吸血鬼を溶かす夜

四月一日 野兎

第1話 噂

 僕の名前は九 庵いちぢく いおり何処にでもいる高校2年生だ。いや、正しくは、何処にでもいる高校2年生だった。


 そう、だったのだ。

 確かに僕はあの日あのときまでは、普通で、平凡で、一般的な高校生だったのだ。少なくとも、他でもない僕自身がそう確信している。

 でも僕は、3月のあの夜。悍ましく、忌々しくも輝かしいあの夜に、ただの人であることを辞めたのだ。


 そう、僕はあの夜、「吸血鬼」に魅入られたのだ。


 いや、もしかしたら、魅せられていたのは僕だったのかもしれない。

 だって僕はあの時、彼女から目が離せなかったのだから。

 だって僕はあの時、彼女を見捨てられなかったのだから。


 別に僕は自分の選択に後悔はしていなかった。それでも、ふとした時に思ってしまうのだ。もう、3ヶ月が立ったというのに、今になって思い返してしまうのだ。


 もし、もしもあの時彼女の手を取らなかったら、どうなっていたのだろう、と。

 やり直す事なんてできないけれど、もう一度同じ局面に立たされた時、僕はどうするのだろう、と。

 その答えを、未だ出せずにいるのだ。

 あの3月の夜を、思い返してしまうのだ。


 だから、また今回も思い返してみよう。僕と彼女が出会った、あのどうしようもない日の思い出を。

 そう、確かあれは、3月の19日。

 ちょうど、僕の誕生日だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「…行ってきまーす。」


 言って、マンションの部屋の鍵を閉める。

 僕は、一人暮らしだ。今年の頭である所の4月から、高校1年生として、学校の近くに1年近くひとりで住んでいる。別に実家がそこまで遠かった訳では無い。通おうと思えばまあ通えた距離ではあったのだが、少し家に居たくなかったのだ。

 別に、家族仲は悪くは無い。むしろ、頗る良いと言っても世間一般から見たら差し支えないだろう。有り体に言って、「理想的な家族像」みたいなものであったと思う。家から離れた今なら、なおのことそう思う。ただ、


「過保護、なんだよなぁー。」


 学校までの淡く雪づもった道を鞄片手に歩きながら、そうボヤく。そう、なんと言ってもうちの家族は過保護なのだった。だった、と言うと過去形っぽいが今もさして変わってはいない。むしろ距離が出来た事で加速したのではと疑うほどだ。

 だから、なんてことはない。思春期の気恥ずかしさからくる少しの抵抗と、更にほんの少しのフロンティア精神だ。

 料理は元々苦手ではなかったし、仕送りとして食材や多少の現金なども貰っている。半年程前からアルバイトも始めた。だから、割と一般的な一人暮らしの高校生をしていると思う。


そう、一般的な。


 僕は一般的な高校生なのだ。そう自覚しているし、そう自負している。

 背丈は170と少し、醜男ではないが特段アイドルだとか俳優みたいな顔面も持ち合わせていない。勉強もスポーツもまあ特に秀でてはいない。人並みに努力する事もあるが、しないこともある。普通で、平凡で、一般的なのだ。


 今の僕に普通でない事があるとすれば、そうだな。

ちょっと偏差値高めの高校に通っていることと、女の子の友達がいる事、だろうか。


 いや、待ってくれ。女の子の友達がいるくらい普通だろ、って思う人や、そんな相手居るわけねえだろって思う人も居るかもしれないが、そんな人はまあ落ち着いて欲しい。この「女の子の友達」には、1つ枕詞がつく。

そう、「学校で1番可愛い(そう言われている)」という。


 まあだからどうしたという話なのだが。別に友人と言うだけで恋人では無いのだし、そもそも彼女にとって僕は複数いる友人のうちの一人でしかないのだから。


 おや、そう考えると何とも烏滸がましいのでは無いのだろうか。先程の言い方だと、あたかも特別感ありそうな言い方をしてしまっているが、実際には何も無いのだから。

 僕の側に友人が居ないだけなのだから、そんな事で変な考えに至るほど、流石の僕もおかしくはない。と考えると、やはり特別な事ではなく、これは普通のことだったのかもしれない。うん、きっとそうだ。彼女にとって僕が普通な一般高校生であると同時に、僕にとっても彼女は普通の女子高生だったのだ。

自己完結、乙。



 そんなこんな考えていたら、どうやら学校に着いたらしい。僕の通う、私立緑青坂高校へ。僕は今日この私立緑青坂高校には委員会の仕事で来たのだ。今は春休みなのだが、まあそりゃ休みだからといって仕事が無くなる訳では無い。そんなに辛くもないからいいんだけどね。

