第25話

「死なないと思っているのなら、撃つ必要はなかったのでは?」

 起き上がった彼──九十九蔵介は少しうんざりした様子で口を開いた。

「物は試しと思ってな。でもいいよ。アタシ的には答え合わせがしたいんですわ」

 ぬけぬけと、辻村はすました顔で話を切り出そうとする。が、九十九蔵介が手元の物を凝視していることに気づき、口を閉じる。

「……それは母のものでは?」

「殺した。しっかりと、さっくりとな」

 求められている答えを、数倍鋭利にして辻村は返す。

「次はお前だ」

 平然とされる殺害予告に、九十九蔵介はぴたりと動きを止めた。そんなただの宣言が先ほどの銃撃をものともしなかった彼にとって意味があるとは思えない。意図が読めないが、かといってそれを問いただすこともできない。致は静かに息を飲んで成行きを見守るしかできない。相変わらず彼は白刃を携えているが、それをこちらへ向ける様子もない。一先ず話は聞いてくれるようだった。それが余裕なのか、辻村に対し出方を考えているのか。致には判断できなかった。

「まず掛け軸。それはおたくらの言う通り自作自演ではないんだろうな。それはアタシも分かる。んじゃ百々瀬克樹は? あんたらが殺したんだと思うんだけど、そこまでやるか?」

 黙する男を、辻村は一瞥する。

「いいや違うね、やらなきゃいけなかったんだ。集落内でのバランスをとるために」

「どういうことだよ、それ」

 予想の斜め上の答えに致は思わず訊き返す。社会的な対面のために、そこまでやる動機があるのだと辻村は話を始めた。

「まず前提として、九十九家は百々瀬家に優位を奪われていた。技術力を喪い、資金源も尽きた九十九家は、集落内でも落ちぶれていくはずだった。けど、そうはならなかった。百々瀬家が独自の煤梅製法を作り出したからな」

「その技術を、百々瀬家は九十九家に売ったと?」

「売っちゃいませんぜ。貸したが近い。製法は編み出せても、百々瀬家にはある問題があったんすよ──設備という問題がね」

 設備、という言葉で致も辻村の言わんとすることを察する。

「そうか、水か。百々瀬家じゃ、他の集落に顔が利かない」

「そう。水はライフラインっす。特に水耕農業を行う者にとって、その供給は最重要視される。上流で必要以上に水を使う集落があれば、下流域の集落が不利益を被る。だから九十九家はある程度下流域の集落にお願いをしてたんですわ」

 代々集落を率い、ダム誘致という実績を持ち、この周辺を盛り上げた存在だからこそ許されるのだろう。同じことを百々瀬家はできない。集落の隅に追いやられ、寿命を延ばす権利も失った彼らが集落の外に利く顔なぞ持っているはずもない。あの物語がもたらした呪いは、今も強く彼らの首を絞めているようだった。

「だから百々瀬家は、九十九家を潰すわけにはいかなかった。そこで内内で取引でもしてたんでしょう。百々瀬家は資金の提供を、九十九家は施設の提供を。生産は主に百々瀬家がやるけど、実質共同運営をしていたというワケです。表上の立場は変わらないまま」

「そこに、表上の立場を揺るがしかねない爆弾が放り込まれた、というわけか……」

「その通り。掛け軸と百々瀬克樹です。集落の人間はある程度察していたと考えていいでしょうね。けど、集落外の人間はそうもいかない」

「家宝の展示があってかつ、集落外の人間も来る祭の時期に、百々瀬克樹はやってきた」

「九十九家はあれが偽物であったことはご存じで? いやまぁ、答えんか。知っていたんでしょう。どうせ。鑑定も嘘であると考えるのが妥当。だってそれなら、本物であると証明すればいいだけのこと。けれどそうもいかなかったのは、知識のある人間が鑑定をしにやってきてしまったから」

 金清野渡とて、業界うちで見れば未熟も未熟、まだまだひよっこではある。が、それは内での話。一般から見れば、くずし字が読める時点で詳しい人間の扱いになる。未知数の脅威となった金清野渡はさぞ恐ろしかっただろう。

「鑑定をひっくり返すほどの知識はない。けれど偽物であることだけは知っている。九十九家はそういう状態だった」

 致の言葉に辻村は一つ頷いた。

「だから、彼は消さなければならなかった。あからさまに見える隠ぺい工作であっても、しなければならなかった。外にそう伝わばいいだけの話だから、ね。どうせこっちの駐在さんにも身内がいるんだろう」

