第5話 生存ルートを求めて
夕闇で光る赤い瞳は6つ、つまりは3体。それはこちらを目指して歩み寄ってくる。
「あ、あぁ……。こっちに来てる……!」
相手の動きは鈍い。それでも、すでにマンション前の道路にまで到達している。出入り口はエントランスだけで、今から逃げたのでは鉢合わせになってしまう。
この寝室の窓から抜け出すことも不可能だ。窓はバリケードで補強されているので、工具もなしには開ける事はできない。
「これじゃ袋のネズミじゃないか、ちくしょう……!」
固唾を飲んで身を固くしていると、ガラスの砕ける音が聞こえた。そのけたたましい音は、僕の脳に強烈な電撃を食らわせて、同時に現実感までも伴った。
「死にたくない、嫌だ! こんな所で死にたくない!」
僕はどこか斜に構えていた、いや、拗ねていたのか。運命に翻弄されてしまった事がとにかく気に食わなかった。
しかし、そんなつまらないものは全て跡形もなく霧散した。そして本能が鼓動を早めながら、僕に警告するのだ。
――このままでは殺されるぞ、と。
「ガラスの割れた音が近すぎる。もしかして、103号室に入り込んできた……?」
地を這うようなうめき声、それと足音。近い。隣室から聞こえる。そう思った途端、僕は寝室の出入り口に向かって駆け出した。
「ヤバい! 入ってこないで!」
開きかけたドアに体当たりをぶつけた。向こう側でドサリと倒れる音がする。辛うじてゾンビの侵入は防げた。しかし同時に、自分の居場所を教える事にもなってしまった。
「どうしよう……他のゾンビまで集まってきたぞ」
僕は背中でドアを押し返した。ドアの向こうからは、ゾンビの唸り声と、無数の乱打があった。身体が押し返そうとする衝撃には、懸命に堪えた。
ゾンビの攻撃は執拗だ。ドンドン、という響きは途切れず、やがて粘性な音が混じるようになる。ドチャリ、グチャリという耳慣れない音。その理由については考えたくなかった。
「どうしよう! 本当にどうしよう! このままじゃ、そのうち突破されちゃう……!」
ドアに内鍵はない。だから物理的に押さえつける必要があった。このままでは身動きが取れず、逃げる事も、戦う準備だって出来やしない。
「早くしなきゃ! 考えろ、とにかく考えろ!」
頭に走るジリジリとした痛みに堪えながら、寝室を見渡す。左方向の壁際にセミダブルのベッドがある。頑丈そうだが、きっと重たい。僕一人で動かせるかは自信がなかった。
その反対側の壁際には本棚がある。程よい重さに見えるが、ドアから多少離れていた。手を伸ばしても指先が虚空を掴む。
「あとちょっと、もう少しで……!」
指先が本棚の端にふれた。とたんに、僕とドアの間に隙間ができてしまい、強く押し出された。
ドアが勢いよく開かれようとした。だがその瞬間、咄嗟に本棚を倒した事で、命運がわかれた。横倒しの本棚が絶妙な位置に転がり、ドアが開かれるのを防いでくれた。わずか数センチほどの隙間が開いたけど、それでは腕すらも通らない。
「はぁ、はぁ、何とかなった……」するとドアの端が砕けた。ゾンビが素手で破壊したらしい。
「うわぁ! 何ともなってなかった!!」
僕はすかさず隠れた。ベッドの下に身を潜めたが、果たしてこれで乗り切れるのか。連中は愚鈍な見た目に反して鼻が利くようだった。
「どうしよう。考えろ、次の手を、何か……」
武器はない。まともな遮蔽物もなく、半壊したドアは間もなく破られる。つまりは詰み。ゲームオーバーとしか思えなかった。
「いや、いやいや! 諦めるな、何かいい方法があるはず……!」
僕はベッドの下から、床に転がる置き時計を見つけた。さっき本棚を倒したことで、巻き込む形で落下したらしい。
これだ。起死回生の策。手を伸ばして時計をベッド下に引きずり込んだ。
それはホコリが堆積しており、放置した年数分だけ老朽化しているように思えた。頼りなさにはめをつぶる。電池は単一式。探索で見つけたものに取り替えると、少し間を置いて、時を刻み始めた。等間隔にカチカチと。
その音は、何人もの兵士よりも頼もしく思えた。
「よし。あとは準備をするだけだ……」
それから間もなく、ドアは耐久限界を迎えた。ゾンビが殴るたびに木片が飛び散り、最後は板が粉々に砕けた。
そしてゾンビたちは侵入を果たした。2体が身体を揺さぶりながら、ぎこちなく歩いている。
(焦るな、気づかれるな、もっと中に引き込まないと!)
呼吸のたびに喉が震えた。声がでそうになり、床に敷かれたカーペットを口に咥えた。強烈にカビ臭く、ホコリも堆積しているので、口内はかつてない不快感が駆け巡った。
それでも耐えた。涙が目に浮かんでも、そのままでいた。やがてゾンビが部屋の奥まで足を運んだのを見て、僕は置き時計のスイッチを入れた。
――ジリリリッ!
