猫の話をしょう

A・スワン・ケイトウ

第1話 猫あらわれる

 あの時「おばあちゃんは死ぬ」と思った。

 まあ、いろいろあったんだ。

 親戚に不幸があってね。

 昔は家でお葬式するのが普通で近所や親戚がお手伝いをするんだ。助け合いね。

 あの時もそう、うちはおばあちゃんが主にやってたね。もちろん、おとうさんもお手伝いしていたけれど、おばあちゃん関係の親戚だったから、自分がやらなきゃって責任感からがんばっちゃったのかなあ。

 あれって、土地の風習なのか、お葬式が終わってお礼の意味で、お坊さんにお米を持っていくらしいのね。おばあちゃんがその仕事を買って出て、別に、よろこんで手をあげたわけじゃないよ。ほかにやる人がいなかったから渋々ね。

 でもさ、うちのおばあちゃんは昔話にでてくるようなヨボヨボじゃないからね。パワーがある方だから、やれる自信があったのさ。

 まだ十月だというのにあの日の天候は真冬のようで、寒風が吹きすさぶ中を米の袋を抱え百メートル先の寺まで持っていったの。米の量も10㎏ぐらいじゃないよ。すくなくとも30㎏はあったはず。

 やっと寺に着いてほっとしたのも束の間、チャイムを鳴らしても誰も出てこない。どうするか悩んで、本当は嫌なんだけどさ、家の前におきっぱにするわけにもいかないから持ち帰ることにしたんだ。帰りは肉体的にも精神的にも疲れているところに、追い打ちをかける氷のようにつめたい雨と風の攻撃で体温が奪われていく。

 まるで、死の雪中行軍て感じさ。

 泣きそうになりながら「なにくそう、負けるものか」と、ずっしりと重い米袋を持ってズシン、ズシンと帰っていったんだ。

 翌日、近所の人の多くが風邪でダウンする。時期が悪かったんだ。風邪が流行ってたみたいで、みんなうつっちゃったんだ。

 うちのおばあちゃんも、風邪と体の痛みで一時は寝たっきりになっちゃって。

「このまま布団から出ないと寝付いてしまう!」って本人がいちばんわかっていて、三日目ぐらいで無理やり布団から出たものの。完治してないものだから

「痛たたたた」と腰をかばい苦痛に顔をゆがめ、スローモーションみたいに動いてさ、見てられなかったよ。

 そして、起きたはいいけど、動くたび激痛が走るもんだから、コタツに横になってTVを見るという一見ぐうたらのような毎日を送っていた。

 一か月がたってもこの調子で、一生このままだろうかと家族も心配していた。

 これまでおばあちゃんは、六人家族の家事を任されていたんだ。それだけじゃないよ、隣におとうさんの会社があって社員が十五人ぐらいいて、そこの掃除や洗濯なんかの雑用もこなしていたんだ。仕事が早くて即戦力って感じで、わたしにいわせるとスーパーおばあちゃんだった。

 元気だった頃「わしはコタツに横になって寝たことなんて一度もない」って自慢していたのに。いまでは「自分のもりがやっと」だと嘆いてる。朝から晩までTV漬けでお気に入りはワイドショー、時代劇、ホームドラマだ。


 孫娘であるわたしは結婚後も仕事をするため実家にきていた。

 今日もおばあちゃんはいつも通りコタツに横になってTVをみてる。おばあちゃんて、子供の頃はめっちゃ大きい人だと思っていた。ところが、いま、目の前に寝転がっている姿はとても小さい。

 ふたりがコタツに入って午後のワイドショーを見ていると「奇跡がおこる」ちょっと陳腐かな? でも、他の言葉が見つからないので、このままいっちゃおう。

 突然、おばあちゃんが「猫がおる!」といいだす。

「えっ」って振り返る。「まじか?」

 わたしは全然気づいてなかったんだけど、裏口へとつながるガラス障子がほんのちょっと、三センチぐらい開いていて、白い子猫が中の様子を「じいいー」っと見ている。

 なんていうのかな幼いものだけが持つピュアなうつくしさ、下心というか悪意がまるでないの。白くって、小さくて、ふわふわ。

 今まで家に猫さんがやってきてくれたことなんてなかったのに。裏口が開いていたから台所に残る昼食の匂いをフンフンしながらやってきたのかな?

