おとこのこ おんなのこ

彼女の場合

01


 シーツの温もりに浸っていた。


 雪がやってくる季節だった。挨拶代わりと言わんばかりに吹きすさぶ雪が窓の外から見えている。今日に限っては百センチ以上の積雪があるらしいと天気予報で言っていた。不要不急の外出は避けるように、と地域一帯では勧告され、それに従うように私たちは家の中でただひたすら温もりを求めようとしている。


 灯油ストーブの熱が部屋に帯びている。乾いた空気を潤す目的で、上に置いてあるやかんが湯気を立てていた。それでも甲斐を見出せることはなく、指先が乾く感触を覚えながら、下腹部で生乾きをする不快な臭いに、私は静かに息を吐くことしかできない。


 そんなときに「なあ」と彼は口を開いた。


 それまでは沈黙だけが耳に聞こえていた。詳細を言うのであれば、呼吸音と、熱を発生させているストーブの音。そういった家の環境音が耳には届いていた。


 たまに彼の寝息のような声が聞こえていたから、きっと彼は寝ているだろうと思っていた。それ故に、私は彼が言葉を発したことに少し驚いてしまったが、それでも、うん、と返事をした。


「……いや」


 なんでもない、と彼は言葉を付け足した。おやすみ、と改めて声を出しながら、そうして私から視線を逸らすように寝る体勢を変えた。私もそれに倣うようにして、窓が見える方へと体を向けて、もう一度白くなっていく景色の一部を見つめることを繰り返した。


 彼は、なんて言おうとしたのだろう。


 それは、きっと私には理解できないことだと思った。





 幼馴染、という関係性に何か特別な感情が生まれるか、と聞かれればそういうことはない。昔馴染み、という言葉と同様でしかなく、幼いころから関わってきただけでしかない関係性の表現に、何かを見出そうとするのは当事者じゃない人間がやることだ。それも、身勝手に。


 昔からの関係性。それだけの響きに他人は期待を寄せてくる。それの何が面白いのかを私には理解することはできないけれど、それを無視して世界は彼との関係性を揶揄うようにする。友人としか言いようのない関係に、だ。


「否定するのも面倒になってきたな」と彼は言った。そういう彼の表情は真顔そのものでしかなく、言葉尻にこそ苦笑を浮かべるような乾いたものだったが、その雰囲気はどこにもなかった。


 当時、口を開けば毎回そんなことを言っていたような気がする。私が女子に揶揄われるのと同様に、彼も周囲の人間から揶揄われるような言葉をよくかけられていたらしい。そのせいか、私と会うことを避けるようにしていた時期が一か月ほど続いたこともあったけれど、ひっきりなしに通ってくる私に諦めもついたようで、ゲームをしている傍ら、ぼやくそうに彼はそんなことを言っていた。


 そうだね、と言葉を返しながら、私は彼が操作するゲームの画面を覗いていた。私が呆然と見ていると、ほら、と言いながらコントローラーを渡してくる。別に、彼のプレイを見ているだけでも時間が過ごせるから見ているだけでしかなかったのに、まるで私がプレイしたいように見つめていると解釈した彼は、真顔でありながらも優しさを見つめてくる。


 ありがとう、と返しながら私は彼のコントローラーを受け取った。


 ゲームをするのは苦手だったが、彼の家で過ごしていくうちに苦手は得意になっていった。おそらく、得意という言葉ではなく、ただやり切れるようになってきただけに過ぎないだろうけれど、操作が上手くなってきたことを示すように「やったじゃん」と声をかけてくれる彼の言葉に、私は微笑みながらも画面のキャラクターを操作していく。


「健はさ」


 私は、コントローラーを操作しながら、適当に思いついた言葉を投げかけた。


 私の言葉に、ん、返事をしながらも、彼はゲームの画面をずっと眺めている。そっちじゃないよ、と声をかけながらも、ちらちらとこちらに向けてくれる視線に、一応私の言葉を受け止めるゆとりはあることを示しているような気がした。


「そういうことに興味、あるの?」


「そういうこと?」と彼は私の言葉をオウム返しした。


 直接的な表現は選びたくなかった。


 恥ずかしさ、というのもあるけれど、単にほかの人間が揶揄ってくるような事柄を、ここで口に出すことは避けたかった。だから、曖昧な表現で誤魔化したけれど、彼はそれで理解をすることができていないようで、私の言葉の続きを待っているようだった。


「だから、なんというか、……好き、とか、そういうの」


 意識が言葉に向かっていって、キャラクターの操作が雑になる。そんなタイミングで見えてくる大きな敵の影に、私はスタートボタンを押した。あー、と彼はゲームに対してなのか、それとも私のものに対してなのか、よくわからない返事をしながらも、私が持っていたコントローラーを借りるようにして、そうだなぁ、と間延びした声を紡いだ。


「興味がない、……わけじゃない」


 かちかち、とスタートボタンを押して、目の前にいる大きな敵を、キャラクターを操作して薙ぎ払うようにする。見事としか言えないプレイ裁きに、おおー、と私は声をあげた。


「柚乃は」


 目の前の敵を片付け終わった後、彼はまたスタートボタンを押して、画面を硬直させる。先ほどメニュー画面とは異なって、直前で倒した敵のアイテムが装備欄に含まれているのがよく見えた。


「柚乃は、どうなんだよ」


「……私?」


 うん、と彼は返事をしながら、そうっとゲームのコントローラーを床に置く。


 そうしたかと思えば、彼の顔はこちらの目を追いかけるように見つめてくる。芯を食うような、捉えるような視線にドギマギしながらも、私はそれから視線を逸らすことができず、ただ言葉を選ぶ時間を探すことしかできない。




「……私も、興味、あるよ」




 きっと、熱にあてられていたのかもしれない。周囲が揶揄うような熱に。


 絆された熱は頬に上っていく。こんなことを考えている自分が恥ずかしくなって、少しの嫌悪感も覚えてしまって、途端に見つめてくれていた彼から視線をそらしてしまう。


 それから、しばらくの沈黙。


 スタートボタンで装備の画面を晒していても、かすかにゲームのBGMが部屋に響いてくる。妙ににぎやかに感じるような音楽が、目の前の空気を濁すようにしてくる。


 呼吸が狭まるような感覚。ノイズが混じるように、気道が細くなって、恥ずかしさで息が荒くなるような苦しさ。大きな息を吐くのも躊躇って、ただBGMが響くように息を小さくするだけの時間。


 ごくり、と息を呑む音が聞こえてきた。


 その間、ゲームは何も操作されないままだった。気まずいとも思える空気の中、ようやく彼の方へと視線を移せば、彼も同様に頬を紅潮させていく。


 目と目が合った。


「……健?」


 私は、戸惑うように彼の名前を呼んだ。彼の名前を呼んで、そして。


 ──視界が少しだけ暗くなっていくような、錯覚を感じた。

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