言語は恣意的か? 本質的か?への応援コメント
今日は、企画に参加して頂いて有難うございます。
言語についてのエッセイ有難うございます。
奥が深く、まだまだ把握できていないですが、いい勉強になりました。
時に、こちらの作品は私のどの短歌を参考にして書かれたものなのでしょうか?
色々想像しましたが、良くわかりませんでしたので、教えて頂けると有難いです。
作者からの返信
コメントありがとうございます<(_ _)>
短編と短歌を勘違いして参加していました、なんということでしょう!
でもこうやって出会えたのもなにかの縁なので、淡雪さんの短歌を読ませて頂きます。
私は短歌というものは書いたことも勉強したこともない初心者を超えた白紙なので、頓珍漢な感想しか言えないかもしれませんが、ご容赦ください<(_ _)>
言語は恣意的か? 本質的か?への応援コメント
企画から来ました。
僕はエッセイというのに苦手意識をもっていたので、これを機に拝見させて頂きました。
ネット小説という観点なら正直あまり合ってないと言えますが、僕はかなり好きです。言葉の言い回しの全てに筆者の気持ちが乗っているのが見るだけで分かります。
国語の教科書というのは思わず見て見たくなる文章が多いのですが、これも同じタイプで、思わずずっと見てしまいます。書き方などは自分にも流用できる部分もあるので、参考にさせていただきます
作者からの返信
ご拝読とコメントありがとうございます<(_ _)>
私は長きに渉り、純文学と哲学の畑で活動をしてきたので、こういった固い文章が息抜きになったりしています(ラノベは絶賛修行中です)。
私などの文章でよろしければ、是非アタラクシアさんの参考にしてやってください。むしろジャンジャン使ってもらえたら書いた甲斐がありますb
編集済
言語は恣意的か? 本質的か?への応援コメント
このお話しも、すごく面白いですね。
私は深く勉強したわけでは無いですがソシュールとウィトゲンシュタインの考え(の超絶基本的な、検索結果で分かるような部分)が役に立っています。
*スポーツのトレーニング理論に役立ててます。
>「どの民族」の「誰」に、その音素基準を持っていくか
たしかにその手法を取ると、人種問題になりそうですね。
私は、その根源的な音素基準は「どの民族」の「誰」というよりは、その言語が存在する地域の気候との関係性によって基準化すると考えています。
日本の気候の「あ a」や、地中海沿岸の気候の「a」はその気候の特性によって、居住する人間が、納得のいく意味を言語の誕生と同時進行で(意識的にせよ、無意識的にせよ)付与していったものと考えています。
地球の気候はひとつではないので、地球規模での音源基準はないと考えています。
もちろん、さらに踏み込んで、どのような気候ならば「a」の音にどのような意味を与えるか? 「i」の音にどの様な意味を与えるか?等をまとめて、それらの関係性から人類の音源基準の傾向から本質をさぐるような研究はできるかもしれません(すでにあったらすみません)。
古代……人間は自らが咽頭から出す音(声)と地域の自然が生み出す特異的な音(例えば、雨が多い地方、日照りが続く地方、島国、降雪量が多い地方)、そして気候が強いる生活様式がもたらすコミュニケーションから、音(声)に意味を付与していったのではないでしょうか、と考えています。
ですのでソシュールやウィトゲンシュタインの言う、気候と原始の生活コミュニケーションを考慮に入れない「周波数といった音」そのものでは答えにならず、音と世界の連関が音源の基準であると個人的に考えています。
*あくまで個人的に考えている内容です。すでにどなたかが出された意見かもしれません。あと偉そうに書いていますが、完全に素人ですので、完全に抜け落ちた基礎などがあると思います。若いころから誰にも語ることが出来ずにいた考えで、このような機会があり書かせていただきました、ありがとうございます。
作者からの返信
濃厚なコメントありがとうございます<(_ _)>
スポーツトレーニングの観点から、言語について分析されている方とは、初めてお会いしました。大変光栄です。
日本のあかさたな表が、日本の気候とするのは、自分は少し考えが違います。
「サンスクリット語 表」で画像検索してくださると、大変面白いものがみれますよ!
日本は真言宗と天台宗がサンスクリット語を持ち帰っているので、恐らく(日本の)語順の起源はそちらにあると自分は考えています。
古代の人間の声音の起源については、まったくの同意です。
こういったことを考えている〝仲間〟に出会えて私はとても嬉しいです。