ep37 静かな懺悔

 とある日の夜。

 俺はサンドレア王城内の深夜の見回りをしていた。


 ヴィルゴに頼まれたわけではない。


 王城内は夜になると城外の衛兵以外は本当に誰もおらず、ヴィルゴはこの時間も当然のように仕事をしている。

 無理していないか、心配になるのだ。


 サンドレア王国は着実に平穏を取り戻しつつある。

 派閥争いに伴い閑散としていた王都には人々がもどり、少しずつ活気を取り戻していた。


 だが、それに反比例するように。

 ヴィルゴのオーバーヒートは悪化の一途を辿っていた。明らかに発症する期間が短くなっていた。


 俺は、ヴィルゴの代理で会合に参加したり、ヴィルゴが直接行う必要のない作業をほとんど引き受け、彼が情報処理する場面を少しでも減らすようにした。

 オーバーヒートを起こし、彼が自我を失いかけている時は常に傍で彼を守った。

 それでも、少しずつヴィルゴの疲弊は表面化していった。


 ——命が削られてるぞ


 以前ゼクスが呟いた言葉が重くのしかかる。


 だが俺にはどうすることもできず、ヴィルゴも休むことや現状の手を緩めることを望まなかった。


 俺は侍従として、補佐に徹する他なかった。




 俺の王城の見回りは毎晩ぐるりと各所を巡回し、最後にヴィルゴの執務室に顔を出す。


「やぁ、グレイ。ちょうどよかった」


 俺が顔を出すと、ヴィルゴは部屋の一角にある長いソファに背を預け、こちらを眺めていた。


 俺は少し驚く。


 調書まみれの机に座っていない姿を見るのは、いつぶりだろうか。

 ……仕事に区切りがついたのか?


 俺がヴィルゴのその姿に少し安堵したように微笑むと、ヴィルゴは俺に酒の相手を所望した。



+++++



 広い執務室の一角に設けられたソファの並ぶ応接スペース。

 部屋の明かりはこの場所以外は落とし、目の前の大きな暖炉が一帯を優しく照らしている。


 俺が手早く準備した酒のあてを、嬉しそうにヴィルゴは口に放り込んだ。

 片手には美しいグラスに入った蒸留酒。

 いつも、この部屋に飾られている美しい琥珀色の蒸留酒だ。

 おそらくこの一本で飛竜とか買えちゃうような、とんでもなく高価なやつ。


 その揺れる琥珀色にふと、俺はヴァンを思い出した。

 マルゴーン帝国はレリウスの一件以降、いまだ大きな動きはない。

 ヴィルゴの元へ来る情報によると、公には出ていないが、前皇帝が崩御したらしい。

 新たな皇帝の座を巡り、時間を要しているのかもしれない。




「閣下、仕事に区切りがついたのですか?」

 俺が尋ねると、ヴィルゴは長いソファに深く座りゆっくりと息を吐いた。


「あー……やっとな。これでしばらく休める。はずだと思うが、うーん、どうだろうなぁ」

 珍しく曖昧で歯切れが悪い。


 その物言いに、俺は静かに笑った。

 ヴィルゴもつられて静かに微笑んでいる。


 たまに蒸留酒に口をつけながら、ヴィルゴはどこか遠くを見ているような瞳をしていた。

 たまにとろりと瞼を閉じ、そのまま眠ってしまいそうなほど。


 俺は何も言わず、傍に佇む。


 氷をまるく削り次の一杯の準備をしていると、ふと。

 ヴィルゴがじっとこちらを眺めているのに気づく。


 俺はこのヴィルゴの視線に弱い。


「実に雰囲気のある夜だな。グレイ」


「そうですね。静かで良い夜です」


「グレイ」


「はい」


 ヴィルゴは自分の膝を手でぽんぽんと軽く叩き、催促する。

「おいで」


 出たよ、この人はもー


 ヴィルゴが冗談か本気か、俺にはすぐわかる。

 これは冗談。構ってほしい時だ。


 本気の時はすごい。

 上級貴族はその手の英才教育でも受けているのかと思うくらい、言葉と手練手管で相手を虜にさせ、華麗かつ大胆に身体も心も暴き、食い尽くす。

 あれを何度かくらうと俺みたいになる。

 真っ昼間に横で話してるだけでも、心拍数が爆上がりする。




 戯れたいだけと思いつつ、俺も俺で目の前の完全無欠なこの男に可愛がられたい欲を出す。


 ヴィルゴの傍に行き、白い手袋を外して指先で頬に触れる。短く生え揃った髭を撫でる。

 そこからそっと彼の唇、首筋へとゆっくり指先で辿りながら両腕を首に回した。

 ヴィルゴと向かいあうように馬乗りになり、じっと彼の榛色の瞳を見下ろした。


「……大胆だな」


「昔そう教えられましたので」

 そう言って、俺はねだるように腕を少しだけ深く絡ませる。


 ヴィルゴは甘える俺の目を覗き返して微笑むと、両手で俺を撫ではじめた。

 太もも、腰、背中……あ、お腹はちょっとくすぐったい。

 服越しにゆったりと手と鼻先を這わせてくる。


 俺はヴィルゴの少し崩れた髪を指先で整え、何となくキスしたくなって、そっと額にキスを落とした。


 ヴィルゴは一瞬動きを止め、そのまま俺のお腹に顔をうずめる。

「……ふ、いい匂いだな。君が隣にいたらよく眠れそうだ」


 その声に俺はヴィルゴに絡めていた腕を緩めた。

 かすれて疲れ切った、弱々しい声だ。


「……何かお話したいことがあるのでは?」

 俺がそう言うと、ヴィルゴは俺を優しく解放した。


 当たりだったようだ。




「……グレイ。無理矢理私のもとに連れてきて、悪かった」

 ソファの背もたれに体を預け首を後ろに倒し、高くて荘厳な天井を見上げながら、ヴィルゴがそう言葉を溢した。


「だが、おかげで間に合った。感謝している」

 

