ep3 王城の茶会
俺たちがサンドレア王城に到着すると、メルロロッティ嬢はすぐさま王室侍女たちに囲われ、身支度のため貴賓室へと案内された。
今日の王室茶会のメインイベントは王太子とメルロロッティ嬢の正式な婚約披露なのだ。
そのようにメルロロッティ嬢も内々に話を受けていた。
しかし現状をみる限り。
残念ながら王太子がメルロロッティ嬢の手をとり茶会に登場し、婚約がお披露目されることはない。
むしろ逆の悲劇が起こる。
侍女たちはにこやかにメルロロッティ嬢を招き入れてはいるが、完全に笑顔が強張っていた。
たまに衛兵が小走りして王城内を回っているのは、取り巻き令息どもと共謀し雲隠れした王太子を探しているからだろう。
おそらくは、婚約披露の承諾を得たはずの王太子が当日それを反故にしているのだ。
予想通りの王城内の気配に気づかぬふりをしつつ、俺はメルロロッティ嬢の支度が終わるまで貴賓室前の廊下で待機することにした。
サンドレア王城の貴賓室が並ぶ豪奢な廊下。
地位や用途にあわせ様々な設えの貴賓室が用意されており、それらが迷路のように入り組んでいる。
今日は王室主催の茶会ということもあって、それなりに人の気配を感じた。
この場所へはメルロロッティ嬢と幾度となく訪れていた。
彼女は王立学園で勉学に励みながら、ここで未来の王妃として妃教育を受けていたのだ。
メルロロッティ嬢は口数は少なく愛想はないが、根は素直で相手が誰であっても礼を尽くす。
王城で関わりを持つ者達は皆、メルロロッティ嬢が素養も教養も十分に持ち合わせた、次期王妃に相応しいレディだと賞賛した。
俺はそう言われるたびに、顔を曇らせ心に陰を落としていた。
すべてが徒労に終わることを知っていたから。
メルロロッティ嬢自身もそれを知っていたから。
王太子の婚約の申し出があった時、俺は自分が知る婚約破棄の未来を、メルロロッティ嬢にだけ話していた。
それを静かに聞いていた彼女は「それでも婚約するし、来るべき日には茶会に赴く」と迷わず言ったのだ。
まっすぐに澄んだ翠の瞳で俺を見据え「それがスノーヴィア辺境伯令嬢である自分の責務だから」と。
だから今日まで、俺は彼女の傍で従者に徹した。
そして婚約破棄が言い渡される今日から、メルロロッティ嬢の幸せのためにできることを何でもしていく。
そう、決めていたのだ。
そんなことに想いを馳せながら、自分の決意を再確認していた俺は、ふと。
どこからか漂う、嗅ぎ慣れない香りに気づいた。
乾いた砂と香辛料のような独特な香りに、上品な芳しい花の香り。
王国にはない、異国を思わせる香りだ。
気配に誘われて俺が顔をあげるのと同時に。
すぐ側の廊下の曲がり角から、衛兵を伴った者が静かに現れた。
その者から漂っていた香りだとわかり、俺は壁側に退き頭をさげる。
フードを目深に被った羽織りでその姿は窺い知れない。小柄な背丈のようだが、歩き方から男だとわかった。
すれ違う瞬間。
俺は会釈しながら、興味本位で男の顔をちらと覗きみる。
う、わ。
思わず声が漏れそうになった。
吸い込まれそうなほどに深く澄んだ、美しい琥珀色。
男な宝石のような瞳で、俺を見ていた。
羽織りのフードの奥から垣間見える、くっきりとした造形の端正な顔立ち。異国の血を感じさせる美貌の持ち主だった。
その美貌を際立たせる琥珀の瞳は、鮮やかな濃淡に彩られ、小さな光を幾つも宿してとろりと瞬く。
俺は不躾であることなど忘れ、視線を逸らせずそのまま呆けてしまっていた。
男の方は俺を一瞥すると、すぐに視線を逸らした。
羽織りを翻し、足早に通り過ぎていく。
覗き見がバレていたからか。
あんなにも美しい瞳をはじめて見たからか。
俺の鼓動はうるさいほどに高鳴っていた。
街ですれ違おうものならば。
酒場で出会おうものならば。
何が何でも口説いていただろうに。
異国の気配を纏った男が去った廊下の先を眺めながら、俺が一瞬の出会いを名残惜しんでいると、貴賓室から王室侍女たちが出てきた。
