頭打ち

雲居晝馬

アフターランアウト

 それはあるはずのものだった。それはあるはずの、あるべき、なければならない…。そこで私たちは初めてその可能性に辿り着いたのである。いや、それは既に証拠と呼べるものであることに異論の余地はない。

 すなわち、それは、同じ道を歩んだ者が過去に存在したと、そういうことだ。

 有史以来、我々は我々のやり方でこの道を辿ってきたと思っていた。初めはおそらく小さな石片から。次に槍や弓。時代を下るにつれ、文明はより複雑かつ高度に発展してきた。そこに誰か他の者の力はなかった…。いや、正確に言えばそれは誤りでは無い。だからこその誤認だったのだ。

 我々のもつ生物学において収斂進化という言葉がある。これは、イルカと魚のように、異なる生物が、ある環境下では似たような見た目や特性を獲得するように進化していくことをいう。

 我々もきっとそうだったのだ。我々もまた、知性を持った動物という環境下で収斂進化を遂げた一生物群であった。それが今、頭打ちにあって初めて我々が理解したことだ。

 私たちが自力で道を見つけたことは、他に道を見つけた者がいる可能性を否定しない。そして病苦の夜の悪夢のようなその妄想はいま現実の証人を連れて立っている。

 あるはずのものがない。動力となる資源が、この惑星の歴史を鑑みるに相当量と考えられる一億分の一も、いや、一兆分の一も、まったくもって存在しないのだ。すっからかん。役目を終えたロケットの燃料タンクが今、僅かな文明の息吹だけを抱え、空白だらけの宇宙を転がってる。

 動力がなきゃあ、どうしようもない。頭打ちだ。文明はこれ以上進化しない。それかひどく遠回りすることになるか。どちらにせよ、まだこれからも人類はのんびりと漸次的に歩いていくしかなくなる。


 私は先程上げられた報告書を読んでひどく感嘆した。このような時代に生まれることができてなんて幸運なのだろう、と。この時代の人間はお気楽なものだ。私とてかつての私の祖先がどのような気持ちであの産業時代に舵を切ったのかを知るわけではないが、おそらく格差と退廃に満ちた未来を想像していたわけではなかろう。これでいい、これがいい。人類は身の丈にあった規模の戦争などを定期的に繰り返しながら、ちまちま人口を増やしたり減らしていればいいのだ。それが人類にとって最も活気があって楽しい瞬間というものだ。

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