10


 少し早足気味になりながら、結局私は一度彼の家に帰ることにした。


 コンビニまで無駄な足を運んできたことを思うと、どうにもやるせない気持ちが生まれてしまう自分がいたけれど、それでも帰ることを目的にした足は、解放されたように重みはなくなっていた。


 いくつかの足跡を見た、それは私のものなのかもしれないし、誰か違う人のものなのかもしれない。たまにそれに重ねるように歩きたいという誘惑も走るけれど、そんなことをしてもあまり意味はなかった。


 世界にはだんだんと暗闇が広がりつつある。世界が黒を孕みつつある。青さえ映らない世界の、どんよりとしている空の色は夜を思わせる雰囲気がある。


 日射の欠片さえも失いつつある気候の中、より世界は一層冷たくなっていく。頬の熱さを無駄に感じながら、指先の芯まで冷える感覚に、思わず手をポケットに隠してしまう。布越しに感じる指先の冷たさが太ももを撫でるのが痛みにも似ていたから、結局すぐにそんなことはやめてしまったのだけれど。





 どうでもいいことを考えながら、もしくは何も考えないまま彼の家にたどり着くことができた。


 世界は夜の雰囲気を宿しつつある。暗闇を理解した街灯がほのかに光をくぐらせる世界を、私は足元だけ見つめて歩き通していた。


 彼の家の前までついて、その中にある灯りがともっていないことを玄関先で理解する。いつもであれば、とまた毎日のことを考えて、そこに彼がいないことをドアを開けてもいないのに理解してしまう自分がいる。……きっと、私には彼のことなんて何一つ理解することなんてできていないはずなのに。


 それでも一応と言わんばかりに、一度ドアを開けてみるけれど、予想通りにそこに彼の温もりはなく、部屋の温度も冷たいままだ。嫌なにおいだと感じさせるストーブのかおり、私が出かけている間にも、彼が帰ったということはなさそうだった。


「……」


 こんな時間まで、何をしているのだろう。


 彼は部活にも入っていないし、何かしら委員会に入っているということはない。数年間、ずっと私と一緒に時間を過ごしてきたからこそ言えることであり、日常となっていたからこそ、彼の帰りが遅いことがどうしたって頭に違和感として蓄積されていく。


 私が出かける時間帯くらいに帰ってきてくれていれば、何かしらの用事が入ったことには納得がつく。先生に頼まれごとをした、とか、もしくはいつも課題をやらないせいで教師に絡まれていたり、だとか。


 でも、冬の季節の中、帰りが少しだけ覚束なくなる夜に、そこまで時間をとられることは流石にない。だから、違和感だけがだんだんと頭の中にこびりついて離れなくなる。


「……探そうかな」


 彼が部屋にいない寂しさは、やはり私に独り言を呟かせてくる。


 滑稽だ、ひどく滑稽だ。自分一人しかいない環境で、いちいち言葉にするのが滑稽としか思えない。そこに彼がいてくれたのならば、まだ形にはなっただろうに、その形さえないのだから苦笑を浮かべるしかない。


 形が欲しい、形が欲しい。


 そんな曖昧としか言いようのない動機に、私はもう一度外に出ることにした。





 外の冷たさにはもう慣れていた。慣れた、といってもそれを苦しいと思う気持ちはあるけれど、それでも幾分か最初に外へと出たときよりかはマシだと思える気持ちがある。より世界が冷たさを世界にちらつかせようとしているのに、それでも気持ちとしては変わらないからこそ、私は外に出ても億劫さを取り戻すことはなかった。


 彼に会いたい、という気持ちが大きくある。こんな状況が初めてだからこそ、より強く刻まれた気持ちは頭の中に過り続けて仕方がない。


 目的を見出した足は、帰るときよりも早くに前へと踏み出そうとする。その意識の傍らの中で、彼はどこにいるだろう、とかぼんやり考えながら昔歩いた道を記憶の中で探っていく。


 こういうときに携帯電話があればよかった。もっとも、それを買えるだけの環境というものはどこにもなかったので、それを思うだけ無駄ではあるのだが、それでも携帯があれば容易く彼と会うことはできたような気がする。


 今まで不要だと思えていたのは、いつだって彼がそばにいてくれたからだった。一緒に時間を過ごしてくれていたからに過ぎなかった。


 私と連絡をとろうとする人間なんて、そこまで親密になる関係性なんてどこにもない。それこそ、彼こそがそのような関係性なのかもしれないけれど、いつも一緒にいるからこそ、そんな機器は不要でしかなかった。


 彼に会いたい。


「……会いたい」


 改めて口に出してみて、その寂しさを背中になぞらせるようにする。きりきりとした胃の痛みを確かに感じながら、それでも彼を求めている自分を演出して、足はより早くなる。そう思いたいだけかもしれないし、実際に足はより前へと進んでいるのかもしれない。


 不純でしかない。それは頭の中でわかっているつもりではあるけれど、それでも足は止まらない。埋まらない穴を埋めてくれることに期待をする自分が、そうして足を進めさせてくれる。


 会いたい、会いたい。


 私は、そうして彼に会うために、いろんな道を模索するように歩いて行った。





 だんだんと駆け足になっていった。そのたびに滑りそうになる雪道の残骸を歩くたびに、私は何度もため息をついた。


 彼は今どこにいるのだろうか。近場だろうか。高校の近辺だろうか、わからない。私は彼のことを理解できた試しなどないのだから、それを想像することも難しい。


 彼ならどうするのだろう。彼はなぜ帰ってこないのだろう。理由があってのものだろうか。昨日まで、ずっと同じような表情で過ごしていたというのに? わからない、やはりわからないままだ。


 だから、記憶に残っている道から切り替えて、あまり行ったことのない場所を探ることにした。わからないなら、わからないなりに探すことをすれば、どうにか行き着くことのできる場所が見つかると思った。そんなことに期待をして歩き続けた場所は、住宅が並ぶ道のそれぞれで、雪を鬱陶しそうに積み上げているいくつかの残骸ばかりだった。


 彼はどこだろう、どこにいるのだろう。わからない場所をあえて通ったりする自分を馬鹿らしいと思う自分もいる。でも、それさえどうでもいいと思うほどに、自分の中で彼がより大きな穴として孤独を感じさせてくるのだから、予感のようなものに従って道を早足で歩き続けた。


 そして、声がした。


「──好きなんだ」


 誰かが、誰かに告げる言葉。


 女の子の声が、どこか昔に聞いた女の子の声が、確かに耳に届いていた。


 

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