第28話 心友

 僕はひとりで東の森に踏み込んだ。雨はすでに弱まり、木々の枝葉が受け止めてくれる。


 本来ならゾンビ薬を入手するために、一刻も早く出立したかった。しかし、エデンまでの詳しい道を知るのは彼らだけだ。


 ロッソが道を知っていそうだが、彼は詳しくないという。車に同乗しただけで、分かるのはせいぜいエターナルまで。結局彼は、装備を整えたいと言うので、一旦別れた。

 


「それにしてもパイソンの奴、どこ行ったんだ……!」



 心は焦れる。そこには、奴らの勝手な振る舞いに対する怒りもあった。

 

 村人の治療には手を貸さず、それどころか、身動きの取れない彼らを濡れるに任せた事は許せない。少なくともパイソンと、もう1名は動き回るだけの体力を残していた。



「それにしてもなぜ森に? もしかして、犠牲者(なかま)を弔いに……」



 ミュータントは総勢で10人弱はいた。村に戻ってきたのは半数にも満たない。怪我で動けないのか。それとも――。


 僕は少しばかり怒りが溶けていくのが分かった。もちろん、黙って立ち去ったこと、全く手伝わなかった事は腹立たしい。


 それでも人知れず傷心を抱えていたら、と思うと、少なからず同情も芽生えた。



「なるべく冷静に。喧嘩じゃなくて対話をしに来たんだから……」



 いくつかの茂みを抜け、落ち葉に彩られた場所に出た。するとどうだ。しっとり揺れた草花の上でパイソンは、1人だけで仰向けに寝転がっていた。


 呑気に腹を膨らませる夢見心地。その姿を前に、僕は全力疾走した。



「この野郎、人の気もしらないで!」



 僕は駆け寄るなり、パイソンの頭を両手で抱えて掴んだ。体格差がなければ宙吊りにしていたところだ。今はせいぜい、目線の高さが揃っただけだ。



「なんだよ、リンタロー。うるせぇよ」


「うるさいとは何だ! 村の状況を理解してるのか!」



 パイソンにかつての面影はない。白濁した瞳はこちらを見ず、宙を泳いでいる。


 いつぞやの自信に満ち溢れた、危うさを伴う過信など微塵もなかった。



「村がどうなろうと知るか。離せよクソチビ」


「お前は……! 皆いなくなるぞ、土に還るぞ。身体を保てない人が大勢いる! それでも同じ口がきけるか!」


「何度でも言ってやる。どうなろうと知らねぇ。勝手に滅びろ」


「こいつ!」



 僕は拳を振りかぶろうとして、やめた。殴ったら負けな気がした。


 両手を離す。するとパイソンは尻をついたままで起き上がろうともしない。殴りかかってくる覇気すらないのか。それが酷く腹立たしかった。



「オレは人間どもに負けたんだよ。完膚なきまでにな」



 パイソンがぽつりと漏らした。



「知ってる。狙撃銃の1発で倒されたな。確かにスゴイ威力だった」


「オレはよ、無敵だと思ってたんだ。ミュータントの中でも1番強かった。弾は効かねぇし殴れば殲滅。悲惨な人生だったけど、ようやく運命に愛されたと確信してた。それなのによ……!」



