エピローグ

 ここは、奇病に侵された人間が、静かに朽ちていく場所。

 命が結晶化していく瞬間を待つサナトリウム【ララット】。


 ·····きっと、ここは誰かの墓場だ。


 けれど、墓標は石ではなく、透明な輝きで出来ている。


 とある患者がいた。

 彼は【宝石病】という、やがて死に至る奇病を患っていた。その病は、彼の涙を、彼の血を、そして彼の身体を次々に宝石へと変えていった。


 そんな患者を、傍で見守るモノがいた。

 彼女はロボット·····というのは、彼女の自称にすぎず。

 実のところ彼女は、とある個体を元にしたクローンだった。

 けれど。それでも、彼のたった一人の先生だった。


 宝石になりゆく患者と、最初から命なんて持てなかったクローン。


 二つの紛いモノは、そんな小さな小さな世界で、精一杯生きていた。


 さて、人は死ねば灰になると言うけれど·····。


 値札のついた石ころと、人を模した部品に、灰なんて残るはずもない。


 なら、命が砕け散る時、そこには何が残るのだろう?

どんな輝きが待っているのだろう?


 何カラットの痛みで、何カラットの愛で。

 心はその価値を証明してくれるのだろう。


 答えはきっと、誰にも分からない。


 けれど、一つだけ、ここに確かなものがあるから。



「──患者くんっ!」



 彼女が、彼を呼ぶ。

 黒い髪を揺らしながら、青年が振り返った。


「こら。患者くん、じゃなくて。ソラ先生、だろ?」


 サファイアのような青い瞳が、彼女を捉える。

 以前よりずっと大人びた顔をした彼──ソラは、今は患者服ではなく、白衣を身にまとっていた。


「えへへっ、癖でつい·····!」


 ごめんなさいと、そうやって笑う彼女──メルは、頬を真っ赤に染めている。

 二人の首元には、やや歪なダイヤモンドのネックレスが揺れていた。


「それにしても·····、ソラくん、本当に大きくなりましたねえ」


 メルはソラを見上げた。

 以前より首をあげて上目遣いをする彼女は、とても愛らしい。


「メルと違って、俺は心も体も『大人』だけどな?」


 こつんと軽く拳をメルの額にあてる。

 彼女は大袈裟な素振りで額を抑えると、子リスみたいに頬を膨らませた。


「もお〜!意地悪なところは変わってません〜っ!」

「メルにしかやらないから、いいんだよ」

「なーんでですかあ!」

「なーんで、でしょう?」


 そんなやり取りをいくらか繰り返していれば、ふいに、メルの瞳が揺れた。

 透明度の高い瞳が、光を反射して宝石のように何重にも輝く。

 その瞳から零れたのは、あの日見た海を閉じ込めたかのような蒼──ラピスラズリだった。


「·····泣くなよ」

「だ、だって、嬉しくて」


 透き通るラピスラズリの輝きは、波間に煌めく光の粒のようだ。

 そして、彼女が必死に【宝石病】と向き合い、戦い、生きてきた証でもある。


「·····俺、流石に身長はもうのびないけど。もっと、大人になるよ。だから、泣かないで·····、ちゃんと傍で見ててよ」


 メルの頬を撫でる。そこには確かな温もりがあった。

 ソラの指を弾くラピスラズリでさえ、愛おしいと思える。それは、メルの献身と愛のお陰だった。


「〜っ、はい!二人で、おばあちゃんとおじいちゃんになりましょう!」


 彼女の想いに応えるように、ソラの瞳からダイヤモンドの涙が零れる。


【宝石病】。

 それは希望を削ぎ落とす病。

 やがて、溢れる涙は宝石へと変わる。

 皮膚が硬質化し、血液は結晶へと変化して。

 指先が、腕が。そして、いつかは心臓さえも、宝石へと変えていくのだ。


 煌めく宝石のような病巣は、美しい程に残酷だった。


 誰も助からない。

 誰も、逃げられない。


 ·····なんて、一体、誰が決めたんだ?


 確かな温もりが、傍にずっとある。

 隣に、メルがいる。

 だから、ソラは諦めなかった。

 だから、メルは逃げなかった。

 その呪いに、二人は抗い続けた。


「うん·····、ずっと一緒にいて、メル」

「はい、ずっと一緒です、ソラくん!」


 あの日から。

 二人で海を眺めたあの朝から。

 ソラとメルは【宝石病】を治す為に、生きる為に、必死に抗った。


 それは、手始めに、これまで好き勝手してくれた【ララット】の院長に直談判するところから始まった。


 己の価値を証明して。

 己の命を糧にして。

 この呪いを対価に支払って。

 己の全身全霊をかけて。

 己の生涯を費やすことを決めて。


 そうして、二人は、この瞬くような輝かしい時間を得たのだ。


 けれど。


【宝石病】は、未だ二人を蝕んでいる。

 御伽噺のように、呪いが解けたわけでもない。


 対抗策を練り、症状を緩和することは出来ても、【宝石病】そのものを消し去ることは叶わなかった。


 ソラの瞳からは、ダイヤモンドの涙が。

 メルの瞳からは、ラピスラズリの涙が。


 依然として病の証として零れる。

 延命は出来ても、いつ、その呪いが二人の命を壊すかは分からないままだ。


 けれど、確かにここで。

 この場所で、二人。

【宝石病】という呪いを抱えながら、ソラとメルは必死に生きていた。


「うん、約束」


 ソラはネックレスの先を、彼女のダイヤモンドと合わせる。

 ともすれば、それは二つで一つの輝きを放った。

 呪いの象徴だったはずのその石は、今はソラとメルを繋ぐ、確かな絆として輝いている。



 ──それはきっと、奇跡なんかじゃない。

 運命なんて、もっとくだらない。



 これは二人で掴み取った祈りだ。

 諦めなかった未来だ。

 描いた希望だ。


 奇跡でも、運命なんかでもない。


「それじゃあ、行ってくる」

「はい。行ってらっしゃい、ソラ先生!」


 メルの激励を胸に抱いて、ソラはとある病室の前に立つ。

 その部屋は、面会謝絶の奥の個室だった。


 深く息を吸い込んで、扉をゆっくりと開ける。

 患者としてではなく、今度は先生として。


「·····おっほん」


 咳払いが、ひとつ。

 それはソラの喉から零れた。


 目の前の患者が、虚ろな瞳でソラを窺う。

 その視線は全てを諦め、孤独に苛まれていた。過去のソラと同じ瞳だった。


 だから、息を、大きく吸い込む。



「さぁ、ここが君の墓場だ!終わりだ、始まりだ。そして、今から俺が、君の居場所になる!」



 まるで最初から定められていたように。

 芝居を演じるかのように。

 それは決められた台詞をなぞるかのように。


 ソラは確かに、メルの言葉を倣って、そう言ったのだ。


「だから、大丈夫。君は、一人じゃないよ」


 その微笑みは、まるであの宝石のように透明で、輝いていて。

 この不自由な世界の中でさえ、価値を見出してしまうような、眩くて優しい笑顔だった。



 ──もし、この物語を見つけたのなら。



 どうか、耳を澄ませてほしい。

 その目で見届けて欲しい。


 二人の紛いモノが見せた·····砕けたガラスのような心が、炭素の塊が、最期まで魅せる輝きの音と色を。


 だって、これは、世界で一番儚くて、美しい。

 そんな、宝石箱みたいな、ソラとメルの、二人の物語なんだから。

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ラット・カラット・クラリティ なの星屑 @nanohosi

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