ep30.5【番外譚】泣けばいい
※本編読了後推奨。ep数は時系列です。
そう思ったのはいつの頃だったか。
君をみていて、私は気づいた。
君はややこしくて、歪んでいて、厄介で。
複雑なものを、愛している。
昼下がりのサンドレア王国の宰相執務室。
酷使し続けた目の焦点がぶれ、手にした調書の文章がぼやけた。
私は一旦思考を止め、瞼を閉じて自分の眉間を揉んだ。
「あー……多分限界だ。グレイ、私は少し仮眠をとる。悪いが一時間ほどで起こしてくれないか」
返事は返ってこない。
先程まで傍で書類整理をしていたはずの侍従の姿が見あたらない。
気づかぬ間に執務室から出ていったのか?
立ち上がり椅子を離れると、デスクの反対側、積まれた書類の山の間にふわふわと灰色の髪が揺れていた。
グレイは私の声に気づかず、何かを読み耽っているようだった。
「何をしているんだ、グレイ」
私が近づき覗き込むと、グレイはようやくはっとした顔でこちらを見上げた。
「あっ……ヴィルゴ宰相閣下。申し訳ありません、もしかしてお呼びでしたか?」
慌ててグレイは立ち上がった。
「いや、大した用事じゃない。
このあたりのものはずいぶん古い報告書だが、何を熱心に読んでいたんだ?」
「あ、えっと。整理していたら目に入ってしまいまして…閣下が王宮魔導研究所で進められていた金属錬成技術に関する報告書です」
私は懐かしさに目を細める。
「あぁ、懐かしいな。機関が動いていた頃の金属錬成の研究成果報告か。
私の趣味の一環みたいなものだったが、試みとしては悪くなかった」
「ご趣味と仰いますが、王国の文化発展の一助となるような実用性に富んだ研究に私は思えます」
「そうなればいいが。純度の品質向上と人工鉱石錬成の安定性に課題が残る。実用までには先が長い」
「あぁ!私もその辺りの検証結果は読みました。精錬するための魔法による温度管理と、成分を吸着させるために用いる金属融解の検証がなかなか面白くて…」
「あー……わかったわかった、グレイ。君がこの分野に興味を持ってくれるのは喜ばしい。が、その話はまた今度しよう」
穏健派閥の掃討作戦以降、金属錬成に関する研究開発機関は停止させている。
今この精錬技術という無限の可能性を秘めた領域の話をはじめようものなら、燻っていた私の情熱が再燃し悪い癖が出る。
時間が瞬く間に溶けるだろう。今は残念ながら、それどころではない。
「では、王国の再建が落ち着いた暁には是非。
現在は機関を閉鎖されているようですが、また王国の情勢が落ち着いたら研究再開されるのでしょう?」
「……まぁ、そうなればいいが」
「ふふ、楽しみですね」
「楽しみ、か。こんなものを楽しいなどと言うのは、私の周りでは君くらいだよ」
「そうなのですか?こんなに面白いのに」
そう言って顔をあげたグレイは私の顔を見て急に心配げな表情を浮かべた。
「ヴィルゴ宰相閣下、目の充血がひどいです。少しお休みになられては?」
「……あー、そうだった。仮眠を取ろうとしていたんだ。
グレイ、私はそこのソファで少し休む。一時間ほどで起こしてくれ。」
「かしこまりました。温かいタオルをご用意しましょうか?」
「いや、大丈夫だ」
私はソファに腰掛けながら、思い出したように奥まった場所にある本棚の方を指さす。
「金属錬成の研究報告については奥の棚に古いものがまとめてある。読みたかったら好きに読んで構わない」
「え、いいのですか?」
グレイは灰色の目を輝かせた。
「あぁ。……君は相変わらず、めんどくさくて複雑なものが好きみたいなのでな」
私の言葉に、グレイはきょとんとした顔で見返す。
「……そうですか?」
「そうだろう。一般には人が憚るようなものを君は好む」
「そう、なのですかね?はじめて言われました」
そんなことを言いながら、グレイは自分の嗜好について訝しげに考え込む顔をしていた。
