ep19.5 【番外譚】とある書物

※本編読了後推奨。ep数は時系列です。




 バルツ聖国内では今、女天馬騎士達の間で『とある書物』が密やかに読み継がれ人気を博している。


 この書物の誕生は、聖国内で最も敬われ崇められる、権威と信仰の象徴たる者の一言からはじまった。



+++++



「この報告書は事実を隠蔽しているな」


 バルツ聖国女王エルメスタ・ミューラ・バルツはその麗しい顔を怪訝に曇らせ、手にしていた報告書を周囲に見せつけるように高らかに放り投げた。


 白大理石で造られた荘厳かつ優美なバルツ聖国宮殿内。

 その一角にある会議の間は、女王の発した言葉に静まり返り、佇む神官や円卓を囲んだ大臣たちは一様に驚愕と困惑の表情を浮かべている。


 その報告書の作成責任者であり、女王にそれらを手渡した男は、女王の傍らに佇んだままだ。

 散り散りに舞い落ちる報告書とエルメスタを静かに見つめている。

 

 女王自ら目を通し、不正があると糾弾された者の末路が明るいわけなどない。

 しかし、そのような不祥事とは最も縁遠く、教会と女王からの信頼も厚く、これまで女性騎士のみが歴任してきた女王の近衛に初の男神官が就くと目される者が咎められたことに、周囲の者達は動揺が隠せなかった。


「私を失望させてくれるな。イージス」


 女王の突き放すような、しかし諭すようにもとれるその言葉に、イージスは俯いた。


 ……あぁ。

 これは、もう。逃れられない。

 覚悟を決めるしかない。


 近い将来に訪れるであろう苦渋と恥辱を思い、イージスは強く瞼を閉じた。




『スノーヴィア領特使派遣に関する報告書』


 隠蔽があるとされた報告書見聞のため、謁見の間に呼び出されたのは3名。

 イージスと共に召喚されたのは、スノーヴィア領訪問の際、随伴したふたりの男天馬騎士だった。

 金髪巻毛の大柄な天馬騎士ルーフェウスと、金髪直毛の小柄な天馬従騎士リドリーだ。


 謁見の間は白大理石の高い壁と滑らかな柱が連なり、床は様々な石材による象嵌で見事な模様を描かれている。


 召喚された3人は、その謁見の間の中央の床に跪かされいた。

 イージスを除くふたりは俯いたまま顔面を蒼白にしている。


 どのような任務に派遣された場合も、報告書の作成は義務づけられているが、報告書の重要性などたかが知れている。

 その内容に関し、国の権威であり象徴たる女王に糾弾されるなど、前代未聞だ。

 

 女王は高い天井から床へと拡がる白銀の御簾の向こう側で、3人を見下ろし悠然と構えていた。




「……さて、申し開きがあるのであれば聞こうか」

 御簾の向こうからゆったりとした声が謁見の間に響いた。


「恐れながら、エルメスタ女王陛下。私からの発言をお許しください!」

 真っ先に声をあげたのはルーフェウスだ。


「我々は隠蔽はおろか、何ひとつ失態などしておりません!

 ……た、しかにスノーヴィア到着直後、天馬の扱いについて論争にはなりましたが、崇高な存在である天馬たちを想えばこそ。そして飛竜騎士たちはそのことに納得し、その後も諍いなどはなかった。その旨も報告書に記載した通りです。

 ご令嬢に悪印象を与えることは決してなかったはずです!」


 ルーフェウスに続き、リドリーも言葉を続ける。

「ルーフェウス様の仰っていることは事実です!