「わあ、かわいい」

 わたしは子供のころからずーっと猫が好きで、だから抱きしめたい、かわいがって、ごちそうして、できることなら飼ってみたい、って猫愛がドバーとあふれ出し、すぐつかまえようとしちゃった。

 子猫は外に逃げ出す。

 なんて馬鹿だったんだろう。でも、猫を飼ったことがないのだから仕方がない。ほんと、人間って靴に履き替える時間が無駄だね。裸足ってわけにもいかないけど、ちょっとぐらいならありかも。でも、長い距離なら履いた方が絶対いい。

 猫って追いかけると逃げるよね。その逃げ足の速いこと速いこと、あっというまに見失った。

 こうして、白猫とのファーストコンタクトは失敗に終わる。

 その後も、毎日のように子猫はやってきてくれて、ありがたかったなあ。

 でもね、懲りないわたしはいつもつかまえようとして逃げられる。わたしの馬鹿、馬鹿、馬鹿。

 平日はおばあちゃんとわたしだけのことがおおい。おとうさんは仕事で、おかあさんは踊りのお稽古、妹は陶芸教室で働いていて、弟は大学生で寮に入っている。

 このごろふたりの会話は子猫のことばかり。

「あの子、かわいかったなあ」「またきてくれるかなあ」「子猫をつかまえたいなあ」 

 いつもわたしが一方的にしゃべってるだけなんだけどね。わたしがどんなに熱く語ってもおばあちゃんは冷めているというか、まったく興味が無いようで「ふうん」って感じ。なのに、わたしときたら猫への愛がしつこい。

 だって、猫を飼うのが夢だったんだもの。

 わたしがちいさかった頃のこと、裏の家に遊びにいったら黒猫の赤ちゃんがいて「猫がほしいよ」って猫を抱いて泣いたんだ。子供って計算ずくでそういうことする子もいるけど、わたしは計算できるようなタイプじゃなかった。でも、心の片隅ぐらいにはあったかもしれない。結局は、駄目だったんだけどね。

 成長するに従い猫を飼えない理由がおとうさんにあることに気づく。実は、おとうさんが猫嫌いで。それも大大大嫌いだった。

「なんでだよ、おとうさんが生きている間は猫を飼えないじゃないか!」ってショックだった。

 でも、おとうさんには生きててほしいからさ、猫をあきらめるよりほかなかったんだ。わたしの妹と弟なんてとうの昔にあきらめてたよ。

 毎日のように子猫はやってきた。扉のわずかなすき間から覗くちっちゃくて真っ白ではかなげな姿を見ると今すぐ抱きしめたくなっちゃうんだ。

 そして、あわててつかまえようとするんだけど、すぐ逃げられる。まったく反省しないよね。馬鹿なわたし。

 その後、あの子猫が二三日来ない日が続いた時はもうダメだって思っちゃったね。とってもさみしくなっちゃって。「死んじゃったのかな?」とか、ついつい悪いこと考えちゃう。

「飼い主がみつかったのならまだいいんだけど。でも、本当は嫌だな、自分が飼い主になりたかったんだ」

 おばあちゃんにはなんでも話せちゃうからいっぱいいっぱいしゃべっちゃうの。 

 でもね、わたしの心配なんてまったく響いていない。

 もう来ないかもしれない不安は、ふたたびあの子がすがたを現すと吹き飛んじゃった。すき間から見えるふわふわの白い天使ちゃん。

「生きててくれた。また会えた」っていう喜びがジュワーってひろがる、こんな感情はじめてだった。

 わたしの白猫ちゃん捕獲作戦はいつも失敗ばかりで、さすがのわたしも自分じゃダメだって気づいた。ちょっと遅いよ。

 そしたら、おばあちゃんが「猫つかまえたろう」って、ありがたいんだけどさ、

「おばあちゃんにつかまえられるわけないやん!」って思った。

 だって、「痛たたたた」って、いまだにいってるし、動きがスローモーなんだよ。

 でも、あの時はなぜかおばあちゃんにまかせてみることにしたんだ。

 いつものように猫が見ている。おばあちゃんはゆっくりコタツから出て、子猫の方へ近づいていく。

「あっ、待って」

 やっぱり、子猫は逃げ出した。

 家の裏には川が流れていて、猫はそっちに逃げ、おばあちゃんがそれを追う。スピードはないけれど、もう「痛たたたた」っていってない。猫があぜ道を逃げ、その後をおばあちゃんが追う。さらに、ずっと後ろにわたしがいた。

「つかまえた」って、おばあちゃんの声がして、「えっ」耳をうたがう。

 どうやって猫をつかまえたのだろう?

