魔王に奪われた『悲しみ』を取り戻すために転生したら、魔王が美人すぎて無理

猫ざらし

1.案内人

 人は、無意識にいくつもの判断をする。

 見るもの、話すこと、向かう場所。

 だから私は、ひたすら打算的に、最善の選択肢を選び続ける。

 それが私、高校二年生の唯坂レイ(16)の生き方であり、信念であった。

 そのはずなのに――。


「ベル様!髪を乾かす前に布団に入らないでください!」

「こらベルガ!ベル様のパンツ咥えて歩くな!……って、それ私の下着じゃないですか!?」

「なんでベル様はまだ裸なんですか!……魔王だからいいだろう?関係ありませんッ!」


 打算的とはほど遠く。騒々しい日常が、私の前に広がっていた。

 目の前にあるのは、蛍光灯ではなくシャンデリア。トイプードルではなく、三つの頭の魔犬。数学の参考書ではなく、読めない文字で書かれた魔法の本。

 そして――全裸で歩く、魔王様。


「騒々しいぞ、全く」

「誰のせいですか!?」

 

 どうしてこうなったのか。

 私のパンツを咥えて走り回る魔王様の忠犬を追いかけながら、頭を抱えた。


 ことの発端は数日前。

 現世で居眠り運転のトラックに轢かれたのが、すべてのはじまりだった――。

 

 


* * *



 体を穿った、トラックに撥ねられた衝撃。

 幕を下ろしたように、ブラックアウトした視界。

 

 再び目を開くと、まず目に映ったのは空。鏡のような水平線に映る、二つの青空だった。

 起き上がろうとして、それが地表を薄く覆う水のようなものだと気づく。そんな場所がこの世界にあるという事は、聞いたことがあった。

 

「……ウユニ塩湖?」

「ここ、ウユニエンコって言うんだ」

 

 ぱちゃりと水音がして、振り向く。

 水面の上に、少女が立っていた。十歳くらいだろうか。腰まである金の髪に、殆ど裸に近い服。肌は薄く透けていて、光のような粒子が煌めいている。

 人間の形をしているが、とても人間とは思えない。それは、変な生き物だった。

 

「あなたは誰?ここは、夢……?」

 

 変な生き物に「迷子?ご両親はどこ?」なんて気を遣っている余裕はなかった。

 私は確か、居眠り運転のトラックに轢かれたはず。だとすれば、ここは死後の世界なのだろうか。

 

「夢ではないよ。天国でもない。だけど、そうだとも言える。君の思う天国なのであれば、そうなんだろう」

 

 変な生き物からの回答は、回答ではなかった。焦燥のような苛立ちが募る。

 少女は困惑する私のことなど気にかけず、地平線まで続く鏡面を指先でじゃらす。跳ねた水が、少女の肌をすり抜けた。

 やっぱり、人間では無いらしい。

 

「ここが最近の人間界では流行っているのかい?少し前は蓮の花とか、金ピカの像とかだったけど。人間の流行はわからないな」

「あなたは、死神?」

「まさか。そんな大層なものではないよ。強いて言えば、魂の案内人」

 

 変な世界で、変な案内人と会話する。やっぱりこれは夢なのだろうか。

 

「死んだ人間は、魂となって理に還り、再び生となる時を待つ。それを円滑に行うのが私の役目だよ。パズルみたいなものさ。キミの世界でも、そういう事は行っているんだろう?」


 何を言っているのか、半分も理解できていない。だけど、とりあえず打ち返してみる。

 

「リサイクル、みたいな?ペットボトルを洋服にする感じ?」

「きっとそうだ」

 

 多分違う気がする。だけど追求はしなかった。

 もっと大事なことに集中する。努めて、冷静になる。

 

「――私は、死ぬの?」

 

 目を閉じると容易に思い出す。

 あの瞬間に私が抱いた、明確な後悔。

 

「唯坂レイ。十六歳と十か月。交差点を歩行中、居眠り運転のトラックにはねられて死亡。これは事実だ」

 

 やっぱり私は、死んだんだ。

 唇を噛む。だけど、どんなに強く噛んでも痛みがない。痛みがないから、力の加減がわからなくって血が滲む。

 

「だけど正確には、まだ死んではいない」

 

 自称案内人の少女は、「これが君の魂ね」と言って淡い光を指の先に纏った。眩しい光。

 

「まだ生きてるってこと?」

「生きているわけじゃない。死を魂の消滅と肉体の消滅で定義するのであれば、今の君は、肉体だけが滅んだ状態さ。器となる肉体を再生させれば君はまた、生き返ることができる」

 

 いちいち話が長い。

 だけど、案内人の言う"生き返る"とはつまり、あの人生の続きができるということ。

 それは、願ってもいない話だった。だけど、そんな簡単な話のはずがない。

 

「もと通りの肉体を作るのは、それなりに大変なことなんだ。心優しい私でも、無料でっていうわけにはいかない」

 

 案内人が、銀色の地平線を辿るように歩く。そして演技がかったように、こちらを振り向いた。

 紫と紺の中間のような色をした瞳が、微笑む。

 

「交換条件だ。君には、ある世界に行ってもらいたい。魔王の手によって、悲しみが奪われた世界だ」

「悲しみが奪われた世界……」

 

 案内人の言う魔王とは、シューベルトの曲を言っているわけではないだろう。それに、悲しみが奪ったり奪われたりするというのも、よく分からない。

 判然としなかった。当然だ、相手は人間じゃないんだから。

 魔王が悲しみを奪うなんて、普通は逆じゃないのか。

 だけど、今目の前では、普通ではないことが起こっている。私の中の十六年間の常識なんて、通じないと思った方がいい。

 

「悲しみが奪われた世界を想像できるかい?喜怒哀楽、悲歓離合。悲しみのない世界では、均衡が失われてしまっている。調和を望む私としては、看過し難い状況さ」

 

 言葉が頭に入ってこない。

 もう少しわかりやすく表現できないのだろうか。嫌がらせとすら思えてくる。

 だけど、求められていることは単純だった。

 

「唯坂レイ。悲しみのない世界で、魔王から悲しみを取り戻してくれ。そうすれば、もう一度生き返らせてやろう。ただし、期限は七日間だよ」

 

 悲しみを、魔王から取り戻す。

 未だにイメージが湧かない。

 だけど。

 

「やるかい?」

 

 答えは決まっていた。

 

「やります」

 

 何だって、やってやる。十六年も費やしたんだ。それなのに、こんな終わり方は到底納得できない。何も回収できていない。大赤字だ。

 ――せめて、後悔がないように。

 

「必ず、魔王に奪われた悲しみを取り戻す」

 

 私は未来に向かって、勝利を誓った。

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