 スノーヴィアのご令嬢はイージス様のお話にも非常に愉しげに耳を傾けておられました。天馬に好感を持ち、たびたび厩舎に赴かれておりました。

 私も僭越ながら、我が天馬との出会いを尋ねられお言葉を交わしました。

 我々は誰ひとり、落ち度となる言動はしておりません!」


 ふたりが言いたいことは、要するに。

「婚約申し込みを断られた原因は我々特使にはない」

 そう訴えているのだ。


 本来糾弾されることなど考えられない報告書において、隠蔽の疑いありと言われたのだ。

 考えられることは、ただひとつ。

 何か別の罪状なり冤罪を、なすりつけられようとしているのではないか、だ。


 スノーヴィア訪問において、最大の功績となり得たのは婚約申し込みの受領だ。

 しかし、スノーヴィアの辺境伯令嬢から託された書簡には申し込みの断りが綴られていた。


 ルーフェウスとリドリーは不本意に終わった特使派遣の失態をなすりつけるために、自分たちが糾弾されていると思っているのだ。


 女性優位のバルツ聖国、特使として派遣された男全員が軒並み糾弾されている。

 あまりにわかりやすく、卑劣にも思える吊し上げだ。

 ルーフェウスは憤りを滲ませ、リドリーも到底納得していない。




 必死に訴えるふたりを見下ろし、エルメスタは鼻で笑って目を細めた。


「……ふん、そんなことはわかっている。

 私は婚約申し込みを断られたことを、お前たちのせいだとは言っていないし、咎めるつもりもないさ」

 ルーフェウスたちの予想に反し、女王ははっきりとそれを否定した。


「では、我々の報告に疑いがあるというのは、一体どのような目的あってのことなのですか!?どのような罪があると申し上げたいのか!」

 納得のできないルーフェウスは声を荒げた。


「目的などない、言葉通りの意味だ。お前たち、それぞれに隠し立てしていることがあるだろう」


 エルメスタの言葉に、いまだルーフェウスとリドリーは困惑と焦燥の表情を浮かべている。


「……私の仔馬がな、言うんだよ。

 スノーヴィアへと赴きそこで邂逅した者達と確かな『繋がり』を持ったにも関わらず。報告すべき仔細を隠し立てている者がいると、ね。

 受け取り方によっては国家への反逆とも解釈できる、そうは思わないか、諸君?」


 エルメスタのその言葉に、事の顛末を見届けようと参列していた大臣や神官たちの間でどよめきが起こる。

 他国の者と密かに通じそれを秘匿するなど、誰もが後ろ昏い何かを勘ぐる。

 一歩踏み外せば国家反逆罪、大罪だ。


「……なっ!?そのような事実、あるはずがない!」

 ルーフェウスは強く否定する。


「私はバルツに忠誠を違った誇り高き騎士です。

 後ろ昏いことなど、何もない! そのような卑しい心を持って、天馬に跨るなどあり得ない!

