ep22 正しさと悪

「いやよ」


 メルロロッティ嬢は即答だった。


「グレイは私の従者よ。誰にも譲らないわ」

 相手が王国宰相にも関わらず、淡々と拒否する。


 その言葉が嬉しすぎて、変な声がでる俺。

 咳払いして誤魔化すが、多分ふたりにはバレている。


 彼女の返答は想定内だったのか、ヴィルゴ宰相は顔色ひとつ変えず言葉を続けた。

「一時的に借り受けたいだけだ。サンドレア王国のため、グレイの予知を必要としている」


 俺はもう一度咳払いをし、ヴィルゴ宰相に現状を伝える。

「ヴィルゴ宰相閣下、申し訳ございません。私の予知は今、情勢とのズレが起こっています。お力にはなれないかと」

 事実であり、断りの理由の補足でもある。


「構わない。それでも私は君が欲しい」

 鋭い榛色の瞳で俺を見つめ、そう言い放つヴィルゴ宰相。


 おぅ……♡

 この台詞、別の機会にもう一回言ってほしいな。




 メルロロッティ嬢とヴィルゴ宰相は互いに一歩も引く様子はない。

 しばらく無言で火花を散らしていたが、この沈黙を破ったのはメルロロッティ嬢だった。


「ヴィルゴ宰相閣下。どうか諦めてお帰りを。スノーヴィア領はサンドレア王国との再びの盟約は望まず、協力も一切しない。

 私たちはマルゴーン帝国の手をとります。グレイの予知を信じて」


 その言葉にヴィルゴ宰相は怪訝な顔をした。

「……あの侵略国家の手をとるのかね。あれに力を貸して大陸統治など目指せば、どれだけの血が流れると思っている」


 これには俺が反論する。

「ヴィルゴ宰相閣下。貴方が守ろうとしているサンドレア王国は滅びます。イタズラに延命措置をすることこそ、多くの血が流れるのではないのですか」


 俺の言葉に、ヴィルゴ宰相は首を振りながら深い溜め息をつく。

 そして、再び俺を見つめてこう言った。


「グレイ。君の予知は正しさの証明ではないよ」


 呆れるように言い捨てられたその言葉に。込められた侮蔑に。

 俺はどろりとした情動が沸き上がった。

 自分が信じるものを否定されたことへの、許しがたい感情。


「予知が導くものが、この世界で多くの血が流れる選択なのであれば、それは悪だ。君の成そうとしていることは悪だよ。正しい行いではない」


 はっきりとそう言い切ったヴィルゴ宰相の言葉に、頭を鈍器で殴られたような感覚になる。

「……多くの血を流れる選択をした貴方に、言われたくはありません」


「言ったろう。あの時私にできた最も犠牲の少ない選択だ」


「では、貴方が私の予知を欲しがる理由は何ですか?私の予知は正しくないのでしょう」


「あぁ。私の選択が間違っていないかの答え合わせに使いたいだけだ」


 だんだんと声を荒げて余裕をなくす俺。

 そんな俺を冷めた目で見据え、ヴィルゴ宰相は最後にこう尋ねた。



「予知の導きで多くの血が流れた先にあるものが、君は欲しいのか?何のために。誰のためにだ?」



 ゲームクリアするための大陸統治。

 それを悪役令嬢のメルロロッティ嬢の幸せとともに。


 とても言葉にできなかった。


 動揺で焦点がずれ、視界が歪んだような感覚になる。

 乾ききった唇を動かし、何か言葉を搾り出そうとした、その時。




 応接間の扉が破れんばかりの勢いで開け放たれた。



 扉を開いたのは、抜剣したハーシュだった。

 ハーシュは応接間室にいる者の顔を見るや否や叫ぶ。


「ご令嬢の安全確保を!」


 その言葉と同時に、壁側に待機していた衛兵たちがメルロロッティ嬢を囲んだ。

 俺はハーシュに引き寄せられ、部屋へと乱入した竜騎士たちの後ろに庇われる。乱入してきたのはハーシュもだが、ダングリッド団長にクラウス副団長までいた。

 そして不可解なことに、メルロロッティ嬢ではなく、俺を囲うような布陣になっていた。


「こいつだグレイ」

 ハーシュがそう言って視線を逸らさない相手。

 ヴィルゴ宰相の傍に佇む側近を睨みながら、ハーシュが言い放った。


「お前を狙ってたヤツだ」


 その言葉を聞き、ずっと微動だにしなかった側近がはじめて首を動かした。まっすぐに俺を見る。

 緊張の走る応接室に流れる沈黙を破ったのは、ヴィルゴ宰相だった。


「やれやれ。結局一番手のかかる方法になったな。……ゼクス、何か弁明は?」

 ヴィルゴ宰相は側近をジロリと見上げた。


「知ったことか」

 ゼクスと呼ばれた側近は、ぶっきらぼうに答えた。

 女……?いや、男か?

