第19話 氷の令嬢、再び
彼はまさに物語の主人公だ、そう確信せずにはいられない容姿をしていた。
金髪長身の貴公子、ジュリアンの若くして完成された美貌は、きっと多くの女性を虜にするだろう。
かつてゲームパッケージで見たイラストよりも、目前にいる男は華に満ちている。僕はすぐに、彼に万年筆を手渡した。
「ありがとう」
その笑顔に、周囲を取り巻いていた女性達が声を上げる。彼女達とは違う意味で、僕もまた感動していた。
だって、好きだったゲームの主人公に会えたのだ。それは感動というより衝撃だったかもしれない。
ただ、妙な違和感がある。これはゲームと現実の違いかもしれないが、僕の知っているフリーズ・ファンタジーのジュリアンと、今ここにいるジュリアンは何か違う。
でもそれは、当たり前なのかもしれない。何故かといえば原作の彼は、ゲームスタート時からすでにいくつかの戦いを経験している。
今のジュリアンはまだ駆け出しだろう。そう考えれば違いを感じることも無理はない。
先ほどの光の正体も分かった。もうここにいる必要もないので、そろそろ帰ろうか。
そう思っていた時だった。ふと、ジュリアンの側にいた女性と目が合う。原作ヒロインの聖女レスティーナだ。
彼女もまた、僕に微笑を浮かべて小さく会釈をした。軽く礼を返した僕は、聖女に対しても同様の違和感を覚える。
彼女もまた、邪悪を打ち払いし者と一緒に、ゲーム開始前からいくつかの戦いを経験する。だからこの違和感もまた、同じものかと推測した。
ついまじまじと見てしまったからか、レスティーナは小さく首を傾げたようだった。失礼をしたかもしれないので、僕はすぐにその場を立ち去る。
なぜか聖女の視線が、王都を出るまでずっと残っているような、奇妙な感覚だった。
◇
次の日、僕はお見合いの準備に奔走しながら、昨日あったことを思い出していた。
やはり主人公に出会うと、ここはフリーズ・ファンタジーの世界なのだと改めて痛感する。
同時に、これから今一度出会う少女への警戒心もまた膨らむのだった。
「キースは分かってるわね! これなら、きっとアリス様もお喜びになるわ」
姉上が弾んだ声で言った。僕と一緒に会場の準備を手伝ってくれて、しかもお見合いまで一緒に参加してくれるらしい。
ここは湖の遺跡近くにある丘で、大陸中でも数少ない景色を堪能できる場所だ。
テーブルやらパラソルやら、食事の準備やらで大忙し。本来なら僕は手伝う必要がないが、立案者が何もしないままというのも気が引ける。
メイドや食事係が走り回る中、あれこれと準備や声掛けをしていた。
「お見事な采配です」
途中、メイドのメイが僕の仕事っぷりを褒めてくれたが、彼女のほうがずっと手慣れている。
「とんでもない。やはりメイにはかなわないよ。君がいれば、姉上のこれからも安心だ」
彼女は珍しく、少し照れたようで、いそいそとその場を離れていった。僕と同じで、きっと根は不器用な人かもしれない。
父や母は、全てを僕に任せて馬車の中で眠っている。最初はあれこれと口に出していたが、納得できない内容ばかりだったので、僕はその度に反論していた。
すると、最初は怒りを露わにしていた父だったが、「勝手にしろ。何かあれば貴様の責任だぞ、分かっとるな」と言い残して馬車に引っ込んだのだ。
はっきり言って、どんな結果になろうと知ったことではない。僕は善処して、そして敗れる役で構わないのだ。
問題は両家の関係を悪化させないよう、絶妙な調整が必要だということ。
そして、来るべき敗戦の時はいよいよ訪れた。昼頃になって、過剰なほどの護衛に守られた二つの馬車がイグナシオ領に現れた。
まるで国の覇者を思わせる、何ら遠慮なく道の中心を突き進む一団に、領民達は誰もが恐れていた。
ローゼシア家は大陸で三本の指に入る大貴族であり、国王ですら恐れるほどの力を有している。
だからこれでも控え目であるかもしれない。まるで一国の軍隊とでも言えるような規模感で現れた集団は、半端ではない威圧感を有していた。
当然、うちの父などは震え上がっていた。もし少しでも不敬なことがあれば、イグナシオ家など簡単に潰されてしまう。
丘の前に馬車が到着するのを待つ間、イグナシオ家に重苦しい空気が流れていた。
僕はそこまで緊張はしていない。できる準備は整えたので、後はただ実行するだけなのだから。
姉上も口数は少なくなっていたが、時折こちらを見ては励ましの言葉や、助言を与えてくれる。父より姉上のほうが、余程豪胆な領主になれそうな気がした。
やがて白地に金枠で、いくつかの宝石をまぶしたような馬車が止まり、中からライオンが擬人化したような男が姿を現した。
続いて妙齢の美しい女性がエスコートを受けながら、こちらに姿を見せると、両親はすぐに二人の元へと歩み寄っていく。
僕はこの時ばかりは別行動だ。もう一台の——この場において主役の一人である少女が乗る——馬車へと近づき、静かに片膝をつく。
彼女のエスコートは僕がしなくてはならない。もうすぐ白い扉が開かれ、未来の悪役令嬢が姿を現すだろう。
そう思って待っていたのだけど、おかしい。一分ほどしたが、彼女が姿を見せない。
周囲にいた護衛兵や執事も「あれ?」と言わんばかりの顔になっていた。声をかけたほうが良いかもしれない。
「アリス様。お久しぶりです。キース・ツー・イグナシオです。ご準備はよろしいでしょうか」
「……あ」
するとちょっとだけ間が空いてから、小さい声が聞こえた。何かあったかもしれないと思い、執事や護衛兵に目配せをした後、扉に近づく。
僕がノブに手をかけようとした時、結構な勢いで扉が開かれた。
「おっと」
あと少しで顔面にドアが直撃するところだったが、ギリギリでかわす。すると、氷で作られた人形のような少女が、慌てた顔でこちらを見つめていた。
「も、申し訳ございません」
「お気になさらず。お眠りになっていたのですか。快適な旅で何よりです」
「い、いえ。あそこにいて……その。気づかなかったのです。申し訳ございませんでした」
彼女がちらっと目線を送った場所は、馬車の一番奥の隅っこにあたる場所だった。この一言に違和感を覚える。
普通貴族というものは、誰しもが真ん中の、最も自身が格が高く見える場所を好むものだ。
なのに彼女ときたら、隅っこも隅っこ、最も目立たない場所にちょこんと隠れるように座っていたということになる。
それともう一つ気になったのが、この馬車自体の作りだ。窓が一切なく、外の景色が全く分からない。かつ声の響き具合からして、防音まで行き届いている。
これでは気づかなかったとしても無理はないだろう。しかし、なぜこのような馬車に乗せられているのか。
しかし、今はそのことを気にしている暇はなかった。早く見合いを進行させなくてはいけない。
僕はもう一度、彼女をエスコートするために手を伸ばした。
「あなたが謝罪なんて、とんでもないことですよ。お気になさらず。さあ、こちらにいらしていただけますか」
こういった仕草や礼節は、今までしっかり学んでこなかった。だから間違っていないか、喜んでもらえるか不安ではあったけれど、彼女はほっとしたようだ。
すぐに右手を取り、これからやってくる春の日差しのような微笑を向けてくる。
「ありがとう」
この反応は意外だった。あの原作で見せた冷酷さが、今は微塵も感じられない。
アリスはただただ、可憐な少女にしか映らなかった。
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