。私、村上咲です。理学部2年生です」


「青木...理沙。文学部3年」

近すぎる距離に、理沙は思わず顔を背ける。


「青木さん...その本、もしかして『存在と時間』ですか?」

咲が理沙の机の上の本に目を留める。


「ハイデガーに興味が?」

理沙は意外そうに眉を上げた。理学部の学生が哲学書に興味を示すのは珍しい。


「はい!実は量子力学の解釈に、実存主義的なアプローチが使えるんじゃないかって考えていて...」


咲の目が輝きを増す。その純粋な知的好奇心に、理沙は思わず見とれてしまう。


「あ、推理小説も読まれるんですね」

咲が本の山に目を向ける。

「私も大好きなんです!特に、論理と直感が交差する展開が...」


「...!」

理沙は慌てて本を隠そうとする。が、

「きゃっ!」


バランスを崩した本の山が崩れ、二人は反射的にそれを受け止めようとする。本を受け止めた時、手が重なった。


「あ...」

「...」


一瞬の沈黙。理沙は急いで手を引っ込める。

「図書館では静かにするものよ」

強がりの言葉とは裏腹に、頬が赤くなっているのが分かる。


「はい、ごめんなさい♪」

咲は意図的に囁くような声で答える。その仕草に、理沙の心拍数が上がる。


「その、本のことなんですけど...また話を聞かせてもらえませんか?」

咲が期待に満ちた瞳で覗き込んでくる。


「...明日なら」

理沙は視線を逸らしながら答えた。なぜこんな答えを?普段なら絶対に断るはずなのに。


「やった!約束ですよ?」

咲が嬉しそうに微笑む。


「約束って...べ、別にあなたのためじゃないわ。たまたま時間が...」


「青木さん、照れ屋さんなんですね」

咲が楽しそうに笑う。


「!!」

理沙は慌てて本を片付け始める。内心では、この不思議な女子学生との出会いが、自分の日常に何をもたらすのか、考えずにはいられなかった。


「存在は本質に先立つ、か...」

理沙は小さく呟いた。彼女はまだ知らない。この出会いこそが、自分の「存在」を大きく変えていく始まりだということを。


図書館に夕陽が差し込み、二つの影が重なっていた。ミステリアスな図書館の空気が、新しい物語の幕開けを静かに見守っている。




第2話:学内七不思議の噂


翌日の昼休み。理沙は図書館で約束の時間を待っていた。


(来るわけないわよね...あんな偶然の...)


