ep36.5【番外譚】狂皇

※本編読了後推奨。ep数は時系列です。




 マルゴーン帝国第七皇子レリウス失踪の報が帝国内を騒然とさせて間もなく。

 攫われた皇子の救出作戦ならびに帝国に根城を構える巨大奴隷売買組織の一掃は、皇位継承順位の末席である第十九皇子アルヴァンド指揮のもと、見事に成し遂げられた。




 アルヴァンドは、真夜中に奇襲をかけ奴隷売買組織の要となる三拠点を同時制圧した。


 うち二つはアルヴァンドが指揮権を引き継いだ第七皇子レリウス有した私兵団のもとに制圧し、残る一つはアルヴァンド率いるわずかな私兵団とゼクス、そして孤月の帷の構成員たちで制圧した。


 この日アルヴァンドたちが制圧したのは、帝都内の一角にある奴隷売買組織の首領が潜伏していた悪徳商家の屋敷だった。


 わずかな兵力で制圧に臨んだのには当然理由がある。

 そこに目的の者が捕えられている情報を事前に得ていたからだ。




 豪華絢爛な大屋敷が制圧されて間もなく。

 アルヴァンドの私兵団による警備が敷かれ秘密裏に捜索が続く中、ゼクスは広間にちょこんと座り込み緊張感のない欠伸をしていた。

 視線の先では護衛対象のアルヴァンドが何やら私兵団に指示を出している。


 この作戦が完了すれば、ゼクスの仕事はようやく終わる。


 一週間近く慣れない人間と行動を共にし、見知らぬ場所で寝食し、血生臭い現場で敵を屠り続けた。

 ゼクスにとって苦行の日々だった。


 一刻もはやくサンドレア王国に帰って、エルマーの部屋でダラダラしたい。

 ひとり穏やかに何もせず過ごしたい。

 そんなことを願いながら暇を持て余していると、広間に見知った男たちがもどってきた。


「アルヴァンド皇子、いました。奥の隠し部屋です」


 暗殺集団『孤月の帷』の構成員たちだ。

 アルヴァンドに声をかけたのは幹部である朱色の長髪男ジェスカ。


 ゼクスは欠伸をかみ殺して重い腰をあげ、アルヴァンドのもとへ歩き出した。




 アルヴァンドは漆黒のマントを羽織り、その下には皇族しか許されない金糸の刺繍をあしらった服を着込み、美しいシャムシールを帯刀している。

 容姿は女性と見紛うほどに華奢で美貌を称えた顔立ちだが、常に人を寄せつけない鋭い表情を帯び、帝国の皇族らしさを感じさせていた。


「お前たちは周辺の警備を。奥の部屋には入ってくるな」

 アルヴァンドは私兵に指示を出すと、ジェスカのもとへと歩み寄った。


「彼以外に生存者は?」


「残してません。そういう指示でしたので」


「組織の首領は?」


「一緒にいました。……どういう状況だったか説明要りますかね?」


「……想像はつく。不要だ」


「でしょうね」


 短い状況確認を済ませると、アルヴァンドはまっすぐ奥の隠し部屋へとむかう。

 ゼクスと孤月の帷は少し離れた距離でアルヴァンドに付き従った。




「……皇子様っていうより、お姫様だな」


 ゼクスの後ろでぽそりと呟いたのは孤月の帷の構成員のひとり。

 褐色の肌に黒髪黒目の猫のような少年、サシャだ。


 サシャの悪意のない率直な一言に、他の構成員が苦笑いした。

 全員がアルヴァンドに感じていることなのだろう。


「……サシャ。顧客の前で思ったことを口にするのは駄目だ」

 ジェスカが優しく咎めた。


「王国の宰相様から直々にあの皇子に取り計らうよう言われている。何かしら素質を持った皇子なんだろう」

 サシャの言葉に内心同意しつつも、ジェスカは少し苦い顔をしてそう言った。


 ジェスカとサシャはヴィルゴに完全にやり込められた経験がある。

 王国の宰相たるあの男は間違いなく本物だった。その男がこの皇子を支持しているのだ。

 帝国に君臨するに相応しい器かと問われれば、疑問は残る。過ぎた残虐性はあれど、レリウスの方がまだその座に相応しいとすらジェスカは感じた。