 すばしっこいよ、子猫って。若いわたしに無理なものが、からだの痛い年寄りにできるわけないじゃないか。

 でもね、おばあちゃんの節くれだった手に抱かれ子猫があらわれた時は、

「わあ!」って感動しちゃった。とっても大人しい、まさに借りてきた猫って感じ。

 たぶん、おばあちゃんは、わたしが猫のことを「かわいい、かわいい」っていってたから「よっしゃ、わしがつかまえてやろう」って、気持ちになってくれたんだ。

 でも、ちょっとジェラシー。

 あこがれの天使ちゃんをはじめて近くで見ると薄汚れていた。まあ、そんなもんでしょう。白色は汚れが目立つもの。

「きれいにしたろう」って、おばあちゃんは有無をいわせず猫を洗っちゃう。洗面台が朝シャンできるタイプだからそこに湯をためながらシャワーをかけ、そこらへんにあるシャンプーでゴシゴシやった。子猫はたぶん生まれて初めての風呂でおばあちゃんにされるがまま。

 すると、ふわふわの毛がペチャンコになって、貧祖なからだが浮き彫りに。そりゃ野良猫だし、ごはんもろくにたべられなかったんだろう。

「こいつ意外とおねらかもしれない」って、ひどいことをいう。

 おねらとは年を食ってるという意味だ。

 実は、おばあちゃんは毒舌で家族は「毒舌の」という。

 そうだった、元気な頃は毒舌で鳴らしていたんだ。

「こいつ目が青いぞ」って、おばあちゃんが新たな発見をした。性別もオスと判明。 

 次に、ゴシゴシ体を拭いて、牛乳をあたえる。よほど腹ペコだったのか一心にテロテロと舌をじょうずに使って飲んでる。なぜ一気にズズズーと飲まないのだろうと煩わしく思いつつも、それを、興味深くながめる。飽きないね。ずっと見ていられる。猫を飼ったことがないもんで、すべてが新鮮。猫の方も見られてることなんて気にしてない。

 もっと猫を見ていたいのに、わたしは別の場所に住んでいたので夕方になると帰らなくちゃならない。後ろ髪を引かれるおもいだった。

 次の日は、いつもより早く出かけた。いままで仕事に早く行きたいなんて思ったことないのに今日だけは特別だ。

 居間に入るなり衝撃をうける。

 ああ、なんてことだろう。あのおばあちゃんが座ってTVを見ている。

「猫は?」

 おばあちゃんが布団をめくるとコタツの中にいた。

「あれからどうなった?」

 矢継ぎ早に質問、だって、わたしが帰ってからのことが知りたくてたまんない。

 わたしはものすごい知りたがり屋なのだ。

「寝るときはわしの部屋につれていって、気が付いたら布団の上にがのって寝ていた」

 ごつい手で白い頭をなでる。知らないうちにすごく距離が縮まっていた。

「いいなあ、いいなあ」

 なんか、めちゃくちゃうらやましくなった。

 わたしはこのまま猫を飼うことになるだろうとワクワク。どうして自分がこの家にいるときに奇跡が起こらなかったんだろう。

 さて、猫を飼うことになれば最大の障害となるはずのおとうさんがこの状況をどう見ていたのか? そこのところが気になる。直接聞いたわけではないが、たぶん「しゃーない」と我慢していたのではないか。

 考えてみれば、事情が事情だからね、やっと元気になってきたおばあちゃんから猫を取り上げるのはあまりにも残酷すぎるもの。ということは難題もギリギリクリアできたということか。

 ところが、世の中はそんなに甘くない。波乱の展開が待っていた。


 おばあちゃんは、なついてる子猫を抱いて隣の家を訪問した。

「はーい」って応対に出てきたおばさんに「おたくの子が猫がほしいと大きな猫を追いかけまわしていはったやろ。大人の猫よりこの子猫を飼った方がいいと思って持ってきてあげた」って、家族のだれにも内緒で隣に猫をあげに行っちゃった。

 わたしがいたなら絶対反対したのに……

 そんなわけで、子猫は隣の家にもらわれていった。

 「なんだよ!」ってショック受けちゃった。もう猫のいない家のつまらないこと、猫のいる楽しさを知っちゃうとダメだね、それ以前の生活にはもどれない。

 やっぱり実家で猫を飼うのはムリだったのかな?

 この先、永遠に猫のいない空虚な日々を送るはずだった。

 ところが、次の日、奇跡の猫がふたたび現れる。

 はじめて出会った時のようにガラス障子をほんのちょっと開けて家の中をのぞいてる。夢かと思った。なんと、一日で帰ってきちゃった。

 そりゃそうだよね、猫は鎖でつながれているわけじゃないから自分の意志で好きなところに行けちゃう。しかも隣の家だからね、逃げようと思えばかんたんさ。

 実際、隣の子供たちは自分たちが必死に追いかけてつかまえた大きい猫をかわいがっていたので、彼らに子猫は必要なかったのだ。

 おばあちゃんのまたの名を「お節介の」という。

 猫の帰還で驚いたり喜んだりもうたいへん。猫にはハードル高い家なのに、よわよわの子猫がなんなく超えていっちゃう。もう「この家がぼくの家」って決めちゃったみたい。勝手に家に上がり込んではじめての猫になっちゃう、押しかけ女房ならぬ押しかけ猫、すごい。