 両手を掲げたパイソンが、力まかせに振り下ろした。地震にも似た揺れが生じ、微かな亀裂を大地に刻みつけた。



「それがどうだ。あんなアッサリとやられちまった! 相手の顔を見ねぇ間に、いきなりだ! これがどんなにおっかねぇか分かるか!?」


「お前、まさか……。自分が負けたことが気に食わないのか?」


「当たり前だろ! お前みたいなクソ雑魚と違って、オレは最強! 天下無敵なんだ! それなのに無様に倒されちまった。こんな屈辱に堪えられねぇよ!」


「何だよそれ……そんな理由かよ……」



 もっとまともな理由だと思った。戦友を失った喪失感とか、皆を守れなかった自責の念とか。そんなものを期待した僕が悪いのか。


 突然、肩から力が抜けてしまった。眉間も酷く緩んだ気がする。


 勝手にしろよ――と脳裏で響いた。するととたんに、パイソンが別の生き物に見えてしまった。



「もう良いや。好きにしてろ。お前はここで無敵だったころの記憶と戯れていればいい」


「チッ。なんとでも言え。オレはやりたいようにやる。最初からそうだ」


「お前なんかに望海は、村人は救えない。ここまで酷いとは思わなかった」


「おい待て。なんで望海の名がでてくる。あいつはもう腕がくっついた頃だろ?」


「お前には関係ない。それと村には金輪際近寄るなよ、覚えておけ」



 僕はきびすを返して立ち去ろうとした。まったくもって時間の無駄だった。


 村で別れたロッソとは、東の森で合流する手筈だが、それすらもどうだって良い。1人の方がうまくいく気がしてきた。


 しかしそこで地面が揺れる。パイソンが立ち上がり、僕の肩を掴んだ。


 気安く触るなよ――。


 怒りが首を伝って、僕の脳を強く焦がしたが、我を失うまでには至らない。



「離せよパイソン。痛い目をみたいか?」


「どういうことだよ、望海はお前らに預けたろうが。それなのにヤバいって、何をボンヤリしてやがった!」


「お前には関係ない。それと村には関わるな。そう言ったばかりだろ」


「うっせぇ! さっさと白状しやがれ、ヒョロガリ野郎がーー!」



 パイソンはいきなり僕の腹を蹴り上げた。たしかに威力はある。こうして、木々を飛び越えるまで打ち上げられたのだから。


 しかし赤黒い身体には何らダメージを与えられていない。落下の最中に枝を掴んで飛び、パイソンの頭上を舞う。


 そして間抜け面を通り越して、ヤツの肩にかかと落としを食らわせた。



「グァ!? てんめぇ……!」


「痛覚がなくて良かったな。もし人間だったら、痛みで気絶したんじゃないか?」



 パイソンの左腕は、地面に届くほどダラリと下がっていた。痛みはなくとも、物理的に壊れれば動かせない。



「この、クソザコのくせに、生意気な……!」


「まだ分からないのか? 戦力の優劣にこだわっても意味ないだろ。いまは問題解決が最優先で――」


「オレは負けちゃいけねぇ! 2度と負けるわけにはいかねぇんだ!」


「クソッ。もう駄々っ子じゃないか」



 頭に血が登ったパイソンは突進して、僕に掴みかろうとした。まるで猛牛のようだ。直線的な攻撃で、冷静さを欠いている。


 そんな男なんて、足を引っ掛けて倒すことは容易だ。たとえ達人でなくても。


 宙を舞うパイソン。背中から落としてやると、またもや辺りが振動で揺れた。



「うう……この野郎……」


「そこで寝てろ。お前と遊んでるほど暇じゃないんだ」


「待ちやがれ。テメェみてぇな、クソチビに負ける理由には、いかねぇんだよ……!」



 パイソンが僕の足首を掴んだ。それは怒りよりも、別の感情――好奇心を呼び起こした。



「パイソン。なぜそこまで勝利にこだわるんだ? さすがに不自然だ」


「オレは人間時代、世界で1番不幸だったんだからな!」


「世界一……ねぇ」

 

「人間だったころは酷いもんだ。ロクに食えねぇ。食えねぇから身体も育たねぇ。除け者で邪魔者扱いされ続けた。もちろん女なんか寄り付かねぇ、天涯孤独だ」


「まぁ、そういう仕打ちはありえる」


「屈辱と空腹に堪えていたが、ある日とうとう死んじまった。流行り病にやられてコロリとな。だが、そこからがオレの人生が花開いた。気づいたらミュータント化して、こんなにも逞しくなった」


「えっ、いきなり?」


「理由は知らねぇよ。ゾンビ化した直後に人間を食いまくったか、それとも病原体がゾンビウィルスとくっついたか。とにかく、そんな感じでオレは力を得たんだ。最強無敵になれたんだ!」