「青木さーん!」


突然の声に、理沙は思わず背筋を伸ばす。案の定、咲が満面の笑みで駆けてきた。今日は白衣の下にイエローのワンピース。その明るい姿に、周囲の視線が集まる。


「だから、図書館では...」


「静かに、ですよね♪」

咲が人差し指を唇に当てて、ウインクする。

「あ、お昼まだでしたか?」


「え?」


「私、お弁当持ってきたんです。青木さんと一緒に...」


理沙は言葉につまる。断ろうとした矢先、自分の腹が小さく鳴った。


「あ...」

「えへへ、運命ですね」


「そんな...」

頬を赤らめながら、理沙は観念したように席を示す。


お弁当を広げる咲。器用に作られたおかずの隅には、ハイデガーの顔をかたどったウインナーが。


「...なにそれ」


「青木さんが哲学好きなので、頑張ってみました!」


「べ、別にそんなことしなくても...」

でも、嬉しい。理沙は内心そう感じていた。


その時、図書館に異様な空気が流れる。学生たちの間で、小さな悲鳴と共にざわめきが広がった。


「また、あの音...」

近くの学生が囁く。


「足音、ですか?」

咲が興味深そうに首を傾げる。


「...知ってるの?」


「はい!図書館の七不思議の一つです。深夜に聞こえる足音と、動く本の噂...実は私、気になって調べていたんです」


理沙は溜息をつく。

「単なる都市伝説よ」


「でも、昨日も誰かが目撃したみたいで...」

咲が理沙の方に身を乗り出す。

「あ!」


重心を崩した咲が前のめりに。反射的に受け止めようとした理沙の腕の中に、柔らかく収まる。


「!!」


周囲からどよめきが起こる。

「わ、理沙先輩が誰かを抱きしめてる!?」

「嘘、あの氷の女王が!?」


「む、村上さん!?」

理沙の声が裏返る。


「青木さん、やっぱり優しいですね」

咲は照れた様子もなく、むしろ嬉しそうに言う。


「か、勘違いしないでちょうだい。反射的に...」


その時、図書館の奥から、確かな足音が響いた。規則正しい、誰かの歩む音。


「今のは...」

咲が目を輝かせる。


「偶然よ」

理沙は言い切ろうとしたが、その足音には確かに何か...意図的なものを感じた。


「青木さん!探検しませんか?」

咲の目が期待に満ちている。


「そんな非科学的な...」


「でも、青木さんの推理小説コレクション、ミステリもの多いですよね?きっと探求心をそそられるはず!」


「...なぜ私の本の内容を」


「えへへ、昨日こっそり確認しちゃいました♪」


「こ、こらそれは...」

理沙は抗議しようとしたが、咲の無邪気な笑顔に言葉が詰まる。


「じゃあ決まりですね!放課後、一緒に調査しましょう!」


断ろうとして見つめ合った瞬間、理沙は気づいてしまった。この不思議な女子学生に、自分は既に振り回されはじめているということに。


「...実存主義的に考えれば、現象には必ず本質があるはずだもの」

負け惜しみのような言葉に、咲は満面の笑みを浮かべた。


図書館の古い書架の間で、新たな物語が静かに動き出そうとしていた。






第3話:最初の共同調査


「青木さん、これ着てください!」


放課後の図書館で、咲が白衣を差し出していた。


「なぜ私が...」


「二人お揃いの探偵スタイルです!」

無邪気な笑顔に、理沙はため息をつく。


「探偵は白衣を着ないわ」


「でも似合うと思うんです。ほら...」

咲が理沙に白衣を羽織らせようと近づく。


「ちょ、ちょっと!」

慌てて後ずさる理沙だったが、背後の書架に背中をつけてしまう。

「む、村上さん...距離が...」


「えへへ、捕まえました♪」

咲が白衣を理沙に羽織らせる。その仕草は、まるで恋人同士のよう。


「はぁ...」

観念して白衣を着る理沙。実は、少しだけ嬉しい。でも、そんなこと口が裂けても言えない。


「わぁ...」

咲がうっとりした表情で見つめてくる。

「やっぱり似合います!さすが青木さん!」


「も、もう調査を始めましょう」

慌てて話題を変える理沙。頬の熱を隠すように、メガネを直す。


「はい!私、測定器を持ってきました!」

咲がバッグから機器を取り出す。


「本当に実験道具を持ち出していいの?」


「大丈夫です。山田先輩に...あ」

咲が言葉を途切れさせる。


「山田?」


「ええと、研究室の先輩で...その...」

珍しく言葉を濁る咲。理沙は何か引っかかるものを感じた。


その時、図書館の照明が一斉に消える。


「きゃっ!」

咲が思わず理沙に抱きつく。


「だ、大丈夫よ。非常灯が...」

理沙の言葉が途切れる。近すぎる距離に、心臓が高鳴る。


「あ、ごめんなさい...」

咲が離れようとした瞬間、あの足音が響き始めた。


カツン、カツン...


「今度は、はっきりと...」

理沙が呟く。


「青木さん、手を...」

咲が差し出した手を、理沙は迷わず握る。暗闇の中、温かな感触が心強い。


「あ、センサーの反応が...」

咲が機器の画面を覗き込む。

「振動のパターンが規則的です。まるで...」


「意図的な足音ね」

理沙が続ける。

「でも、誰が...」


その時、二人の目の前で一冊の本が棚から滑り出た。しかし、床に落ちる代わりに、宙に浮いたまま...


