ep32 強制力

 作戦はこうだ。


 まずはジェスカとサシャが、息子を案じたファルマン伯爵と別邸玄関で口論。強行突破しようとする伯爵を止めるため、他の別邸警護にあたっている雇われ者たちを召集する。

 その隙に俺は裏口から別邸に侵入。

 間違いなく致してる真っ最中であろう、マルセイと例の男の状況確認を行い、ファルマン伯爵にその一部始終を報告。


 ジェスカたちが伯爵に押し負けたという体で、全員で行くのが一番スマートだろと言ったのだが「別邸に入るなと命令を受けてます。命令違反で減給されたくないんですぅ」とのこと。


 ファルマン伯爵に情報を売ったことについては「売るなとは命令されてない」という屁理屈で乗り切るつもりらしい。


 いい性格してますぅ。ま、商魂逞しくて何よりだ。




 というわけで、作戦は滞りなく計画通り進行中。

 俺は裏口から侵入を果たし、誰もいない別邸の厨房にいた。


 大きな屋敷だが、マルセイと美しい男とやらがいる場所の検討はつく。

 二階の寝室か貴賓室だろう。俺は足音を潜めて二階へとむかった。


 ジェスカが言っていた通り別邸内には誰もおらず、侵入さえしてしまえばその後は容易かった。

 そして案の定、二階の一室から会話が漏れていることに気づく。


 幸い、扉が少し開いていた。


 そっと覗いてみると、王立学園で見た頃より少し大人びたマルセイがいた。

 マルセイは豪華なソファに座っている男の上に跨り、ふたりは深く口づけを交わしながら、何かを囁きあっている。


 ……うん、黒。真っ黒!


 予想通りの状況だ。

 とはいえ、それだけ告げるのも説得力にかけるかと思い、俺はふたりの会話に聞き耳を立てる。


 せめてどういう関係なのかくらいは報告すべきだろう。




「……なぁ、いつになれば貴方は私のものになってくれるんだ?貴方のために何度、私が婚約破棄をして醜聞を立てたと思っている。今回の婚約で最期だと言われているんだ。これ以上は待てないぞ……」

 キスを交えながら不満げにマルセイが囁く。


「君だって婚約破棄を楽しんでいたじゃないか。おかげで王国貴族社会は面白いほどに混沌と化した。

 感謝しているんだよ、マルセイ。だからこうして君のもとに私はいるのだろう」

 マルセイの下で、男が喉の奥を鳴らすように静かに嗤う。


 ……婚約破棄をこの男がマルセイに催促していたのか?

 そうとしか聞こえない奇妙な会話だった。


 もう少し何か情報は得られないかと聞き耳を立てようとした、その時。


「どうです、グレイさん。何かわかりましたか?」


 突然後ろから声をかけられた。

 振り返ると、俺のすぐ横にジェスカが佇んでいた。


 驚いた。いつからいたんだ?全く気づかなかった。


「え、いや、まぁ。概ね予想通りでしたけど……」

 俺は小声でジェスカに返事をしながら、何故ここに彼がいるのか考えを巡らす。

 そして、ある違和感に気づいた。


 ……今、コイツ。俺のことなんて呼んだ?


 俺はジェスカを改めて見上げる。

 相変わらずのニコニコ顔だが、その瞳の奥は底知れない、何を考えているのかわからない、ぞっとするような気配を帯びていた。

 こんな顔だっただろうか?