 あぁ、委員会と言ったら────



「おはよう、九くん。校門の前でボーッとしてどうしたの?何か考え事?それとも、また夜更かしして来たのかな。」


 そんな事を微笑みながら語りかけてくる女の子は、今の所僕の周りには彼女ひとりしかいない。


「おはよう、榛さん。夜更かしはしてない、考え事だよ。寒いのに朝から委員会は嫌だなーって。」


「あはは、確かに今日はちょっと肌寒いね。私もマフラー巻いてこれば良かったかも。」


 そう言って再び微笑む彼女の名は、榛 琴葉はしばみ ことは。何を隠そう、彼女こそがこの学校一可愛い(と言われている)僕の友人だ。

 そしてさっきは言い損ねたが、同じ図書委員会の委員でもある。ついでに同じクラスでもある。まあ高校1年生で友人って言ったら大体同じクラスの人だが。


 まあ、本当に偶然だったのだが。委員会を決める時に僕はちょうど病気で欠席しており、そして榛さんは男女1人づつの図書委員の女子として票を入れた。そうなるとまあ可愛くて優しそうな榛さんと是非お近付きになりたい男子がワラワラと。って事で最終的にくじ引きで決めることになったのだがそのくじ引きには僕の名前も入っていた。そして公平性の為に先生が引いたのだが、見事引き抜いたくじが僕のものだった。そういう訳だ。

 いやー驚いたね。休み明けに学校来たら何か入学当初にも関わらず既に有名人になってたあの榛さんと同じ委員会だとか。

そんなこんなで彼女とは仲良くなった。

 いや、仲良くなったキッカケは委員会とは別にあったのだが。とにかく、そんな彼女と僕は仲がいい!それだけで、普通で平凡で一般的な僕は幸せなのだ。


「さて、図書室にも着いてしまったし、仕事するか。」


「着いてしまったって…。まあ、そうだね。何から始めようか」


 僕の発言に少しはにかみ、榛さんはそう言った、しかし︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎何から始める‪︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎か。


…とは言っても────


「在庫管理とかからでいいんじゃない?見た感じ多分前の人が掃除とかはきっちりやってったっぽいし。」


「確かに、そうだね。じゃあ、管理シート私が持ってくるよ。九くんはちょっと待ってて。」


(うん、いつまでも待つよ‎。)


 ……じゃなくて、図書委員の仕事についてだ。まあぶっちゃけてしまえばそんなに仕事が無い。

 借りたまま返されていない本がないか確認するとか、本棚を綺麗に整えるとか、掃除をするとか。あとたまにおすすめの本を書いたカード作らされたり。やる事はあるが別に急ぐものも特に無いのだ。在庫管理も1日で終わらすものでも一人でやるものでもないしね。


「持ってきたよ、管理シート。あと、鉛筆。はい。」


「ん。ありがと。」


 そう言って手渡される。そうだね。この楽な仕事の欠点があるとすれば、このアナログさだろうか。現物が本という媒体である以上まあこちらもアナログであることはまあ仕様がないことではあるのだが、もっとこう現代風にならないだろうか。

 いくら技術が進歩しても、こういうところが改善されるのはもっとずっと先のことなのだろう。

 まあでも、今はとにかく。


「じゃあ、始めようか。僕はこっち側やるよ。榛さんは────」


「私は前の人が向こう途中で終わってたみたいだからその続きからかな。今日はちょっと遠いからあんまりお話出来ないね。」


 榛さんは少し残念そうに眉を下げる。

 僕もお話したいのは山々なのだが、すまない榛さん。僕の様な一般Peopleにはここでそっちに話を持っていくのは少し困難の様だ。だから僕は代わりに自分とお話しているよ。榛さんもドッペルさんとかイマジナリーさんとかとしばらくのあいだお話していてくれ。

 ということで、しばしのお別れだ。


「まあ、元々仕事だから仕方ないね。じゃあそっちはよろしく。」


「うん。任されたよ。」


 僕の返事を聞いて、仕事道具を胸に抱き微笑んで去っていく榛さん。なるほど、様になってるなー。仕草がいちいち可愛い。なんで僕はこんなにも平凡なのに、彼女は一挙手一投足に華があるのだろう。もう少し僕にも何かあっていいのでは無いか。神は不公平だ。