 子猫のめんどうはおばあちゃんの係になる。必要なものは近所の大工道具センターでわたしが買ってくる。お金はおばあちゃんが出してくれる。遺族年金があるから。

 最初に買ったのは猫のトイレ。わたしって猫について知らないものだからいちいち感動する。はじめてトイレを使うの見て「かしこいな。えらいな!」って、けっこうな猫バカである。

 わたしだけじゃないよ、おばあちゃんだってあの子が猫の爪とぎでガイガイガイガイ気持ちよさげにやるのを「おお、すごいすごい!」って感動してたもの。買ってきた爪とぎにはマタタビがしみ込ませてあり爪を研ぐと猫の大好きな匂いがするらしい、人間にはわからないけど。爪をとぐ、いい匂いがする、いい匂いがするから爪をとぐ。いい連鎖をおこしてくれる。

 おばあちゃんは猫のお世話を甲斐甲斐かいがいしくおこなう。この前まで一日中コタツに入ってTVを見ていた人とはおもえない。いつの間にか病気する前のおばあちゃんに戻っていた。

 猫は「ミー」という名前をおばあちゃんにつけてもらう。もっとカッコいいのにしてほしかったのに、まあ、おばあちゃんの猫だから飼い主が好きな名前にすればいいんだけど。おばあちゃんは、猫の名前だから「ミー」にしたっていう。

 なんか動物の名前に変な思い込みがあるようで犬の名前というと「ジョン」一択なのね。たしかに、その名前の犬もいるけど、犬の名前と決まっているわけじゃない。猫でもうさぎでもいい。てゆうか、どうかんがえても人間由来の名前でしょう。ところが、おばあちゃんはかたくなにそう思い込んでいる。

 もちろん、わたしだって「おかしい」と反論はするんだけど聞く耳を持たない。だから、うちの犬の名前は代々ジョン。どこぞの老舗の社長か歌舞伎役者みたいに名跡を継ぐわけよ。

 おばあちゃんは元気をとりもどし外出するようになる。

 友達と会って猫の話で盛り上がったという。そういえば高齢者は犬より猫の方が散歩の必要がないので飼いやすいとTVでいってたっけ。おばあちゃんは知らなかっただけで猫を飼っている友達は多く、新たな世界に一歩踏み出した。

 猫を飼っていると自分の猫の話がしたくなるらしく。それって、かつてわが子や孫の自慢をしていた延長線上にあるような気がする。おばあちゃんも、元々がおしゃべりなので待ってましたとミーの話をした。

「このまえの葬式でからだの調子をわるくしてずっと家で静養していたんやけれど。ある日、白い子猫が裏口から入ってきて、ガラス障子をほんの少し開けて居間の様子をうかがっていたので。 おかしなこともあるもんだとつかまえてごはんを与え世話していると、いつの間にやらからだの痛みがなくなっていた」

と、得意げに話したのだった。

 その話を聞いた友達は感動して「白い猫は神様のお使いらしい」といっておばあちゃんを喜ばせた。うれしいもんだからわたしにまで自慢したほどだ。

 おばあちゃんの友達は大概おばあちゃんである。おばあちゃんがおばあちゃんから聞いた猫の話。

 その友達の孫娘が飼っている猫はお風呂がだいすきなんだって。娘さんと一緒の浴槽に入って、そこでぷかぷか浮いたり泳ぐらしい。たぶん、猫かきだ。

 でも、信じられないよ! 

 娘さんはわたしと同い年の二十八歳である。普通、水が嫌いな猫を水につけようとすれば大暴れしてからだは傷だらけになるだろう。

 どうすればそんな芸当ができるのか?

 おばあちゃんの話では、娘さんが猫の小さい頃からお風呂になれさせたらしい。

 でも、それって娘さんの猫への愛情があったからできたのであって、そうそう簡単にできるものではない。また、猫の性格も関係するんじゃないかな。わたしには無理だな、猫とお風呂に入るなんて上級者がやることだ。

 いま、ミーはコタツにぞっこんである。猫がコタツ好きなのはあまりにも有名だが、実際体験してみないとわからないことも多い。その証拠にコタツの中で気持ちよさげにしていたのが「暑い、死ぬ」と必死の形相でい出してくることも。

 そりゃ、コタツの中に全身を入れていたらのぼせちゃうよ。馬鹿だなー、そういうところが猫のかわいいところでもあるのだけど。

 ミーはコタツの次に出窓がお好きだ。そこからの景色をまじまじとながめている。特に、いきものなどの鳥類が近くにやってくるとまさに食い入るように見ている。かつては先祖が餌として食べていたであろういきものを見つけると本能が顔をのぞかせる。「つかまえたいなあ」っておもってるのか。それとも「おいしそう、食べちゃいたい」かな。なにもできないのに、目をギラギラさせて対象物の動向を観察してしまう。猫のさがだね。

