第38話 1Kのアパートで(後編)

 華乃さんは、嘘をついている。ついてきた。いくつもの嘘を。いくつもの真実に織り交ぜることで、巧みに覆い隠して。長い間、ずっと。


 まずもって、僕と高校の入学式で出会い、そしてからかい始めた理由、つまり――僕の言葉で自分のからかいを肯定してもらえて、好きになったから――ということからして、真っ赤な嘘だ。

 そもそも彼女の中に、からかいに対するトラウマなんてものが存在したことなど一瞬たりともなかった。トラウマを持っているように見せかけていただけだ。奥野楓に対して。


 『本当に好きな相手には防衛機制が働き、からかえない』という説は――六年前のプロポーズ時のネタばらしからかいにより――間違っていたことが判明した。その時点で、トラウマなどなかったことも証明されてしまったわけだ。その防衛機制とやらは、トラウマから生まれたものであったはずなのだから。華乃さんは、奥野と僕の誤った推理に勘付いた上で、その説に乗っかり、演技をし続けていただけなのだ。


 受験に失敗した奥野に激昂されて、華乃さんが、たじろいでしまったのは事実なのだろう。

 しかし、その程度のことが心の傷になるような女ではないのだ。むしろ、からかう側だった自分がからかわれる側に動揺させられたことへの悔しさから、復讐を誓うのが華乃さんという怪物だ。

 彼女は、徹底的なやり返しの計画を立てたのだ――まさに、後に僕にしたのと同じような、壮大なからかい計画を。すなわち、『からかわないからかい』を。別の人間をからかうことによって、さらにターゲットの心をざわつかせながら。


 その当て馬に選ばれたのが、高校生になったばかりの僕だったというわけだ。

 選考理由となったのが、例の僕の京子への反発だった。それ自体は事実だったから、その中に嘘を上手く隠せたというわけだ。

 華乃さんは、京子という存在のために僕がからかい免疫を持たないことを見抜き、僕を選んだ。からかいに良い反応を示す相手として、奥野にからかいを見せつける相手として、僕は最適だったわけだ。その後、僕の当て馬にされた、豪樹と同じで。


 ここまでだったら、まだよかった。きっかけが何であれ、当て馬としてからかう内に、彼女が僕とのからかいに本気でのめり込んでくれたということもまた、間違いのない事実なのだから。あの恍惚の小悪魔スマイルを見ていた僕が、それを見紛うわけがない。そして、からかい相性が抜群というのは、僕と華乃さんにとって、「好き」と同義でもあるのだから。


 しかし、からかいに依存する華乃さんの衝動がそこで止まるわけもなかった。

 彼女は、僕からの告白にドギマギさせられてしまったことへの意趣返しとして、豪樹を当て馬にした『からかわないからかい』計画を発動してしまった。


 それは六年前、本人の口から嬉々としてネタばらしされた事実でもあり、そして僕自身、ネタばらしされるさらに五年も前から見抜いていた仮説でもあった。

 あのプロポーズ時のネタばらしは、僕にとって、ただの答え合わせでしかなかったのだ。華乃さんの第一子妊娠も、あのタイミングで逆ドッキリを仕掛けてくることすらも、前もって結菜ちゃんから聞いてしまっていたくらいだ。


 あの瞬間、僕が崩れ落ちたのは――案の定、彼女からの六年越しのからかいに、全く刺激を得られなかったからである。


 ちいかわのぬいぐるみの仕掛けを見たときには少し期待もした。(そもそも、からかい云々とか関係なく妊娠してくれたこと自体はシンプルに嬉しすぎた。)だけど結局、全く悔しくなくて、全く気持ち良くなくて、全く「くそぉ、華乃さんめぇ……!」とならなかった。それが、ショックだったのだ。

 あの時、暴れ出そうとしてしまった衝動は――僕が思い出して、求めてしまったものは――結菜ちゃんとのからかいであった。あの時点で既に六年弱、華乃さんに隠れながら続けてしまっていた、結菜ちゃんとの浮気セックスだったのだ。


 話を戻すが、華乃さんの豪樹へのからかいは、やはり紛れもなく浮気であった。

 華乃さんは「豪樹が本気にならないとわかっていたからこそ、豪樹を当て馬からかい相手に選んだ」ようなことを言っていたし、僕もそれで納得したようなフリをした。が、それは嘘だ。華乃さんの言葉も、僕の態度も。


 彼女は実のところ、豪樹のことも本気にさせるつもりだったし、その自信も持っていたのだ。僕と同様、からかわれ経験のなかった豪樹のような相手を自分だけのからかいに染めるのが、華乃さんのへきだ。

