ep12 言えるわけないじゃない

 スノーヴィア領に到着した翌朝、俺は夜明けとともに目覚めた。

 従者になってから、俺は必ず夜明け前に目覚める。

 そういう習慣が染みついてしまった。


 まずは身なりを整える。

 従者の証たる光沢のある黒のテールコート、白い手袋と黒皮の靴。懐中時計もポケットに忍ばせる。

 髪は邪魔にならないよう後方へと流し、磨いた銀縁の眼鏡をかける。


 準備が整うと、食堂で軽く朝食を済ませ、メルロロッティ嬢の私室へと向かう。

 彼女の身支度は侍女たちが行うが、起こすのは俺の仕事だ。

 夜が明け、朝日が最も美しく輝く時間に令嬢の私室へと赴いた。


 メルロロッティ嬢の私室前。扉をノックしようとして俺は気づく。

 彼女はすでに起床しているようだ。

 顔を引き締め直して優しくノックをし、俺は静かに扉を開いた。


「おはようグレイ。おかえりなさい」


 数日ぶりの我が麗しの令嬢。

 朝の光に包まれたその姿は、寝巻き姿と言えど女神と見まごう神々しさだ。


「おはようございます。お嬢様」


 再会をキリッと決めたかったのだが。

 俺の顔は今、デレッデレに蕩けた顔をしているに違いない。




「お側を離れている間、お困りごとなどありませんでしたか?」

 そう言いながら、俺はメルロロッティ嬢の私室で紅茶を淹れていた。

 身支度をすませて朝食まで時間がある時、こうして彼女は紅茶とほんの少しの甘いお菓子を嗜む。


「大丈夫よグレイ。それより王城に置き去りにして悪かったわ」


「気になさることは何もありませんよ。今こうしてお嬢様のもとにいられることこそ、私の幸せですので」


 王城のサロンを木っ端微塵にしたことより、俺をひとり残したことの方が彼女は気になっていたらしい。


「侍女のアグナとソネア、お嬢様のお荷物もあと数日でスノーヴィア領にもどる予定です。まもなく会えますよ」


 メルロロッティ嬢は俺と同様、いやそれ以上かもしれない。侍女たちを気にかけていた。

 ふたりは俺よりも長く令嬢の専属侍女をしている。ちょっと妬けるが、彼女たちとの絆は深い。


 メルロロッティ嬢は一瞬安堵の笑みを浮かべるが「そう」とそっけなく返事をした。



+++++



 ポレロ辺境伯とメルロロッティ嬢の朝食後。俺を含めた三人は、今後の作戦会議をする運びとなった。


「ど~しようかねぇ~」

 ポレロ辺境伯は緊張感のない声でそうぼやいた。


 お察しかもしれませんが。

 この辺境伯、めちゃくちゃマイペースな人なんです。


「うちはさ~飛竜騎士団のおかげで軍事力はあるけど。土地が貧しいから食糧は他所に頼らないと困るでしょ~?

 でもマルゴーン帝国かぁ~グレイ君は実際のところどう思う?」


「帝国は基本的に他国を侵略し占領しますが、現状はスノーヴィア領へ侵攻する意思はないでしょう」

 それが出来たら、とっくにしているハズだ。


「だからこそ。王国と離縁したこの機を逃さず属領とするため、武力に訴えずとも強く出てくる可能性はありますね」


「だよね~強気に出られるのはイヤなんだよなぁ、ぼく~」

 ソファにみょーんと伸びながら、眉をハの字にする辺境伯。

 なんて愛らしいおじさんなんだ。

 メルロロッティ嬢に同じ血が半分流れていることに、生命の神秘を感じてしまう。


「領民が戦火に巻き込まれず、飛竜たちが自由に空で生きられる条件であれば。私は何でも構わないわ」


 メルロロッティ嬢は言うなれば、ドラゴン過激派だ。

 飛竜たちが健やかであれば他はどうでもいいと思ってるタイプ。

 「飼い慣らせ」なんて侮辱されようものなら、王城のサロンを吹っ飛ばして黒竜召喚するタイプ。


 スノーヴィア領と飛竜たちが健やかであること。

 そうあることが、彼女の幸せに直結している。

 だから、俺はそのために。

 すべきことを進言し、できることは何でもやるのだ。


「ひとつご提案が」


 俺はふたりに伝えるべき本題を切り出した。


「侵略を受けず、属領とされず、マルゴーン帝国から同盟領として後ろ盾を得る。お嬢様が望む形に最も近く、今の状況であれば……実現可能な方法は、あるにはあります」


 俺の歯切れの悪い物言いと顔をみて、ふたりには予想がついたようだ。

 辺境伯は顔をしかめ、メルロロッティ嬢は顔を少し曇らせた。


「帝国の皇子との婚約、かぁ」

 溜め息まじりに、ポレロ辺境伯はぼやいた。


「マルゴーン帝国の現皇帝はまもなく崩御されます。帝国は世襲ですが、王位継承権を持つものの中から最も人望があり、益をもたらし、覇王たる資格のある者が選ばれます。必ずしも第一継承権を持つ者が次代の王になるとは限りません」