 暖かい日差しがふりそそぐその場所で毛づくろいすることも多い。自分のからだをテロテロテロテロ時間をかけて舌のとどく範囲すべてなめつくす、やりすぎなほどべちゃべちゃにするよね。それとびっくりするほどからだがやわらかいんだ、おなか、肉球、前足、そして、後ろ足をピーンとV字に伸ばして、恥ずかしげもなく下半身を、オチンチン、肛門など、丁寧に丁寧に自分で愛撫していく。大概の部分は舐り倒すことができるようだけど、ただ、自分の顔と後頭部、背中の一部は届かないようで、そこを掻いてもらうと気持ちがいいのか喜んでもらえる。ミーと仲良くさせてもらいたいもんだから下僕のわたしは喜んでカイカイさせてもらう。 

 ミーって、コタツや出窓付近にいることが多く。その近くに台所があるもんだからお魚料理なんて作ろうものならもうたいへん。調理している段階から「ちょうだい、ちょうだい」って足にまとわりつくし、調理台に上ったり執拗なのよ。普段おっとりしてるくせに、その豹変ぶりに驚かされる。

 うちのおばあちゃんのすごいのは、ミーが悪いことをすると容赦なくパンチを食らわせるところ。魚を横取りしょうとすると即パンチ、わたしだったらミーに嫌われたくないもんだから魚の端っこをちょっとあげちゃう。

 おばあちゃんはミーが憎くてパンチしてるんじゃない、いけないことをしたからなのよね。そのことを猫もわかってるのだろう。なにをされようとおばあちゃんのことが一番好きだったもの。

 まだ、猫についてよく知らなかった頃、わたしがイカをさばいてると

「ちょうだい、ちょうだい」がすごくて少しあげたらゲボっと吐いちゃって大変だった。

 なぜ、イカがあると目の色を変えて「ちょうだい、ちょうだい」するのだろう。食べたらダメな食材ってわからないのかな? 一回失敗したらそれに懲りるってことはないのかな? 

 そういうのって人間にもあるよね、痛風になるとわかっているのにビールを飲んじゃうとか。それって、うちのおとうさんだ。

 ミーが家にきてから配膳の手順がかわった。大改革といっていいんじゃない。

 だって、料理が出来たからといってテーブルに並べてしまうと、ミーに「どうぞお召し上がりください」といってるようなもんだから、おかずは調理が済むと戸棚などに隠しておいて、食べる直前にテーブルに出すようになった。

 食事中も好物があるとミーは食べてる人のところにいって「ちょうだい」って強烈にアピールする。お魚の時がおおかったけど、味付け海苔や貝なんかも好きだ。 

 あんまり「ちょうだい、ちょうだい」と、いわれると根負けして「どうぞ」してしまう。いけないことだとわかっているよ、でも、かわいいあの子にいわれたらついやってしまう。

 猫って自分に忠実に生きてるんだよね、ほしいものをゲットするためならなんでもやる。家族全員に「ちょうだい」をして回る。プライドなんて屁の河童。

 圧巻だったのは、長きに渡り猫族の侵入をはばんできたおとうさんにまで「ちょうだい」しにいくこと。ミーはおとうさんが猫嫌いってわからないのだろうか? なんとなく感じるとは思うんだけど、そんなことよりも目の前のごちそうのほうが大切なんだな、きっと。

 おとうさんは猫嫌いだったが、なにも暴力をふるうわけではない。でもね、見ているこっちがハラハラしちゃう。

 ミーに「ちょうだい、ちょうだい」と甘えられ、おとうさんが「仕方ないなあ」とケンタッキー・フライド・チキンの骨をやるのを目撃してしまった。戦利品を肉食獣の鋭くとがった歯で「ガリボリ」と音を立てて食べている。あれは人間には不要なものなのでおとうさんとしては「まあいいか」って感じなんだろうけど。

 おとうさん猫にやさしくない?