 それほどにアルヴァンドは王たる威厳というものとは対極にいる印象なのだ。


「にこやかに笑顔ふりまいて人心掴むタイプなんじゃね?」

「あの皇子様、全然笑いそうにないけど」

「下々の者には、そりゃそうだろ」

 他の構成員は好き勝手に小声で話しながら笑っている。


「ゼクスは皇子様の笑顔、見たことあるのか?」

 サシャが唐突にゼクスに話をふった。


 孤月の帷は一週間ほどゼクスと行動をともにしているが、サシャだけが異様にゼクスに懐いていた。

 仲間意識を持たれているようで、ゼクスとしてはむず痒い。


 無視しようとしたものの、ジェスカが「どうなんだ」とサシャを無視するなオーラを全開にしてきたので、ゼクスは渋々記憶を辿る。


「……いや、ない。てかアルヴァンドは誰にも心開いてないだろ。誰かに笑いかけるなんて……あ」


 ない。と言いかけてゼクスはひとりだけ思い当たった。


 あの灰色の万年盛り男だ。


 転移に伴った日。アルヴァンドは可憐な花のようにグレイに微笑みかけ、目を疑いたくなるほど表情豊かに言葉を交わしていた。

 正直、驚愕を通り越して恐れ慄いた。


 ゼクスはそんなことを思い出し、口を開いた瞬間。


「無駄口を叩くな」

 振り返りもせずアルヴァンドが全員に冷ややかな声で言い捨てた。


 聞かれているつもりのなかった面々は罰の悪い顔をした。




 隠し部屋までの廊下には、いくつも血まみれの死体が転がっていた。

 首領に雇われていた傭兵、薬物漬けの男女、逃げ隠れていた商家の者。孤月の帷たちが始末した残骸だ。

 アルヴァンドはそれらに目もくれず、まっすぐに奥へと進む。


 辿り着いた部屋は血の匂いと強烈な甘ったるい香りが燻り充満していた。

 足を踏み入れたアルヴァンドとゼクスは、あまりに不快なそれらの匂いに思わず顔を歪め鼻を覆う。


 何をするための部屋なのかなど、一目瞭然だった。


 部屋には乱れたベッドが並び、そのいくつかには薬物で半狂乱のままに切り捨てられた者達が血に染まったシーツの上に横たわっている。

 一番奥には最も豪奢で大型のローベッド。その手前、部屋の中央付近には組織の首領とおぼしき恰幅の良い大男が裸のまま血塗れで倒れていた。

 部屋に乱入してきた孤月の帷に抵抗する間もなく切り捨てられたようだった。


 そして、奥のローベッドには美しい男が半裸状態で力無く座っていた。


 常習的に部屋を満たす強い催淫薬物を吸わされていたのだろう。

 目は虚ろで口からだらしなく唾液を垂らしている。

 情事の最中だったのか、身体中に乱暴な愛撫を思わせる鬱血痕や歯形、体液がまとわりついていた。


 そんな哀れな姿も美しさがゆえか、妖艶さが際立っていた。


「兄上」

 アルヴァンドの声にも、レリウスは反応しない。




「ヴィルゴからコイツの処遇はアルヴァンド自身が決めるようにって言われてる」

 レリウスを見下ろしながら、ゼクスはヴィルゴからの言いつけをアルヴァンドに伝える。


「……生かしておいても構わないと?」

 アルヴァンドは少し驚き尋ね返した。


「まぁその場合は表向きは死んだことにしろ、とは言ってた」


「……話せないよう声帯を捩じ切ったと聞いた。お前の力で戻せるのか?」


「あぁ。必要であれば治癒してやれる」


 アルヴァンドはゼクスの言葉に顔を曇らせたまま、今度はジェスカたちへと視線を移す。


「……孤月の帷。兄上を生かすとして、存在を殺し、名を変え、生きていく場所を与えることはできるか?」


 ジェスカは少し大袈裟に肩をすくめる。

「生かす選択をする気とは、お優しいことで。……そういった斡旋もやってるので可能ですよ。ここまで厄介そうな大物は扱ったことは無いですが。監視は必要でしょうし、面倒この上ないですが、可能かと」