 お疑いになるのであれば、いくらでも取り調べを受けましょう。私はどんな些事でも、包み隠さずお答え致します!」


 そのルーフェウスの言葉に。


 エルメスタは御簾の向こうでにたりと満足げに嗤い、隣のイージスは額に手を当て項垂れた。

「ほーぅ、そうかそうか。そこまで言うのであれば、遠慮なく尋ねよう」


 そしてエルメスタは狙い通り、ルーフェウスに質問を投げた。


「ルーフェウスといったな。

 お前はスノーヴィア滞在1日目の夜、どこで誰と何をしていた?」





「………………え?」


 予想していなかった質問をされたルーフェウスは一瞬固まる。

「1日目の夜は……」

 自らの記憶を辿りながら言葉にしようとして、思い至ったその記憶にルーフェウスはドッと顔に汗をかき首の後ろまで真っ赤になった。


 思い出すのは、いまだ身体中に染みつき全身が疼く記憶。

 真夜中に訪問してきた仇敵とも呼べる男。

 酒が入っていたせいか会話は弾み、学友時代にその男に羨望と恋慕を抱いていたことを吐露してしまった。

 気づけばベッドの上であられもない姿で拘束されていた。

 粟立つ快楽と羞恥を溢れる寸前まで乱暴に煽られては、優しく鎮められる。それを幾度も繰り返され、果てることを許されない。

 最後は自ら懇願して、喉と胎の最奥にねじ込まれた彼を咥え込み、隅々まで侵され満たされた。

 微笑みながら足で踏みしだかれ、嬌声とともに吐精した瞬間は至福だった。


 思い起こされた記憶の数々にルーフェウスは口元を手で覆い、俯いてしまった。

 神聖な謁見の間で、女王陛下の前で、到底言えるわけがない。




「ルーフェウス様、何故黙されてしまうのですか!? それではまるで……っ」

 後ろ昏いことがあるみたいではないか。


 先ほどまでの発言から一転、黙してしまったルーフェウスにリドリーは困惑して声を荒げた。


 エルメスタ女王はそんなリドリーに標的を移す。

「次にそこの若輩天馬従騎士、お前だ。

 スノーヴィアでお前は特定の誰かに固執していたのではないか?それは誰で、2日目の夜に、どんな関係を持った?」


 一瞬、リドリーは何のことだという顔をしたが『2日目の夜』という言葉が出た瞬間、ルーフェウス同様にドッと汗が吹き出し顔を林檎のように真っ赤にさせた。


 天馬の扱いで揉めていた時射抜かれた、侮蔑に潜んだ支配的な強者の視線。

 彼の強く鋭い瞳が忘れられなくて、ことあるごとに近づいては憎まれ口を叩いていた。

 模擬演習の際、彼の飛竜に無闇に近づき噛まれそうになったところを、その逞しい腕に抱き寄せられ守られた。

 強く叱責されたが、自分の身を案じるように落とされた視線と言葉に、乙女のように一瞬で心を奪われた。

 その時「今夜、俺の部屋に来い」と耳元で囁かれた。その蒼天の瞳に情欲を滲ませて。

 どうなるかなど、わかっていたのに。

 いとも簡単にその男に身体を委ね、純潔を散らした。

 あの逞しく美しい腕の中で、幾度も知らない快楽を教えられた。


 リドリーもまたそんな一夜を思い出し、両手で顔を覆い、真っ赤になったまま微動だにしなくなる。


 黙秘してしまったふたりに謁見の間のどよめきが増した。




「……エルメスタ女王陛下。どうかお戯れはそこまでにしてください」

 その不穏な空気を、優しく低い声音で制したのはイージスだ。


 女王は俯く彼らの顔から、自分が最も信頼を置き近くに据えている神官に視線を移した。


「恐れながら。私と彼らの記載内容に不足があると感じられるものがあったとしても、それは報告書として必要な箇所を明確にし、不要な疑念を抱かせない必要な処置でございます。女王陛下ご自身もと思われる報告箇所はございますでしょう?本件は誰一人、糾弾されることなどないはずです」


 報告書に、隠蔽された項目があるのは確かだった。


 エルメスタ女王の訪問だ。


 立場を秘匿し赴いたエルメスタ女王の記載はない。そして、存在しない架空の護衛天馬騎士がイージスに同伴したことになっている。

 エルメスタ女王がメルロロッティ嬢とグレイに耳と尻尾を見られてしまった失態の記載だって、勿論ない。


 女王陛下自身も隠蔽している報告がありますよね?

 詮索はもう、互いにやめませんか?


 そんな本意を言葉に乗せて、イージスは御簾のむこうのエルメスタに訴えかけたのだ。




「…….イージス。お前が取り計らってくれていることはよくわかる報告書だったよ。だがなぁ。お前があの夜与えられた『試練の克服』について報告を欠いたことが、私は心から哀しかったんだ…あ。と、仔馬は嘆いているんだ。