 何かが変わった。

 弟もそう、元々猫が好きだったらしいんだけど、実家で猫を飼い始めたと知ると頻繁に電話をかけてくる。

 ミーのことを知りたがるから猫の日常をおしえてあげる。おもしろエピソードがあるときはこっちも喜んで話すんだけど、いつでもあるわけじゃないからね。しゃべるネタがなくなるとミーを抱き上げて受話器に近づける。弟が遠くはなれた土地から「ミー、ミー」って呼びかける。ミーは変な機械を耳に近づけられ、まだ会ったこともない弟に名前を呼ばれて「なんだろう?」って聞き入る。

「ダメだ、ダメだ、電話なんだから話さなくっちゃ!」

 わたしが苦肉の策でミーの体をコチョコチョ触り倒す。

 たぶん、嫌がってるんだろう「ニャー」をいただく。ミーの仕事はそこまで、さっさとおばあちゃんのところに逃げだす。弟も声を聞けて満足して電話を切る。

 猫を飼うと猫の話がしたくなるのはだれしもおなじ。

「電話をすると『ニャー』と鳴いてくれる」と弟が友達に自慢すると、彼も

「ぼくの猫は留守電をかけてくるんだ」とやりかえした。

 彼の猫は自宅の家電から短縮ダイアルをポチッで彼の電話にアクセスする。留守電につながり「はい、〇〇です。ただいま留守にしております。御用の方はメッセージをお願い致します」というなつかしい飼い主の声がしたのでうれしくなって「ニャー」と鳴いたところうまい具合に録音されていたらしい。

 なんて、すてきなエピソードだろう。猫の声は一生消せない宝物だね。

 友人の猫はたぶん知能指数が高いと思う。猫にも知能指数の高い低いがあるらしく頭のいい子は水洗便所で用を足し、最後は水まで流すのだとか。なんと、うらやましい。飼い主は猫のトイレがいらないので楽でいいよね。

 では、ミーは賢かおバカかどっちだろう?

 もちろん、賢でしょう。みんな自分の猫が一番だと思っている。ひいき目をやめるとたいがいは愛すべきおバカ猫である。

 でも、おバカにはおバカのいいところがある。たとえば、おバカ映像やエピソードで笑わせてくれるところ。あれは、みんなを笑顔にするよね。

 うちのおばあちゃんはとても信仰心が厚かった。二階の和室に神様をお祭りしていて、朝晩お参りをかかしたことがない。おばあちゃんがお参りに行くとミーも後ろをついていく。

 その日、ミーの姿が消えた。いつも、おばあちゃんの近くにいるのにどうしたんだろう。おばあちゃん心配してさがす。朝はたしかにいた、そのあとどうなったのか? 一番最後に見たのはいつだったか? 記憶をさかのぼる。

「もしかすると神さんの部屋とちがうか?」

 そのことに気づいたおばあちゃんはすぐに階段を駆けあがって見に行く。

 もしも、神さんの部屋にミーがいた場合のことをかんがえると頭が痛かった。戸を開けるなり「バーッ」とミーが飛び出してきた。

 あわてて神様のお供えを確かめると、心配していた通り、お饅頭は猫にガッツリ食べられていた。

 実をいうと、神様の部屋はお供えをミーに食べられないよう戸閉めにしていた。

 ところが、今日はミーがついてきたことにおばあちゃんが気づかず閉じ込めてしまった。だって、猫の足の裏には肉球という消音装置がついているんだもの、だからミーは透明人間ならぬ透明ニャンコになれるのだ。

 さすがにおばあちゃんも自分の失敗なのでミーを怒ることもできず、お菓子に予備がなかったので代わりにあんぱんを供える。なぜか「プッ」と笑える。

 そうそう、今回は消音装置のおかげで饅頭を食べることができたのだけど、いいことばかりじゃない。いや、災難をもたらすことのほうがおおかった。おばあちゃんには、ガサツな一面があって、もしも繊細だったらミーの足を踏まずにすんだことが何度あったことか。「ギャー」と悲鳴を聞いて「ごめん、ごめん」と謝っている。おばあちゃんて、ガリガリじゃないからね、60㎏以上はあるからね。猫にしたら1トンの衝撃に匹敵するんじゃないの。できることならおばあちゃんが気づくように音をだして歩けるといいんだろうけど。できない相談だな。


 子猫だったミーも一年もたたないうちに大人の猫に成長していた。猫の恋の季節がやってきた。あの恋する猫の鳴き声って赤ん坊が泣いてるみたいだよね。ふだんはあんな声出さないのにさ。外に出かけてメス猫をめぐる戦いをくりひろげる。

 ある日、顔と首にかけて毛皮が切り裂かれるような大怪我をして帰ってきた。あの美男子のミーが傷だらけになったのを見てひどく取り乱してしまった。

「お願いだから病院に連れて行ってあげて」

 近くに動物病院がなかったのでおとうさんにたのんで車で運んでもらった。

 帰ってきた時はエリザベスカラーの青をつけてもらってばつの悪そうな顔してた。まるでピエロみたい、かわいそうなのにおかしくもある。

 おとうさんが先生に聞いた話では白猫は弱いらしい。青い目の子は聴力が悪く、しっぽが長いと不潔になりやすい。うちの猫は悪いとこだらけということ。そのうえ、オス猫のため弱いくせにメスの取り合いに参戦して大けがをするので最悪なの。ミーのためにも去勢手術をすすめられた。

 

 暖かくなってくるといろいろな虫が活動をはじめる。

 やはり、猫といえばノミでしょう。あれをどこで拾ってくるんだか?

