わたし、女神(てんし)と同居中。

逢坂美穂

第1話 

 空も地面もない真っ白な世界で、わたしはゆらゆらと宙に浮いていた。

 鳥のように両手を広げるわけでも、泳ぐように身をくねらせるわけでもなく、ただ膝を抱えている自分に気づいて、なぜか知る。あぁ、これ、夢だ。 

 せっかくだから好きなように動いてみるかと、膝の前で組んでいた両手を解いて背伸びをしてみる。パキッと音がして、身体が凝っていることがよくわかる。なんでだよ。こんなところまで現実と同じじゃなくても良くないですか。

 どうもがいても前に進まない。だからといって後ろに下がることもない。落ちることもなければ、上がることもない。こんなに広そうな世界なのに、どこにも動けない。ただただ平坦。平凡。特筆すべきこともない。


「わたしの人生かよ」


 自虐の言葉が落ちたその時、どこからか、ふうわりと漂ってくる良い匂いに気がついた。

 間違えるはずがない。これは絶対──


「味噌汁……って、え?」


 いきなりリアルに聞こえた自分の声に、思わず周囲を見渡した。意志のまま動く身体はお気に入りのベッドで転がり、間違いなく自分の部屋であることを知る。

 すぐ横に置かれたスマホは昨夜読んでいたpi●ivの小説ページを開いていて、一応確認してみると全く読んだ記憶がなかった。一体どこから寝ていたのかも覚えていない。まぁいいか、また最初から読めばと改めてブックマークをしてから画面を閉じる。スマホを部屋着のポケットにしまいながらスリッパを履き、個室のドアを開けてダラダラとLDKへ向かった。どうにも頭が重い。寝る前に当たりの二次創作を見つけるといつもこう。でもそれが日々の幸せだったりするんだよなぁ……

 あくびと共にそんな気持ちを噛み締めながら歩いていると、


「おっきなあくび」


 優しいアルトの声が響いて、わたしは足を止めた。

 対面式のキッチンからトレイを持って出てきたその人に、思わず釘付けになる。

 ゆるく結っただけなのにサイドバングまで完璧で撮影かな? ってレベルに似合ってるロング髪と、鼻先まで長さのあるセンターパートの前髪。そこからのぞく綺麗に整えられた眉毛。さらにその下にある、切れ長かつ少し垂れがちな目。ツンと上向いた鼻は「好きじゃない」って言ってたけど、薄くて小さめな唇とのバランスは最高だ。


「……朝から顔がいいね、みなとさんは……」

「あははっ、さーやちゃんこそ朝から何言ってんの。ご飯できてるよ。おいで」


 おまけに深みのあるアルトの声をしていて、マジで完璧。こんなに優しく名前を呼ばれて「おいで」なんて言われたら、ワンッて鳴いてついて行く人しかいないと思う。

 ……とか思ってることはキモすぎて引かれるのわかってるから言えるわけないけど、「顔がいい」だけは初対面で心の声が漏れ出ちゃったから、毎日言い続けている。

 わたしがこんなバカなことを考えている間に、その人──朝霞あさかみなとさんは、テーブルにてきぱきとお椀やお茶碗を並べてくれた。自分はコーヒーとパンがあれば充分って言ってたのに、酔った時「お休みの朝はお味噌汁が飲みたい」とかほざいたらしいわたしのために、わざわざ作ってくれる。


「ありがとう……本当にありがとう……いい匂い……ありがとう……」


 起きぬけでノロノロとしか動けないわたしは、腑抜けた声でお礼を繰り返しながら椅子に座った。そんなわたしの目の前に、愛用のコーヒーカップを持ったみなとさんが座る。


「いただきます……」

「ん。めしあがれ」


 豆腐とわかめの味噌汁。ごはん。納豆。おまけに焼き海苔まで。みなとさんは「簡単だよ」って言うけど、朝っぱらから乾燥わかめを一度ちゃんと戻して味噌汁に入れるなんて、わたしにはできない。直接入れちゃうもん。だからわたしが作るわかめの味噌汁はいつもしょっぱい。わかっててもめんどくさいことってあるじゃん。

 納豆を混ぜていると、みなとさんがじっとわたしを見ていることに気づいた。顔が良すぎて緊張しながらも、さっきから疑問だったことを訊ねる。


「みなとさん、何時起き?」

「8時。全然遅くないでしょ」

「昨日の帰りは?」

「2時くらいかな」

「わたしの朝ごはんとか全然いいんで、もっと寝てくださいよ」

「ハイ敬語〜」

「うっ。少しくらい許してってば〜」


 鋭いみなとさんのツッコミに、わたしは思わず嘆いた。

 敬語なしというのが、みなとさんのおうちに住まわせてもらう条件の中にある。住まわせてもらうっていうか、2LDKで個室がふたつあるマンションだからどう? っていうお誘いを受けてっていうか。

 いや、ある意味一緒に暮らしたい的なことを言ったのはわたしだったっぽいけど、正直今のこの状況は、わたしにとっても青天の霹靂だったのだ。





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