ep41 彼女のための物語
「私は嘘を見抜く特別な能力があるが、それとは別に。人の秘めた真意に敏感なんだ。
『想い人』の言葉を聞いた君を見て、たった今。ようやくわかった」
そう言ってアルヴァンドは、あらぬ方角に目をやった。
「君の想い人は彼女たちだね」
アルヴァンドの視線の先には侍女たちがいた。メルロロッティ嬢の専属侍女、アグナとソネア。
アルヴァンドは彼女たちを眺めたまま、言葉を続ける。
「彼女たちのことはヴィルゴ殿から聞いたことがある。君が幼い頃に拾った忌み子だそうだね。しかも竜の忌み子」
「……あの子達を侮辱しないで」
メルロロッティ嬢が怒りに顔を歪ませる。
「侮辱に聞こえたのなら謝罪しよう。他に彼女たちを示す言葉を知らないんだ」
アルヴァンドはメルロロッティ嬢へと視線をもどす。
そして、まっすぐに彼女を見てこう続けた。
「君はおそらくは、恋愛対象として人間に興味がないのだろう。そして竜を愛している。
竜を愛する君なら、確かに彼女たちを愛さないわけがない」
メルロロッティ嬢は黙って俯いた。
アグナとソネアは見たこともない形相で、こちらを見ていた。
会話が聞こえているのだろうか、アルヴァンドを威嚇しているようだった。
知らなかった。アグナとソネアの出自も。
メルロロッティ嬢の恋愛対象も。
「……グレイ、こんなに近くにいたのに気づかないとは。思い当たることはなかったのか?」
そう飽きれるようにアルヴァンドに言われ、俺はいくらか記憶を呼び起こす。
令嬢が年頃になってから、たまーにベッドに散らばっていた小さな竜の鱗。言われてみれば、どことなく侍女たちの髪色に似ていたような……
メルロロッティ嬢は「道で見つけて綺麗だったからベッドで眺めてた」とか無邪気なこといってたけど。
…あれってまさか!?
俺がばっとメルロロッティ嬢をみると、同じことを思い出していたのか、メルロロッティ嬢は下唇をかんで真横に目を逸らしていた。
俺が人目を盗んでは飛竜騎士団の宿舎でよろしくやってたことを蔑んだくせに。
お嬢様も人目盗んでやることやってるじゃん……しかも3Pて……
観念したようにメルロロッティ嬢は、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「……だって、言えるわけないじゃない。グレイはいつも、何よりも私の考えてくれて。予知で沢山のことを知らせてくれて」
そうだね。そうだ。
「自分の恋愛観は歪んでぐずぐずで、股は緩みきってるくせに。私にはまっとうな相手がいいって。スノーヴィアと飛竜たちのために、有益な人間の男を探して。
いつも私の顔色を伺いながら、言葉を選んで提案してくれる」
……なんか今、悪口言われなかったか俺?
そこまで言うと、メルロロッティ嬢はその美しい翠の瞳から、ポロポロと大粒の涙を流しはじめた。
「申し訳ないじゃない。人間に興味ないなんて、愛してるのは侍女たちだ、なんて。言えないわ」
そしてメルロロッティ嬢は、俺が思いもよらなかった言葉を口にした。
「グレイはそんな私の傍にいるのが幸せだって言ってくれるの。
だからせめて、気持ちを隠してグレイが喜ぶ道を選んで。傍にいさせてあげなくちゃって、思うじゃない…!」
俺は驚きのあまりに言葉を失い、泣きながら告げられたメルロロッティ嬢の言葉を反芻する。
俺のために、想い人を隠してた?
俺のために、自分の人生の行き先を決めて。
俺がメルロロッティ嬢の傍にいられるように、アルヴァンドの申し出を拒んでいるのか?