「…….なぁ、ジェスカさん」

 俺はそんなジェスカを見上げたまま、ゆっくりと尋ねた。


「なんで俺が『グレイ』って呼ばれてるの知ってるんだ?」

 俺の言葉にジェスカはピクとわずかに反応した。


 ファルマン伯爵は俺のことを、アシュレイと呼ぶ。

 サンドレア王国はスノーヴィアとは違い俺と親しい者は少なく、俺のことをアシュレイと呼ぶ者がほとんどだ。

 夜の相手にも、俺はアシュレイと名乗っていた。


 グレイという愛称は、ほとんど知られていない。

 俺のことを事前に調べでもしない限り、その名は出てくるはずがない。


「……アレ、もしかして今『グレイ』って呼んじゃいました?」


 そう言ったジェスカは、口調の軽やかさは変わらずだったが、先程までの笑顔は消えていた。




 俺が一歩後退り、距離を離すより早く。

 懐から護身用のナイフを引き抜くより速く。


 俺は壁に叩きつけられ、腕を背中に掴み回され、動きを封じられた。

 叩きつけられた衝撃で眼鏡が外れてコトンと床へ落ち、レンズがひび割れる。

 腕の関節が悲鳴をあげる角度ギリギリまでねじ上げられ、あまりの痛さに俺は呻き声をあげた。


 俺を壁に押さえつけているのはサシャだった。

 どこから現れてどう動いたのか、全く分からないほど、完璧に死角をつかれていた。


「……油断しすぎだろ、ジェスカ」

 サシャがぼそりとそう告げる。


「悪くない動きだねサシャ。馬車に残った連中は?」

 状況の変化に何ひとつ驚くことなく、ジェスカが尋ねる。


「全員馬車の中で殺した。馬車は敷地内に動かした。血は外には漏れてない」


「うん、上出来」

 緩やかにジェスカは微笑むと、サシャの頭を緩やかに撫でた。


 サシャが褒められて満足げに笑みを浮かべた瞬間、俺は体を捻り体当たりをしようとする。

 が、そう動こうとしたのと同時に、ジェスカに容赦なく再度頭を壁に叩きつけられた。


 先程までのニコニコ顔が嘘のように、ジェスカは冷徹な無表情で俺を一瞥する。


 二度も頭を叩きつけられて、意識が混濁する。歯を食い縛って何とか自立するのが精一杯だった。

 まるで歯が立たない。


 このふたり、ただの傭兵じゃない。

 気配の殺し方といい、手際の良さといい、おそらくは暗殺稼業を生業としている者達だ。しかも相当の手練れだろう。


 俺も竜騎士見習い時代から武術の心得はあるが、その程度じゃ足元にも及ばない。




 俺を拘束する役割はサシャからジェスカへと交代。

 ジェスカの方が俺の腕のねじり上げ方がキツい。


 こんのオレンジ野郎……


 ジェスカは俺を拘束したまま、扉の開いている部屋へと足を踏み入れた。


「レリウス殿下。お望みのモノ、連れて来ましたよ」


 …………は?レリウス、殿下……?


 その名を聞いて、俺は目を見開いてソファに腰掛けていた男を見た。

 ジェスカに呼ばれた男はゆらりと立ち上がる。


 気づけばマルセイは床に力なく倒れていた。うつ伏せた身体からは緩やかに血溜まりが広がっている。




 この男を最初に見た印象。

 「似てる」と思ってしまった。


 そう思ったことが自分でも嫌だったし、ヴァンにも申し訳なかった。


 長く美しい絹のような白金の髪。褐色の美しくきめ細かな肌。

 着ている服はマルゴーン絹織物の上等な貴族服だろう。

 彼のために作られたかのように、その均整のとれた美しい体躯を引き立てている。


 唯一まったく違うと感じたのは瞳の色だった。

 ヴァンと同じく切長で凛とした目元だが、この男の瞳の色はまるで膿んだ血のように赤黒く、澱んでみえた。



 マルゴーン帝国第七皇子、皇位継承順位5位。

 レリウス・ドレア・マルゴーン。



「なんで……アンタが、こんなところにいるんだ」

 俺はレリウスを凝視したまま、そう呟くしかなかった。


「やぁ、グレイ。会いたかったよ。なるほど、お前が歴史を予知する者か」

 レリウスはそう言い、まじまじと俺を眺めながらふっと笑いかけた。


 ——その瞬間。


 俺に信じられないことが起こった。

 そのことに俺自身が何よりも驚き、そして戦慄した。


 鼓動が一気に早まるのを感じる。全身に熱が昂るのを抑えられない。

 理性以外の全てが。本能が身体が。


 この男に惹かれていた。


 レリウスは俺の表情が変わったことに気づき、少し驚いたような顔をする。

 やがて満足げにゆったり微笑みを浮かべ、指先で俺の頬に触れた。

 それだけで、頬から電撃が走るような甘い痺れを感じた。


「……へえ、面白い。予知を持つが故の反応か?随分と情熱的な顔をしてくれるじゃないか、グレイ」

 レリウスのその言葉に、ようやく自分自身に起こっていることの正体が理解できた。




 俺の予知が、本来あるべき歴史の流れの中心はこの男なのだと、そう告げていたのだ。


 この世界の歴史を誰も歪曲しなければ、この男が世界に君臨し、すべてがこの男に帰着することを、俺の中の予知は知っていた。


 この男が俺にとって必然の運命かのように、心惹かれ、導かれる強制力。

 それを俺は全身に感じていた。




 冗談だろ。やめろ、ふざけんな。


 自分の予知をこれほど疎ましく思ったのは、多分生まれてはじめてだった。

 レリウスを前に、自分がこの上なく惚けた顔をしているのが嫌というほどわかった。


 それでも。

 今この世界で最も近寄ってはならない男を、歯を食いしばり俺はまっすぐに睨みつけた。

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