「……仕事するか。」


 広々とした空間で独りごちる。


 というかここの図書室ホントに無駄に広いんだよね。いやまあ知識の蔵に無駄も何も無いとは思うんだが、それでも人がいないにもかかわらずこうして話せなくなるくらいにはまあ広いのだ。本棚も高いし。上の方とか誰も取らないのばっかだから埃が被って掃除が大変なのなんの。まったく、誰がこんな設計にしたのやら。


◇◆◇◆◇◆


 とまあそんなこんなでお仕事をし、1時間ほどしてちょっと休憩タイムだ。以外と身体動かすから疲れるんだよね。本の出し入れとか。


 で、机に座って榛さんとお話していた時の事だ。彼女は唐突に切り出してきた。


「ねえ、そういえば九くん。九くんはあの『噂』、聞いた?」


と。


 まあ唐突に感じたのは単に僕が少しボーッとしてたからってだけなのだが。しかし噂、噂ねぇ。


「なんの噂かは分かんないけど、多分知らないんじゃないかな。僕に噂なんて流れてこないし。」


「それまたどうして?」


「それ、分かってるから聞いてるでしょ。友達が少ない────というか居ない。それだけの話だよ。」


 そう、僕に噂は流れてこない。なぜなら友達が少ないから。僕の今の友人で1番仲がいいのは彼女、榛 琴葉だと言えば、その規模も見えてくるだろう。学校で一番可愛い(と言われている)彼女と最も仲が良いのだから。

 この最もとは相互を意味するものでは無い。僕にとって今1番仲がいいのが野郎を差し置いて女子である彼女なのはまあ事実だが、しかし彼女にとっては僕は数いる友人のうちの一人なのだ。もはや何番目とも数えられないだろう。そしてそれは彼女も分かっているはずだ。彼女は僕と違って聡明なのだから。


「僕が今明確に友達だと言い切れるのなんて、榛さんくらいだよ。そんな奴に噂なんて流れてこないよ。」


「そ、そうなのかなぁ…。」


 彼女は少し気まずそうにそう言った。

うん、そんな表情も絵になるね。美少女は得だなぁ。


うんうんと意味深に頷いていた僕に、彼女は言う。


「で、尋ねてくれないの?」


「尋ねる?」


「そ、『あの噂って、どんな噂?』って。」


 なるほど。もしかして、今日の朝にお話をしたいとか何とか言っていた(言っていない)のはこの噂について語りたかったのだろうか。そうか、ならば僕も尋ねない訳にはいかない。


「あの噂って、どんな噂?」


「ふふん、よく聞いてくれました。」


 彼女は、こういった小芝居めいたものを好むことがある。そういう所も良いね!


「どうも。それで?」


「ええ、なんとこの街にね、出るらしいのよ。」


「へぇ、何が?手?」


「手は出ないし出さないわよ。というかなんで手?こういうのって普通幽霊とかじゃない?」


「僕、あんま幽霊とか信じてないんだよね。それで、何が出るの?」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


彼女は何も言わずにこちらを見る。

僕も、口をつぐみ彼女の次の言葉を待つ。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯『吸血鬼』、よ。」


「⋯溜めたね。」


「この方が衝撃的でしょ。」


「まあ、そうだけれども。⋯⋯にしても吸血鬼、か。」


────吸血鬼。

 人の血を啜り、蝙蝠の翼を持つ化け物。ニンニクに弱いとか十字架に弱いとか日光に弱いとか川の流れに弱いとか心臓を杭で打たれると死ぬとか。まあ最後のは誰でも死ぬだろとかよく言われるけど。

 そんな弱点が幾つもあるらしいくせに、僕らの心の中には依然圧倒的強者として存在する。そんな化け物。

いやまあ存在はしてないんだけどさ。あくまで空想の化け物だ。そのはず、なのだが。


「というかそもそも、何でそんな噂が流れてるの?誰か血でも吸われた?」


「それがね、ここ一二週間位の間に目撃証言があっただけなんだって。その目撃証言っていうのも、ただ見た、それだけ。」


「でかい蝙蝠でも見たの?」


「ううん、綺麗な女の人って話だよ。」


「⋯?それって、おかしくないか?人を見たって、つまりそれは人間を見たって事と同じでしょ。何で吸血鬼に繋がるんだ?」


「さあ。私も最初聞いた時は同じ事思ったんだけどね、でもおかしいと叩くには証言が多いのよね。」


「そんなに目撃されてるのか?」


「少なくとも10件は超えてるらしいわ。曰く、見た瞬間に吸血鬼だと理解した、してしまった。だから急いで走り去った。みーんな、同じらしいわ。」


「不気味、だな。」


「ね。私も今自分で話してて背筋がゾワッとしたよ。」


 何とも不気味である。分からないのに、分かってしまう。恐怖するのに、皆同様に動いてしまう。そしてそれが、何回も。


「⋯なんで皆、吸血鬼だって思うんだろうな。」


「⋯?どういう意味?」


「いや、さ。普通に考えるなら、皆が口を揃えて吸血鬼だって言うならソイツに吸血鬼らしい特徴か、それを連想させる何かがあるはずだろ。⋯ありそうなのは…血に濡れていた、とか?でも、聞いてるあたりそういったものは無いんだろ?」