「じゃあ、百々瀬克樹を殺したのは九十九家だと?」

「百々瀬家も、ですかね。ただ、そうとなると、掛け軸を盗む意味が分かりませんからね。ただ殺せばそれでよかったのに、わざわざ盗むというターンが入った。正当化のためっすかねぇ」

 辻村の呟きに、九十九蔵介は再度首を横に振ってみせた。

「残念ながら、先ほども申しました通りこちらは関与していません。完全に予想外でした」

「じゃあ、誰がそんなことを? 集落内に九十九家が落ちて喜ぶ人間なんて思い当たらないですけど」

「いる、集落外に一人」

 致は静かに顔を上げる。

 伏せっていた復讐者はゆらりと立ち上がった。彼を迎え撃たんと白刃が一瞬にして翻る。重たい音が反響する。白刃を受け止めたのは辻村の抱えていた猟銃だった。彼女は九十九蔵介の押し込もうとする力を横に流し、牽制の一撃を入れる。

 両者は睨み合いつつ距離を取った。

「しつこいですね、あなたも」

 牽制に入った辻村を気にも留めず、九十九蔵介は鳴木を睨みつけた。鳴木は視線を受け止めつつも微動だにしない。そんな様子に不気味さを覚えた辻村は、息を飲んで致へ視線をやった。

「あんただよな、鳴木さん。そもそもおかしいと思ったんだ。誰が俺にメールを送ったのか、まるで分からなかった」

「え、そりゃどういうことです? メールを送ったのは渡さんでは?」

「その説もあった。けど違う。この人がすべての元凶だ。掛け軸を盗んで渡を監禁まで追い込んだのも鳴木さん。渡の偽物を用意したのも鳴木さん。俺らが殺されるよう仕向けたのも鳴木。あぁ、あとそう。煤梅の技術を復活させたのも──全部こいつ。お前のせいだろ」

 青いままの唇は次々に鳴木を責め立てる。

「九十九家の失墜を強く望んでいたんだろう。俺が日記を読んで、同情して協力するとでも思ったか。悪いが史料に個人的感情は乗せられない。医者らしく客観的だったのが仇になったな」

 内蔵には多くの書物があった。百々瀬樹の残した煤梅研究、長谷家考察。これらのほかに多数の医学書、解剖学の専門書、そしてカルテらしきもの。

 ──煤梅の再開発過程と、開発者の日記。

「致さん、協力って?」

「集落内に貼りだされてたポスター覚えてるか」

「ああ、ありましたね。探し人の。確か、鳴木なつ子さんでしたね」

「そうだ。こいつの伴侶だ」

「え、なつ子って……」

 辻村の疑問を拾い、致は一つ頷く。

「辻村から九十九家が煤梅の技術を喪ったと聞いた時、今はどこが作って市内にバラまいているんだと思ってな。実際、百々瀬家と九十九家が共同で作っていたわけだが……その二家でも技術復活までは単独でこぎつけることができなかったらしい」

 史料に残されていたのは、必死な技術の再開発の記録。苦悩、困難を極めた研究資料の復元作業。そのすべてを指揮していた人物は目の前でただ黙している。

「あんた医者なんだな。翆嶺にサナトリウムができて、それで呼ばれた」

「さな……あぁ、隔離療養所のことですか。もしやあの廃墟が?」

「なんでそっちで分かるんだよ。それだ。あの廃墟はおそらく、サナトリウムの跡地だ。んで、その廃墟がここと繋がっている。辻村」

「言いたいことは分かるっすけど、それだと時系列はどうなるんです? アタシの見た旧研究室の記録はここ数十年。そのサナトリウムってのは大体戦後には数を減らしてますぜ。それ以降に新しくできるとは考えにくいです」

「そうだな。だから、二回だ。こいつらは二回も煤梅の技術継承に失敗している」

 一度目は戦時中に、二度目はここ数年で。

 その理由はいくつもの要因が重なって起きたものだったらしい。彼らは必死に、生き残るために研究を重ね、技術を取り戻そうとした。しかし出来上がるのはオリジナルの劣化ばかり。かつて長谷家から継承された技術は、今や欠片も残っていないのだと日記の著者は嘆く。

「一回失ったものを再度失って、どうにか復元しようと、手段を選ばなくなったと?」

「いや、それこそサナトリウムがあるうちから人体実験はしていた。供給源が無くなったんだ。この時代サナトリウムなんて必要がないからな。結核のためだったんだろうが、需要がなければ運営もできん。かといって、こんな集落で代わりとなる病院は経営できない。誰もかれも病気にはならないし、激しく衰えもしないからな」

