人間は拾うものじゃない
碧衣 奈美
01.竜と少女の出会い
夏の早朝。まだ完全に明け切らない時間。
ややひんやりした空気が漂うティコリの森を、ユーラルディはのんびりと散歩していた。
「んー。やっぱりこの時間は、人間界の空気も気持ちいいなぁ」
やや湿り気味の土の匂いを、ユーラルディは思い切り吸い込んだ。朝独特の空気の香りはいいものだなぁ、といつも思う。
気分よく朝の森を散歩している彼……ユーラルディは、竜である。
黒く光る鱗に覆われた身体は、黒曜石のように美しい。長さは馬を三頭並べた程だが、彼はまだ成長途中の若い竜。なので、これから三倍以上にはなる。
黒に近い深い茶の瞳は穏やかな色で、実際にユーラルディは穏やか……と言おうか、のんびり屋だ。
そんなユーラルディの趣味は、朝の散歩。だいたい、森の中が多い。
特別どこの森がお気に入り、というものはなく、その時の気分次第。竜の世界の森だけでなく、こうして人間界の森へもよく来る。
このティコリの森は、人間界に存在している場所。だが、実はどこからでも竜界と行き来できる、特殊な森なのだ。
もちろん、人間はそんなことなど知らない。
特に深くもなく、変わった動植物が存在することもなく、何か特別なものがある訳ではない。どこにでもありそうな、普通の森だからだ。
この森だけでなく、人間界にはこういった場所が昔からいくつか点在していた。竜界と人間界につながる場所が。
ユーラルディだけでなく、彼の仲間の竜達も、気が向くとこうして人間界にこっそりと顔を出していた。竜によっては、人間の街へ行くこともある。
自分の周りにはない、珍しいものに興味を抱くのは、竜も人間も同じ。
もちろん、その時は竜の姿ではない。もし見付かっても騒がれないように、人間の姿になって。
ユーラルディも、今は人間に姿を変えている。
黒く短い髪、濃い茶の瞳は竜の時と同じ色だ。見た目はだいたい十七、八歳くらいの少年に見られるだろう。ユーラルディは竜としても、それくらいの年齢なのだ。
あまり目立たないように、できるだけ特徴のない姿になろうとはしている。変に絡まれたりすると、のんびりな時間が楽しめない。
だが、長身で美形な点は、竜の特性
今は時間も早く、森の中なので誰かとすれ違うこともない。なので、ちらちらと、もしくはあからさまに、ユーラルディに視線を向ける人はいなかった。
……いない、はずなのだが。
「あれ?」
そのまま歩けば、森の中に広がる小さな湖へ出る。
その少し手前まで来た時、ユーラルディは小さな人間の姿を見付けた。
小さな人間……つまり、子ども。女の子だ。
見た感じだと、三歳くらい、だろうか。明るい金色の髪は緩く波打ち、肩まで伸びている。目はくりっと大きく、きれいな紫色。小さなくちびるは赤く、頬はうっすらピンク色。
全体的にひらひらした、半袖の白い服を着ている。裾は足首辺りまで。その裾も、ふりふりした仕立てになっている。
ユーラルディは人間の服装にはあまり詳しくないが、ドレスと呼ばれる衣装……とは少し違うような気がした。
かわいいなぁ。動物って、どうして小さいとかわいく思えるんだろう。あの子、手のひらサイズになったら、妖精みたいになりそうだな。
そんなことを思いながらユーラルディが女の子を見ていると、あちらもユーラルディの存在に気付いたようだ。
見た目は少年のようでも、ユーラルディは背が高い。小さな女の子から見れば、それだけで怖く思えてしまうこともある。
が……女の子はまるで物
「えーと……どうすればいいのかな」
ユーラルディは何度も散歩目的で人間界へ来ているものの、あまり人間に接したことがない。たまたま出会って会話をしたことはあるが、数える程度。
人間、特に大人の女性の場合はユーラルディの顔にみとれ、大した会話にはならなかった。会話が成り立たず、知らない人間と向かい合うのは、竜だって何だか気まずい。
そういう困ったことがあるので、ユーラルディは森や山など、人間がいない、もしくは少ない場所へ行くのだ。
そんな大したことのない経験しかないものの、一応の知識として、ユーラルディも人間のことは色々知っている。
だが、子どもの扱いについては、ほとんど知らなかった。幼い竜と同じ……と考えたら、色々と不都合なことがありそうな気がする。
女の子は、明らかにユーラルディを目指して歩いていた。さっと回れ右をして、見なかったことにする、というのも一つの手ではある。
だが、余程視力が悪くない限り、女の子はきっと「彼は自分を見ていた」ということに気付いているはずだ。