 実際、友達のいない当時のあいつだからこそ、その素質は大いにあったと僕も思う。だが、あいつは何かに依存することをもうやめていたのだ。僕の出たとこ勝負の適当な言葉が、あいつの中から「依存」という選択肢を、心の逃げ道を、消去してしまった。豪樹にとって華乃さんは、親友の恋人(妻)であり、ちょっと変わった性格の旧友でしかない。


 つまり華乃さんは、単に、豪樹をからかい相手として育て上げることに失敗しただけ、振られただけなのだ。要するに、過程は違えど、結果だけ見れば、昔の僕が苦悩していた通りだった。華乃さんは一方的に豪樹に浮気を迫るも、相手にされていない、からかいビッチだった。


 そして。以上の、華乃さんのからかい計画――その全容を俯瞰してみると、恐ろしいものが見えてくる。


 からかいの連鎖だ。からかい無限コンボである。


 僕をダシに使って奥野楓に「からかわないからかい」を仕掛け、ダシにされた僕までをも「からかい」の魔力に沈める。そしてお次は、豪樹をダシに使って僕に「からかわないからかい」を仕掛ける。さらに本来であれば、ダシにされた豪樹までをも「からかい」中毒にさせるつもりだったのだ。中毒になったタイミングで豪樹に「からかわないからかい」を仕掛ければ、さらにコンボを続けられた。

 結果的には、豪樹に振られたことで「奥野→僕→×」までの二連コンボに終わっているが、成功する限り、いくらでも連鎖していく、凶悪極まりないからかい構造であり――そして悪質極まりない浮気でもある。


 これについても、答え合わせが済んでいる。ただの仮説ではないのだ。


 プロポーズ時の僕への六年越しの特大からかいと同様に、その後、奥野楓にも八年越しの溜めに溜めた特大からかいが発動されたのだ。

 舞台は僕と華乃さんの結婚披露宴だったらしい。らしい、というのは、実際のからかい現場を僕が見たわけではないからだ。見せるわけがないのだ、それは、浮気行為なのだから。

 しかし、披露宴に招待されて以降の奥野が、華乃さんとの交流を再開し、今でも定期的に会っているという証拠はつかんでいる。ていうか結菜ちゃんがつかんできた。

 奥野が華乃さんとの不倫関係を自慢する音声を録音してきたり、華乃さんのからかいでイっちゃってる動画まで撮ってきた。そもそも華乃さんと違い、奥野は不倫関係を本気で僕に隠そうとすら思っていないのであろう。奴としては、僕と華乃さんが破局してくれた方がありがたいのだから。


 うん、ホントこの件もそうだが……華乃さんの計画、全てを見破ってきたのは、当然だが結菜ちゃんだ。まるで全部僕が推理してきたみたいに回想してしまったが、僕が立てた仮説も僕がつかんだ証拠も何一つない。結菜ちゃんがいなければ、僕はただただずっと手玉に取られていただろう。それもまた当然だ。だって、華乃さんと僕は、からかう側とからかわれる側という関係だったのだから。


 対照的に、僕との「からかい関係」が始まってから一年もたたないうちに、華乃さんの計画の大綱とその思惑を見抜き、僕に伝えてしまっていた結菜ちゃん。その、目的は――


「もう別によくないですか、華乃さんに言ってしまっても」

「え? は? 何を言って……」


 そんなことを、結菜ちゃんはしれっと、しかし微かに目を潤ませながら言ってくる。


 彼女の目的はもちろん、僕を華乃さんから略奪すること、それだけだ。だって結菜ちゃんは僕とのからかいに依存し切っているのだから。最初は恋心でしかなかったその感情が、取り返しのつかないほど歪んだものになってしまっている。


 華乃さんの計画を暴き、それを僕に伝えて失敗に終わらせることこそが結菜ちゃんの作戦だったし、その作戦の全容自体も、目的そのものも、全て僕に話してきた。何の臆面もなく――どころか――それすらも「からかい」のネタにして。僕の反応を愉しみながら。


 そうやって僕は、結菜ちゃんとの浮気関係に身を浸していったのだ。


 僕の背信も華乃さんの嘘も結菜ちゃんの悪徳も、全ては依存ゆえのものだ。僕たちは、誰も彼もが何かに依存して人生を狂わせていた。狂ってなお、幸せを――それが本物の幸せなのかは定かじゃないが――感じてしまっていた。


