ep28 琥珀の約束

「……ヴァン。ゼクスはいつも、ああなるのか?」


「そうだな。ここに来るといつも、ああやって休憩してから帰っている」


 ヴァンの書斎からバルコニーへ出て左手に進むと、そこにはヴァンのグリフォン、モルローの専用厩舎がある。

 俺たちの視線の先、その厩舎の中でゼクスは丸くなって眠っていた。

 モルローの翼に包まれて。まるでグリフォンの雛のように。


「彼が使う『転移』とやらは、移動距離があると大きく力を奪われると言っていた。回復するには生命力のある生物に寄り添うのが効率的とも」


 なるほど、わからん。

 ヴァンも興味深げにゼクスを観察している。


 はじめてゼクスがマルゴーン帝国に転移して来た時、そんなことを言って勝手にモルローの上で寝はじめたのだそうだ。

 以来、ゼクスは来る度ここで一眠りするらしい。


 グリフォンは力関係に敏感な動物だが、ゼクスには威嚇すらせず一目見ただけで懐いたそうだ。

 異能力を持ってすれば、ゼクスがこの大陸で負ける者などいないのかもしれない。

 グリフォンにとっても、ゼクスは圧倒的強者なのだろう。


 「寝る」と言って突然モルローの上で眠りしだしたゼクスを見届け、俺とヴァンはバルコニーの長椅子に並んで腰掛けた。




 見晴らしの良い場所だった。

 地平線まで夜の静かな砂漠が続いている。

 砂漠からバルコニーに吹き抜ける乾いた風が心地よい夜だ。


「ここはマルゴーン帝国皇宮内にある第七皇子の私有地の一角だ。私と彼だけが自由に出入りできる。人目につくことはないから安心してくれ」

 ヴァンはそう言うと、俺に視線を向けた。


「先程、書簡を受け取った時に聞いた……グレイは第七皇子のことを知りたいのだろう?」


 俺はその言葉に思わず俯く。

「あぁ、その。君がよく知る人物なのだと、ヴィルゴ宰相閣下が言っていたんだ。それで……」

 俺はヴァンを見ることが出来ず、俯いたまま言葉を搾り出した。


 正直、この話をヴァンとしたくなかった。

 もう十分に、答えを思い知っていたから。


 ヴァンはそんな俺の感情を見透かしたのか、少し躊躇うような表情を見せ、遠くの砂漠へと視線を移す。


「……君の想像通り。先程の私の相手が、第七皇子だよ」

 ヴァンは静かにそう告げると、彼との関係について語りはじめた。




「彼は私の兄なんだ、母親は違うけれどね。私は帝国皇子の皇位継承順位の末席。私の嘘を見抜ける能力と、容姿がね、彼のお気に入りなのだそうだ」

 ヴァンはその瞳を伏せ、自嘲気味に笑う。


 ヴァンの美しい瞳を曇らせて。

 ヴァンが語りたくもない話題を持ち出して。

 言葉にさせているのは、俺だ。


「表向きは仲の良い兄弟として、振る舞っている。そうしろと言われているから。だが、実際のところは。私は支配されて飼われているんだ、彼に」


 ヴァンは日中、常に第七皇子の傍に控えているのだそうだ。

 そして、彼の周りを取り巻く者達の嘘に飾られた言葉を聞き分け、第七皇子に有益な情報を引き出す。


 そして夜は第七皇子の慰み者となる。


 彼はヴァンを愛しているわけではなく、特別な能力と秀でた容姿を持つヴァンを所有していることに、快楽を得ているのだという。

 だから、所有欲を満たすような扱いをして愉しむこともあれば、ヴァンの知らない男たちに彼を嬲らせ、辱めることすら愉しむ。


 それがさも日常かのように、淡々と話すヴァンの姿に俺は心が冷え込んだ。

 なんという残酷な日々をヴァンは送っているのか。




 そして第七皇子には、ヴァンが嘘を見抜く能力を持つように、特別な力があると教えてくれた。

 『幸運を引き寄せる』力だと言う。

 それは『運が良い』の範疇を明らかに超えるような強運。


 その強運は、まるで彼が皇帝になることを後押しするような時に発揮される。


 少し前まで尋常ならざる速度でマルゴーン帝国は侵略の手を広げていたが、それらもすべて第七皇子自ら遠征に赴き、強運で勝ち得たものらしい。


 そして、その強運を持って帝国に恩恵をもたらし、周囲の信頼と忠誠を掌握し、今や最も時期皇帝の座に近い地位を築いているのだそうだ。




「この国では誰もが第七皇子のことを、心優しく賢明で未来の皇帝にふさわしいと、そう言うんだ。

 ……恐ろしい話だと思った。彼ほど偽りを重ね、残虐な行為を楽しむ人間を、私は知らない」

 そう続けるヴァンの瞳は、遠くの砂漠を見つめたままだ。


「だから私は決めたんだ。彼をこの国の王に据えてはならない、それを知る者として止めなくては、と」


 ヴァンは一度だけ、第七皇子に伴われヴィルゴに会ったことがあるらしい。その時、偽りで飾らないヴィルゴの姿に彼を信用できると感じた。

 だから、たったひとりでヴィルゴに会いに行き、助力を求めたのだそうだ。

 第七皇子が侵略戦争のため遠征へと赴いた、そのわずかな隙をついて。

 ヴィルゴと同じように、違う未来を手繰り寄せるために。


 現在、帝国が侵略の手を止めているのは、第七皇子のその強運が突然鈍くなったからなのだそうだ。

 その理由は俺にもわかった。ヴィルゴが歴史を歪曲しようと妨害しているからだ。

 おそらくヴァンもその一端を担っている。



 決定的だった。



 俺にとってヴァンの口から出たその言葉の数々は、予知の導く未来と道を違えるのに、決定的となる事実だった。


 弟であるヴァンを卑しく傲慢に扱い、冷徹に嗤う人間が。

 その残虐性と非道さをひた隠し、嘘を重ねて自身を美しく飾り立てる人間が。


 この大陸の未来を担っていいわけがない。



 

