ゼノ・ワールド ―復讐の電脳世界―

鶴城べこ

1 突然死の始まり

〈シャットダウン症候群〉――この正体不明の現象が確認されたのは、二年前のことである。

 西暦二〇五四年。日本国内で、一人の成人男性が突然死した。死因は脳神経の損傷。しかし男性は病人ではなく、あるいは直前に事故に遭ったわけでもない。前触れの無い、本当に突然の出来事だったという。

 これが国内初、延いては世界初の確認事例だった。

 数日後には同じく日本で、数名が同様の現象によって死亡。さらに数日後、今度は中国において同様の事例が発生した。続いてロシア、アメリカ、次第にヨーロッパ各国でも確認され、まるで電波が波及していくかのように広がっていった。

 各国の学者は直ちに原因究明を急いだが、この不可解な現象に理由を付けることはおろか、出来なかった。そのまま数か月、そして一年と時間ばかりが過ぎていく。

 なんの予兆も無く突然にやって来て、人間の命を刈り取る謎の現象。まるでコンピューターが強制シャット停止ダウンするかのように人間の頭脳が死ぬことから、〈シャットダウン症候群〉と名付けられた。



 時は流れ、二〇五六年。

 煌煌こうこうと、深夜のネオンが天を照らす東京の街。その一角に鎮座するマンションの一室で、少年は一台のタブレットと向き合っている。

『いやー、夜分遅くにすまんすまん! 良い子はおねんねの時間だけど、君は仕事の時間だ』

 画面に映し出された特殊回線のビデオ通話に映る、一人の若々しい男。この男からの呼び出しがあることはそれ即ち、またいつものように仕事が舞い込んでくる兆候だ。

「高校生に深夜労働させるってのは、国家公務員としてどうなんだよ。ほんと、公安ってのはブラックだな」

『まぁまぁ、そう言うなよっ! ま、いつもの排除任務だ。お前なら楽勝だろ?』

「……ったく、簡単に言いやがって。こっちは命懸けてんだぞ?」

 毎度毎度、こいつは深夜帯に他人を呼び出しては仕事を押し付けてきて、それでいて悪びれもしない国家の役人だ。その随分と軽々しい態度の依頼主に腹を立てながらも、少年は渋々と準備を進めていく。

 手に握るのは、膨大な電磁波出力を要するシステムを支えるため備えられた特殊回路と、それを保護するチタン装甲のフレームを施された、スマホ型ダイバーズシステム端末。

 通称〈トランスファー・デバイス〉。

 その発光するディスプレイに表示されたウィンドウの中から《トランス転送システム》を選択。直後に《トランスON》と、電子音声のアナウンスが鳴り、激しい駆動音が鼓膜を揺らす。

『よし、時間だ。健闘を祈るよ、〈マッドキッド狂った子供〉』

 忌々しい野郎の合図を皮切りに、いよいよ行動を開始する。

 瞬間、少年の周囲に強烈な青い電光が展開され、プラズマの壁のように彼を包み込む。その光に身を委ねながら、すっ、と右腕を突き出して拳を作った。仕事が始まる前のルーティン、気合を込めるような意味合いの動作だ。

 直後、起動を示すデバイスの画面を光に向けて。

「……転送」

 詠唱。

 刹那に、全身の細胞が沸き立つような感覚が走る。まるで蒸発するかのように体が粒子状に分解されて、プラズマの閃光と共にデバイスの中へ消えていく。

 


 ♢♢♢



 一瞬、手に感じる熱や聞こえる音、目が受け取る光景、匂いという五感の全てが失われた。

 だが閃光が消え去る刹那には、触覚も視覚も聴覚も修復されている。

 けれど、少年の目が捉える世界はまるっきり変わっていた。

 連なる建物から飛び出る無数の広告看板に、街頭カーブミラーや標識、遠く望んだ先にある巨大な摩天楼、その光景はどこか見覚えがある。そう、それは確かに東京のどこかの街並みだ。

 それなのに、この巨大な都市にいるはずの幾千万もの人々は、忽然と消えてしまった。天を見上げてそこにあるはずの夜空は、あおく奇妙な色彩を放つグリッド状へと移り変わっている。俺が一歩地面を踏みしめれば、足元がモザイクの欠片へ変化して、空と同じ色の光となって蒸発する。

 その時。転送された少年の眼前に現れた、青白い人影。

「ア、アァ……ホシイ、ホシイ……アノオンナガァ」

「目標を確認、デミアバターだ」

 この世界に人間は存在しない。よって、眼前のこいつは人間ではない。

 現実世界の人間を模りながら、その本質は人ならざる異形の怪物。本物の感情……この場合は色欲か。それらをコピーし、データによって肉体を造る電子生命体だ。

『その男は公安もマークしていた重要人物だ。死なれちゃ困るから、とにかくリンクを解除しろ』

「簡単に言ってくれるな」

 耳をつんざくようなノイズと共に囁く指令をあしらいつつ、臨戦態勢を取る。

 転送と同時に召喚された携行武器〈ゼノ・ブレードショットガン〉を怪物に向け、装填口のスライドを引いて現れたスキャナー部に、〈スキルメモリー〉を挿入。


 ≪アサルトストライク≫


 無機質なシステム音声が響く。

 直後、機動力系のステータスがスキルによって急上昇。システムが彼の体を、突撃に備えさせた。

「目標を排除する」

 顔も名も知らぬ多くの人間が、この怪物に飲み込まれていく。現実世界に生きる彼らを救うべく、少年は引き金を引いた。



 ♢♢♢



 ――人間は生き続ける。

 この現実世界に蔓延はびこる日常を、ごく当たり前のものとして。たとえその日常が、得体の知れない死の恐怖に晒されたとしても。多くの人が、それを自分とは無縁だと思うだろう。

 けれど、その日常が、この少年のような者たちの犠牲によって保たれているとしたら?


〈シャットダウン症候群〉――それは二年前から世界中で発生している、謎の突然死の総称である。どこの国も、どこの学者も、その正体を突き止めることはできない。その発生源が、現実世界にある事柄ではないからだ。

 全ての真相はここにある。生命の領域を超越した、誰も知らない〈仮想メタ空間バース〉。

 未知の電脳世界――〈ゼノ・ワールド〉に。

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