「た、確かに……この集落、近場に病院ないっすね……」

「話を戻すが──最近になって人攫いを始めたのは供給源がなく、前回と同じ復元研究ができなかったからだろうな」

 致の一瞥を受けても九十九蔵介は動かない。隠された表情を読めはしないものの、妙な確信が致の中にはあった。

「じゃあ、市内の行方不明事件は人体実験のための人攫いだったと」

「だろうな、と俺は思う。発覚したのは必然だろうな」

「それは分かりましたけど、それと鳴木さん、どう繋げるんです?」

「鳴木なつ子だ。いなくなったのは研究が始まってから少し経った頃だそうだ」

 息を一つついて、話は続けられる。

「結局見つからずじまいだった鳴木なつ子が、遺体として見つかったんだよ。それが大体、そうだな、太平洋戦争が始まる前だ。胸糞の悪い話だが、鳴木なつ子は九十九蔵介に殺されていたんだよ」

「……随分と前ですな。煤梅ですか」

「だろうな。ここにいる人間は、地味に先進的だがその中身は戦前からずっと生きてる人間ばかりだ。百々瀬家でさえもそのくらいだからな。おそらく平成生まれはいない。それどころか、戦後生まれもいるか怪しいところだな」

 突拍子のない話だが、辻村は静かに頷いて受け入れた。どこか不気味な感覚を覚えたが、追及するのは今ではない。致は話を続けた。

「煤梅に対する抵抗力が低かったらしい。根元にするにはちょうど良いと。ソイツが、勝手に煤梅を植え付けられ、鳴木なつ子は自死に追いやられた。まぁ、ひどい話だと思う」

 淡々と、他人事の感想をつけて致は首を横に振る。

「こいつは死んだはずの人間を蘇らせようと煤梅の研究を本格化させた。元々適性が高かったみたいだしな。できたのは言葉を喋れぬ、随分と幼い煤梅の子だったが。ただそれが技術復活のカギになったんだと」

「それで、今の煤梅が出来上がった、と」

 背後に広がる煤梅の林を二人は一瞥する。

「それ以降、百々瀬家は鳴木に黙ってこの技術をもとに九十九家に協力を申し込んだ。それに離反を示す形で鳴木が離れたというワケだ」

 百々瀬家はよりにもよって、仇である九十九家に協力を申し込んだ。当然鳴木も協力を取り付けられるはずだったが、彼が承諾するはずもない。鳴木は静かに姿を消した。

「じゃあ、市内で出回っているものの大本は、九十九家ではなく鳴木さんと?」

「大本の話をすればそうだな」

「だから……そうか、ポスターは貼られたままに? 離反者を探すため?」

「そのまんま放置してたわけではないと思うぞ。原本が残ってれば増刷はできるだろうし。集落総出で探し始めたんだろ。集落の外に逃げた鳴木を見つけるのは難しかったんだろうな」

「一個疑問なんすけど。ナツコさんが宴会に紛れても見つからなかったのは?」

「ある意味ここの煤梅の新しい祖みたいなもんだからな。認識阻害とかそういうのじゃないか。分からない。テレパシーが使える前提で話をするなら、だけども」

「オカルトですねぇ。それで結論付けるんです?」

「信じたくないが結果はそうと出た。掛け軸を盗んだのもメールを送ったのもナツコなら可能だろうしな。幽霊である可能性もまぁ否定はせんが、明らかに周りの人間が気づいていないし」

 とにかく、と話は仕切り直される。

「日記にはざっとそんな経緯が書いてあってな。鳴木のみの証言だから事実かどうかは判断できん。ただ本当にそうであるなら、確かに同情すべき境遇だろうな。一定の理解は示せる」

 そうは言いつつも致の視線は冷たい。

「けど納得はしない。ましてや渡を人質に取って復讐に加担させるとはな。辻村はまんまと乗ったようだが、俺はそういかないぞ」

 挑戦的な致の言葉にも、鳴木はまるで動じなかった。

「第一、この場にあんたがいるんだからあんたがやればいいだろ。それとも、俺らじゃなきゃいけない理由があって?」

「それをこの人たちには説明していなかったんですか。あんたも手緩い」

 九十九蔵介の声にも、鳴木は目を伏せったまま答えない。立っているのもやっと、というようにはとても見えないのだが。

「この男は、煤梅のことを自分の娘かなにかだと思っている節がある。昔からそうだ。ただ情が移って殺せないだけだ、その男は。まぁ、自殺をするようなものですし、大量虐殺をするようなものでもありますからね。結局は保身です」

