第34話 キスシーン

 久しぶりに見たたけるは、何故か見知らぬ男とキスをしていた。

 少し離れた木立の合間でそれを見つめる。

 俺の存在には気づいていなかった。

 それはまるで映画のワンシーンの様。

 岳の相変わらず整った横顔。少し髪が伸びただろうか。そこへ手を這わせ、岳を引き寄せる人物がひとり。男性だ。

 いや。男なのか? と思う程、綺麗な顔立をしていた。言うなればとびきりの美人だ。大きな黒目勝ちの瞳に長いけぶる様なまつ毛。

 薄いピンク色の唇に、日になど一度も焼けた事がないのでは? と思われるほど、白い肌。

 同じ人間とは思えない。唯一、胸が無いため、男と知れた位。

 すっかり日に焼け、頬には傷まであり、小柄で見た目は平々凡々な俺とは大違いだ。

 モブキャラの俺とは比べるべくもない。

 あっと言う間に、岳の唇に男のそれが重なる。


 俺も覚えてる。


 温かくて包み込む様なそれを。

 でも、俺とのそれはこんなに綺麗に映るものではなかっただろう。


 何てタイミング。


 よく漫画で見る、不味いタイミングに出会ってしまうパターンが俺にも起こるとは。

 ここで出ていって、『まだ待ってる。岳が好きだ』と言って、何になるのだろう。

 明らかに岳はこの男とただならぬ関係なのが見て取れる。親しげな雰囲気に俺は気圧された。

 会話が僅かに聞き取れる。


 俺の写真は──処分済み。


 なるほど──。


 男は尚も岳に迫っていた。俺はいたたまれなくなって、フェイドアウトする。


 芝を踏み、玄関にある門から外に出た。

 門に触れた際、少し軋んだ音を立てたが二人共気づかないだろう。


 一つ分かった事がある。

 岳はもう、迎えには来ないのだと言うことを。俺を忘れる事にしたのだ。


 歩きながら携帯でアパートにいる父親に電話した。暫くしたのち、父の正良まさよしが出る。


『どうした? 洗濯物なら取り込んどいたぞ? 今日は遅くなるんだろう?』


「…それは、無くなった」


『そうなのか? まあ、どうせならゆっくりしてこい』


 俺は震えそうになる声を抑えて、一旦立ち止まると。


「…親父。俺、旅に出る。暫く戻らないけど、心配しなくていい。取り敢えずの生活費と家賃は隣のばあちゃんに預けてある。必要なときはそっから貰ってくれ」


『大和、どこに行くんだ?』


 俺は大きく息を吸い込んだあと。


「誰も追って来ない場所」


 それは何処か分からない。けれど、今は誰にも会いたく無かった。

 父親はフンと言ったあと。


『…分かった。人間、そう言う時もある。行ってこい。だが、たまに連絡はするように』


 自分の事は棚に上げて親父は言う。けれど止めはしなかった。俺は小さく笑うと。


「行ってきます…」


 俺は端末をオフにして、そのまま人波に揉まれながら、電車に乗って旅に出た。

 携帯端末と、財布だけをケツポケットに突っ込んで。

 俺の中で、何かがプツリと切れてしまった。


+++

 

「旅に出たって…。いつ?」


 当然アパートに帰ったものと思い、岳が訪れると玄関先に出た父、正良がそう告げた。


「いや、ちょっと前に電話があってな。どこに行くのかもさっぱり。さすが俺の息子だな」


 正良は豪快に笑った。

 しかし、岳はそれどころではない。

 なんとしても会わねば。会って誤解を解いて、もう一度チャンスを貰わねば。今を逃したら、ずっと誤解されたままになる。


「本当に行き先は分からないんですか?」


 詰め寄れば。


「ああ。てか、君友達なら俺より知ってんじゃないの? 携帯で連絡つくだろ?」


「それが、切ってあるようで全然繋がらないんです…。どこか彼が行きそうな場所は知りませんか?」


 すると正良は困った様に頭をかいて。


「自慢じゃないが、今まであいつをどこにも連れて行った事がねぇんだ。親族とも縁を切ってるしなぁ。あいつが行きそうな場所なんて思いつかねぇ」


 今まで。どこにも。


 寂しい思いを押し隠す、幼い大和がそこに見えるようだった。


「もし、彼から連絡があれば教えてもらえますか? 名刺を渡して置きます。連絡があれば頼みます」


 そこには写真家の肩書きが入れられている。正良は岳が自分の借金の元貸主だとも、そのせいで大和が岳の元で暫く働いていた事も知らない。

 頭を下げ差し出すと、正良は慌ててその肩に手をかけ起こした。


「そんなにしなくってもいいって。ちゃんと連絡するよ。鴎澤おうさわ岳、ね。了解了解!」


 ガハハと笑って岳の背を叩く。


「今までずっと無理させて来ちまったから、糸が切れたんだな。まあ、そのうち連絡来るって。そういう所はちゃんとしてるからさ」


 岳は気楽に言う正良に見送られ、アパートを後にした。


 一体何処へ行ったのか。


 今更ながら、大和の事を何も知らない自分に愕然とする。

 その後も数ヶ月、大和からの連絡はなかった。


+++


 秋も深まる頃、一枚のハガキが隣のばあちゃん宛に届いた。

 父親が不在の場合を考えて、そうしたのだろう。

 それが正良に渡され、岳にも連絡が来た。

 忘れられては困ると、ちょくちょく顔を出す内、すっかり顔を覚えられ、アパートの住民とも顔見知りとなっていた。

 もし、正良が忘れていれば、隣のおばあちゃんやムエタイを教えたタイ人、ボクシングを教えた元ボクサー、その他から連絡が来ただろう。

 岳は直ぐにアパートを訪れ、ハガキを手にする。消印はとある山岳都市の郵便局印が押されていた。


 ここに、大和がいる。


 山の写真と共に『山小屋で働いています。元気にしています!』 の一言が添えられていた。

 大和はまさか岳が探しているとは思ってもみないだろう。

 紗月とのやり取りを見ていたなら、傍目からはどう見ても付き合っている恋人同士に見えたはず。そうでなくとも、ただならぬ関係には見えただろう。


 それに。


 口にした言葉を聞いていたとすれば、すっかり大和を諦めたと取られても可笑しくない。


 俺は、どうかしていたんだ。


 あれだけ亜貴や真琴に言われて、最後は大和の言葉に我に返った。


 ずっと、好きだと言った。


 俺もそのはずだったのに、命を落としかけた大和を救えなかった自分に腹が立って、情けなくて。

 大和の思いを受ける資格などないと思っていた。けれど、そんな俺を未だ好きだと言ってくれた。


 なのに──。


 会いに来た大和に見せたのは、情けない自分の姿。ただ大和から逃げた自分。

 それを見て、大和はどう思ったのか。

 大和を守って生きていくと、必ず迎えに行くからと言ったくせに。

 大和をその気にさせて、自分だけ早々に立ち去った。


 酷い奴だ。


 でも、やはり諦めたくはない。


 岳はハガキを手がかりに、片っ端からそれらしい山小屋を探った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る