「!」

二人が息を呑む。


「これは...」

理沙が本のタイトルを読む。

『存在と時間』。二人の出会いのきっかけとなった、あの本。


「青木さん、これって...」

咲の声が震える。

「単なる偶然じゃ...」


「ええ」

理沙は咲の手を強く握り返す。

「これは、私たちへのメッセージよ」


その瞬間、本が静かに元の場所に戻っていく。と同時に、照明が復旧した。


「青木さん、私たち何かに選ばれたのかも...」

咲が興奮気味に言う。


「選ばれた、というより...」

理沙は言葉を選ぶ。

「導かれているのかもしれないわ」


「運命、ですか?」

咲が意味ありげな笑みを浮かべる。


「そ、そういう意味じゃ...」

慌てて否定しようとした理沙だが、二人の手がまだ繋がっていることに気づく。


「あ...」

「えへへ...」


慌てて手を離す二人。しかし、確かに何かが変わり始めていた。存在と時間。哲学書が示した、二人の物語の始まり。


図書館の夕暮れが、新たな謎と、芽生えつつある感情を、優しく包み込んでいた。





第4話:理沙の冷たい態度


翌朝の研究室。咲は昨夜の出来事を報告しようと、データを手に意気揚々と訪れていた。


「おはようございま...あれ?」


研究室の入り口で、咲は立ち止まる。理沙が誰かと話をしている。すらりとした背の高い男子学生。白衣姿から、理学部の先輩だとわかる。


「山田先輩?」


「あ、村上じゃないか」

山田が振り返る。

「青木さんとは知り合いだったのか」


「はい!私たち、図書館の...」


「村上さん」

理沙が咲の言葉を遮る。その声音は、昨夜とは打って変わって冷たい。

「データの解析なら、山田先輩にお願いすることにしたわ」


「え...?」

咲の表情が曇る。

「でも、昨日二人で...」


「非科学的な推測は避けるべきよ。あなたの熱意は分かるけど」


その言葉に、研究室の空気が凍りつく。


「おいおい、青木さん」

山田が困惑した表情を浮かべる。

「昨日は村上のことを...」


「山田先輩」

理沙が遮る。

「例の資料、確認していただけますか?」


「あ、ああ...」

気まずそうに資料に目を落とす山田。


咲は、理沙の態度の急激な変化に戸惑いを隠せない。しかし、その冷たい表情の奥に、何か別の感情が隠されているようにも見えた。


「あの、青木さん」

咲が一歩前に出る。

「昨日の本のこと、私には特別な意味が...」


「本は本よ」

理沙はパソコンに向かったまま、咲を見ようとしない。

「たまたま落ちただけ。存在に過剰な意味を見出すのは...」


「違います!」

咲の声が響く。

「青木さんだって感じたはずです。あの瞬間、私たちが...」


「村上!」

山田が咲の肩に手を置く。

「少し落ち着こう」


その光景を見た理沙の表情が、一瞬だけ歪む。気づいた咲が、はっとする。


(まさか、青木さん...)


「失礼します」

理沙が突然立ち上がる。

「図書館で作業をしてきます」


「あ、青木さん!」

咲が追いかけようとした時、山田が制する。


「村上、少し話があるんだ」

山田の表情は真剣だ。

「青木さんのこと、君はどう思ってるんだ?」


「え?」

咲は戸惑いながらも、昨夜のことを思い出していた。暗闇での温かな手。白衣を着た時の照れ臭そうな表情。そして、今の態度の急激な変化。


「私...」

答えに窮する咲。その時、廊下から物音が聞こえた。振り返ると、立ち去ろうとしていた理沙が書類を落としている。


「青木さん!」

咲が駆け寄ろうとした時、一枚の紙が目に入る。そこには理沙の几帳面な文字で、こう書かれていた。


『観察者の存在が、観察対象に影響を与えてしまう―量子力学の観測問題について』


咲は思わず笑みを浮かべる。それは理沙なりの、彼女への歩み寄りだったのかもしれない。


「村上?」

山田が不思議そうに咲を見る。


「ごめんなさい、先輩!私、図書館に行ってきます!」


駆け出す咲を見送りながら、山田はため息をつく。

「まったく、青木さんも不器用だな...」


研究室の窓から差し込む朝日が、新たな展開の予感を運んでくる。理沙の冷たい態度の裏に隠された本当の気持ち。それを探り当てようとする咲。二人の距離は、また一歩、縮まろうとしていた。





第5話:咲の直感的推理


図書館の古い文献コーナー。夕暮れ時の薄明かりが、書架の間を静かに染めていく。咲は理沙の行きそうな場所を必死で探していた。


「もう、青木さんったら...」


ふと足を止めた咲の目に、見覚えのある背中が映る。いつもの逆三つ編に、黒縁メガネ。理沙が一人、窓際の席で何かを必死に書き込んでいる。


(どうしよう...でも!)


