10.脅迫状
いなくなったとわかってから、ずいぶん時間が経っている。仮にここで眠っていたとしても、そろそろ起きてきてもおかしくない頃だ。
やっぱり……という落胆はすぐに押しのけ、ベクオードは部屋のあちこちを調べ始めた。
朝は、ベッドの下にミシュリアが転がり落ちていないか、と「妹」を捜した。
今は、彼女を連れ去ったかも知れない賊が、部屋のどこかに何かしらの「証拠」を残していないか、二人で探す。
だが、毛足の長いクリーム色のジュータンは、きれいに掃除されていてゴミらしいものすらもない。
この部屋の床にあるのは、残された小さな白いスリッパだけだ。
ミシュリアを捜し回る時、誰かが開けたのだろう。窓の鍵は外れている。これでは、窓から侵入したのかもはっきりしない。
「窓枠に、足跡らしき汚れはないな。それなら、部屋の扉から賊が入ったことになる」
「それじゃ、家にいる誰かがやったかも知れないってこと? まさか、俺達が知ってる誰かが……」
兄の言葉に、コルグーラが青ざめた。
自分もいい気はしないし、こんな話を母が聞けばますます具合が悪くなってしまう。
二人でいやな推測に言葉を失っている時、半開きの扉がノックされた。
そちらを見ると、メイド長の女性が立っている。長年トライン家に仕えてくれている、アウファだ。
「ベクオード様。先ほど、このような手紙が届いていたと……」
薄汚れた白い封筒を、アウファはベクオードに差し出した。
「兄さん、まさか……」
封筒には「トライン家」と、汚い文字で書かれている。トライン家の人間であれば誰でもいい、というつもりで書かれたのだろう。
今、二人で話していたこともあり、いやな想像をしたコルグーラが兄を見る。これがパーティの招待状とはとても思えない。
ベクオードは封筒を受け取った。
封はされていない。中には、封筒と同じく薄汚れた紙が入っていた。便せんではない紙に、ここにも汚い文字が書かれている。
娘が大切なら 金貨五千枚出せ
文面を読んで、ベクオードは歯をかみしめた。いやな音が響く。
頭には浮かんでいても、排除したかった推測。
それが、事実になってしまった。
ミシュリアは、やはり誘拐されていたのだ。
「なっ、金貨五千枚っ?」
横から覗き込んだコルグーラが、思わずその数字を口にする。アウファがそれを聞いて、目を見開きながら口元を隠した。
金貨五千枚と言えば、四人暮らしの庶民が軽く十年は楽に暮らせるであろう金額だ。
トライン家は貴族だからこんな金額を要求しても出すだろう、とでも思ったのか。
「アウファ、これは誰がどこで見付けたんだ?」
「パルミーゼが、
「パルミーゼ?」
「兄さんが家を出た後、入れ替わりで新しく入って来たメイドだよ」
長く勤めてくれる人がいる一方、家庭の事情など
パルミーゼはそういう一人だ、とコルグーラが説明する。
それを聞いて、ベクオードも一度は納得したものの、引っ掛かるものを感じた。
ミシュリアがいなくなってから現在まで、トライン家の周囲には警備の男達がいる。ミシュリアを捜す者と、賊が接触してきた時を想定しての門番だ。
そんな人間がいる中で、どうやって門扉にこんな封筒を挟ませたのだろう。
少なくとも、ミシュリアがいなくなったことに気付いてベクオード達が捜し回っていた時は、こんな物はなかったはず。
「アウファ、そのパルミーゼにもう少し話を聞いてみたい。どこにいる?」
「厨房にいるはずです。呼んできましょうか」
「頼む。それと、この手紙のことは」
「わかっております。他言はいたしません」
長く勤めているだけあって、アウファはこちらの言いたいことをすぐに察してくれる。
母より一回り年上のメイド長は、足早に厨房へ向かった。
「兄さん、やっぱりこれって脅迫状だよね? だとしてもずいぶん乱暴な文面だし、必要なことがあまり書かれてないけど」
差出人は仮名すらもなく、要求金額しか書かれていない。ミシュリアの名前がないのは「娘」の一言で事足りる、封筒にトライン家とあるから誰のことかわかるだろう、というつもりか。
確かにわかるが、こういう細かい部分が神経に
いつまでに身代金を用意して、どういう方法で渡す。そういった点はまた後で指示するつもりなのか、何も書かれていない。
少しずつ要求を明らかにして、こちらの気持ちを追い詰めるつもりでわざとやっている、とも考えられる。
いや、それよりも。
「魔法使いも絡んでいるのか」
「え、魔法使い? どうしてそんなことがわかるの」
「普通の人間が、今のトライン家の門扉に手紙を挟めると思うか? 素性がわからない奴が近付くだけで、警備の奴らが駆け寄るはずだ」
たとえ使用人でも、入口へ近付けば身元確認くらいはするだろう。
「あ、そうか。魔法なら警備の目を盗んで、手紙を挟むくらいは簡単だよね」