メルロロッティ嬢の独白を静かに聞いていたアルヴァンドは、短く息を吐き愕然としている俺をみた。
「グレイ。君が彼女を甘やかしたことによる結果がこれだ。君の従者としての逸脱した愛情が、君の幸せは君を手放さず独占することなどと、本気で信じ込ませてしまった」
そう続けるアルヴァンドの目は笑っていない。
「未来の伴侶として私が彼女に伝えてやる。いいな」
俺がアルヴァンドを止めるより早く、アルヴァンドはメルロロッティ嬢をまっすぐ見て、言い放った。
「グレイの幸せは君の隣にはない。美しい主従の建前会話を本音だと勘違いし、互いの人生の足を引っ張りあっているだけだ」
なんて残酷なことを言うんだこの人。
「メルロロッティ嬢。君の幸せは侍女たちと添い遂げることだろう。
そしてグレイ、君の幸せは私と毎夜淫らにまぐわり、互いの熱を感じあうことだ。違うか?」
後半は陛下の欲望だろ!と突っ込みたい気持ちもあったが、アルヴァンドが言い放った言葉は、どうしようもなく事実だった。
俺はメルロロッティ嬢が大好きで、彼女も俺が大好きで。
離れがたくなってしまっていた。
主従の関係にかこつけて。
常に互いが隣にいられるように、いてもいいように。
そう、振る舞ってしまっていたのではないか。
メルロロッティ嬢にとってアルヴァンドのその言葉は、聞きたくない真実であり、見て見ぬふりをしていた事実だった。
改めて言葉にされ、頬も鼻も耳もまるで子供のように真っ赤になり、さらに涙が溢れかえる。
「だって、だって。しょうがないじゃない。グレイはずっと傍にいてくれたの。たったひとりの、人間の友達なの。
……遠くになんて、行ってほしくないんだものぉぉ」
メルロロッティ嬢は顔をくしゃくしゃにさせ、大声で泣き出してしまった。
ふだんの姿からは想像もできない、感情を露わにして泣き崩れるメルロロッティ嬢。
さすがの侍女たちもアルヴァンドも、メルロロッティ嬢のその姿に困惑していた。
呆然と立ち尽くしていた俺も、ようやく我に帰る。
メルロロッティ嬢が俺のために泣いてくれている。
なんて光栄なことだろうか。
今すぐにでも、その涙にハンカチを添え、彼女が安心する言葉をかけ、寄り添わなくては。
従者であれば、そうすべきだろう。
だが、どうしても俺は動き出せなかった。
…わかってるよ。わかってるんだ。
今それをすることはきっと、間違ってる。
はじめて彼女に出会った日、俺はこう思った。
悪役令嬢という名に恥じぬ、無愛想な表情にツンとした態度だなって。
友達なんて作れちゃいないだろうなって。
だったら俺が傍にいてあげようかなって。
この子の笑顔が見たみたいなって。
そう、思ったんだ。
メルロロッティ嬢にこんな泣き顔をさせるために傍にいたんじゃない。
最初に志した、崇高な目的を思い出せ。
俺は、悪役令嬢である彼女を幸せにするために、この世界に転生して、従者になったんだろ!
俺はメルロロッティ嬢の傍に跪き、泣き止まない彼女の手をとった。
そして、忠誠と敬愛そして心からの感謝を込めて、そっとその指先にキスをする。
メルロロッティ嬢はその細い両肩をびくりと震わせ、大粒の涙に濡れた翠の瞳を俺へとむけた。
「メルロロッティお嬢様。しがない従者である私などのために泣いてくださり、ありがとうございます。私も貴女が大好きです。叶うならずっと、一緒にいたいほどに」
そう続ける俺から、メルロロッティ嬢は視線を逸らさない。
俺は彼女にめいっぱいの笑顔を向けた。
「お嬢様、竜を愛し、愛される貴女の存在は特別だ。貴女は俺やヴァンと同じ、特異点です。
特異点だけが、望んだ未来を手繰り寄せることができる。この世界で最初に大きく歴史を歪ませ、望んだ未来を手繰り寄せたのは誰だと思いますか?」
メルロロッティ嬢は困惑した顔を浮かべて俺を見つめている。
そうだね。君はあの時、そんなこと知らなかった。
俺だって、ずっと気づかなかった。
「お嬢様、貴女ですよ。婚約破棄を言い渡されたあの日。貴女が最初に自分のための未来を手繰り寄せたんです」
