自分の進路が黒歴史のその後の話。
逢坂 純(おうさかあつし)
然るべきところに落ち着くことが分かってきた。
高校生の時、英語に熱心だった僕は、何となく外国語学部のある大学に推薦入学で進学しました。
そしてもう一つ、関西方面に行きたいという理由で関西方面の大学に進学しました。
それはあまりにもお金の無駄遣いで浅はかな大学選びだったように思います。
友人は高校生の時から、自分の進路をしっかりと決めていた人が大勢いました。
僕はなんて馬鹿な大学選びをしていたのかと最近まで考えていました。
しかし、その大学選びもよくよく考えると全くの無駄ではなかったのかも知れないと思うようになりました。
それは、関西の文化に触れることで、地元の大学に進学するのとは違う生活が送れたのだったと考えます。
大学の時に映画演劇研究会という部活に入り、授業もそっちのけで部活にのめり込んでいたことも、その結果大学を留年してしまったことも、それからの僕の人生を自分のあるべき姿に決定していたことのように思います。
関西の文化圏に触れたのは、それまでに見たテレビの影響が大きかったのだろうし、学校の講義も殆んど受けずに部室に入り浸ってカメラを始終回していたのも、幼い頃からテレビや映画やアニメやマンガやラジオが好きだった自分がいたからだったと思います。
統合失調症になったのも、今僕が統合失調症をテーマに作家活動をしているようになったのですから、あながち悪いことだらけでもなかったように思います。
人生の分岐点では、偶然が重なってそれが益になったことが、僕の人生の中ではあまりにも多くあったように思います。
脚本家を目指したのも、同級生の友人が俳優を目指すからと言って、それじゃあ僕は脚本家になろうと決めたのが、今でも続いているということはそれはそれで僕の適正であったのかも知れません。
脚本から小説に転向したのだって、統合失調症になったことによって、大勢で作りあげるテレビや映画の世界から、一人でもできる小説家になろうと思ったからです。
そして統合失調症になって、自分の作家活動のフィールドも自ずと決まってきたのです。
人の人生は偶然の連続の重なり合い、自分が思っていた方向ではなくてもなるようになっていくものだと今は実感じています。
流れに任せて自分の人生をその時その時で決定していく人生も、自分の考えの及ばない境界を飛び越えていけるようなことも最近では考えています。
そこに自分の絶対に譲れないものがあって自分軸がしっかりとしていれば、その人生は流されて仕方なくそうなったではなく、ちゃんと自分の人生なのだと思います。
自分の進路が黒歴史のその後の話。 逢坂 純(おうさかあつし) @ousaka0808
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