ep4 王太子の婚約破棄

「まずは私と共にいるこの可憐な女性を紹介させてもらおう!」

 茶会の空気を読まず、語りはじめた王太子の話の内容はこうだ。


 オレ王太子!

 王立学園でラヴィと運命的な出会いを果たし、恋に堕ちたんだ。だけど許されぬ身分違いの恋……諦めかけた時、彼女に幸運が舞い降りた!

 彼女はその聡明さで爵位ある家柄(ギットギトの穏健派閥)の養女になれたんだ!これで晴れて誰もが認める関係になれる!

 てことで、今日この場でお披露目することにしたんだ!


 ……とのことだ。

 バカっぽいのは俺の演出だ。


 国王と王妃は興奮気味に話す愛息子を気分よく応援している。

 あの感じ、内容はまともに聞いちゃいない。


 王太子が喚く中、メルロロッティ嬢は静かにヴィルゴ宰相の傍に佇んでいた。

 俺はその凜とした美しい姿見て、手にぐっと力を込める。


 これからの彼女を思うと胸が痛んだ。

 拒絶の言葉を並べられ、謂れのない悪意をぶつけられる。

 平気な人間などいない。

 人間てのは、そんな強くできていない。


 今すぐにでも切り刻んでやりてぇ。

 心の中で何回か王太子をブチ殺しながら俺は目の前の茶番劇を睨み続けた。




「——よって、私はここに宣言する!

 スノーヴィア家の令嬢、メルロロッティ・スノーヴィアとの婚約を破棄することを!!」


 しばらくの後、満足行くまで語らった王太子は高らかに腕を振り上げ、ビシッと指さした。

 メルロロッティ嬢が最初に案内されたテーブル席に。


 当然彼女はいない。


「……あれ? 令嬢はどうした!?

 おい、あのへんに座る予定だと言ってなかったか?」

「いやーオレもあのへんに座ってるって聞いたけど?」

「あ、もしかして欠席?」

 王太子と取り巻き令息たちがオロオロしはじめた。


 ちなみに。

 この取り巻き令息たち、いわゆる『攻略対象』というやつだ。

 何となく顔に見覚えはあるが、マジで記憶が薄い。

 どのルートだろうとシミュレーションパートの難易度って変わらずだったもんな。

 ……うむ、仕方なし。


 一方。

 国王をはじめ国政を担う貴族たちは、王太子自らの婚約破棄宣言ということの重大さに凍りついている。


「王太子殿下、ご令嬢ならここに」


 そこに、低く威圧感のある声が響いた。


「今の婚約破棄宣言は本気で仰っておられるのか?」


 王太子含むすべての人間がその一声に怯み、しんと静まりかえった。

 声の主が誰なのか、ここにいる全員が知っている。


 皆の視線の先には、悠然と座るヴィルゴ宰相。

 そして傍に佇む令嬢メルロロッティ。


「宰相……あ、令嬢もそこにいたのか。はは、は……うん。婚約を進言したのは貴殿だからな。親しいのは当然か。そうか、そうか……」

 王太子は急に声を小さくして目を泳がせる。


 しかし自分にすがりつくラヴィの潤んだ上目遣いをみるやいなや、ぐっと顔をあげた。

 その度胸と勇気だけは褒めてやるよ。


「もう一度問おう、殿下。ご自身の立場と婚約破棄するという意味、理解して仰っておられるのか?」

 冷ややかな口調でヴィルゴは再度、王太子に確認した。


「ほほほ、本気だとも!それに立場と意味もわかっている。

 バカにするな!ラヴィと私が添い遂げるのは運命なんだ。運命は誰にも侵害できぬ、唯一無二のものだ!」

 ヴィルゴ宰相に気圧されながらも、惚れた女の手前ひくことができなくなった王太子は言葉を続ける。


「そ……そこの令嬢では私は嫌なのだ!わかるだろう。この女は私に愛嬌ひとつふりまけない。そんな伴侶で私がどれほど未来に不安を抱くか……」


 愛嬌ないのが逆にいいんだろうが。

 静かにキレ散らかす俺。


「未来に不安を?勘違いなさるな。未来は殿下のものではなく、サンドレア王国のものだ。王国の未来を殿下は担っているのですよ」

 ヴィルゴ宰相は王太子にむかって歩きはじめる。


「スノーヴィア家だけではない、他の者達もそうだ。国が愚鈍であれば見放し、落ちぶれれば離れていく。そして今。このサンドレア王国は脆く危うい状況にあることを、殿下も知っておられるはずだ」


 穏健派閥と革新派閥、その両方に届く声でヴィルゴ宰相が場を収めようとしているのがわかった。

 中立を保ち、サンドレア王国の再建を願っている男の言葉は静かに響き渡る。


「殿下。今すぐ婚約破棄の宣言を取り消し、メルロロッティ嬢に謝罪されよ」

 ヴィルゴ宰相の圧のある言葉。


 さすがに空気の悪さを察してか、国王が仲裁に入ってきた。

「あーいやいや。王太子よ落ち着きなさい。宰相も、そう怖い顔をせず……若気の至りというものだろう?いいではないか。正室にはなれぬであろうが、爵位があるのであれば側室で……」


「いいわけないだろう!?ラヴィは正室だ、他の女などいらない!!」

 顔を真っ赤にして声を荒げる王太子。もう手がつけられない状態だ。


「はっ!ならば宰相よ。それだけスノーヴィア家との繋がりが欲しく、そこの令嬢を可愛がっているのなら。お前の女にでもすれば良いだろう!

