靴の家⑨

 菊川 菜々美の実家は父親が小さな神社の宮司で、小さい頃は神社の境内でかけっこや縄跳びをしたり、雨の日は社務所でゲームをしたりと、3つ上の姉の冬美とよく遊んでいた。

 祖父の代までは社務所兼住居だったそうで、菜々美の父親はそこで育ったのだが、今ではほとんどの神主がそうであるように、菜々美の父も神職と兼業で税理士をしていたため、菊川家が所有する神社の近くのビルの1階を事務所、2階を住居にしていた。


 菜々美が自身が“視える”ひとであることを意識したのは、ちょうど小学校の4年生にあがってすぐのある日。菜々美の曾祖母が亡くなる少し前の日のことだった。

 その日も近くに住む祖母のふゆとバスで病院に向かっていた。

 曾祖母の七菜なつなと菜々美の誕生日は同じ4月10日で、菜々美は10歳、七菜はちょうど90歳の誕生日のお祝いを七菜の病室するで予定だった。



 3月に入ってからの冬に舞い戻ったのかのような寒さのおかげで、その年の桜の開花が遅れて、4月も2週目が終わろうとするのに、まだ満開に近い桜並木をバスが走っていく。

 「ひぃばぁば、コレ気に入ってくれるかなぁ?」

 菜々美が冬の袖を引いて言う。

 七菜が入院する前に撮った家族写真と、誕生日の日に菜々美と七菜の2人で撮った写真の2枚を収めて飾ることができるお揃いの写真立てが入った紙袋を、菜々美が膝の上でトントン、とする。

 「菜々美が選んだんやから、ひぃばぁばは絶対に気に入ってくれるわよ。」

 冬由が菜々美の髪を撫で、「チョコ、食べよか?」と、菜々美の好きなDARSのミルクチョコレートを渡してやると、菜々美はそれを口に放り込んだ。

 口の中にチョコレートの甘みが広がる。

 おいしいねぇ、と菜々美と冬は顔を見合わせて微笑み合う。

 冬は母である七菜の様子から、もうあまり時間はないだろうと覚悟していたが、それはまた10歳の菜々美も子供ながらにも勘づいていた。

 

 『次は、○○○病院、お降りになる方は・・・』

 病院の一つ前のバス停を発車して、社内に次のバス停の案内アナウンスが流れる。

 ひぃばぁばに会えるうれしさと、死期が近い曾祖母の姿を見ることの不安が菜々美の中で葛藤している。

 

 ポーン、と誰かが降車ボタンを押した、と同時に、キキッと急ブレーキがかかった。

 バス停を発車したばかりであまり速度が出ていなかったとはいえ、子供の菜々美の身体は急ブレーキの反動で、ぐいんっと座席で跳ねた。


 「菜々美!菜々美!大丈夫!?」

 祖母が自分を呼びかける声が聞こえる。

 「う、うん…」と菜々美は答えたが、それが届いていないのだろうか、祖母がまだ自分を呼んでいる。

 ばぁば、聞こえてないのかな…と、菜々美はぼぉっとした感覚にいる。

 前方の視界はぼやけていて、バスの車内には何人かは立っている人もいたはずなのに、菜々美が視る車内には誰もいない。


 ばぁばの気配は感じるが、他には誰もいない。

 自分が、ぼんやりとした霧の中に入ってしまったかのような感覚。

 祖母が自分を呼ぶ声も小さくなってきた。


 その代わりに、低い唸りのようなノイズが混じった声が、菜々美の頭の中に直接響いてきた。

 

 「ヒメ・・・お前がユゲのヒメ・・・」

 「お前はワシを喰らうのか…?」

 「お前はワシを捨てるのか…?」


 ぼんやりとした意識の菜々美にソレは問いかけてきた。

 子供の菜々美にはその言葉の意味をうまく理解できないが、菜々美にはソレが悪いものではないことを直感で理解できた。


 そして、

 「いっしょ…うん、わたしといっしょにいてもええよ。」

 「でもな、へんなことはしたらあかんよ。わたしにもみんなにも…」

 菜々美がソレに答えると、ソレはカカカっと、まるで精力を得たかのように高らかに笑い、「ヒメ、お前が新しいオレのヒメ…」と答えて、それと同時に霧は晴れて、菜々美は現実に覚醒した。


