ep29 予感を残して

「ヴァン……今日はすまなかった。

 したくもない話をさせて。俺の話を聞いてくれて」

 俺は気持ちが落ち着いた頃、ようやく顔をあげてヴァンにそう言い、突然の訪問と自分の不甲斐なさを詫びた。


「謝る必要はない」

 ずっと隣にいてくれたヴァンは微笑んでそう返す。


 目の前に広がる砂漠はまだ夜の静寂に包まれているが、東の空がわずかに白じんできていた。

 夜明けが近い。




 ヴァンが静かに立ち上がった。

「……そろそろゼクスが目を覚ますだろう。気をつけて帰るんだ」


「え、ああ。そっか、そうだな」

 ヴァンと別れることを唐突に思い出し、俺はそう呟く。


 俺のその言葉にヴァンが静かに笑う。

「……グレイ、言葉にも顔にも出過ぎだ」


 離れがたいという心の声がダダ漏れだったようだ。


 ヴァンはそんな俺を静かに見やり、そのまま背を向けてしまった。

 俺は少し寂しい気持ちになってその背中を目で追う。


「待ってくれ、ヴァン。あの……」

 書斎に戻ろうとするヴァンに慌てて俺は声をかけた。

 もう少しだけ、傍にいたい。


 だが、ヴァンは歩みを止めない。

 俺は咄嗟に立ち上がり、ヴァンの手を掴んだ。

 掴んだヴァンの指先は温かく、心地よい熱を帯びていた。

 そういえば今日はじめて彼に触れたのだと思い至り、俺は少し緊張する。


 ヴァンも突然手を掴んだからか、ビクリと身体を強張らせた。


「どうしたんだ、グレイ」

 俺の方へは振り返らず、顔だけこちらに向けてヴァンが尋ねる。


「えっと、その……」


 何て言うべきだろうか。

 色々考えを巡らせてみるも、ヴァンは結局俺の真意など一瞬で見抜く。言葉を飾る必要なんてない、という結論に至った。

 だから、俺は直球で行くことにした。


「ヴァンに触れたい。もちろん、やらしー意味で」

 あまりに直球な俺のその言葉に、ヴァンは一瞬眉を顰めて固まった。

 そして呆れたように俺を見上げる。


「……グレイ、君というやつは。もう少し言い方があっただろう。情緒とか自制心というのはないのか?」


「悪い。でも正直に言うべきかなと思って」


 ヴァンは悪びれもしない俺に呆れるように笑ったが、すぐにその瞳を伏せて首を横に振った。


「……今日は触れて欲しくない」

 そう言って、ヴァンは俺の手を振り解こうとする。

 だが俺は手放すことをせず、むしろ強く掴み直した。


「なんで触れちゃダメなんだ」

 食い下がる俺。


「わかるだろう。私が汚いからだ」

 ヴァンは顔を曇らせて、小さく言い捨てた。


「ヴァンは綺麗だ。汚くなんかない」


「グレイ……さっきまで私が何をしていたか知っているだろう。君は情事の直後に別の男と平然とまた触れ合えるほど、節操がないのか」


「いや。ちょっ…………とは気にするけど」

 正直気にならんと思いながら、そう言う。


「……君に節操がないのはよくわかった」

 そうでした。ヴァンは嘘を見抜くんでした。


「グレイ。私は今の居場所を得るために、自分自身を守るために。君には到底言えないような、感情や行為を持って、あらゆる人間に擦り寄り、寄生し、ここまで来たんだ」

 ヴァンは俯いたまま、自らを蔑める言葉を並べていく。


「汚くて醜くて。どうしようもなく愚かなんだ。

 ……君にそんな感情をむけられるに値する人間じゃない」


 頑なに俺の申し出を拒むヴァンに、俺はちょっと腹が立ってきた。



 汚いわけないだろ。

 ヴァンはいつだって綺麗だ。

 俺はどんな時も触れたいと思う。


 それなのに当の本人がそれを否定するのか。



「わかった。ヴァンが嫌ならこれ以上はもう触れない」

 俺はヴァンを憮然と見つめたままそう言った。


「もう二度と触れない。もし未来で再会することがあっても絶対触れない。俺はヴァンが好きだけれど、君に欲望をぶつけることは今後一切しない。

 もし君を想って我慢できなくなったら、別の男を抱いて君を想うことにする」


「……そこまで拒んではないだろう」

 ヴァンは呆れ顔で俺を咎める。


「だいたい汚いってなんだよ。意味がわからない。納得できる説明をしてくれ」


「君は私が何を言っても納得しないだろう。無意味な問答だ」


 相手の気持ちを汲まない俺に、頑なに拒否を続けるヴァン。

 俺たちの気持ちは完全なる平行線となり、手を繋いだまま口論がはじまってしまった。


 ……側から見れば、滑稽な痴話喧嘩にみえたことだろう。




 俺はヴァンを掴む手の力を少し緩めて、俯き呟く。


「……久しぶりに会えて嬉しかったのに」

 淋しげにちらとヴァンを見やる。


「……次いつ会えるのかもわからないのに」

 少しだけヴァンの手に指を絡める。


 そう、泣き落とし作戦に出てみている。

 ヴァンはそんな俺をじろりと一瞥。

 言葉に嘘はないが、作戦はバレバレのようだ。


 俺は諦めて、静かにヴァンの手を放した。

 ヴァンは頑なだった。本当に触れられたくないのかもしれない。

 多少ごねたが、無理強いはしたくない。


 ヴァンは無言のまま、ようやく放された手を力無く下げると、長い溜め息をつく。

 そして。

 立ち去るかと思いきや、ヴァンは俺の肩に額を乗せて寄りかかってきた。


 思ってもなかったヴァンの行動に、俺は「え」と小さな声をあげて硬直してしまう。


「……もういい、わかった。強がりはやめよう」

 泣き落とし作戦は、まさかの成功を収めていた。

 