 報告書に配慮がなされるのは好ましい。だがそれが『誰のため』であるかは明確に分類せねばなるまい」


 イージスはその言葉に苦虫を噛み潰したような顔をした。


 エルメスタが言っているのは「女王の極秘訪問の秘匿はOK」だがイージスたちの「己の羞恥心で熱い一夜を秘匿することは許さない」ということだ。


 横暴である。


 エルメスタは滞在中、特使派遣した者達の動向を護衛騎士に扮して観察していた。

 そして。

 イージスに加えバルツの男達が、軒並みスノーヴィアの獰猛な竜騎士達にペロリと食べられてしまっていたことに気づいていた。


 帰路ではイージスも散々質問攻めにあった。

 グレイとはどんな言葉や行為を交わしたのか、身体の相性はよかったのか、どんな体位で何回したのか……

 不躾にもほどがある仔細をひたすら尋ねられていた。


 イージスは自分とグレイの尊厳のため黙秘を続け、他の天馬騎士にも迂闊に妙な質問をしないよう、何度も釘を刺し続けていたのだ。



 結果。

 それに不満を抱き続けたエルメスタの策略により、公の場で報復を受ける羽目になっている。



「我々が崇め奉る神獣たる仔馬に嘘偽りや隠し立ては許さない。

 ……だが神獣と私は慈悲深い。お前たちに一度だけチャンスをやろう」


 そして、エルメスタは完璧な麗しい微笑みで命令した。


「それぞれ、いつ、誰と、どのような繋がりを持ったのか。余す事なく詳細に報告書に記載し、再提出するように!」



+++++



『蒼穹を駆ける飛竜と天馬の邂逅録』


 『スノーヴィア領特使派遣に関する報告書』はそんな名に姿を変え、物語形式に編纂された後、女天馬騎士たちの間で密かに回し読みされ、増刷された。

 男たちの愛憎渦巻く関係性、生々しいまで綴られた官能的な情事、そして互いの立場から決別することとなる切ない物語の顛末。

 気高く清らかであることを美徳とし、その相貌を銀細工を施された兜で覆う勇ましい彼女達は、その物語に心を蕩けさせ、想いを馳せ、夢中になった。


 編纂者の配慮により実名は伏せられていたが、それが誰であるかは皆の知るところとなっており、イージスとルーフェウス、リドリーの名はバルツ聖国の淑女たちに知れ渡り、本人たちの望まぬ形で一躍人気者となった。


 ちなみに編纂者は匿名となっており『白き長耳の麗人』などと名乗っていたようだ。

 イージスははじめてそれを見た時、呆れて言葉を失った。


 この物語で一番人気は『灰色の君』と呼ばれる登場人物だった。

 かけられた呪いから神官を解き放つためにその身を捧げた、麗しい灰の髪色を持つ男。

 この国では灰色は格別で神聖視される色だ。

 彼の献身と、その彼に純潔を捧げ呪いを克服した神官の物語は、それはそれは天馬騎士たちから絶大な支持を得た。




 その書物が人気を博して間もなく、イージスは正式にエルメスタ女王の近衛神官を拝命した。


 拝命が今日まで遅れた理由として、女性天馬騎士が歴任してきたこの地位を男性が担うことに対する反発が大きな理由のひとつだった。

 しかし、イージス自身がこれまで築き上げた神官としての功績や信頼に加え、『灰色』に祝福されたという噂も相まり、天馬騎士達の圧倒的支持を得たことが、結果を奏したことに間違いなかった。

 実際はイージスが自身の性癖で公務に支障をきたすことがなくなったことが、大きな理由のひとつではあったのだが。

 

 エルメスタがどこまで計画したことかは定かではない。


 だが、彼女が歴代女王とは違う思想を持っており、バルツ聖国の古き慣例に変革をもたらす女王であることに間違いなかった。

 そのはじまりのひとつとして、今回の一件はバルツの歴史に確かな功績を刻むこととなった。




 イージスは今日も女天馬騎士からのなんとも言えない熱視線に愛想笑いを返し、女王の近衛神官としてすべき膨大な仕事を抱えながら宮殿を急足で進む。


 そして、ふと。

 遠くスノーヴィアのある南東の空を仰いだ。


 ……グレイ殿、健在でしょうか。

 叶うのなら、貴方にまた会いたいです。

 触れられなくてもいい、ただ貴方を傍に感じたい。

 その灰色の髪と瞳が、揺れる姿が恋しい。


 イージスは心の中で呟く。


 ……でも、ほとぼりが冷めるまではどうか。

 バルツ聖国には来ないでください。


 そんなことを憂い願いながら、美しい造形を讃えたその唇から溜め息を漏らした。




 遠くない将来、そんなイージスの願いは儚くも叶わず、グレイはバルツ聖国に訪れることになる。


 例の書物の人気は衰えることなくその最盛期。

 砂漠の若き王に娶られた灰色の君は国交のために訪問し、バルツ聖国の淑女たちを震撼させることになるのだ。


 そして、女天馬騎士たちの間で悲喜交々に織りなす二次創作が捗ることとなったのは、言うまでもない。

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