バルツ聖国のエルメスタ女王はスノーヴィアを起点に歴史が歪曲していると言っていた。
俺は最初、予知を持つ自分がそれを招いたのかと思った。
だが、今ならわかる。
最初に歴史を大きく歪ませたのはメルロロッティ嬢だ。
俺の予知を知りながらサンドレア王国の王太子と婚約し、王室の茶会に赴き、愛する竜を侮辱され、感情任せにその特別な力を用い、婚約破棄と共にサンドレア王国と離縁し、道を違えた。
あんな壮絶な婚約破棄、ゲームイベントにはない。
そして、あの壮絶な婚約破棄があったからこそ。
俺とヴァンは出会い、王国は派閥対立が激化し、ラヴィが自身の幸福のために動き出し、ヴィルゴがゼクスと共にそれを拒んだ。レリウスだけが不動の特異点として、他の特異点を阻んだ。
特異点達が出会い、互いに作用しあい、歴史が歪曲していったのだ。
「貴女が選んだ道は、私の予知にあるどの歴史の遷移にもありませんでした。貴女は幸せになるために、最初から王国とも帝国とも道を違えていたんです。
今の世界は貴女のための未来を紡いでいます。貴女が幸せを掴まなきゃいけない物語なんだ」
俺はメルロロッティ嬢をまっすぐに見て、言葉を続ける。
「だから、どうか私の言葉を信じて。これは、私が貴女にお伝えできる最後の予知です」
「最後の、予知……?」
俺の言葉に困惑しながらも、メルロロッティ嬢は俺をまっすぐ見つめ返して、その言葉を重ねた。
最後の予知。
この言葉は、半分本当で半分嘘だ。
確かに予知をもとに導き出したが、あくまでそうあってほしいと俺が願ったこと。確証のあることなどでは当然ない。
そんなものはきっと、予知とは呼ばない。
でも、その言葉でメルロロッティ嬢がそう信じて自身の幸福をまっすぐに目指してくれるのなら、それでいい。
この予知の使い方なら、ヴィルゴだって笑って許してくれるはずだ。
アルヴァンドは俺の言葉に優しく微笑んでいた。
俺がついたこの小さな嘘は、アルヴァンドだけが知っていてくれたら、それでいい。
「お嬢様、望むままに未来を選んでアグナとソネアと幸せになってください。それが貴女が辿るべき予知の先にある道です。
そして私は自身の幸せとスノーヴィア領のために、アルヴァンドと共に生きます。マルゴーン帝国とスノーヴィア領を繋ぐ者となり、貴女が愛するこの地と飛竜は私が守ってみせます」
言葉を続ける俺が言わんとしている事に気づいたメルロロッティ嬢は、怯んだような目をして首を横に振りはじめた。
「そして、私が幸せであることがお嬢様の幸せでもあるならば。どうか私に貴女のもとを去る許可をくださいませ」
俺は彼女をまっすぐに見て、笑顔で別れの言葉を告げた。
メルロロッティ嬢は跪く俺の目の前に崩れるようにしゃがみ、震える細い腕で俺に抱きついた。
「いやよグレイ。これからも一緒がいい。あなたが傍で笑っていてくれたから、皆が集まって来てくれたの。家宰のみんな、騎士団のみんな、王立学園のみんな。
愛想がなくて人間を愛せない私なんかに、声をかけてくれた。グレイ……全部よ。私が幸せだったのは、全部あなたのおかげなのよ」
「嬉しいですお嬢様。そんな風に、思ってくれていたのですね」
俺もメルロロッティ嬢を抱きしめ返す。
「大好きよグレイ、ずっと一緒がいい。
でもあなたが幸せになってくれなきゃもっとイヤ。私だって、あなたに誰よりも幸せになってほしい。
ねえ、どうしたらいいの?ねえ、なんで離れなくちゃいけないの?」
彼女の言葉と共に春の強く優しい風が吹き抜ける。
その風で小さな白い花びらが一斉に舞い上がり、メルロロッティ嬢の涙と、そして俺からも堪えていた涙を攫って行った。
もう、限界だった。
メルロロッティ嬢に加え、俺の涙腺も見事に崩壊してしまった。
侍女たちとアルヴァンドが見守る中、俺とメルロロッティ嬢は涙と声が枯れるまで泣き続けた。
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