引くほど笑えない黒歴史(半裸の談)のその後の話。

逢坂 純(おうさかあつし)

服薬はキチンと守らないとこうなります。

大学を出てから実家に戻り、今は服薬管理を親に任せて何とか無事に生きています。

あれから色々なことはあったけれど、病院のお薬関係では問題なく過ごせていて、それを幸せだと感じることもなくなるくらい幸せに暮らせています。

薬の飲み合わせというのは、服薬においては大事なことのようでして、僕は結構重い薬を処方されていて、お医者さんにはこれ以上、薬は増やせないと言われ、今は通常の薬と漢方薬を出されています。

僕はてんかんと並行して統合失調症の薬も飲んでいます。

てんかんの薬は新薬が出て、今はほとんどてんかんの症状は抑えられています。

しかし、その一方統合失調症の薬は、まだまだ薬の面では飛び抜けた新薬が開発されていることはないようで、僕は毎日、幻聴妄想と闘っている最中です。

統合失調症の陽性症状には妄想幻聴などがあるとされています。

そして幻聴妄想にそれが病気のせいであるかどうかの自覚があるなしで、病識がある、病識がないなどと言われます。

僕には未だに自分の妄想幻聴に対して病識がない生活を送っています。

「どうだっていいー!」とか「任せるんじゃなかった!」とかどういう風にも意味が受け取れる幻聴が聴こえるときには、僕が考えている悩みをどこかの誰かは「どうだっていいー!」と思っているんじゃないかと思ってしまいます。

「任せるんじゃなかった!」と聴こえれば、僕にあの仕事を任せるんじゃなかったと、どこかの誰かが言っているんじゃないかと思ってしまいます。

その幻聴は断片的すぎるので、それはこんな意味じゃないのか?あんな意味じゃないのかと、その意味を色々頭の中だけで考えてしまうことが多々あります。

それが被害妄想を生みます。時々はそれは僕の頭の中で加害妄想にまで発展するときも多くあります。

僕の姉に言わせれば、その幻聴は「あんたの頭の中だけでしか聴こえない幻聴だ」からと言って、その意味を考えるのは意味のないことだと言って僕を幻聴妄想から掬い出そうとしてくれます。

しかし、僕の頭の中ではその幻聴妄想は、事実なのです。

その否定的な言葉は僕の中では紛れもない本当のことなのです。

それでもその幻聴には時々、ポジティブなものもあり「やったね!」とか「やるじゃん!」とかそういう言葉も聴こえます。

その言葉もとても断片的な言葉なので、それが本当にポジティブな言葉なのか、どういう意図でそれを言っているのかは謎なのです。

しかし、それもこれもどれも全て幻聴なので、意味を考えても無意味なのです。

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引くほど笑えない黒歴史(半裸の談)のその後の話。 逢坂 純(おうさかあつし) @ousaka0808

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