それに、もし追いかけて来て転んだりしたら……と思うと、そういうことはしない方がいいような気がした。
性悪な魔物が、人間に化けている訳ではない。おかしな魔法をかけられて、大人が子どもにされたのでもない。妖精が人間の大きさになっている、というのでもない。
うっすらと魔力の気配を感じられたが、それは彼女が持つ魔力とは違う。誰か、もしくは何かの魔力が彼女の近くにあっただけ。たばこの煙の残り香みたいなものだ。
女の子は、本当の人間。
ユーラルディは竜だから、人間とは違ってその辺りの判断に間違いはない。
とりあえず、ユーラルディは彼女がこちらへ来るまで待つことにした。
女の子は長くはない足を懸命に動かし、ユーラルディへ近付いて来る。見下ろすのもちょっと……と思ったユーラルディは、その場にしゃがんだ。
「おはよーござます」
ユーラルディの前まで来ると、女の子は舌足らずな口調で朝の挨拶をした。
「おはようございます。えーと、きみはどこの子かな。自分の名前、言える? ぼくはユーラルディだよ」
「ミィ」
「ミィ? ミィって名前なの?」
ユーラルディが尋ねると、女の子は大きくうなずいた。
ねこの鳴き声みたいな名前だな。……たぶん、もう少し長い名前か似たような音なんだろうけど、まだ小さくてちゃんと言えないってところなのかも。
人間の子どものことはよくわからないものの、ユーラルディもそれくらいの推測はできた。
「にぃに、ここ、どこ?」
どうやらユーラルディの名前は覚えられなかったようで、ミィは目の前の少年を単純にお兄ちゃん呼びすることにしたようだ。
ユーラルディとしても、自分の名前を変な形に覚えられるよりはいい。ただ、兄弟のいない彼にすれば、お兄ちゃん呼びは少しくすぐったかった。
「ここは、ティコリの森だよ」
「もり?」
この状況からある程度の想像はしていたが、やはり本人の意思でこの辺りを散歩しているのではないようだ。さすがにこの幼さで、散歩が趣味です、とはならないだろう。
「ミィは今まで、どこにいたの? お母さんやお父さんは?」
「んー、わかんない。ねてたの」
時間を考えれば、そろそろ人間が起き出す頃。ミィは少し早めに起きた、ということだと思われる。
しかし、この周辺にこんな子どもが寝起きできるような家はなかったはずだ。だとしたら、どこから来たのだろう。
ユーラルディは立ち上がり、周囲を見回してみた。しかし、ミィの親らしき人間の姿は見当たらない。彼女の姿を求めて呼ぶ声も、全く聞こえなかった。
もしかして、捨て子、とか?
捜し回る親はなし。近くに民家はなし。こんな小さな子が森の中で、しかも早朝に一人で歩いている。
これは、普通の状況とは思えない。
さらには、ミィが靴をはいていないことに、ユーラルディは気付いた。くつ下さえもない。
幸い、ケガはしていないようだ。汚れてはいるが、そんなにひどいものではない。歩いた距離が短かったのだろう。
「とりあえず……ぼくと来る?」
うなずいたミィを、ユーラルディは抱き上げた。
☆☆☆
ユーラルディはミィを連れて、竜の世界へ戻った。
竜の姿に戻ったら、ミィが怖がるかも知れない。
そう考えて、ユーラルディは今も人間の姿のままでいる。
ただ、ずっとこのまま、という訳にもいかないし、戻るタイミングを考えなくてはならない。
「にぃに、ここ、どこ?」
さっきも聞いた気がする、ミィの質問。
「ここは、竜の世界だよ」
ユーラルディがそう言うものの、周辺は特に今までと代わり映えしていない。
万が一、人間が何かの拍子に間違ってこちらの世界へ入ってしまっても、気付かれないうちにこの世界の空気が人間界へ戻してしまう。
そのため、この周辺はティコリの森とほとんど変わらない景色になっているのだ。
人間界へつながる他の場所も、人間界へ出た時と似たような景色になっているので、人間に気付かれたり騒がれたりすることはまずない。
だが、ミィがそういう質問をするということは、ここが「さっきまでの場所とは違う」と何となくでも気付いているようだ。
そうでなければ「どこ?」という質問は出ないはず。
幼い子どもの方が感覚が鋭い、と聞いたことはあるけど、本当なんだな。
もっとも、竜の世界と聞いても、ミィは首をかしげるだけだった。
どういう場所へ来たか、という点については、彼女の年齢では理解が追い付かないらしい。きっと「聞いたことのない場所」という程度だろう。
「さて、これからどうしようかなぁ」
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