そうだよ。君は複雑なものが好きなんだ。
だから、今こうして私のもとにいる。
だから、アルヴァンドに恋をしているのだろう。
グレイを横目に見ながら、私はソファに身体を沈める。
横になると一気に睡魔が襲ってきた。
緩やかに微睡みながら、ふと昔のことを思い出した。
最初にグレイを知ったのは、メルロロッティ嬢の身辺調査の時だった。
スノーヴィアの令嬢と信頼関係のある若き専属従者。
しかし同性愛者のため王太子との婚約には障はない。
ここまではよかった。
だが、興味本位で探らせたグレイの身辺調査は想像の斜め上をいくものだった。
直近で飛竜騎士団に竜騎士見習いとして所属していたのだが、とにかく節操がない。
上官にあたる隊長副隊長職が2名、先輩にあたる竜騎士が3名、同期の竜騎士見習いが1名、彼と肉体関係を持っていた。
見習い同期のひとりがグレイと最も近しい存在で、長く関係を続けており、群を抜いて関係が深かったようだ。
その関係性は恋人と言っても差し支えないにも関わらず、互いにそれ以上は干渉せず、関係は発展しない。
その男の存在もあって、グレイの無節操は公然と知られているものの、一度も騎士団内で痴情のもつれはない。
人間関係に淡白なのかと思ったがそういう訳でもないようで、一夜でも関係を持てば相手をとても大事にするのだという。
だが、一時だけの相手ばかりを選ぶ。恋人になり得る男を決して選ばない。
グレイの恋愛観が難解すぎて、理解できなかった。
だから、素知らぬふりをして一度直接会って話をした。
男が好きで、年上が好きで、抱かれるのも好きだが、抱くのも好き。
あけすけに打ち明けられ、それを証明できるかと尋ねたら、あの灰色の瞳で恥ずかしそうに見上げられ「閣下も守備範囲です」などと言ってきた。
すぐさま執務室から人払いをした。
……言葉通り、まんまと乗せられた。
あの容姿で、あの瞳で。
誰にでも笑顔をみせ、まっすぐな感情や言葉をむける。
大半の人間は彼に好意を持つ。生来の人たらしだ。
だが、グレイ自身は複雑で歪んだ好意を好む。
まっすぐに愛情をむける男より、歪んだ情動を隠した男や決して手に入らない一時だけの男を選ぶ。
むけられた感情が複雑であればあるほど、グレイも同じように相手に興味を抱く。
簡単に言ってしまえば、グレイはひねくれているのだ。
だから、彼の口からアルヴァンドの名が出た時、妙に納得した。
アルヴァンドは私が出会った者の中でも、最も複雑な人間だった。
嘘を見抜く特別な力を持ちながら、マルゴーン皇宮などという偽りと愛憎渦巻く場所に身を置いていた。
挙句、その能力と容姿が故に兄である第七皇子に異常な執着をむけられ、飼い殺されている。
にも関わらず、皇子として国のために未来を手繰り寄せようと、必死に策謀し足掻き続けているのだ。
普通ならとっくに精神など壊れていておかしくない。
あんな男に出会えば、グレイは間違いなく惹かれるだろう。
そしてアルヴァンドにとって、グレイの屈託のない生き方や人格は眩いほどに美しくみえ、複雑なものや厄介なものを愛する感情は、これまで向けられたことのない純然たる愛情となるのだろう。
ふたりは間違いなく恋に堕ちる。
容易に想像できたし、現に知らぬ間に彼らは邂逅して惹かれあっていた。
……私は自分のお気に入りを横取りされて、腹立たしかったのが正直なところだが。
+++++
昔のことを思い出し微睡んでいるうちに。
気づけばいつの間にか、眠りについていたようだった。
仮眠から目を覚まし、視線をあげ、驚きに小さく息を飲んだ。
目前に灰色の瞳が揺らめいている。
「…………あ、えっと。おはようございます、ヴィルゴ宰相閣下」
「…………どういう状況だ、グレイ」
グレイは私の本当に目と鼻の先、前髪が触れるほどの距離で私を覗きこんでいた。
というか、今気づいた。
私はグレイの膝枕で寝ている。
