元ヒーローのおっさん(31歳無職)、再びヒーローになる

路地猫みのる

第1話 元旦

 子どもたちのキラキラした笑顔が自分を見上げてくる。

「ブルーレジェンドマン! あくしゅしてください!これにサインもください!」

「わたしはだっこ!」

「なに言ってるの。かれはあたしのオトコよ。ブルーレジェンドマン、けっこんしましょう!」

 なにやらませたセリフも出てくるが、自分の腰にも届かない子どもたちが何を言ったって可愛いだけ。

 体をピッチリと覆う青いスーツに身を包み、レジェンドマンの仮面をかぶった俺は、可能な限り子どもたちの希望に応えてやった。


 それももう10年も前の話だ。

 今の俺は、寒い冬空の下、公園のベンチに腰掛けてぬるい缶コーヒーをちびちび飲んでいるだけの無職のおっさん。31歳独身には、寒さが身にこたえる。

 目の前にコンビニがあるが、缶コーヒーはドラッグストアでまとめ買いしたひとつを家で湯煎して持ってきた。なんと言ってもコンビニは高い。今の俺では気軽に入ることも出来ない、全然コンビニエンスじゃない場所だ。


 せっかくの新年なのに、家に閉じこもってばかりも気が滅入ると、緑の多いこの公園にやってきた。冬の朝は空気が冷たい。実は洗顔なんてサボりまくっているが、今朝だけは気持ちが引き締まる気がする。

 散歩する老夫婦、2匹の茶色い小型犬をカートに乗せて歩く髪の長い女性、ジョギングする小太りの中年男性、ヘッドフォンをつけてスマホをいじりながら歩く若者、そして、やっぱり目に入るのが三人で集まって対戦ゲームをしているらしい小学校低学年くらいの子どもたち。

 俺の子どもの頃と比べるとだいぶ様変わりしている。いや別に、凧揚げやらベーゴマやら期待してるわけじゃないが。俺だってそんな世代じゃないし。俺の小学生の頃は、対戦ゲームをするにも通信ケーブルというものが必要で、そもそも専用のゲーム機とソフトというものを持っている必要があった。今はスマホひとつでなんでも出来る時代になった。便利なものだが、子どもたちがSNSで危ない事件に巻き込まれたりするなど、危険な時代になったとも思う。


 その時、スマホがバイブした。このパターンは電話だ。

 俺はポケットに冷えた手を突っ込み、細かい傷のついた画面をスワイプする。

「もしもし、久しぶりだな。急にどうした」

 名前を確認してから出たので、相手は分かっている。陽一という名前が体を表す、陽気な男の声が聞こえてきた。

「おいおい、新年の朝だぞ。明けましておめでとうに決まってるだろ! あけおめ、リョウ。いや、ブルーレジェンドマン」

「……懐かしいな。明けましておめでとう、レッドレジェンドマン」

 そう、陽一は遊園地で一緒に戦隊モノのヒーローショーのバイトをしていた仲間で、今でも連絡を取り合う唯一の知り合いだ。と言っても、せいぜい年に1〜2回、陽一のほうからかけてくる程度で、俺はまめな人付き合いができる人間じゃない。亨一、という俺の名を気さくに「リョウ」と呼んでくれる人はもう少ない。名前の響きが似ていることきっかけに会話するようになり、あいつはいつの間にかあだ名で呼ぶようになった。

「最近はどうしてる? 俺の方は、息子にレジェンドマンの良さを伝えようとしてるんだがな。あいつはモンスターを捕まえるゲームの方に夢中なんだ。おっさんになると、モンスターの名前が覚えられなくて、息子に白い目で見られるんだよ」

 陽一のところに小さな子どもがいたことは覚えているが、薄情者の俺は年齢まで把握しておらず「そうか、まぁ最近の子どもなんてそんなもんだろ」といい加減な相槌を打つ。

 一瞬の沈黙ののち、スマートフォンから気遣わしげな陽一の声が聞こえてきた。

「なぁ、お前、本当にどうしてるんだ? 声に元気がないぞ」

「……そうかな。いつもこんなもんだよ」

「お前はローテンションだが冷静で仲間のピンチにいち早く気づけるブルーレジェンドマンだ。いつも助けてくれる仲間の話を聞くくらい、俺はなんともないぞ?」

 陽一はこういう男だ。不精な俺に連絡をくれて、元気のなさを心配してくれるいい奴だから、可愛い嫁さんをもらったときには当然のことだと思ったし、心から祝福した。

 ……今は少しだけ、そう少しだけ、あたたかな家庭の中にいるあいつが羨ましい。

「本当に大したことじゃないんだ。年が明けて、俺は仕事を失った。ただそれだけの、どこにでも転がっているような話さ」

 スマートフォン越しに動揺が伝わってくる。

 予想通りのリアクションに、俺は少し満足し、大きく後悔した。どう考えても新年から他人に打ち明けるような話ではない。

「いや、すまない。気にしないでくれと言っても難しいかもしれないが、俺のことより、せっかくの正月を楽しんでくれよ」

 俺はカタログなどの薄型の郵便メールを配達する仕事をしていた。配送会社から仕事を請け負う個人事業主として。契約は3ヶ月更新だが、今年に入ってその更新が止まった。俺が何かやらかしたわけではない。配送会社が事業体系の整理と称して、全国にいる俺のような個人事業主との契約を一斉に打ち切ったのだ。

 そう、俺だけじゃなく、何万人という人間が職を失った。だからこれは大したことではない。

「そうか。なぁリョウ、助けが必要な時はいつでも連絡して来いよ。待ってるからな」

「あぁ、ありがとう。またな」

 赤いボタンをスワイプして、通話を切った。

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