メルロロッティ嬢の茶会への支度が終わったようだ。
+++++
サンドレア王室主催の茶会は、それはそれは豪華絢爛なものだった。
広いガラス張りのサロンを取り囲むように配置された色とりどりの軽食。
高級食材をふんだんに使用した一品に、異国のフルーツ、繊細な菓子の数々。南方でしかとれない貴重なカカオを使ったチョコレートの噴水も湧き上がっている。
茶会だと言うのに各地の葡萄酒に、酒樽いっぱいのきんと冷えた麦酒が列を成し、見目麗しい男女が巡回して酒を振る舞っていた。
もはや金持ちの宴会会場である。
茶会に招待された貴族たちは一目で王政への姿勢がみてとれた。
怪訝な顔で会場を一瞥しながら仲間内で話し込んでいるのが革新派閥。
すでに飲食に手をつけ、ガチャガチャと音を立てながら大きな笑いをあげているのが穏健派閥。
その両者とも関わろうとせず、彼らを静観しているのが中立派閥だろう。
ゲームでは序盤から中盤まで赤字国家が続き、最初の難関と言ってもいい、財政管理に苦しめられることになる。
そして中盤以降、この赤字を解決できないと王国内で派閥争いが勃発する。大陸統治どころではない最悪の状況となるのだ。
そして今。
このサンドレア王国をみるに、その状況に王手をかけているような状態に思えた。
このまま行けば王国は間違いなくゲームオーバーだ。
我が麗しの令嬢、メルロロッティ・スノーヴィアがサロンに姿を現すと、茶会会場にいる者たちの気配が変わった。
穏健派閥の貴族たちは媚びるように恭しく挨拶をし、革新派閥の貴族たちは慎重に言葉を選び腫れ物を扱うかのように挨拶を済ませ、彼女の一挙一動に注目していた。
皆、知っているのだ。
穏健派閥と革新派閥の対立が激化した時、王国の軍事力の要であるスノーヴィア家にどれほどの影響力があるのかを。
メルロロッティ嬢は淡々と挨拶を交わしながら、主催となる国王と王妃の席に近い席へと案内された。
そして、彼女の着席とともに優雅な演奏が流れ出す。
茶会がはじまった。
国王と王妃の煌びやかな登場と挨拶がはじまるとともに、俺は静かに主人のもとを離れた。
国王と王妃の席から最も遠いものの、他とは違う設えの豪華な主賓席に座る人物のもとへと足を運ぶ。
「やあ、来たな。グレイ」
俺の姿を目にすると、人払いをして余裕たっぷりの微笑みで俺を手招く。
公爵位にしては言動が粗野に見えるが、人の上に立つべき威厳と品格を兼ね揃えた壮年の男。
「ご無沙汰しております。ヴィルゴ宰相閣下」
俺がそう言い恭しく頭を下げると、彼はさらに傍へ寄るよう指で俺を促した。
このお方、ちょっとした仕草が妙に色っぽいのだ。
呼び立てられるだけで心を持っていかれそうになっちゃう俺。
「お前がねだるから、久しぶりに退屈な茶会に参加することにしたんだ。面白い話を聞かせてくれるんだろう?」
そう言うと、ヴィルゴ宰相は榛色の目を細めて俺を見た。
俺はこの茶会に参加するにあたって、ヴィルゴ宰相にその旨を手紙にしたため送っていたのだ。
「今日ここで行われる悍ましい行為から、メルロロッティ嬢を庇って頂きたく」
俺はそう告げ、王太子が行うであろう婚約破棄に関する話をヴィルゴ宰相に耳打ちした。
ヴィルゴ宰相は鋭い視線で国王や茶会に参加している貴族たちの観察を続けながら、肘をつき俺に顔を寄せて話を聞いていた。
「……なるほど、ね」
話を聞き終わると、片方の眉をわずかに上げ整えられた短い髭を指先で撫でた。
「流行りの婚約破棄とやらは知っているよ。所詮、貴族の若僧どもの火遊びと捨て置いていたのだが」
長い溜め息をつきながら、肘から顔をあげた。
「まったく。あのバカ王太子はスノーヴィア家との婚約の意味がわかってないらしい」
ヴィルゴ宰相は、呆れたように肩をすくめて笑ってみせた。
……全力で尻尾ふってお腹みせたくなっちゃう、この大人の余裕よ!