「……どうなってる。私は書類を枕にしていたハズだが」
少し乱暴にグレイの顔を手で押しのけ、起き上がった。
膝を揃えてソファに座るグレイから少し離れ、私は項垂れた体制で座り目元を指で揉んだ。
正直に言おう、動揺していた。
私は基本的に人の傍で眠ることはない。
ベッドで情事に耽けることはあっても、そのまま誰かと一夜を共にすることはない。必ず帰らせる。
膝枕なども、以ての外だ。
身体が触れ合う時間が長いほど、人は否応なく愛情を持つ。
私はそれが好きではない。
私の立場で持つべき感情ではないからだ。
「あ、えっと。あのですね。閣下が好まれないかもとは思ったのですが。
書類の上で寝苦しそうにされてましたし。書類も崩れそうだったので、それで。書類の代わりに座ってみたら、その」
かなり言い訳がましく、グレイはこの状況に至るまでの説明をはじめた。
「……私が好まないとわかっていてやったのか」
「せっかく休まれるのであれば、時間対効果は大事かなと」
「いらん気遣いだ。二度とやるな」
「……申し訳ありません」
私の短い叱責にすぐさまグレイは頭を下げた。
しかし納得はしていなかったようで、敢えて私に聞こえるようにぼそりと呟く。
「……腰に腕回して、匂いまで嗅いできたくせに」
私が無言で横目に睨むと、グレイは慌てて目を逸らす。
「…………なんだその顔は」
グレイは叱られたにも関わらず、どこか嬉しそうに頬を赤らめていた。
「閣下、膝枕ですごく気持ちよさそうでしたよ。
私の匂いキライじゃないんだなーとか、触れてると安心できるのかなーとか、思ってしまって。
それに閣下の眠ってる顔は、その、滅多に見られないので。私としては千載一遇に恵まれたと言いますか……」
嬉しそうに白状するグレイにそれ以上怒る気にもなれず、私は長い溜め息をついて、眉間の皺を深くする。
……人の気も知らないで。
こういう時、人たらしという生き物は本当に厄介だ。
そんな私を気にも留めず、グレイは一言ぽそりと言った。
「……寝顔もかっこよかったです、閣下」
あぁーもう。
本当に、この子はもう。
私はグレイの腰を抱き寄せ、反射的に顔を上げたグレイの唇にがぷと食いつく。
啄んだり喰んだりして少し乱暴にグレイの唇を弄んだ。
そして短いキスを続けながら、グレイをソファに押し倒す。
こういう時、グレイは体制の取り方が上手だ。私に体重を預けながらキスを止めることなく腕を回してくる。
手慣れていて、本当に生意気だ。
唇を離して見下ろすと、期待を滲ませた灰色の瞳が榛色の瞳を見つめていた。
「言っておくが。自業自得だからな」
「え、何がですか?」
緩やかに咎められ、グレイは私の言葉の意味を尋ね返す。
「……休憩を延長する、構わないな?」
言葉の意味については何も返さず、今度は深く口づける。
グレイの口内を舌で軽く探ると、すぐに舌で応えてきた。戯れるように絡め、音を立て、互いの情欲を刺激する。
『休憩』の意味が十分に伝わるような、そんな口づけだ。
自業自得だよ、グレイ。
厄介なものに、好意をむけて。
手に入らないものに、触れようとして。
心を渡さない男を、愛そうとする。
駄目だとわかっていてもそんな君を喜ばしく思ってしまい、私は君との距離を上手に保てなくなった。
だから。
君が泣くことになっても、それは自業自得だ。
私はまもなく、君の前からいなくなる。
どうせ君は泣くのだろう。
私がいなくなった寂しさで。
しなくてもいい後悔で。
泣けばいい。
君に泣いてほしくないなどとは思わない。
……私はそんな優しい男じゃないからね。
泣いて、泣いて。
忘れられないほどに、泣いてしまえ。
そうして、ずっと。その心に私を留めていればいい。
前世を知る君ならば。
叶うものなら、来世まで。
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