 「菜々美!菜々美!……」

 「ばぁば…わたし、ヒメやって…」

 まだ頭がぼんやりとするが、菜々美が祖母に返事をすると、バスは病院に既に到着していて、運転手が病院に連絡してくれていたため、菜々美は看護師に抱き上げられて、救急で診てもらうことになった。



 「MRI、CTともに頭も他も特に問題ありませんでした。軽い脳震盪によるものと思われます。」

 「ただし、ご帰宅後、万が一、急激に頭を痛がるようなことがありましたら、すぐに救急を呼んでください。」

 菜々美が諸々の検査が終わって、お手洗いから戻ってくると、祖母が医者とどうやら自身のことを説明してもらっているようだ。

 「菜々美、もう頭痛くないね?だいじょうぶ?」

 「うん。だいじょうぶやで。あんまし、いたくないって言ったやん。」

 「ほうか、ほうか、それはよかった。」

 祖母はほっと安堵したかのように繰り返し、時間はあまりなくなってしまったが、少しだけでもと、曾祖母の病室を訪れた。


 「ひぃばぁば!おたんじょうび、おめでと!」

 菜々美がベッドの曾祖母の七菜のところに駆け寄ると、「菜々美も10歳のお誕生日、おめでとう」と、頭を撫でてくれた。

 「あぁ、あたまは…」と、あわてて祖母の冬が制しようとするが、「だから、だいじょうぶやって」と菜々美は嬉しそうに七菜に撫でられていた。

 冬が遅くなった経緯を説明すると、「まぁまぁ、本人の菜々美が大丈夫言うてるし、キロクも言うとる」と、七菜は今年に還暦を迎えた娘の冬に宥めるように言った。


 短い時間ではあったが、誕生日プレゼントの写真立てを病室の棚に飾ってやり、小さなケーキを一緒に食べて面会を終えた。

 「菜々美、ちょっと下の売店でジュース買うてきてくれんか。オレンジの。菜々美のも買ってええからね。」

 七菜が財布から500円を取り出すと、菜々美におつかいを頼んだ。

 「チョコボールも買っていい?」と、菜々美は七菜から500円玉を受け取り、「ええよ」と、曾祖母が許すと、嬉しそうに病室を駆け出していった。


 「もう、ほんまにお転婆なんやから…」

  冬が溜息を付くように言うと、「あんたも小さい頃はあんなんやったやんか」と、母である七菜が笑って、そして、静かに言った。


 「それでな、あんたも分かってるやろが、母さんはもうあんまり長ない。」

 「それで、大事なことを頼まれてほしいのや。そう、キロクのことや。」

 七菜はそう言って、手に持った財布から小さな折りたたまれた紙切れを取り出して、冬に見せた。

 特に古びて綻んでいるものでもない。そんなに古いものではないだろう。

 七菜がその紙切れを開いて、冬に見せると、“鬼六”とだけ朱色で書かれていた。

 「もう、菜々美とは縁が繋がったようやけど、まだ、わたしの子ではある…」

 「わたしが死んだら、この紙を半分に破いて、半分は棺桶に入れて、もう半分は〇〇山のウチの社あるやろ?あそこで燃やしたって。」

 菜々美の前では普通に話していたが、2人になると、ぜぇぜぇと息をしながら話す母の最後の頼みに、冬はゆっくりと頷き、ハンカチで溢れた涙を拭った。


 「七、7番目の鬼。キロクもまた継承する。わたしと同じ様に。」

 「遠い遠い昔から、わたしらの家には、“七“にはええことも悪いこともあったと聞いてる。せやから、菜々美にはしんどいこともあるかもしれへん。」

 「冬、巫由宇ふゆ。あんたがいてくれたら、菜々美も大丈夫やから。大きなるまでは頼んだで。」

 冬は母の手を強く握りしめて、「はい、はい」と頷いていた。


 これは遺言なのだ、と。



 「聡一郎にも近々、面会に来るように言っときます。それまでは生きとってくださいよ。」

 「ひぃばぁば、またね。こんどはお父さんといっしょに来るからね!」

 面会時間も終了し、菜々美と冬は病室をあとにした。

 4月の夕方はまだ寒く、バスの時間までだいぶあったことから、帰りはタクシーで帰宅した。


 それから3日後、菜々美が両親と面会に訪れた日の夜間に、七菜は静かに息を引き取った。六の鬼を共に連れて。


 

 

 

 

 

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