第13話 望海の告白

 日が暮れて夜が来た。本来なら村の人たちも家路につき、自宅で晩餐という頃合いだ。


 しかし今は村長宅の傍にある広場に集結していた。彼らが囲むのは1つの電球。暖色の光が灯るそれは、小さな太陽のようにも見えた。



「文明の光だぁ! 明るいなぁ!」


「あったけぇ……手をかざしてると、じんわり暖まるようだべぇ」



 言葉は悪いが、電灯に集まる羽虫のようじゃないか。


 エデンの記憶が新しい僕にとっては、何の感慨もない。何かあるとすれば、皆に喜ばれている事に安堵したくらいだ。



「上手くいったね、リンタローくん」



 あまりにも暗すぎて顔の判別はできなかったが、声色で分かる。望海が僕の傍らまで歩み寄ってきたのだ。



「みんなが手伝ってくれたからね。まさかあんなにも早く組み立ててくれるとは予想外だった」


「だって目の色を変えてたもん。必死になってたんだよ」


「確かに。ちょっと鬼気迫るものもあったかな」



 僕が提案した図面は、すぐに現物として再現された。部品のほとんどは木材だ。木の板の真ん中に長い棒を通し、棒の両端に支柱を立てる。棒と支柱の連結部分は穴の空いた円形で、板に力がかかると回る仕組みだ。それを水の流れを受けることで延々回る。


 そこまで作れば、あとは磁石だけ考えれば良い。棒の端に円形の板を取り付け、そこに磁石を置物ごと紐でくくりつけた。後はコイルを傍に置くだけで勝手に発電してくれる。



「あんなに喜んで。キャンプファイヤーみたいだ」



 今宵は曇り空。月明かりも差さない闇夜で、たった1つの電球だけが輝いている。その小さな光が、白濁した瞳と、腐敗した肉体を浮かび上がらせた。


 人間が見たら卒倒ものだなと、独りごちた。そんな印象を抱くのも、人間時代の記憶が濃いからであり、いつしか忘れ去っていくのだろう。


 それも悪くない。覚えていたい物事なんて、ほとんど無いのだから。



「ねぇリンタローくん。聞いても良い?」望海がそう言いながら座った。雑草のこすれる音がする。


「別にいいけど。何について?」



 僕も並んで腰を降ろした。視界に映るのは電球の光と村人だけだった。



「リンタローくんって、たまに寂しそうな顔をするよね。どうしてかなって」


「それは……」


「人間の住む所に帰りたい、とか?」


「違うよ。そうじゃなくて」



 僕の胸の内は、一言で表現できなかった。ゾンビに生まれ変わったのだし、もうエデンに対して未練はない。


 もし仮に人間サイドに受け入れられたとしてもだ。待っているのは新拠点を造るために強制労働。それすらも、外征部隊(アームズ)たちの気分次第で待遇は変わってしまうだろう。もちろん悪い方に。


 ならばゾンビ村の一員として生きていく方が良いのか。それが正しいかは分からない。今のところは馴染めているが、何かキッカケで立場を追われるかもしれない。そんな恐怖心が絶えずつきまとっていた。自分がよそ者である事が原因か、あるいは別のものか……。