「もしくは、さっき話していた家の中の誰かって線もあるな」
警備についている者が、仲間に気付かれないように手紙を挟んだ、という可能性も考えられる。
「う……気分が悪くなるような話ばかりじゃないか」
「ミシュリアがいなくなった時点で、十分に気分が悪い」
あの小さくてかわいい妹を、金と交換しようという考えからして気分が悪くなる。
いやな予想ばかりに兄弟が顔を曇らせていると、アウファに連れられて若いメイドが部屋へ入って来た。
「し、失礼します」
ベクオードより少し年上であろうメイドは、初めて会うトライン家の長男を前に緊張した面持ちで立っている。
「この手紙を見付けた時のことを聞きたい。いつ、どういう形で見付けたんだ」
アウファが両者を紹介する前に、ベクオードが質問を口にする。
彼女の名前は、もう聞いた。それより少しでも早く、この手紙についての情報がほしかったのだ。
「は、はい。あの……今日はあたし、少し遅刻をしまして、いつもより遅く裏門からお屋敷へ入りました。その時、門扉に何か挟まってると思って見たら、あの封筒で」
「その時、近くに怪しい者はいなかったか」
「あたしにはわかりません。怖そうな人達がいるなって思いましたけど」
おどおどした様子で、パルミーゼは答えた。緊張しているからか、顔色が悪い。
パルミーゼがトライン家へ入ったのは、十時頃だったと言う。屋敷の周辺にはミシュリアがいないと判断し、一旦捜索を中断したくらいの時間だ。
封筒に家名は書かれているが、誰宛かわからない。誰に渡せばいいのかわからず、メイド長のアウファに渡した、ということだった。
「そうか。また何か聞きたいことがあるかも知れない。その時は、わかることを話してくれ」
「はい」
パルミーゼは一礼して、部屋を出た。ベクオードに言われ、アウファも彼女の後に続いて辞す。
「兄さん、あの程度の話じゃ、何もわからないままだよ……」
「まぁ、ちょっと待て」
ベクオードが指を鳴らす。すると、彼の足下に小さな黒ねこが姿を現した。
「わっ、ねこ? どこから入って来たんだ。って言うか、いきなり現れたような」
「俺の使い魔だ」
兄の言葉に、コルグーラはきょとんとする。
「使い魔って、魔法使いが使役する獣や魔物のこと……だよね? どうして兄さんが」
「かじった程度だが、少し魔法を学んだんだ」
「すごいっ。兄さん、魔法使いになったの?」
「いや、そこまで専門的に習った訳じゃない。数えるくらいの魔法を、こけおどし程度にできるくらいだ」
それでも、コルグーラは兄の持つ力に目を輝かせる。
「こいつはタック。ミシュリアがさらわれた可能性を考えた時、こういう脅迫文のような物を持って来る奴がいないか、見張らせていたんだ」
わざわざ貴族の屋敷から娘を連れ出すのだ、単に「かわいいからそばに置きたかった」という理由ではないだろう。
金銭、もしくは何か別の要求を突きつけて来るだろう、とは予想できる。
要求する方法としては、こういった手紙を使うか、金で雇われた伝言人が来るか、といったところ。どういう形でか、魔法で伝言してくる、という可能性もある。
どれにしろ、魔力を持つ使い魔であれば、どの方法をとられたとしても気付けるはずだ。
そう考えて、ベクオードはトライン家の敷地を囲む壁の上で巡回するよう、タックに言い付けていた。警備の人間にはわからなくても、タックなら見逃すことはない。
だが、アウファから脅迫状の入った封筒を渡されても、タックからは何の報告もなかった。パルミーゼが持って来た手紙が門扉に挟まれているところを、タックが気付かなかったはずはないのに。
「……ということだが、何も見てなかったか?」
「見てない」
声変わりする前の少年のような声で、黒ねこは答えた。
「誰かが来た時、別の所を見てたってことじゃないの?」
コルグーラがありえそうなことを言う。タックは金色の瞳をちらっと彼に向けたが、すぐに主人に向き直った。
「そのメイドが、屋敷へ入って行くのは見た。でも、そのメイドが門で何かを見付けたようなそぶりはしていない」
「え……」
コルグーラが兄を見る。
「さっき、話していたことが当てはまりそうだな。家にいる誰かがやった、というのが」
門扉に近付いて脅迫状を挟まなくても、屋敷の中で仕事をする人間が自分の荷物に忍ばせてくれば、誰かに見られる心配はない。
警備の人間に何か言われたとしても、この家のメイドと言えばそれ以上突っ込まれることなく、屋敷へ入って来られる。
事件は、窃盗ではなく誘拐。出て行くのではなく、中へ入るのだから、警備の人間は手荷物検査などをしなかっただろう。
だから、ゆうゆうと持ち込めたのだ。
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