 殺すべきだ、を全面に滲ませながらもジェスカはアルヴァンドの要望に返答する。

 レリウスの帝国内での立場の強さも、アルヴァンドがレリウスの執着対象だった関係性も、ジェスカは調べ上げて知っている。

 それらを鑑みてなお生かそうとしているアルヴァンドの見た目通りの甘さに、ジェスカは苛立ちすら感じた。


 全てにおいて、あまりに甘く愚かしい選択だ。


「……そうか」

 アルヴァンドもどうすべきかまだ躊躇いがあるのか、ジェスカの言葉を聞きながら俯く。




 ゼクスはそんな彼らのやりとりを眺めながら、ことの成り行きを傍観していた。


 迷ってはいるが、アルヴァンドは生かす道を選びたがっている。哀れみか、愛情か、その理由はわからないが。

 ジェスカたちはレリウスの後始末を嫌がりそうだが、アルヴァンドの意見を尊重すべきだ。


 そこに甘さがあるとしても。

 ヴィルゴはそれがわかった上で判断を委ねたのだ。


 ゼクスは何となくそう思った。

 だから軽い気持ちで言い含めた。

 アルヴァンドの選択の肩を押すつもりで。


「生かしといてもいいんじゃないか?マルゴーン帝国とグレイに近づけなければ、平和だろ」



 ——その瞬間。



 ゼクスと孤月の帷たちが感じたのは、この部屋の空気を一瞬で呑み込むひりつくような鋭利で冷ややかな殺気だった。




「……グレイ?」

 アルヴァンドがその名を反芻する。


「ゼクス答えろ。なぜそこでグレイの名が出てくるんだ」


 ゼクスはアルヴァンドの射殺すような視線に晒され、全身にぞわりと粟立つ恐怖を感じた。

 そして、ようやく自分の過失に気づく。


 ヴィルゴには注意されていた。

 レリウスにグレイが拉致されたこと、グレイに強制力が働くことをアルヴァンドには話すな、と。


 後悔するも、完全に手遅れだった。

 アルヴァンドは悍ましいほどの殺気を放って、ゼクスの言葉の意味を問いただしている。

 アルヴァンドに嘘や誤魔化しなどきかない。


 ゼクスは全身に吹き出す汗をじとりと感じながら、言葉を絞りだした。

 この呼吸すらままならない殺気から、一刻も早く逃れる道を選んだ。




「その……グレイはさ。レリウスに惹かれるんだ」


「………………は?」

 アルヴァンドの表情が完全に固まった。


「いや、なんか。近くにいると強制力ってのが働くって言ってた。

 グレイの予知とレリウスの幸運の相性がいいらしくて、一方的に惹かれるって。アイツ、拉致されてた時もずっと惚けた顔してて……」


 ゼクスが話終わるよりも先に。

 アルヴァンドはまっすぐにレリウスの元へ歩いていた。

 自身のシャムシールを引き抜きながら。


 そして。

 何の躊躇いもなく、レリウスの首を薙いだ。


 レリウスの首はゆっくりと傾いたかと思うとそのままゴトンと真下に落ち、ベッドへと転がった。一緒に斬られた美しい絹のような髪がはらはらと舞い落ちる。

 首が離れた身体は緩やかに血飛沫をあげながら前方へと倒れ、ベッドをみるみる赤黒く染めていく。


 その場にいる全員がアルヴァンドの突然の行動に言葉を失っていた。


 ゼクスとジェスカが何よりも驚いたのは、首を薙いだアルヴァンドの斬撃だった。

 あの細い片腕で、まるで花の茎を切り取るかように軽やかに人の首を斬り落としたのだ。


 ありえない。

 明らかに摂理に反する力を感じた。


 ゼクスの異能力が関与したのではと思い、ジェスカはゼクスを見るが、ゼクスもまた青ざめた顔でアルヴァンドを瞠目していた。

「……なんだコレ……」

 そう呟くゼクスの視線はアルヴァンドでもなく、血塗られたシャムシールでもなく、アルヴァンドのすぐ頭の上、虚空を凝視していた。




「要らないんだ」


 アルヴァンドは温度の感じられない口調でそう言った。

「私のグレイにはそんな存在、必要ない」


 アルヴァンドは静かにシャムシールを鞘に戻す。

 そして、くるりとゼクスたちに振り返った。


 血飛沫が飛んだのか、アルヴァンドの顔の半分は真っ赤に染まっていた。


「おい、アルヴァンド……お前」

「最終確認をしよう」

 ゼクスの言葉をアルヴァンドが強い声で遮った。


「レリウスは我々がここへ到着した時には首領に殺されていた。掃討作戦の手引きをしたと疑われて、だ。残念ながら、我々が到着した時には手遅れだったということだ。そういうことにしよう」


 何事もなかったように偽りの言葉を並べるアルヴァンドの瞳は暗く昏く、底知れない澱みを湛えていた。

 全員がそのアルヴァンドの瞳に気圧されていた。


「それから、お前たち」

 アルヴァンドに改めて視線をむけられ、ゼクスと孤月の帷の構成員たちは肩をびくりと強張らせる。


「今ここで起きたこと、そして『レリウス』の名を、今後一切グレイの前で口にするな。……もし少しでも口にしてみろ。私はその者を絶対に許さないよ」


 アルヴァンドの静かな命令に全員がただただ首を縦に振り、アルヴァンドへ逆らわない意思を示していた。


「グレイが惹かれる存在など、この世界にあってはならないんだ。わかるだろう?」


 アルヴァンドはそう諭すように言うと、完璧なまでの美しい微笑みをゼクス達にむけた。




 底知れぬ闇深い狂気。


 そのあまりに圧倒的な狂気こそ皇帝に継がれる血であり、マルゴーン帝国が大国たる所以なのだと、ジェスカはようやく理解した。


 そして、アルヴァンドとレリウスが血をわけた兄弟であり、その狂気の血はレリウス以上にアルヴァンドに濃く流れているかもしれないことを、ジェスカは粟立つ恐怖とともに全身で思い知ることになった。


 目的のために手段を選ばぬ狡猾さや、愛する者への異常なまでの執着。それらはすべて皇帝の血がもたらす渇望し続ける狂気に帰着するのだ。


 アルヴァンドは、間違いなく本物だ。


 この皇子は最初からすべてを持ちあわせていたのだ。


 国父たる慈愛も、覇王たる狂気も。

 その柔らかな容貌に隠しているだけで。



+++++



 ゼクスの目に映る世界において、その狂気は『狂皇』という名を冠し、砂漠の王となったアルヴァンドにのみ付与された。


 それがはじめて発動したのは、わずかな一瞬。

 アルヴァンドが愛する者への執着により判断を覆し、慈愛から狂気へ道を違えた瞬間だった。


 呪うように、祝福するように。

 『狂皇』はアルヴァンドに人智を超える力を与えたのだ。

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