 結菜ちゃんとのからかいに溺れ、もうそれなしでは精神を保てない僕は、大切な妻と子どもを裏切り続け。


 生まれながらに「からかい」へ執着し続けた華乃さんは、自分のからかい能力に自惚れ、ターゲットを侮ったことで、「からかい」に失敗する。そして今も、からかい二股をかけているつもりになって、その実、本当は僕をからかえていないことに気付いてすらいない。依存のあまり、自分が気持ち良くなることしか考えられなくなっている。


 そんな、間抜けで自分勝手なからかいにすら依存してしまっているのが奥野楓で。


 京子の依存症に関してはもはや語るまでもない。


 唯一の例外が、豪樹だった。あいつだけは依存から解放されて、純粋な家族愛だけを与えて与えられ、自分の人生を歩んでいる。僕の「口から出まかせ」が、結果的に核心を突いていたことになるとは、何たる皮肉だろう。


 そして、あの日、そんな兄の依存心を案じていた彼女こそが、誰よりも深く、何かに依存してしまうなんて……やはり皮肉的としか言いようがない。


「……もう、待てないです、あたし。これ以上、堪えられません……」

「…………っ、結菜ちゃん……」


 縋るように抱きついてくるこの「女の子」は、自分だけが僕のからかい欲求を理解し、満足させ得る存在だと自負し、その地位に依存してきた。僕も彼女の依存心を利用して、渇望を満たしてきた。

 そんな彼女が――十二年間「待てる女」を自称してきた女の子が――ついに、僕を求めてきてしまった。結論を、選択を、決断を、催促してきた。

 いや、ついに、ではない。本当は、ずっと、十二年間、求めていたのではないだろうか。僕が鈍感なフリして逃げてきただけで、ずっとずっと泣かせていたんじゃないだろうか。

 こんな関係、もう潮時で。僕は覚悟を求められている。いつしか誰かに言った、意味不明な『覚悟』ではなく、正真正銘の、人生における初めての、覚悟を――。


「結菜ちゃん、僕は――」

「ぷっ――ふふっ、クスクス……っ♪」

「は? なに笑ってんだこのクソガキ」

「だって待てなかったんですもん、堪えられなかったんです、噴き出すの。一太さん、ずっと肩に変なの付いてますよ?」

「え。あ、ホントだ。何だこれ」


 ワイシャツの肩口を引っ張って見てみると、シールのようなものが貼り付けられていた。いや、シールってか、


「これ、クローバーか。四つ葉の」

「ですね。押し花をシールにしてあるみたいです。朝からずっと付けられてたってことですよね、奥さんに。こんな可愛いもの付けながら何故かシリアスな雰囲気醸し出そうとしてる一太さんが面白すぎて、『華乃さんに言ってしまいたい』って言ってただけなんですけど、もしかして何か変な勘違いしちゃってました? ただの包茎不倫男のくせにハーレム主人公気取りしちゃってました?」

「……くそぉ……僕の主人公気取りな葛藤までをも、からかいに利用しやがるとは、結菜ちゃんめぇ……!」


 僕の怨嗟に、結菜ちゃんは紅潮した顔から、もはや湯気を出しながらクスッと笑い、


「今日一日中、奥さんにからかわれてたってことなのに、やっぱり『結菜ちゃんめぇ……!』になっちゃうんですね、包茎不倫男さん♪」

「そりゃ……仕方ないだろ、誰かさんが僕をこうしちゃったんだから」

「まーた人のせいにしちゃって……♪ だらしのないパパさん……♪」

「あー、そうだよ。僕は最低の夫で最悪の父だよ。今日も帰って初めてこのシールに気付いたフリをして、めちゃくちゃ悔しがる演技で妻を気持ち良くさせるんだ。まったく、先に指摘されてしまったせいで演技のハードルが上がっちゃったじゃないか。練習させてくれ」

「まぁ、そもそも本当はあたしがさっき貼ったものかもしれませんけどね……♪」

「え」

「このままそのシールを付けて帰ったりしたら、この逢瀬もバレてしまいますね♪」

「は、剥がさなきゃ……!」

「えー? でも本当に奥さんが付けたシールかもしれませんよ? 勝手に剥がして何のリアクションもしないなんて、からかいセックスレス夫婦じゃないですかっ!」

「ぐっ……ぐぐぅ……結菜ちゃんめぇ……!」


 そんなこんなで、今日も結菜ちゃんは僕が帰るまで、ひたすらに僕をからかい続けるのであった。ほっぺちょんちょんしたり耳たぶハムハムしたりしてくるのであった。とても悔しいのであった。満月が綺麗なのであった。


 くそぉ、結菜ちゃんめぇ……!



――――――――――――――――――――

次回で完結^^

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る