08


 入った部屋の中にぬくもりはなかった。


 いつもであれば、先に帰っているはずの健がストーブを点けて、徐々に熱を空間に帯びさせてくるのに、そのような気配はなにも感じ取れない。


 外の寒さと同様に、いや、少しくらいはマシではあるけれども、それでも期待していた暖かさはどこにもないままで、物音一つさえ聞こえてこない、そんな静かな環境が目の前にあった。


「……不用心」


 誰もいないのに、私はそんな独り言をつぶやいてみる。


 毎日、彼が先に家にいるからこそ、鍵のかかっていない玄関については慣れたものだったけれど、それにしたって本人がいない家の状況を思えば、改めてそう思うしかなくなってしまう。


 彼は一度家に帰ったのだろうか。帰ってからコンビニに行って、そのまま鍵を開けっぱなしにしていたのだろうか。わからない。けれども、どこかソワソワとした気持ちがあって、私は誰もいない彼の家を、少しだけ漁るように探してみる。


 学校から帰ってきたことを示すような鞄はどこにも置いていない。窮屈らしく、いつも脱ぎ散らかすような制服もそこにはない。それならば、帰ってきていないことは確かなのだろう。


 はあ、と息を吐いた。ここには一人しかいないのに、孤独を演出するような息を吐いた。それを示す相手は自分自身でしかなく、そんなことをしている自分の滑稽さに苦笑を浮かべそうになる。


 彼は帰っている途中だろうか。しばらくすれば帰ってくるだろうか。


 私は息が白む世界を目の前にしながら、それを霧散させるために部屋の中のストーブをつける。かちっ、という音に遅れて、ぼうっと火がつく音を聞き届けて、私はいつも使っているベッドに座り込んだ。


 ベッドの上に敷かれているシーツや布団、毛布はすべてバラバラなままだ。誰かが片付けるということはないし、私もそれらを片付けるようなことはしない。どうせ、すぐにまた始末が必要な状態になってしまう。そうであれば、手を出すだけ無駄だから。


「……暇だなぁ」


 そんな独り言をつぶやいてみて、そのうえで私は部屋の中を見渡してみたりする。


 数年前から変わっていないゲームの機種のそれぞれ。新しく発売されているゲームハードが増えるということはなく、昔から彼と一緒に遊んでいたものだけがそこにはおいてある。


 たまには、ゲームをするというのも悪くはないかもしれない。


 私は、久しぶりに電源をつけることにした。





 それからどれくらいの時間が経っただろうか。


 私が彼の家に上がり込んでからの時間は数えていない。だが、ホームボタンを押したら見える時間の表示は、結構な数字が増えている。


 勝手にゲームを起動している、という後ろめたさがあるせいか、どんなソフトを起動しても熱心に取り組むことができない。……今さら、そんな程度の後ろめたさに酔うほど、私は潔白な身ではないのだが。


 何度も違うソフトを起動しては、また消して、更に違うゲームを起動する。そんな作業を繰り返しているだけで、浪費する時間は増えていく。


「遅いな……」


 一人でいると、どうしても独り言が増えてしまう。誰かに届くことはない言葉を吐いて、そうして孤独を演出する。いつもであれば、そんな私の言葉に何かしら適当でも反応をしてくれる彼がいるはずなのに、今日に限ってはそれは行われない。


 何度も部屋の中を見渡したって、そこに彼が帰ってきた痕跡のようなものはない。学生鞄も、制服も。ただ、ストーブがじりじりと熱を帯びるだけの音と、私がコントローラーに触れるカチャカチャとした音だけが響いている。


「……そうだ」


 私は思いついたように言葉を吐きだした後、思い付きのままに行動をしていく。


 いつもベッドの片隅に隠すように置いてある避妊具はどれだけの数が残されていただろう。きっと、彼が帰ってくれば、それは間違いなく消費されるのだから、なければ今のうちに買っておく必要がある。


 そうして中身を見てみれば、案の定その個数は少なくなっている。別に回数がそれだけ増えたというわけでもないけれど、毎日行っている情事だからこそ、その個数は着実に減っていく。


 最近は彼が買ってくることが大半ではある。情事が始まった最初の時期こそは、私が買うこともあったけれど、今ではほとんどを彼がいつの間にか購入して、それらを使用して好意を行っている。


 けれど、たまには私が買ってきても悪くはないだろう。


……そんなことをして、彼が喜ぶでも、私がよろこぶわけでもないけれど。ただ、こんなことをしているからこそ、どこかで対等でいたいような気がする。今さら、としか思えないけれど。


 よし、と言葉を出しながら、私はゲーム機の電源を落としていく。そうと決まれば、さっそく行動をしなければいけない。


 一応、ストーブがどうにかならないように火を消して、外の寒さに覚悟を向ける。ストーブの温もりが消えた残り香に少しだけの不快感を覚えながら、私は外に出る。


 きっと、そうこうしているうちに彼は帰ってくるだろう。


 そんなことを期待しながら、私は冷たさだけがある外気に触れた。

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