 九十九蔵介の言葉に、一同は口を閉じる。

「だから金清野渡を煤梅の親木に寄越したんでしょう?」

「は──!?」

「そうすればあなたたちは必ず伐採をしなければならなくなる、と」

「そうだ、その通りだ」

 鳴木は欠片も否定せずにただ頷いた。

 おもむろに鳴木は小さなものを懐から掴みだす。漂う異臭、思い当たる最悪の結末に、足がすくむのが分かった。

「──清水先生!」

 辻村の反応と同時に、彼の手元で火が爆ぜた。再び冷たい水底へ、致の意識は連れていかれる。己の腕を掴む辻村の手の温かさだけが頼りだった。水面を舐めた火を避け、致は引きずられながら奥へ奥へと移動する。先ほどまでいた場所では、激しく炎が揺らめいている。そのせいだろう、水もだんだんと温かくなってきているのが分かった。

 黒い枝が熱から逃げようとしているのか、水面を縫うようにして動き回っている。それらから守るようにして致は上着を着直した。辻村に腕を引かれるままに奥へ進み続ける。火は水面の油を伝ってきているのだろう。水上で揺らめく炎にいずれ背を焼かれる。そんな気がしてならない。

「お前、すごいな」

「よせやい、急なデレは照れますぜ」

「キモい言い方するな……渡は」

「おそらくこの中に。探しましょう。まだチャンスはあるんで」

 煤梅に取り込まれてどの程度経つと取り戻せなくなるのか、二人は嫌な想像をかき消すように周囲の煤梅を調べ始める。

「……いた!」

 目的の人物はすぐに見つかった。空間の奥、ひときわ太い木の根ががんじがらめにして、その半身を水中へ沈めている。が、息をしているところを見ると、まだまだ取り入られるには時間がかかるところだったらしい。致らの呼びかけに反応した彼は、うっすらと目を開けて視線を寄こす。返事をするほどの余裕はないらしい。それでも感じる脈拍と微かな温度に安堵してしまう。

「よかった、渡が風邪をひいてて」

「そうっすけどマズいのでは」

「分かってる」

 二人がかりで煤梅から金清野渡の体を引き剥がす。名残惜し気に水底へ帰っていく木の根を一瞥して、辻村は渡を背負い直した。

「すまん、任せる」

「いいっすよ。そのためにいるんですから」

 代わりにと差し出されたリュックを背負い、致は周囲に視線をやった。

「んで、こっからどうする」

 背後には激しく火の手が上がる水面と、悲鳴にも似た音を立てて燃え行く黒い枝。見上げた先にあるのは低い天井だった。水路はどこかへ続いているのだろうか、浮いている油がこちらへ向かって流れてきている。致の問いを受けた辻村はニヤリと笑ってすぐ近くの岩陰を指した。

「もう一つの抜け道があるんで、そっから出ます」

「そんなのが?」

「ええ。アタシの交渉の賜物ですぜ。感謝してくださいね」

「で、コレはどうする」

 顎で示された黒い幹を見、辻村は緩く首を横に振る。

「…………放っておいても燃えます。わざわざやる必要はないかと」

 黒い木を一瞥し、水路が続く先を二人は黙って覗き込む。薄暗く、光源は一つもない。その先を見ようにも、光が届かない奥に致は半歩引いた。対して辻村はさっとポケットからスマホを取り出す。ひらひらと致に端末を見せつけつつ画面を操作していく。

「なななんと、防水性でーす」

「聞いてねぇよ」

 灯った明かりで水路は僅かに照らし出される。この水路は水はそこまで深くないらしく、底の見える道の先は緩やかにカーブしているようだった。ライトを持った辻村が我先にと足を出す。されるがままに致はその背について行くことになった。足首まで下がってきた水面を蹴り、前へ前へ先を行く女に気持ちが引きずられていく。

「……ナツコさんは」

「ありゃ無理です。本人にその気がない」

 分かり切っていた答えを突き付けられ、致は続けようとした言葉を飲み込んだ。どこからか涼やかな風が流れてくる。ふと進む先を見れば、目に鮮やかな緑がぽっかりと空いた出口からこちらを覗き込んでいた。だんだんと浅くなる水を払い、二人は思わず歩調を速める。一転、暗がりに慣れた瞳を空梅雨の空が刺した。

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