「うん。特にそういった事は聞いた事がないわね。もしそうなら出回ってても良さそうだけど。」


「ま、それもそうだな。」


ひとつ、息を吐く。


「噂は噂。そうであるなら僕はなんでもいいかな。あくまで、噂。それに一二週間で約10人。それなら遭遇するやつは、JACKPOTとまではいかなくても、相当の豪運だろ。僕は運が悪い方だから、多分会えないかな。」


「ふーん」


含みがあるように、彼女はそう相槌を打つ。


「⋯まぁ、もし仮に出会えたとしても、逃げ出せば良いだけだしね。他の皆がそうだったように。」


「そうだね。最終的に無事でいられるなら、それに越したことは、ないよね。」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 という訳で、無事僕らのお仕事は終わった為、玄関に向かうところだ。時間は11:00頃といったところ。ひと仕事終えた後というのは、どうしてこうも晴れやかな気持ちになるのか。こんな寒い廊下の只中だというのに、肺いっぱいに深呼吸してみたくなるものだ。


「────スっーー…。っげホッ、ガっ!」


「ちょ、ちょっと急に何してるの!?さっきまで暖房効いた部屋にいたんだから、廊下で深呼吸なんてしたらそうなるでしょう!」


「ご、ごめん。なんかしたくなって。」


…榛さんにお叱りを受けてしまった。若干の赤面である。主に恥で。


「もう、外はもっと寒いんだからね。今日の予報だと午後は結構冷え込むらしいし、雪も降るかもって言ってたから、もしかしたらもう降ってるかも。」


「確かに、そういえば傘とか持ってこなかったなぁ。」


 ちなみに、僕は天気予報など見てはいない。家を出る直前まで寝ていたからね。天気予報を見忘れて後悔したことなんて数え切れない程あるはずなのに、何故かそういった事は家を出たあとに気づくのだ。まあ、今日はこの話になるまで欠片も想起しなかったのだが。


 そして玄関に出て、靴を履き替える。そのまま外に出て、榛さんと同時に少し空を見上げた。

 真っ白な曇り空である。


「雪、降ってなかったね。」


「うん、少し残念かも。」


「…?…何で残念?」


「なんとなく、雪が降ると気分が上がるんだよね。僕、キッズだから。」


「なる、ほど?」


 首を少し傾げる。どうやら榛さんには分からなかったらしい。彼女にも雪にはしゃぐ子供時代が、あったはずだというのに。時間の流れとはかくも残酷なものである。


「人生は、些細な事でも心を動かされる方がそうでない人よりもずっと楽しめるんだよ。少なくとも、僕はそうおもっている。」


「じゃあ私は、そうでない人?」


 彼女は、少し覗き込むようにそう聞いてくる。その顏には僅かに微笑みが伺えた。その笑みの真意は分からないが、しかし僕の中には別の答えがある。その問いは必ずしも肯定されるものではないというものだ。何故なら、人である限り変われないことなどないからだ。


だから僕はおどけたように言う。


「いいや、榛さんが今日からそれを少しでも頭の片隅にでも置いておくなら、それだけでも見える世界は変わるのだよ。あれだよ、思い立ったが吉日ってやつ。」


「じゃあ私にとっては今日が吉日かもしれないってことだね。」


「そう!そういうことだ。」


僕は少しわざとらしく鷹揚に頷いた。





「…じゃあ、そろそろ帰ろうか。」


「あぁ。」


 彼女がそう言う。しかし、帰ろうかと言っても校門の前で彼女と出会ったように僕らの家は方向がだいぶ違う(多分)。


「じゃあ、次の委員会はまた1週間後ぐらいだから、次はその時に。またね。」


校門まで来ると、彼女は振り返りそう言って手を振る。


「あぁ。また来週。」


僕も手を挙げ、お互いに別方向へ歩いていく。

これで今日やることはなくなってしまった。何をしようか。


「そういえば、今日誕生日だったな。……外食でもするか。」


僕は街に繰り出した。

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