意を決して近づこうとした時、理沙のノートが目に入った。


『存在の観測による影響―

1. 観測者の存在

2. 被観測者の変化

3. 二者の相互作用

これは、まるで私たちの...』


「!」

気づかれないように近づいたつもりが、床がきしむ音を立ててしまう。


「...なぜここに?」

振り返った理沙の声は冷たいが、目は少し潤んでいる。


「青木さんが来そうな場所、考えてみたんです」

咲が笑顔で答える。

「だって、ここが私たちの始まりの場所だから」


「...」

理沙は言葉につまる。


「それに、青木さんの机の上の本、面白い配置でしたよ」

咲が意味ありげに続ける。

「実存主義の本に、量子力学の教科書。そして...推理小説」


「...気にしないで」


「でも、私嬉しかったんです」

咲が一歩前に出る。

「青木さんが、私の興味のある分野の本を...」


「べ、別にあなたのために取り寄せたわけじゃ...」


「えへへ、また照れてる」


「照れてなんか...!」

慌てて立ち上がった理沙は、バランスを崩して前のめりに。


「きゃっ!」


反射的に受け止めた咲と理沙。図書館の静寂の中、二人の心臓の鼓動が響く。


「あの...」

「その...」


「青木さんって、不器用なんですね」

咲が優しく微笑む。

「でも、それも素敵です」


「むしろ、あなたが図々しいのよ」

理沙は顔を真っ赤にしながら体勢を立て直す。

「いきなり現れて、私の世界に土足で踏み込んで...」


「違います」

咲が真剣な表情で言う。

「青木さんが、少しずつドアを開けてくれたんです。この図書館の謎のように、ゆっくりと...」


その時、書架から聞き覚えのある足音が。しかし今回は、二人の距離が近すぎて、お互いの動揺が手に取るように伝わる。


「あ...」

「!」


「面白い仮説を思いついたんです」

咲が理沙の目をまっすぐ見つめる。

「この図書館の不思議は、きっと誰かの実験なんです。存在と観測の関係性を証明しようとした、誰かの...」


「村上さん...」

理沙の声が柔らかくなる。

「その推理、続きを聞かせて」


「でも、その前に一つ」

咲が意外な質問を投げかける。

「青木さんは、山田先輩のこと、どう思ってるんですか?」


「えっ!?」

突然の質問に理沙が慌てる。

「そ、そんなことより調査を...」


「あはは、やっぱり」

咲が嬉しそうに笑う。

「青木さん、私のこと、気にしてくれてたんですね」


「!!!」

理沙は真っ赤になって俯く。その仕草が、咲には愛おしく思えた。


図書館に夕闇が迫る中、二人の距離は、また一歩縮まっていた。そして同時に、図書館の謎も、新たな展開を見せ始めていた。





第6話:初めての成功体験


深夜の図書館。古い文献コーナーで、理沙と咲は最後の調査を行っていた。月明かりが窓から差し込み、二人の影が床に重なって映る。


「青木さん、これを見てください!」

咲が小声で興奮気味に言う。

「建築資料と、この振動データ...」


「静かに」

理沙が咲の口元に人差し指を当てる。が、すぐに自分の行動に気づいて慌てて手を引っ込める。

「...って、その、図書館だから」


「えへへ、分かってます♪」

咲は理沙の反応を楽しむように微笑む。

「でも、これ本当にすごいんです。建築時期の資料と、地下構造の...」


その時、二人の間の空気が微かに震えた。


「また始まる...」

理沙が身構える。が、今回は違和感を覚える。

「待って、この足音...どこかで」


「青木さん!机の下を!」

咲が指差す方向に、一枚の古い写真が落ちていた。


「これは...」

理沙が写真を手に取る。そこには若い男性が写っていた。彼は図書館の設計図のような物を手に持ち、現在の文献コーナーと思われる場所に立っている。


「1972年...図書館増築の時期ね」

理沙がつぶやく。

「この人物は...まさか」


「武田俊介さん!」

咲が食い入るように写真を覗き込む。その瞬間、二人の頬が触れそうになる。


「ちょ、ちょっと!」

理沙が慌てて身を引く。

「も、もう少し距離を...」


「あ、ごめんなさい」

咲が申し訳なさそうに言いかけた時、足音が最も大きく響く。


「これは...」

理沙の目が輝く。

「村上さん、分かったわ」


「え?」


「あなたの仮説が正しかった。これは実験。でも、単なる物理現象の実験じゃない」

理沙が熱を帯びた声で説明を始める。

「実存主義の真髄を、物理的に証明しようとした実験。存在が本質に先立つことを...」


「まさか!この振動の周期性は...」

咲も気づき始める。

「地下水脈と建物の共振...でも、その配置が...」