 ゲームで何度もみたポップアップ表示。

 マルゴーン帝国がサンドレア王国へ度重なる侵略をしている最中に、帝国情勢のポップアップ表示がでるのだが、そこに記された次代の皇帝はいつも同じだ。


「皇位継承権第5位におられる第七皇子。彼が次代の皇帝です。

 彼の皇妃となる道が、お嬢様の願いに最も近い未来を描くことができるのではないかと」


 俺はメルロロッティ嬢に目をやった。

 彼女は曇った顔で俯いたままだ。


 当然だ。

 王都であんな思いをした婚約破棄、その直後にまた別の婚約の話をしているのだ。


 それは要するに。

 メルロロッティ嬢が毛嫌いする流行りの婚約破棄とその後のロマンス、そのものなのだから。


 しばらく俯いていたメルロロッティ嬢は、顔をあげるとまっすぐ俺を見つめ返してきた。


「構わないわ。それで行きましょう」

 迷いのない、強く美しい翠の瞳だ。




 メルロロッティ嬢は外の空気を吸いたい、と部屋から出て行った。

 俺はポレロ辺境伯に留まるよう目で促される。


「グレイ君はさ~ロッティのことどう思う?」

 ロッティとはメルロロッティ嬢の愛称だ。たぶんこう呼ぶのは彼女の家族だけだろう。


「あの子、幼い頃に時期当主の天啓を受けて。多感な頃には王太子との婚約が決まって。

 未来のこと全部決められちゃってたでしょ~」

 中庭に出ているメルロロッティ嬢を、ポレロ辺境伯は窓から少し寂しげな顔で眺めている。

 心から娘を心配する父親の顔だ。


「自由に生きたいとか、誰かと恋愛したいとか、ずっとこの人の傍にいたいとか。そういうのないのかなって……僕は思っちゃうんだよね~」


「もしお嬢様がそれを望むのであれば、私も全力でそのように致しますが……その。昔からそのような気配を一度も感じたこともなければ、伺ったこともございません」

 俺の言葉に、ガバッと辺境伯が振り返る。


「えっそういう話したことないの?」


「ないです」


「ふたりとも年頃なのに?いつも一緒なのに!?」


「ないですね」


「えぇ……まぁ、でも。仕方ないか。グレイ君はそういうのただれてるから、恋バナとか出来そうにないもんね~」


 おい失礼だろ。おっさん。

 だが、しかし。そう言われてみれば。

 メルロロッティ嬢の恋バナ。確かに一度も聞いたことはないな。


 ポレロ辺境伯はハッした顔で俺を見上げる。

「だったら、ちょっとさ!

 今まさに婚約破棄されて自由な身なわけだし、ロッティに聞いてみてよ~」

 よもや辺境伯の顔は娘を心配する父親から、娘の色恋沙汰に首を突っ込みたいおっさんの顔に変貌している。


 確かに、聞いてみてもいいのかもしれない。

 メルロロッティ嬢もお年頃だ。

 気になる奴がいるなら、俺が今のうちに芽を潰し…いや、ご令嬢の寵愛を受ける資格があるかくらい見といておかないと。

 従者としてね、うん。


 というか、もし本当にいるのだとしたら。

 大きく計画変更せねばならない、最重要事項だ。




 メルロロッティ嬢は中庭で、ヒラヒラと舞い散る色とりどりの紅葉を静かに眺めていた。

 冬の訪れを知らせる秋風が少し冷たい。


「先ほどはお嬢様の気持ちを汲まず、不躾なご提案をし、申し訳ありませんでした」


 中庭へと赴き俺が頭を下げると、遠くをみたままメルロロッティ嬢は首をふった。


「いいのよ。グレイはいつも私のためを想って言っているのだから」

 中庭の風景も相まって、なんだか感傷的な雰囲気だ。


 ……これは聞いていいタイミングかもしれない。


「今から私がお嬢様に伺うのは、ここでだけの話。どこにも持ち出さないお話でございます」

 そして俺はこう続けた。


「もしお嬢様が立場に縛られず、自由に生きていくことができるのであれば。

 その時添い遂げたい想い人はお嬢様にはおられるのですか?」


 中庭に少し強い風が吹き抜け、色づいた秋の木の葉がぶわりと舞った。


「……どう、して。そんなこと聞くの」


 いつも感情など言葉に乗せない、メルロロッティ嬢の明らかに動揺した声音。


 思わず顔を上げた俺は、彼女の顔に目を見張った。

 メルロロッティ嬢は見たこともないような表情を浮かべていた。

 戸惑っているような、泣きそうな。どこか怒っているようにも見える、そんな表情。


 俺は彼女のその顔に、言葉を失う。


 え、どうして。

 どうして、そんな顔をするんだ。

 その顔は、まるで。


「二度と聞かないで」

 それだけ告げると、メルロロッティ嬢は俯いたまま俺の横を通り過ぎていった。


 俺は不安と動揺で立ち尽くしていた。

 もしかして、俺は。

 彼女の幸せを見誤っていないか?


 スノーヴィア領が侵略されず、飛竜たちが平穏であることが、彼女の最良だと言葉を鵜呑みにしていたが、そうじゃないのか?


 彼女には秘めた想い人がいて。

 本当は、その人との未来を願っているのだとしたら。


 俺は不安と動揺でうるさい鼓動を無視し、メルロロッティ嬢が中庭から出ていくのに遅れないよう、身を翻して後を追う。


 そして、彼女を後押しするような強い風が吹いた時。

 彼女の唇が動いたのを、見逃さなかった。


「言えるわけないじゃない」


 彼女が秋風に隠した言葉。

 聞いてはならない秘めた声を、俺は聞いてしまったのだ。

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