第24話 8月8日・夏日
巷では明日から夏季休暇のところも多いと思う。ほぼ年中無休のサービス業を除いて。俺が勤め人をしていたころこの時期は、取引先が休みで解放感と退屈さを感じる数日を過ごしていた。
俺の勤め先はどういうわけか大型連休をゆるさず、毎年カレンダーは飛び石連休であった。有給休暇の消化に当てることもあったが、大概はエアコンの効いた事務所で後回しにしていた書類をだらだらと処理していた。しかし一人で完結できる仕事はそう多くはなかったので結局は休暇に入るのだが。
海外ではバカンスのため二週間も休みをとることがあるそうだが、社畜だった俺は週休二日制に染まっており、三日も休むと急激に頭の回転が鈍くなった。これといった趣味もなく娯楽も乏しいので、図書館でまとめて本を借りるか友人にもらったゲーム(18禁が多かった)で時間をつぶしていた。
早期退職し毎日が夏休みのようになってみると、時間は多いようで少なかった。思いのほか、新しい知識や技術を習得するための時間が限られていた。頭や身体の反応が鈍く若いころに比べて集中力が短くなっている。そうなると健康寿命とやらを意識するようになった。
俺の両親は(特に母親)は平均寿命を大きく下回る年齢で亡くなった。祖父母が長生きだったので不条理を感じたがどうしようもない。親不孝者の俺はああはなるまいと保守保身につとめた。要は無理せず、退職する前も手を抜ける状況ならとことん怠けるようにして、ストレスをためないようにした。
ときどきだが、今でもかつての上長からラインで連絡が入る。俺より年下で他の営業所から転勤してきたのだが、俺が退職してから彼も一年も経たないうちに転職した。
短い期間だが彼と仕事をして、いくつか気になるところがあった。プレイヤーとしては俺よりはるかに有能で実績もあるが、マネージャーには向いていないなと。
ある日、俺の後任としてアシスタントだった女性を営業職に異動させるときいた。本人が前向きならば、退職する俺には関係ないと反対はしなかったが・・・
どうやら前々から彼女は、俺に対して不満を持っていたようだ。俺はアシスタントとして多少の不満はあっても有能であると認めていた。ただし、事務処理以外の対人関係の仕事となると資質に乏しいとも感じていた。
過去にも俺は(他の女性スタッフからだが)給料泥棒と評されていたことがある。実際その通りだったと思う。営業成績が上向いた場合は、外注スタッフが尽力したか取引先の受注増につられるパターンだった。
自分が企画立案した案件は乏しくしかも成約率は低かった。偶発的にはなしをいただいた案件も二番手か三番手で、得意先にも仕入先にも失望された。成約できた案件は思ったよりは伸びず、表面上の数字はともかく内実はひどかった。
いつしかマイナス思考となって、周囲の厳しい状況をはねのけるどころか埋もれていった。つまりは他責思考になったのだ。
結果リスクはとらず、自分の影響力がおよぶ範囲をよりせまく設定した。これでは誰も評価のしようがない。周囲に不満を持たれるのは必然だった。いま考えると俺は静かな退職をしていたようなもんだ。
俺が退職した場合、新上長の負担が増えると、予測はしていたが罪悪感はなかった。ただ、すでに定年退職した先輩上長を失望させるだろうな、という考えが頭にかすめていた。
当時俺はすっかりやる気失っていたが、せめて先輩が定年するまでは我慢するかと踏みとどまっていたのだ。彼を見送ってもう会社に義理はないと思っていた。まさか俺より先に、別のスタッフをしかも二人も見送ることになろうとは・・・
人の入れ替えがあり業務の見直しをしたさいのしわ寄せが、新しい上長にふりかかってきた。キャパオーバーになると思い、俺は仕事を巻き取ることにした。
しかし新上長は、自分の責任だからと仕事をかこいこんだ。もっともサービス残業してまで付き合うのは、俺ぐらいしかいなかったから、仕事を割り振ろうという発想がなかったのかもしれない。
中小零細企業は金がなく業務量が多い。大企業のホワイト化のように、取引先に負担を押し付けることによって、実現することはできない。別の営業所だが労働基準監督署に目を付けられ業務改善を命じられた経緯もある。残業代を申請し承認されてから業務を行う。
面倒くさいが取引先に周知することによって余計な電話が減ったことも事実だ。しかし管理職は経営側としてブラック化が進んだ。
俺が退職して半年を過ぎたころ、元勤め先の新上長から食事の誘いがあった。特に予定もなかったし失業給付が入ったばかりだったので、割り勘でということならばと顔を出した。その席でまさか彼の退職話が出てくるとは思わなかった。
案の定、彼の負担は大きくなり休日返上で仕事をしても回らなくなっていた。おまけにスタッフとの関係も悪化したようだ。中途採用した営業スタッフと俺のアシスタントを営業職にして、頭数は確保したが機能しなかったようだ。
取引先の要求には対応できず、業務時間内に処理できなかった仕事を丸投げする。細かくは聞かなかったが、上長の負担を減らすどころか、自分のツケを回す営業スタッフの無責任さに呆れた。俺はさっさと逃げ出して良かったとしみじみ思った。
結局、彼は取引先にヘッドハンティングされて転職した。誰にも声をかけられなかった俺とはえらい違いだ。見ている人はちゃんと見ているのだ。
そしてときどきラインが来るようになった。俺は勤め先とは完全に縁を切ったが彼から噂が流れてくる。状況はかなり悪いらしい。俺がいた営業所はもちろんワーストだが、会社全体の業績が悪化したらしい。彼は自分たちがいれば少しは違ったといっていたが、俺は特に思うことはなかった。
現場を離れニュースもろくに見ないが、地元経済がよろしくないのはなんとなく分かる。俺はここじゃ利益は上げられないし誰がきても同じだと公言していた。実際は悪化したのだが、俺や彼が残ってもプラスに転じるのは無理だったと思う。下りのエスカレーター登り切る力は無かったのだ。
退職して二年が経った。売り上げの柱だった得意先が外資に売り飛ばされるらしい。リストラや取引先の変更など大きな混乱が起きるかもしれない。場合によっては工場閉鎖もありうる。
仕事を見限って正解だったのかもしれないがうれしくはない。悲観論をいいだせばキリがないし当たったところで誰も得をしない。占い師だったら逆恨みされるだけだ。将来のことなんて誰も分からないし分からない方がいい。
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