「本当はあんなところをグレイに見られて怖くなったんだ。君に幻滅されただろう、と。以前のような気持ちを向けてはくれないだろう、と。

 だから拒まれる前に自分から拒んだ」

 ヴァンは俺の肩に顔を埋めたまま、そう溢した。


 ヴァンの肩にそっと触れると、無言で額を肩に擦り寄せてくる。

 えぇえ……何このかわいい生き物?


「……そんなわけないだろ」

 俺がそう言ってヴァンの頬を撫でると、ヴァンはようやく顔をあげた。


 俺とはまだ目をあわせてくれないが、悩ましげな表情をしていた。

 頬を紅潮させ、少し潤んで熱を帯びた琥珀の瞳。

 あの夜と同じ扇状的な瞳だった。

 自分の理性が一気に吹っ飛びそうになる。


「……もう一度言うよ、ヴァン。君に触れたい」

 その瞳から目を逸らさないまま、俺はもう一度ヴァンに触れる許しを乞う。


 ヴァンもようやく俺を見上げる。

 互いの息づかいがわかるほどに近い距離で、俺とヴァンは見つめあった。


「……グレイ。本当は顔を見た時から、ずっと。私も君に触れたくてしょうがなかったよ」


 ヴァンのその言葉を聞いて。


 俺はヴァンの顔を両手で包み込み、優しく口づけた。

 唇が触れた瞬間、ヴァンへの愛おしさが込み上げた。


 抱きしめて、ヴァンの瞳を見つめて、もう一度唇を重ねる。ヴァンも待ち侘びたかのように俺に身体を寄せ、口づけを返す。


 何度か短く唇が触れた後、口づけはすぐ深いものになった。互いの舌先に触れ、入り口でなぞりあい、さらに奥で絡める。

 ヴァンは甘えるように舌を絡めては、より深い角度で口づけてきた。


 互いの身体に腕を回して強く抱きあい、たまに琥珀と灰色の瞳で見つめあう。

 視線が絡む度に、身体の奥から情欲が湧きあがった。


 もっと触れたい。


 そう思ったら、止められなくなった。

 ヴァンの服の中に手を伸ばし、背中や腰へ手を這わせて、衣服を乱す。


 口づけと抱擁のその先に行こうとしている俺に気づき、ヴァンが少し慌てた。

「……っ……グ、レイ、待て。これ以上は……」

 上擦った声でヴァンが俺を制止しようとする。


 俺はヴァンの身体に触れることをやめない。

「……もっと触れたい。ヴァンは嫌か?」

 自分でもわかる。あり得ないくらい興奮してた。


「……っ嫌、じゃない。……だが、そろそろ……」


 少し顔を離してヴァンを見ると、ヴァンはこれ以上ないくらい蕩けた顔をしていた。


 抱かれたくて堪らない、そんな顔。

 そんな顔で拒まれても説得力ゼロだ。

 そして俺もきっと今。

 抱きたくて堪らない顔をしている。


 俺がより深く交わろうとヴァンに身体を寄せた、その時。


「元気でた。盛るなグレイ。帰るぞ」

 まったく空気を読まない男ゼクスが、俺とヴァンの時間をぶち壊した。



+++++



 はじまるかと思われた俺とヴァンの甘く激しい時間は強制終了。サンドレア王国に戻らざるをえなくなった。

 俺はゼクスに、頼むからあと数時間寝てろと言ったのだが、帰るの一点張り。


 挙句「そんなに盛りたかったら、帰ってからヴィルゴとすればいいだろ」などと、情緒のカケラもないことをゼクスは言いやがった。

 ……いや、まぁ、俺も人のこと言えんけど!


 言い訳しようとヴァンを見たら、

「私は気にしない。なんとなく…そんな気はしていたし。ヴィルゴ殿も君のようなタイプは好きだろうし」

 そんなことを言って、あらぬ方向を見ていた。


 マジで覚えとけよゼクス!




「えっと……また、グレイ」


「あぁ、ヴァン。……その、また」


 若干のやりづらさは残ったものの、俺とヴァンは以前同様、短い別れの挨拶を交わした。


 でも以前の別れとは違った。

 互いに「また」と言い、再会を予感させる別れだった。


 きっとまた会える。

 これは予知じゃなく、予感だ。


 雄大な砂漠の空は、緩やかに明るさを帯び、夜の静謐さから明けはじめいた。


 ゼクスが欠伸をしながら「転移」と呟く。

 転移の眩い光の中。

 俺とヴァンは互いが見えなくなるまで、見つめあっていた。

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