「お嬢様はあなたを慕っています。そして私も同様に。多少強引ではありましたが、お力になれたのでしたら何よりです」

 正直、ホームシックやら何やらで不満を募らせたこともあったのだが、ここは100点満点の回答で俺は答える。


「フン、お人よしめ」

 ヴィルゴは首だけを傾けてジトッとこちらを見るが、その後目元を和らげ微笑んだ。

 その彼らしい強く慈しむような微笑みに、俺は少し俯いてしまう。


 ヴィルゴは黙って俺を見つめ、何かを待っているようだった。



 あぁ、そうだな。

 違うな、違った。

 話があるのは、ヴィルゴじゃない。


 たぶん、俺の方だ。



「私……俺は、令嬢過激派です」


 一人称を言い直したのは、俺の本心としてヴィルゴに聞いて欲しかったからだ。


「はは、知ってるよ」

 ヴィルゴが笑う。


「俺は自分の持つ予知の力で、メルロロッティ嬢とこの大陸を、統制された完璧な世界へ導きたかった。そのためなら、彼女を虐げた王国など滅べばいいと…本気で思っていました」


 俺はヴィルゴを見ることができず、俯いたまま言葉を続けた。


「誰が敵で誰が味方なのか、予知と照らし合わせながら。そうして突き進めば、正しく大陸統治は果たされ、この世界は平和になり。メルロロッティ嬢は幸せになるのだと、そう信じていました」


「おこがましいね」


「ええ、おこがましいにも程があります」


 ヴィルゴは笑いながらそう言って、俺も笑ってそう答える。


「宰相閣下、貴方の姿は美しかったです。この王国を愛し、何が起ころうと、諦めることなく命を削るような日々を過ごしていた」

 俺の声にヴィルゴは静かに耳を傾けている。


「……貴方に言われるまで、気づけもしなかった自分を恥じています。何と言えば、赦されるのか。どうすれば、今までの行いを肯定してもらえるのか。そんなことばかり考えて、貴方やヴァンに導かれるまで自分では何も出来なくて。

 予知を手放すことを恐れ、溺れていました。ゲームクリアもメルロロッティ嬢の幸せも……俺の自己満足でしかなかった。本当に愚かです」


 ヴィルゴには意味はわからないかもしれない。

 それでも俺は懺悔したかった。




「グレイ。私が君を気に入っている理由は何だと思う?」

 ヴィルゴは俺の懺悔を聞き終えると、優しく尋ねてきた。


「……歴史の遷移を知る予知があるからです」


「違うな。それはオマケみたいなものだよ」


「…………えっちなことが好きだから?」


「それも違う。評価は高いがね」

 ぽかんとする俺に、微笑みながらヴィルゴは続ける。


「私はね、メルロロッティ嬢のことを必死に考えてる君が好きなんだ」

 なんだそれ?


「君は予知をもとに、あれこれ考えている時の自分の顔を知っているか?」


 メルロロッティ嬢にハーシュにイージス、そしてヴァン。

 みんなに言われた。


 俺の考えごとをしている時の顔?


「とてもね、優しくて良い顔をしている。周りの誰かの幸せを願うような、愛おしむような。そんな顔をしているんだ」


 ヴィルゴは俺をまっすぐに見つめ、優しく言葉を続けた。


「グレイ。君を愛する者は皆、その顔にその心にたくさん救われている。

 君の予知はそのためのものだ。正しさの証明ではなく、君が愛する者たちの幸せのために使えばいい」



 考えごとをしている時の自分の顔など、知らなかった。


 でも少なくとも今。

 自分がどんな顔をしているかは、手に取るようにわかる。

 首の後ろと耳が熱い。


 そんなことを言われて。

 恥ずかしくて嬉しくて。


 泣きそうな顔になってる。



「……俺に、できるでしょうか?」

 掠れた声で俺は尋ねた。


「できているよ。婚約破棄を予知し、必死な顔でメルロロッティ嬢を庇って欲しいと、この私にねだってきたのは誰だ?」


 ヴィルゴは誇らしげに笑ってそう言った。



+++++



 その後、俺とヴィルゴは他愛のない話を楽しんだ。


 ヴィルゴに何度か休むことを進言したが、その度に俺と話したいとねばられた。

 明け方近く、ようやくヴィルゴは休むと言い、いくつかの指示を俺に出して執務室の奥にある寝室へ去っていった。

 去り際、俺が冗談で添い寝を所望すると、何も答えず微笑んで、触れるだけの優しいキスを残していった。




 ヴィルゴが再び眠りから醒めることはなかった。

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