ep9 嘘つき男と

 無数の枝木が叩き折れる乾いた音、驚いた野鳥の羽ばたきと鳴き声が周囲に響き渡った。


 そして再び訪れる森の静寂。


 意識は、ある。

 手足は動くし、大地に激突した痛みは感じるものの、おそらく大きな怪我はしていない。

 生い茂った針葉樹の枝木がクッションとなり、衝撃を和らげてくれたようだ。


 ちなみにマルテは墜落寸前、俺たちを躊躇いなく振り落とし、身を翻して墜落を回避していた。

 ……好きだよ。お前のそういうとこ。


 起き上がった俺の腹の上には、グリフォンの乗り手がぐったりと横たわっている。

 こいつを庇うように堕ちた。

 俺よりは軽症なはずだ。


「おい、大丈夫か?」

 俺が乗り手を軽く揺すると、小さな呻き声とともにふらりと起き上がった。

 目深に被っているフードで顔は見えないが、若い男のようだ。


 空を見上げると、マルテが周囲を警戒しながら旋回している。


 ……今思えば、あのグリフォン。

 同種の中でもかなり大型じゃないだろうか。

 マルテも飛竜の中ではひとまわり大きいのだが、そのマルテが小さく見えるほどの巨体のグリフォンだった。


 あんな大型翼獣が興奮して暴れたら、人間が手綱ひとつで制御なんて不可能だろう。

 付近にその姿はない。

 鳥竜たちを追ってかどこかへ行ってしまったようだ。


 さて。

 まだ明るいが日は傾きはじめている。


 深い森に荷物も騎獣も失った男を放り出すほど、俺は冷酷無慈悲ではない。

 いいペースでここまで来れたし、マルテも休ませたい。


 今夜はこの付近で野営することにした。



+++++



 周辺を軽く探索し、川沿いに続く低い崖の下、奥まった岩場を野営地とした。


 マルテを少し離れた木に繋いでいる。

 飛竜がいれば獣に襲われる心配はない。野盗の類もしかり。


 焚き火を起こし、荷物を手の届く場所に運び入れ、テキパキと自分と男の身の周りを整える。

 手持ちの携帯用ポットで湯を沸かしながら、俺はようやく焚き火のそばに腰を下ろした。


「助けてくれて感謝する。赤飛竜の乗り手」

 はじめて男が喋った。

 ゆったりとしてはいるが溌剌とした澄んだ声音。芯の通った強さを感じる声だ。


 グリフォンに乗っていた男は焚き火から少し離れた場所に座っている。いまだフードを目深に被り、顔を見せようとはしない。


 ちなみに今の俺。


 平民が羽織るには豪華な装飾の黒い外套に、小ぶりだが見栄えの良い剣、一人旅にしては少し大きめの荷物を所持している。


 設定的には、王国北部の豪商の成金子息。


 高値で買い取った自慢の赤飛竜を伴い、商談のため王都へ赴いた帰り、ということにしている。

 まさにこういった時のための擬態ってやつだ。


 辺境伯家の従者とバレないに越したことはないが、無理に平民感を出すのは悪手だ。


 ふだんメルロロッティ嬢を前にした立ち居振る舞いを簡単に隠せるほど、俺は器用じゃない。

 それっぽさを残しつつ嘘をつくのが定石。


 今朝それを説明しながらこれらを着込んでいたら、ハーシュとコルトーに「ぽいわー」と感心された。

 あんまり嬉しくなかったが、おそらく擬態は完璧だろう。


 対するマルゴーン帝国の人間とおぼしきこの男。

 その容姿と振る舞いは、俺とは対象的に出自を物語っていた。


 明るいベージュの外套は、おそらく絹が混じっており光沢のあるきめ細かな厚みのある布地。

 目深に被り直したフードで顔はほとんど見えないが、透き通った明るい肌。

 帝国の民は砂漠の日差しにあてられるので、日焼けた褐色の肌をしていることがほとんどだ。

 しかしこの男の肌はそもそもが明るく、手入れされているのか、多少は日焼けしているがまるで荒れてない。


 貴族かそれに準ずる地位にいる証だ。


 そして何より。

 俺が野営地の準備をしている間、男は目で追うようなことはしないし、申し訳ないといった態度もみせない。ただゆったりと静かに座っていた。


 そして感謝こそするが頭を下げない。下げ慣れていない。

 間違いなく、上級貴族階級だろう。


 ……さて、どう情報を引き出そうか。


「俺はサンドレア王国北部の商家の者だ。

 グリフォンに乗っていたということはマルゴーン帝国の人間だろ?君の身なりから貴族階級に見受けられるが……」


 ある程度情報を隠さず与え、不信感を持っていないことや友好的であることがわかるよう、軽やかな笑顔で尋ねる。

 商家の息子ってのは国や出自関係なく金持ちぽいやつが好きだからな。

 俺の振る舞いは完璧なはずだ。


「よかったら力にならせてくれないか!」

 そう言ってさわやかに片手を差し伸べる俺。


 俺の対応に男はそっけない口調で返す。

「……心遣いには感謝しよう」


 む。思ったよりガードが固いなこいつ。


「私は帝国の人間だが、ただの平民だ。

このあたりには……そうだな、偶然立ち寄ったということにしておこう」


 しておこうって何だよ?