 その冷徹女と屈強な竜ともども、飼い慣らせばいい!!」

 王太子のその言葉はしんと静まり返ったサロンに高らかに響いた。


 ヴィルゴ宰相の顔は一瞬凍りつき、瞬時に怒気を露わにして王太子を睨む。


「今の発言は撤回なされよ」

 宰相の強く冷ややかな言葉に王太子はたじろぐが、撤回しない。



 その一瞬が決定打となった。



「私ともども、竜を飼い慣らせ?」


 ヴィルゴ宰相や俺以上に、激昂を露わにした者の気配に茶会会場は一気に静まりかえった。


「王太子殿下」


 メルロロッティ嬢の突き刺すような視線と温度のない言葉に、王太子はおろか、国王と王妃までも気圧されていた。


「婚約破棄と今の発言。元婚約者としてスノーヴィア家次期当主として、王家からの侮辱と受けとるがよろしいか?」


 言葉がうまく見つからず青ざめているが、王太子は彼女の覇気に負けじと、言葉尻を必死に捉えようとする。


「はっ!何が次期当主だ。お前はスノーヴィア家の末女だろう。兄らを押し退けて当主にでもなるつもりか?強欲な!」

 その言葉に周囲がこれ以上はやめろと身振り手振りで王太子を諌める。


「スノーヴィア家は代々、その当主は竜の天啓より決められている。私はその天啓を受けた正当な次期当主だ」

 そう淡々と続けるメルロロッティ嬢に振り返ったヴィルゴ宰相がギョッとした顔をした。


 俺はこの時ようやく気づいた。


 令嬢の目が紅く緋く輝いていることに。

 王都のはるか北で一瞬聞こえた轟き。

 近づいてくる風を切る轟音に。


 慌ててヴィルゴ宰相を見やると、彼もまた目で頷き衛兵に叫ぶ。

「国王陛下と王妃をすぐに避難させよ!他の者たちもこの場を離れるように!」


 そして足早に王太子のもとに行くと、ヴィルゴ宰相は侮蔑に満ちた表情で、王太子の襟元を掴みあげた。


「おまえはここで赦しを乞え。赦されなければそれまでだ。死んで詫びろ」

 そのまま床に勢いよく王太子を叩き落とす。ラヴィも「きゃんっ」とか言って転げた。


「あぁ、大丈夫かいラヴィ!?おい宰相貴様!不敬だぞ!私はこの国の……」

 そう王太子が叫ぶ間もなく。



 サロンが轟音とともに爆ぜた。



 一瞬で粉々に砕け散るガラス。

 爆風に吹っ飛ばされるテーブルや椅子。

 露わになる空。


 竜巻が起きたかのような暴風の中。

 天井と壁が爆ぜ飛んだサロン上空、その虚空に巨大な黒い塊が現れた。


 艶やかな鋼のような鱗が、翼を動かすたびに鈍く乱反射する。

 体長20メートルをゆうに超えるであろう、巨躯の黒竜。


 現れた黒竜はメルロロッティ嬢のすぐ後ろへと降り立つ。

 着地の重低音とともに風がぶわりと舞った。


 メルロロッティ嬢の視線はいまだ王太子から逸らされない。

 王太子はもはや腰を抜かして、声にならない声で何事かを言っているようだった。


「今この瞬間より、王家とスノーヴィア家の間で交わされた盟約を白紙とする。スノーヴィア家は受けた侮辱を忘れない。

 今後、王家の者は何人も我が領内へ踏み入るな。破られた場合、敵とみなし自領の防衛として武力を行使する」

 そう告げたメルロロッティ嬢の瞳が不快げに細められる。

 それに呼応するように、黒竜が王太子に首を近づけ歯を剥き出しにした。


 ヴィルゴ宰相がメルロロッティ嬢に何か言うより早く、彼女は黒竜の鼻先に触れこう呟いた。


「……美味しくないわ」


 メルロロッティ嬢はヴィルゴ宰相へ向き直ると、再び美しく完璧な挨拶をする。


 次は王太子のもとへ。

 へたりこんでいた王太子の襟元をつかみあげ、そして。


 美しい右ストレートを王太子の頬に叩き込んだ。


 こうして婚約破棄が宣言された王城での茶会は、想像を絶する破壊と混乱をもたらし、幕引きとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る