ヴィルゴ宰相は常に自身を中立派閥と公言し、王政をギリギリの均衡で保っている実質的支配者だ。
スノーヴィア辺境伯令嬢と王太子の婚約を進言したのも、この人。
かつての栄華を失いつつあるサンドレア王家を憂い、マルゴーン帝国やシカーテ諸島連合国が大きく躍進している状況下で、少しでも王国の延命措置をと軍事力確保に邁進していたのだ。
実は婚約の話が出た当時。
従者の俺とメルロロッティ嬢の関係をヴィルゴ宰相に尋ねられたことがある。
この時、令嬢は14歳。俺は18歳。
主従関係にある年頃の男女だ。
秘めたロマンスなどあってはならないと懸念するのは当然だった。
俺とメルロロッティ嬢からしてみれば、寝耳に水だったのだが……
俺は自身の恋愛対象が男であることを告げ、その証明をヴィルゴ宰相にすることとなった。
証明方法は、宰相閣下にはじめてお呼ばれされた執務室で。人払いをし。あれやこれやと。
詳細は割愛するが。
つまるところ、そういうことだ。
あの時のヴィルゴ宰相はすごかった。
色々教えてもらった、18歳の春。
それ以来、ヴィルゴ宰相はメルロロッティ嬢と俺を可愛がってくれている。
俺もこういった時は遠慮なく助力を乞うのだ。
「王太子が惚れている娘、ラヴィといったか。あれは穏健派閥がどこぞで見つけて寄越した者だ。運命の出会いと思っているようだが。心底馬鹿げている」
ヴィルゴ宰相は不快げに目を細めた。
「そして、グレイ。私には今日この場で婚約破棄をするというのはさすがに行き過ぎた妄想にも思えるのだが」
そう言ってこちらを見上げる。
彼が最終意思決定をする時の顔だ。
「これも君の予知か?」
『予知』
俺と親しい者のみが知りそう呼ぶのは、俺の前世からの知識と情報のことだ。
ヴィルゴ宰相が俺たちに助力してくれる最大の理由はこれだろう。
昔から俺が、未来の事象を勘の域を超えて言い当ててきたことを彼は知っている。
「残念ながら。確定している予知かと」
「では、仕方がない。起こることを前提に善処しよう。あらゆる手段で繋ぎ留めていたというのに、バカどものせいで水の泡だよ」
そう笑って言い捨てると、ヴィルゴ宰相は近くに控えていた見目麗しい側近のひとりを呼び、何かを短く指示していた。
ヴィルゴ宰相は俺の予知を知り、それを信じる数少ない人間のひとりだが、慎重な男だ。
そして彼の情報網と知略で右に出る者はいない。
おそらく俺が言わずとも、今日王太子が良からぬことを企てていたことなど、知っていただろう。
俺が話を持ち出したことで最終確認としたのではないだろうか。
「今日の茶会後、メルロロッティ嬢と君はどうするつもりだ?」
「速やかにスノーヴィア領へもどります。迎えの飛竜騎士団が今夜には到着予定です」
「よろしい。王国内にいられては私も少々困る。有力貴族が要らぬ手出ししないよう手配しておこう」
「心から感謝致します、宰相閣下」
そう言って、深々と礼をしたその時。
「ご歓談中失礼する!」
王太子がラヴィと取り巻き令息たちとともに登場した。
しまった……話し込み過ぎた。
思いの他、ヴィルゴ宰相のテーブルとメルロロッティ嬢のテーブルは距離がある。
すぐにでも、主人のお側にいかなくては。
慌てて俺は立ち上がり、
「宰相閣下、お話の途中ですが主人のもとへ向かいます」
早口でそう告げて、振り返ると。
「ご機嫌うるわしゅうございます、ヴィルゴ宰相閣下。お呼び頂きましたので参じました」
美しい完璧な挨拶を決めたメルロロッティ嬢がそこにいた。
「やぁ、メルロロッティ嬢。また見ないうちに美しさに磨きがかかったな」
そう告げると、ヴィルゴ宰相は俺をチラリと見上げる。
「呼んでおいた。手間がはぶけるだろ?」
俺に余裕たっぷりのウィンクをした。
もー好き♡閣下大好き♡
俺は誰にも悟られぬよう、しばらくひとり身悶えていた。
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