 男は流れるようにウソをつきやがった。


 あからさまな男の嘘に、一瞬妙な間が空いてしまったが、俺は男の嘘を聞き流すことにし、心優しい成金息子を続ける。


「……えーっと。名前を聞いても?俺はルークだ。君は?」


「私のことはハンスと」


 ハンス。

 帝国の、ハンス?

 待て。その名前聞き覚えがある。

 ……思い出した。

 誰もが知っているその名は。


「……帝国の有名な童話に出てくる少年の名だね」


「あぁ、同じ名前なんだ」


 誰にでもわかる明らかな偽名を名乗られる。

 ……マジでこいつ、なんなの?


「……とりあえず食事にしようか」

 俺はひきつった笑顔で、色々な言葉と感情を飲み込むことにした。




 食事をとる頃にはあたりはすっかり闇に包まれていた。

 少し肌寒いが、焚き火の暖かさが心地よい夜だ。


 何を尋ねても流れるようなウソしか返ってこない気がして、俺たちは会話のない食事をとる。


 俺は3日分の食料を持っていたので、男にもパンと燻製肉を切り分ける。

 警戒して食べないかと思い、切り分けている時点で自分で食べてみせた。

 男はじっと俺を観察していたが、特に警戒することなく頬ばりはじめる。

 食べ方もどことなく気品を感じた。


 食事をしている途中マルテが騒ぎだしたので、餌用の干し肉と香草を多めに与える。

 少し気が立っていたようだが落ち着いたようで、鼻を鳴らし始めた。


 慣れない人間と慣れない場所で野営。


 人間も飛竜も感じるストレスは同じだなーとか思いながら、憮然とした態度で俺は焚き火のそばにもどった。


 そんな俺の様子を観察し、口元を手で覆い何か考え込んでいた嘘つき男が静かに口を開いた。


「……サンドレア王国との密談の帰りだ」


 一瞬俺は眉をひそめて男を見る。

 なんだ?

 突然どうした?


「王国にはマルゴーン帝国の内通者など私以外にもいる。詳しくは話せないが、大きく情勢が変わる出来事が起きた。急ぎ帰っている途中に、君に助けられた」


 なるほど。

 密談のため王国に赴き、幸か不幸か茶会での婚約破棄を知ることとなった。

 で、急ぎ帝国へもどっているのか。


「……なぜ、突然話す気になったんだ?」


「君が私を助けてくれ、尽くしてくれたから。恩には誠実に報いるべきと判断した」


「なぜ、ずっと見え透いた嘘を?」


 俺の言葉に、男はさらりと返す。

「君がずっと嘘をついているからだ」



 その言葉に俺は息を呑んだ。



 俺の嘘は見透かされていたのか。

 確かに、出会う前からすでに俺は自分を偽っている。

 そして出会ってからも何ひとつ、本当のことを話していない。


 男が俺に嘘をついていることを隠そうともせず、それが無性に腹立たしかったが、そもそも腹を立てることが筋違いだ。


 彼への振る舞いを恥ずべきなのは、まず俺なのだから。


「…嘘をついていたことを詫びさせてくれ」

 俺は態度を改めた。


「君の名は?」


「グレイだ」

 そう言うと、男ははじめて俺のことを見た。


 フードの奥で視線がぶつかる。強い光を宿した瞳。

 まただ。既視感を感じる。


「俺はスノーヴィア辺境伯に仕える者だ。おそらくは君と同じ理由で、王都から急ぎ帰領している途中だった」

 自らのことを正直に話し、俺は誠意を示す。


 男は再び考えるような仕草をした後、目深に被っていたフードを脱いだ。


 明るい白金色の髪に、ほんの少し日焼けしているがきめ細かく整った肌。

 印象的なのはその髪から覗く瞳。深みのある澄んだ琥珀色。

 その瞳をみて、ようやく度々感じた既視感の正体にたどり着いた。


 サンドレア王城の廊下で視線を交わした男だ。


 生粋の帝国人には見えなかった。少し他民族の血が混ざったような造形。

 それも相まってか、不思議と目が離せない魅力と美貌の持ち主だ。


「私のことはヴァンと。近しい者はそう呼ぶ」


 ヴァンはそう言って琥珀の瞳で俺を見る。

 さっきまでとは違い、偽りの言葉は一切感じられない。


 嘘には嘘を。真実には真実を。

 そう言わんばかりの目をしていた。

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