 ミュータントの個体が少ないのは、ミクロの世界で、ウィルスや微生物が変異した結果だろうか。


 そうだとしたら僕は何だろう。この強靭な身体はなぜ生まれたのか。素朴な疑問が込み上げてきたが、解明の糸口すら見つかっていない。

 


「オレの時代が来たと確信したよ。最強のオレには絶世の美女が似合う。だから望海を嫁にもらおうとした。それなのにお前は望海との仲を引き裂こうとするし、妙に強くなって、オレの立場を奪うし!」


「別にお前を目の敵にしてる訳じゃない」


「オレは許せねぇ! お前見てぇなノホホンと生きてきたやつが、オレより優れてるなんて! こんなにも不幸だったのに、まだまだ不幸が足りてねぇってのか!」


「ひどい言われようだけど……僕だってだいぶ苦労した」


「へっ。みんな口ではそう言うんだ。どうせ大した事ねぇくせによ」


「人間だった頃、仲の良かった女に騙されて裁判沙汰になった」


「えっ? はぁ?」



 パイソンが呆けた顔になったが、構わず続けた。



「それで僕は有罪、無期労役の刑が確定した」


「女は? 首謀者はどうなったんだよ」


「条件つきだったけど無罪放免。今頃、まぁ、高級な毎日なんじゃないか」


「はぁ!? おかしいだろ、どうしてそいつは無罪なんだよ! しかも良い暮らししてるってマジか!?」


「まぁ色々あって。それから僕は流刑みたいな扱いを受けて、働かされて」


「うん、うん、それから!?」


「味方の銃で撃ち殺された」


「どうしてだよオォイ!」



 パイソンが前のめりでうっとうしい。会話の途中で起き上がっては、僕の経歴に興味津々のようだった。



「まぁそれから、ゾンビ村にやって来て、皆に良くしてもらったけど、アームズたちに滅茶苦茶にされた。そして今に至る」


「なんつう、怒涛の人生だよ……」


「確かに。これが一週間かそこらの出来事だ」


「い、い、一週間!? こんな波乱万丈が、たったの一週間で???」



 パイソンの渇いた唇がわなないている。一体どうしたと訝しむと、今度は声をあげて泣き始めた。



「うわぁぁ! オレは自分が恥ずかしい! まさかオレ以上に不幸でドン引きなくらい悲惨な奴が居ただなんて!」


「ぶん殴っていいか?」


「オレは間違ってた、世界一不幸な男の座は譲るよ! 何も知らなかったとはいえ、あぁ――オレは!」


「ま、まぁ、誰にでも思い違いとか、過ちはあるから」



 パイソンが上半身をこちらに突き出した。相変わらずヘビを思わせる仕草。


 濡れた頬が僕の顔に迫る。嫌な予感が止まらない。寄せられた巨人の顔を殴り飛ばして逃げたくなった。



「オレを許してくれるのか……! ありがとうリンタロー! 心の友よ!!」


「ゴフッ……。おぇっ」



 胃の中身を撒き散らしそうになった。気色悪いなんてものじゃない。いくらなんでも兄貴呼ばわりは無い。


 そんなタイミングだ。ロッソが東の森にやって来たのは。



「ワリィなリンタロー。準備に手間取った。アームズどもが残した自動小銃は、血と砂で汚れて、ほとんど使い物にならねぇ」


「おうおうおう! 新顔ゾンビが、馴れ馴れしく心友(しんゆう)の名前を呼ぶんじゃねぇ! 捻り潰すぞ!」


「えっ……? リンタロー、お前さんはいつの間にコイツと仲良くなったの?」


「僕だって、夢であって欲しいと願ってるよ」



 色々と起きてしまったが、出立はできる。妙にやる気を出したパイソンの手引によって、僕たちは人間のテリトリーへ侵攻するのだった。


「エデンまでのルートなら任せな、目隠ししたって行けらぁ」と豪語していたのだが、その自信が少しだけ怖い。


 それでも準備は整った。道案内に武器、どちらも揃っている。


 もう少しだけ待っててくれ望海。必ず薬を持ち帰るから。


 僕はもう一度、心を引き締めた。


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