 ここでまた、浦城の顔がよぎる。僕は強い咳払いで、胸の中の苛立ちをごまかした。



「ごめん。上手く言えない。言葉にするのが難しくて」


「そう……」


「いつか話せるとは思うよ。でも今は、やっぱり気持ちの整理ができてないのかな。もう少し時間が必要かもしれない」


「そうだよね。心って、意外と扱いにくいもんね」



 ふと、望海から視線を向けられた気がした。だがそれも一瞬だった。



「ねぇリンタローくん。少し昔話をしてもいいかな」


「もちろん。聞かせてよ」


「これはね、私がまだ人間だったころの事なんだけど」


「待って。そもそも君はいつゾンビに?」


「2年前の春先だよ。人間だったころは家族と一緒に暮らしててさ……」



 そんな切り口で始まった望海の記憶。彼女は僕と違い、集落や拠点に住んではいなかった。家族だけで、洞穴で生活していたと言うのだ。


 もちろんゾンビに襲われる危険性が高いので、隠れ住む形になった。神経をすり減らす毎日だったとか。



「窮屈で辛かったけど、ママが生きてるうちはマシだったかな。パパとママ、私と妹で、どうにか楽しく暮らせてた」


「そもそもどうして洞穴に?」


「なんでも、パパとママは駆け落ちしたんだって。ママは婚約者がいたけど、パパが連れ去ったみたいなの。地の果てまで逃げて、2人で死のうとか言ってたんだって」


「その割には子供が2人も?」


「外での生活は、思ってたほど危険じゃなかったらしいよ。ゾンビはたまにしか見ないし、追っ手も来ない。ひっそり隠れていれば生きていけそうと、考え直したみたいなの」


「そうなんだ。運が良かったのかもね」



 望海の口調は重たく、寂しげだ。かつての記憶が心の奥底を揺さぶっているようだった。



「でもね、私が15歳になった頃ね。ひどい寒波がきたの。毎日のように大雪で。そのうち焚き木が尽きて、外を探しても枯れ木が湿ってて、火が起こせなくなっちゃった」


「それは……かなり危なかったんじゃ?」


「パパが決死の覚悟で燃料を探しに行った。ママはその時、咳がひどくて寝込んでた。私と妹で、ママを励ましたり、水を飲ませたりしたけど……」



 言葉がつまる。鼻を小さくすする音も聞こえた。



「とある晩に天国に旅立っちゃった。その次の日にパパが、油とか木材を持って帰ったけど、もう手遅れだったんだ」


「それは何と言うか、やるせないね」


「ママが居なくなってから、家族の関係は少しずつ歪んでいったの。パパは私より妹を可愛がるようになった」


「それは気のせいじゃなくて、目に見えて?」


「だって、食べ物の量が違うもん。私は妹の半分も食べさせて貰えなかった。それに妹は石鹸で身体を洗えたけど、私は水浴びも許されなかった」


「どうしてそんな事に……」


「妹の方が美人だったから」


「おかしいでしょ。父親なのに、そんな理由で贔屓を?」


「パパはだいぶおかしくなってたもん。ママが死んでから。もしかしたら、妹を売るつもりだったのかも。美人だと高値がつくって聞いたことあるし」



 無茶苦茶な話だ。命がけで逃げた相手との間に生まれた子を、そんな風に扱うだろうか。むしろ、これまで以上に愛情を注ぐものじゃないのか。


 しかし望海から語られた経緯は、その逆だった。



「パパはね、独り言が増えてた。こんな所で死にたくない、故郷に帰りたいって。毎日のようにブツブツと」


「でも駆け落ちしたから、戻ることは……。いや、もしかして?」


「妹を権力者に売って、許してもらおうとしたんじゃないかな。分からないけど」


「なんてヤツだ! そんなのありえない、外道そのものじゃないか!」



 僕は思わず声を荒げてしまった。しかし、すぐに冷静になった。彼女の肉親の話だ。


 望海は別に怒ってはいなかった。共感する部分があったのだろう。「そうだよね」と小さな相槌を返した。



「それでね、この頭の傷があるでしょ。まだ塞がってない穴が」


「うん。初対面の時に見たよ」


「これはね、パパに……」


「えっ……。嘘だろ?」


「3人暮らしになってから、扱いがひどくなったでしょ。ある夜にお腹が空いちゃって、どうしても我慢できなかった事があって」