 カイカイカイカイ掻きむしってる。それでもかゆいとカブカブカブって毛皮の上から嚙んだりもする。そんなんでノミが死ぬのだろうか? ノミってなかなか殺せるものではない。人間がやるときは両手の親指の爪で挟んでプチとつぶすしかない。猫の上下の牙にはさまれペシャンコになって死ぬノミなんてよっぽど運がない。

 ピョンと飛び出したノミがピョンピョンピョンとジャンプしておとうさんの足にくっついて、カプ、チューチューチューって血を吸った。おとうさんの足首にノミに食われた痕がポツポツ、そんなかわいいもんじゃないポツポツポツポツポツポツポツポツポツといちごの種みたいになってる。ひどいもんだ。

「猫につくノミは人にはつかないんやけどなあ」とおばあちゃん。

 昔の人はそれをよくいう。でも、現におとうさんが食われてるんだもの、人にもつくんだって。

 ノミにやられたのはおとうさんだけで、おばあちゃんもわたしも全然大丈夫だった。蚊がそうであるように、ノミに食われやすい人がいるのかもしれない。蚊だとO>B>A>ABなんだけど、ノミはまた違うのかな。絶体に好かれたくないね。

 たぶん、ミーが縄張りにしている場所にノミが発生していてそこでもらってくるんじゃないかなあ。白猫のいいところはノミがみつけやすいところなんだけど、量が多いから一匹ずつみつけて爪でプチプチ殺していてはらちが明かない。猫のからだで増殖しているのだろうか? 0匹にしないと殲滅させることができない。

 ノミだらけのミーをなんとかしないとたいへんなことになってしまう。そこで、ノミ取りシャンプーを買ってきてノミ退治。いつもの朝シャン用洗面台にお湯を張り、ミーは泡風呂で首だけ出している、体についているノミの大群が苦しくなってゾロゾロと頭部に押し寄せてきて、みるみる頭頂部が真っ黒に変わってゆく。さすがのおばあちゃんもそれを見て気持ち悪くなる。

 悪霊退散じゃないけど、ノミ退散て感じで滅していく。くたばったのがゴゴゴゴゴって下水に流れていく。 おばあちゃんの尽力でノミは退治された。

 でもね、おとうさんのノミの痕は消えるまで一年かかった。たぶん、糖尿病があったので治りがわるかったんだろう。

 こんなひどい目にあってもおとうさんはミーを追い出すことはしなかった。最初の頃、ミーのことなんてなんともおもってなかったのに、それどころかどこかいってしまえばいいと願っていたのに、いつのまにか薄ぼんやりとした愛がうまれ、やがて確固たる愛情に代わったようである。

 いまではおとうさんがリクライニングチェアで眠っているとミーもお腹の上で丸まって眠るほど仲良しさんになっていた。まさかこんなに猫好きになるなんて……

 

 夕方、トッピンがあわてて帰ってくる。

「先生がKちゃんとの結婚の申し込みに来たようだ」という。

「冗談いってるの?」と、本気にしなかった。

 わたしの夫トッピンはおばあちゃんちの隣の会社で働いている。帰宅時に陶芸教室の先生とKちゃんを見たらしい。見ただけじゃん、ただの想像でしょう。

 だって、これまで妹から「先生が好きだ」なんて聞いたことない。妹はおしゃべりで、そんなことがあったら姉に話すだろう。なので、トッピンのいうことをまったく信じなかった。

 夜、電話があって、おかあさんがその日の出来事を説明してくれた。

 寝耳に水ってこのことだ。トッピンのいった通りで、めちゃくちゃ驚いた。

 陶芸家先生がKちゃんと家にやってきて結婚の申し込みをしたらしい。その時に、先生はいまの場所から独立して陶芸をやりたいことや、うちのおばあちゃんの持っている古民家を使わせてほしいという話が出たらしい。

 あまりにも突然でさ、茫然自失って感じ、こういうことって決まるときはパタパタと早いんだよな。妹はさ、まだ二十三歳だし結婚するにしてもまだまだ先だろうと思っていたので喪失感でいっぱいさ。

 Kちゃんてとってもかわいいんだ、妹っていうのを具現化したらこうなるんじゃないかって感じなんだ。活発で頭の回転がよく、とてもおしゃれでおしゃべりな子。

 実は、先生とKちゃんの間でたびたびミーのこと話題にしていたらしい。無邪気な妹はミーのことをいっぱい先生に聞いてもらっていた。先生は猫を飼っていたことがあるらしくわからないことやなんかおしえてもらってたみたい。