「意図的に設計されているのよ」

理沙が続ける。

「武田さんは、図書館の増築時に、この空間を特別に設計した。存在の痕跡を、物理的な形で残すために」


その瞬間、書架から『存在と時間』が滑り出る。しかし今回は、二人は慌てなかった。


「観測者の存在が、観測対象に影響を与える...」

咲が静かに言う。

「私たちが謎を理解したから、この現象も...」


「ええ」

理沙が頷く。

「存在の理解が、新たな本質を生み出す。まさに実存主義的な...」


「青木さん!」

咲が突然、理沙の手を取る。

「私たち、すごいことを発見しました!」


「ちょ、ちょっと!」

手を繋がれたまま、理沙は顔を真っ赤にする。

「これは純粋に学術的な...」


「でも、嬉しいです」

咲が理沙の目をまっすぐ見つめる。

「青木さんと一緒に、この謎を解けて」


月明かりに照らされた咲の笑顔に、理沙は言葉を失う。


「それに...」

咲が意味ありげな表情を浮かべる。

「私たちの"存在"も、何か変わり始めてる気がします」


「も、もう!意味不明な理論を展開しないで...」

理沙は慌てて視線を逸らす。でも、その手は咲の手を握り返していた。


図書館の謎は、解き明かされつつあった。そして同時に、二人の心の距離も、確実に縮まっていた。それは、武田俊介が残した実験が、思わぬ形で新たな"存在"を生み出そうとしている証だったのかもしれない。




第7話:パートナーとしての認識


藤田教授の研究室は、夕陽に染まっていた。理沙と咲は、七不思議の調査報告書を提出するために訪れていた。


「お二人とも、素晴らしい報告書だ」

教授は満足げに頷く。

「物理現象の解明と哲学的考察が見事に調和している」


「ありがとうございます!」

咲が嬉しそうに答える。横で理沙は、珍しく落ち着かない様子。


「特に面白いのは、この結論部分だね」

教授が報告書を開く。

「『存在の理解には、相反する視点の融合が必要である』...」


「あ、その部分は青木さんが...」


「村上さん!」

理沙が慌てて制する。

「それは、その...共同研究の成果です」


「まぁまぁ」

教授が穏やかに笑う。

「ところで、武田のことは理解してもらえたかな?」


「はい」

今度は理沙が答える。

「彼が残した実験は、私たちに多くのことを教えてくれました」


教授は懐から一枚の古い写真を取り出した。そこには若き日の教授と武田の姿。二人で図書館の設計図を見ている。


「彼はね、いつも言っていたんだ」

教授の目が遠くを見つめる。

「『実存主義は、現実の中に痕跡を残さなければならない』とね」


「痕跡...」

咲が呟く。


「そう、君たちはその痕跡を見つけた。しかも、二人だからこそ見つけられた」


その言葉に、理沙と咲は思わず視線を交わす。


「あの、先生」

咲が前に出る。

「私たち、次の研究も一緒にやらせてください!」


「えっ!?」

理沙が驚いた声を上げる。


「青木さんとなら、きっと新しい発見ができます。理論と直感、実存と実証...」

咲の目が輝く。

「私たちにしか見えない真実があるはず!」


「む、村上さん...」

理沙の声が震える。

「あなた、本当に...」


「はい!」

咲が理沙の方を向く。

「青木さんの論理的な思考が大好きです。それに...」


「や、止めなさい!」

真っ赤になった理沙が咲の口を押さえる。


「ぷっ」

教授が思わず吹き出す。

「武田も、きっと喜んでいるよ。彼の実験が、こんな素敵な"存在"を生み出すなんて」


「先生まで...」

理沙が俯く。


「えへへ、青木さん、照れてる♪」

咲が理沙の腕に抱きつく。


「もう!」

振りほどこうとする理沙だが、その表情は嫌がっているようには見えない。


「さて」

教授が立ち上がる。

「図書館にはまだ、誰も気づいていない謎がある。新しい研究テーマとして、挑戦してみないか?」


「はい!」

二人が同時に答える。


「その前に」

理沙が眼鏡を直しながら咲に向き直る。

「約束して。非科学的な推測は控えめにすること」


「えー、でも青木さんも私の直感、当たってると思ってるでしょ?」


「そ、そんなことないわ!」


「じゃあ、どうして顔が赤いんですか?」


「うっ...」


教授は微笑みながら、二人を見守っていた。実存主義と論理実証主義。相反するように見えた二つの道は、今や彼女たちを導く双翼となっていた。


図書館では、まだ誰も気づいていない新たな謎が、静かに二人を待っている。それは、彼女たちの物語の、新しい章の始まりを予感させるものだった。


【第一章 完】


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