「まさかとは思うけど」


「パパに見つかって、やられちゃった。ナイフでグサッて」



 僕は空いた口が塞がらなかった。実の子を虐げただけでは済まず、自らの手で殺めてしまうとは。


 腹立たしい、いや、そんな次元ではない。今すぐその男を見つけ出して、同じ目に遭わせてやりたくなった。



「刺された時言われちゃった。オレの邪魔をするなって。その後はあまり覚えてないけど、洞穴の外に捨てられたんだっけかな」


「その時、妹さんはどうだったの?」


「さぁ……。あの子はパパの言いなりだったから。売られてでも良いから、安全な街で暮らしたいおも言ってたし」


「なんというか、もう言葉もないよ……」


「私はね、たくさんの血を流しながら思ったの。ママと同じところへ行きたいって。それで眼の前が暗くなって、いよいよ死ぬなと思ったけど。なかなか死ねなくって」


「わかるよ。音だけ聞こえるとか、そんな感じじゃなかった?」


「そうそう。もう一度目が見えるようになったとき、私はゾンビになってた。そこに偶然、外回り組のゾンビが通りがかってさ、私を見つけてくれたの。それでこの村にやって来たんだよ」



 そこまで言うと、望海は小さな溜息をついた。夜の闇に飲まれてしまいそうな、かぼそい物だった。



「私、冬が嫌いなんだ。大切なママを奪ったし、村のみんなまでも……」



 望海は電球の方を見ているのか。いや、光のそばで喜ぶ村の仲間たちか。かすかに鼻をすする音がする。嗚咽はない。だがむしろ泣いてほしかった。


 彼女の姿はほとんど見えない。闇の中に溶けてしまいそうなほど儚く、そして哀れだった。消えないで。伸ばした手が望海の手のひらに触れた。弾力の強い手の甲は干し柿に似ていた。


 それを感じ取った瞬間、僕の中で何かが弾けて、燃え盛った。腹の底からマグマでも吹き出しそうな熱に、僕は遠慮もなく、一切を任せることにした。



「君と約束するよ。冬を怖がらずに済むよう、僕が解決してみせる。必ずだ」


「リンタローくん……」


「望海ちゃんは幸せになるべきだ。そんな辛いことがあったのだから、今、この村で絶対に幸せにならなきゃいけないんだ!」


「ありがとう。嘘でもうれしい」


「違うよ、僕は本気だ。僕は理不尽な世の中が許せない! なぜ当たり前のように生きて、当たり前の幸せを手にする事ができないんだ? おかしいだろ! 絶対間違ってる! 僕はやるぞ、理不尽な運命をブチのめして、最高の未来を手に入れてみせる!」


 

 つい熱くなってしまった僕は、力強く叫んでいた。やはりというか、声は広場まで届いたらしく、何人かが僕らに絡んできた。



「どうしたんです根須様? 望海を幸せにするとか、聞こえたような……」



 僕は慌てて声をあげた。



「いや、違くて、変な意味じゃなく!」


「そんな照れなくても。若いって良いですよねぇ。オレも昔は嫁さんを口説く時に、無い知恵を絞ったりして。真冬の川に飛び込もうとして止められたり」


「だから! そういうんじゃないって!」



 それからはもう、2人きりではいられなくなった。村人を大勢交えての雑談やら、民謡らしき歌の合唱やらと、半強制的に賑やかに過ごした。


 ひとしきり騒いだ後はお開きとなり、僕たちも解放された。少しだけ気まずい帰宅だったけど、望海の機嫌は悪くなかった。



「リンタローくん、ありがとうね。慰めの言葉だけでも嬉しいから」



 藁の寝床で望海が呟いた。僕はその言葉を、腹の底で受け止めた。


 あのセリフは方便じゃない。もちろん嘘でもない。望海が幸福になれるよう全力を尽くす。そう心に誓っては、眠りについた。


 翌朝。外が騒がしくて目が醒めた。道の方を見てみれば、普段と様子が違った。



「なんだあれ……。何事?」



 村内の辻あたりに、数両のリヤカーが停まっていた。その荷台には、雑多に家電やら金属片が不規則的に乗せられていた。


 それは単に外回り組の帰還を知らせるものではない。僕の立場が変化する事も告げるものだった。

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