 声音がどちらとも取れない中性的なもので、判断がつかない。


 くすんだ乳白色の髪に、暗闇でも光りそうなほど明るい眼孔の瞳。

 艶やかな暗い肌色で、何となくシカーテ諸島の出身だと思っていたのだが、よく見ると青がまじっているような異質な色に思えた。


「オレが連れ帰れと言われた男は、ソレじゃない」

 側近はつんとした顔で、俺から目を逸らす。


「アシュレイ・ノートリックという男だ」


 しん、と静まりかえる応接間。

 側近以外、全員が俺のことを見ている。


 えぇ……俺が言うの?


「えっと……」

 俺はバツの悪い顔でそろりと手をあげた。


「それは、間違いなく俺ですね」


 俺の本名はアシュレイ・ノートリック。

 グレイは愛称だ。


 メルロロッティ嬢やポレロ辺境伯をはじめ、スノーヴィア領の多くが俺をそう呼ぶ。

 異国の言葉で『灰』を差す言葉。俺の瞳と髪の色。


 あまり俺のことを知らない者は、俺の本名をグレイだと思っているだろう。

 ……コルトーあたりは絶対そう思ってそう。


 そう名乗り出た俺のことを、側近はもう一度凝視する。

 俺の顔、というより頭上の虚空を睨み、不愉快そうに眉間に皺を寄せて。


「……アシュレイ・ノートリックという男はどこにもいなかったと報告を受け、グレイは死んだのかと確認も兼ねてここへ来たのだが。まったく、そういうことか」

 ヴィルゴ宰相は呆れた顔で顎鬚を撫でながら呟く。

 ここへ来た時、ヴィルゴ宰相が俺をみて驚いた表情をしていた理由はそれか。


「いつも言っているが、ゼクス。情報は正しく伝えろ。本名ではなく、その者が『自分自身と自覚している名』を辿ることができるのだろ」


 側近は黙ったままだ。図星だったらしい。

 ヴィルゴ宰相は大きな溜め息をついて、悠然とソファに腰掛けたまま言葉を続けた。


「挽回の機会をやろう、ゼクス」

 俺はその言葉にぞわりと悪寒が走る。


「この場を制するんだ」




 言われた側近はまず、彼の体に纏わりついていたエルマーを指さしながら言葉を紡いだ。


「障壁展開」


 その言葉とともにエルマーの周囲に光の点と線が出現する。それらは三角錐のような図形を描き、取り囲んだエルマーを宙へと飛ばした。

 ……なんだ今の!?


 次に側近は自身を取り囲む竜騎士の中で、一番前に出ていたハーシュを指さす。


「捻じ切れ」


 ゾッとする響きの言葉。

 もう俺にはその動作と言葉の意味、この現象が何かを理解していた。


「あっ…がっ…?!」

 ハーシュは突然膝をつき首元を押さえて苦しみ出した。

 首の周囲には、先ほどとよく似た光の点と線が歪な円を描きながら収縮し、ハーシュの首をズブズブと捻り潰していっている。

 突然の出来事に竜騎士たちは驚愕し戸惑って、動けない。


 そりゃそうだ。

 こんなの。こんな能力。

 本来、この世界には存在しないのだから。


 俺はゼクスと呼ばれた側近に言い放つ。

「能力を使うのをやめろ!」


 ゼクスは指を下ろさない。


「ヴィルゴやめさせてくれ!」

 無表情で静観しているヴィルゴ。


 そして俺は一番まずい状況になっていることに気づく。


 メルロロッティ嬢が衛兵から剣を奪いとり、ゼクスに斬りかかろうとしていた。

 その瞳をすでに紅く緋く染めて。

 本能的に、今この場で最も脅威となる者を排除するために。


 駄目だ、駄目だ!メルロロッティ嬢!

 あいつは貴女の殺気に気づいている!


 ゼクスが振り向きざまに彼女を指さそうとする姿を目で追いながら、俺は反射的に叫んでいた。


「ヴィルゴ!俺はあんたにつき従う!それでいいだろ!?」


 ヴィルゴはそれを聞くと、ゆらりと微笑んだ。

「ゼクス、やめるんだ」


 ゼクスは全ての動きを止め、顔色ひとつ変えずに指を下ろした。

 同時にハーシュは気を失いその場で崩れ落ちる。

 メルロロッティ嬢は凍りついたように動きを止め、まっすぐ俺を見つめていた。

 瞠目する彼女に俺は目をあわすことができないでいた。




 ヴィルゴはゆっくりとソファから腰をあげ、ゼクスに「よくやった」と労いの声をかける。


 ヴィルゴが王族やラヴィたちの処刑の後、圧倒的にも思える手段とスピードで事を運んでいた理由はこれだったのか。

 手に入れていたのだ。

 飛竜騎士団にも劣らぬ圧倒的『異世界の力』を。


「自ら私を選んでくれて嬉しいよ。グレイ」


 満足そうなヴィルゴは立ち尽くす俺のもとにくると、メルロロッティ嬢と竜騎士たちの方へと振り返った。


「では、用は済んだので招かれざる我々は退散しよう。ご機嫌よう、スノーヴィアの諸君」

 ヴィルゴが笑うのと同時に。

 ゼクスは静かに、しかしはっきり聞き取れる声でこう呟いた。


「転移」




 ヴィルゴ一行と俺は、その場から消え去った。

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