 ある日ミーが現れた奇跡の猫の話から、はては出窓でオチンチンやらおしりやらテロテロやってるなんてことまでみんな話してたようだ。妹にしたらミーのかわいいこと全部話してたつもりなんだろうけど、先生が猫好きでよかった。ふたりはミーの話で打ち解けあったんだね。だったら、ミーはふたりのキューピッドだ。

 

 おばあちゃんちには応接間の前に大きなFAXがあった。会社の事務員さんにたのまれて印刷することがある。その日もFAXを使おうとそこにいったんだけど、なぜか、FAXの上にミーがのっている、白い背中、とがった耳、長いしっぽ。

「もう、邪魔だなあ」っておもいながらミーの正面に回る。

「ギャー」

 こいつは、ミーじゃない、偽物だ。姿かたちはミーそっくりなのに目の色が金色なの、人の家に勝手に入ってきたミーの偽物はわたしの叫び声を聞いてかけつけたおばあちゃんによって家から追い出された。

 よくTVの仮面ライダーなんかで偽物のライダーがでてくる時があるけど、あれって視聴者がわかりやすいように一部マフラーの色を変えたりとか、工夫してるよね。それでなくっちゃ見てる人はなにがなんだかわからない。今回のミーの偽物も目の色が違う以外そっくりそのまま。

 もしも、目の色が一緒だったら気づかなかったかも。さすがに、性格まで一緒とはいかないから、少し遅れて気づくんじゃないかな。いや、瓜二つなら入れ替わられてもわからないかも、そうなったら飼い主失格だ。

 

 Kちゃんが結婚していまは新婚旅行にでかけている。先生が飛行機嫌いのため車で九州の窯元をめぐる旅をしているらしい。わたしは待望の第一子を妊娠し、もちろんいままで通りおばあちゃんちで仕事を続けていた。

 その日のことはたぶん一生忘れないだろう。

「ミーは?」

 いつものようにおばあちゃんちに行くと必ずするミーの確認。

 お茶の間に姿がないのでおばあちゃんに聞いてみた。

「どこか遊びに出かけてるのやろう」

「ふうん」

「からだの具合はだいじょうぶか?」

 わたしのことをいつも気にかけてくれる。おばあちゃんにとっても初ひ孫ということでとても楽しみにしている。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 初産ということで恐怖はある。毎日、寝る前にスポーンと楽に生まれるよう妊婦体操を続けているが、ほんとうに効果はあるのだろうか。なかなか子供に恵まれなかったが、待望の赤ん坊がもうじき生まれる。周囲の期待があるのでプレッシャーは感じる。初孫ということでおとうさんが甘やかすのではないかと心配している。

「Kちゃんいまごろどこを走ってるのかな?」

「きのう電話があって、あいかわらず元気にしてたわ」

 Kちゃんの土産話が楽しみ。彼女には聞く人を引き込んでゆく独特な話術がある。例えるなら、太古のむかし、火を囲んで長老のおばあさんが昔話を若者にしたような話し方というのかな。

 おばあちゃんと話していると、急に、おかあさんが掃除機をもってきてガーガーかけだす。うるさいなあ、掃除機だいきらい。

 その日はとくに変わったこともなく家に帰った。ミーとは結局会えずじまい。

 次の日、「ミーは?」って探すがどこにもいない。

「どこに行ったんやろう?」っておばあちゃんにいう。

「事故にでもあったんとちがうやろうか?」

「実はな」って、おばあちゃんは、嘘が下手というか、嘘がつけない人なのである。このまま隠しとおすことは無理とあきらめて白状した。

 きのうわたしが来た時、すでに、ミーは亡くなっていたという。おばあちゃんの告白にショックをうける。隣のアパートの前の道で車にあたって即死だったらしい。家の人はそのことを知らなくて、アパートの住人が発見して、保健所に連絡していた。後で「おたくの猫と違いますか?」といわれて知ったらしい。ミーの亡骸はすでに保健所が取りに来る手筈になっていた。

 昨日、わたしとおばあちゃんが窓の近くでおしゃべりしていた時、外が騒がしくなってきて保健所の職員の到着に気づいたおかあさんがわたしの体調を気遣ってとっさの機転をきかせ掃除機の騒音で気づかせないようにしたのである。さすがわ、わが母と感心した。わたしはミーが亡くなったことを悲しみはしたが、まわりが恐れていたおなかの子供に影響がでるほどではなかった。周囲の人々のわたしへの配慮には感謝しかない。

 あまりにも突然、ミーがこの世を去り大きな穴がぽっかり開いてしまった。

 





 



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