 ヴァンはすべてを語り終えると、ようやく俺の方へと視線をもどす。

 そして、俺を見下ろし困ったような顔で微笑んだ。


「……何をしているんだグレイ」


 俺は座っていた長椅子からも崩れ落ち、その場で小さくしゃがみこみ顔を両手で覆っていた。

 ヴァンの話を聞いているうちに、自分の短慮さ、選択の愚かさ、無知と無力さに死にたくなっていた。


 駄目だ。もう無理。


 ヴァンと世界中の人々に、俺は心の中で謝り続けていた。



+++++



 自分自身の愚かさに打ちのめされながら、俺は両手で顔を覆ったまま吐露しはじめた。


「……俺は自分が情けない。ずっと、ずっと間違ってた」

 ヴァンは静かに俺の言葉に耳を傾けてくれている。


「予知でこの世界を知り尽くした気になって。大陸統治なんて大それたことを願って。

 一番大切なメルロロッティ嬢の幸せすら危険に晒して」


 目指したその先が、実際にどんな未来かも考えずに。


 なんて、なんて愚かなのか。


 しゃがみ込む俺に、ヴァンは優しく尋ねた。

「グレイはなぜ、間違いだと思うんだ?」


「誰も幸せにならない道だからだ……ヴィルゴにもその道は悪だと言われた」


「ヴィルゴ殿が?」


「俺の予知は正しさの証明ではないと、多くの血が流れるその道は悪だと。そう諌められた。でも俺はその言葉に、どうしても納得できなくて」


「それなのに彼の侍従をやっているのか?」


「……それでも傍にいろと言われたんだ」


 その言葉を聞いて、ヴァンはクスクス笑った。

「ふふ、優しいなヴィルゴ殿は。そして君は愛されてる」


 それは俺も知ってる。


 あの人はやり方や言葉は粗野だが、周囲の人間をとても大切にしている。ゼクスもそれを知っているから、ヴィルゴから離れない。彼を慕っている。


「彼が君を傍に置いたのは、そのことに気づいてほしかったからだろう」


「……きっとそうだ。今ならわかる。だからヴァンのもとに行けと、言ってくれたんだ」


 項垂れながら言葉を溢し続ける俺に、ヴァンはずっと優しく微笑んでいてくれた。

 その優しさに、さらに俺は情けなさが込み上げた。




「……それで。これからグレイはどうするんだ?」

 しばらく俺の様子を眺めていたヴァンが、あえて尋ねてくれた。


 俺は俯いたまま、首を静かに横に振る。

「わからない。上手く気持ちの整理がつかない」


 思考放棄して自己嫌悪に陥っている俺には、先のことなど考える余裕などなかった。

 自分が心の支えにしてきた目標が足元から崩れ去ったのだ。


 新しい道など、どう探ればいいのか。


 俺の言葉を聞くと、ヴァンは手で口元を覆い何か考える仕草をした。

 それから俺を覗き込むように首を傾げてこう言った。


「ならば私から、君にひとつ提案を」


 優しい口調のまま、ヴァンは言葉を続ける。

「叶うのなら、私はまた君に会いたいと思っているよ」


 その言葉に俺は覆っていた両手からゆっくり顔をあげた。


「本来の君の予知が導く未来には、きっと私はいないのだろう。それは私が辿り着きたい未来ではないからね。

 だが私が願う未来であれば、当然私はその未来にいる。だから、もし。君もまた私に会いたいと、そう思ってくれるのならば。

 グレイ、君には私と同じ未来を目指してほしいんだ」


 ヴァンは顔を上げた俺と視線を合わせると、慈しむようにその瞳を細めた。

「ヴィルゴ殿のもとにいれば、きっと目指す場所は同じだ。君が願うメルロロッティ嬢の幸せも必ずそこにある」


 そう言葉を続けたヴァンの琥珀の眼差しは、優しくも強いまっすぐな光を宿していた。


「私と同じ未来を目指せグレイ。その未来で私はまた君に会いたい」



 その言葉に、その瞳に。

 俺の心臓が跳ねた。



 聡明で気高く、眩いほど綺麗で。

 俺より年上なのにこんなにも華奢で。

 その笑顔は誰よりも可愛いくて。 


 こんなにも美しい人が存在するのか。

 こんな人が俺に道を示してくれるのか。


 自分の鼓動が高鳴る。

 顔が熱を帯びていくのがわかった。


 俺はそんな自分自身に戸惑いながら、ヴァンの言葉に黙って頷く。

 そしてたった一言、言葉にするのが精一杯だった。



「約束する」



 その言葉を聞いたヴァンは心から嬉しそうな笑みを俺に向け「約束だ」と返してくれた。

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