耳が痛いほどのベルが鳴った。すかさず時計を床の上にすべらせて、部屋の隅まで追いやった。
ゾンビたちも、置き時計の動きに反応して、そちらに歩いていった。狙い通りだった。
「よし、今だ!」
すかさず僕はベッドから這い出て、駆けた。寝室から飛び出す。眼の前にゾンビはいない。左手に見える脱衣所のドアを通り過ぎた。続けて物置きのドアの前を駆け抜けようとした瞬間、僕は強い力で引っ張られた。
「うわ! こんな所に!?」
最後の1体がそこに隠れていた。僕の左手を引き込むと、鋭い牙で手首に噛みついてきた。
痛みはない。そこはちょうど、発信機付きの鉄の腕輪があったからだ。
「クソッ! 放せ、放せったら!」
ゾンビの腹を繰り返し蹴りつけた。1度、2度目でやっと拘束から逃れた。すぐに逃げる。寝室から戻ったゾンビまで、僕の背後をおびやかしたからだ。
リビングに飛び出し、割れた窓から脱出。マンションの敷地から逃げて、街の中央を目掛けて走リ続けた。すると、いつの間にかやつらの気配も消えた。
「はぁ、はぁ、この事を皆に知らせないと」
辺りはとっぷりと暮れていた。月明かりはなく、雲の隙間からわずかな星々がのぞいていた。まともな灯りは手元の懐中電灯だけだった。
「怪我は……よかった。ほとんどない。あそこまでされたのに奇跡的だな」
鉄の腕輪に鋭い傷が出来ているものの、腕に噛み傷はなく、小さな浅傷があるだけだった。これくらいじゃ感染ないよな。そこはもう祈るしかなかった。
「おおい、みんな! ゾンビがでたぞ!」
僕は闇夜に向かって叫んだ。しかし、返事は何も聞こえない。風が吹くに合わせて、草木が揺れるだけだった。
「そういえば、僕は知らないぞ。みんながどこに居るかなんて……」
分かるといえば、街の中心に鷲鼻のおじさんが居るくらいか。リーダー気取りの彼は今もそこに寝転んでいるのだろうか。
「……もうここには居ないか。移動したのかも」
少女像の傍には誰もいなかった。少し地面が濡れているのは、小雨でも降ったのだろうか。だとしたら屋内に雨宿りした可能性がある。
「この付近で屋内といえば……おや?」
懐中電灯で周囲を照らすと、雑草の隙間に人の姿を見つけた。囚人仲間だ。後ろ姿に見覚えがある。
駆け寄ってみると3人とも、雑草の中にいた。まさか草刈りを続けているのか。なんて呑気なんだろうかと、呆れと憤りを同時に感じた。
「ちょっと、みんな! そんな事してないで、早く逃げよう!」
3人ともこちらに背を向けながら、中腰の姿勢を保っていた。僕が1人の背中を叩くと、その身体はズルリと真横に崩れた。それから3人とも将棋倒しになって、草むらに倒れてしまう。
彼らは身動ぎすらしない。それどころか、見開いた瞳を虚空に向けており、首筋は真っ赤に染まっていた。
「ひ、ひぃ!? 死んでる!」
すると草むらが揺れて、方々で誰かが立ち上がった。赤い瞳に腐食した肌。僕は驚きのあまり転んだが、すかさず一目散に逃げ出した。
「こっちにもゾンビが!?」
どこを逃げれば良いのか、もう分からない。あてどもなく街なかを逃げ回っていると、さらに多くのゾンビを呼び寄せてしまった。
暗闇の至るところでうめき声が響き、足音も無数に重なっている。もはや何体いるのかも分からないし、距離も掴みにくい。逃げながら鉢合わせにならないことを祈った。
「そうだ、外征部隊(アームズ)だ。助かるには駐屯地を探すしかない!」
そこへゆくには街を脱出する必要がある。ルートはふたつ。崖を登るか、あるいは、街をぐるりと囲むように造られた上り坂を行くかだ。崖は垂直に切り立ったものだ。苔混じりの濡れた岩肌は、僕を拒むかのように酷くすべった。
「とてもじゃないけど登れない。これじゃあ坂を行くしかないか……」
僕は坂道を選んだ。そこは風化したバリケードや、道路の亀裂が激しく、歩行すら困難なコンディションだった。それでも柵を乗り越えて、亀裂を避けつつ、どうにか先へ進んだ。
「うそだろ……。あいつら、傍まで来てる!」
うめき声が追いかけてきた。懐中電灯を向けると、何体ものゾンビが蠢いていた。僕が通った道を真似することで、バリケードを容易に通過していた。
「助けて、死にたくない! こんなところで死にたくない!」
ようやく坂を登り終えて、森に差し掛かった。すると突然、道が白く染まった。思わず目を閉じると、拡声器越しに声が聞こえてきた。
「動くな、そこで止まれ!」
辛うじて瞳を開くと、そこには数台のワゴン車が停車していた。そして、何人もの兵士が車外に降りると、開いたままのドアに身を隠した。
「た、助かった……! お願い、ゾンビに追われてるんだ! 僕をかくまって……」
セリフは最後まで言えなかった。発砲された鉛玉が、僕の全身を貫いたからだ。何発撃たれたか分からないほど、僕の身体は蜂の巣にされてしまった。
「えっ、どうして……」
何か言おうとして、それでも言葉にならない。喉は破けたように血が吹き出して、胸も腹も焼けたように熱い。
その場で膝をつくと、誰かが声をあげた。
「よくやったな、お前らの役目もこれまでだ」
そう笑った男には見覚えがある。赤い髪の大男。記憶が確かなら、彼はアームズの隊長だ。
「どうして、僕を撃ったの……」
声は言葉にならず、かわりにゴポリと真っ赤な泡が、喉の風穴からあふれて溢れた。力なく膝をつき、視界が明滅して歪む中で、僕は周囲の様子を窺った。
アームズたちは、声を上げて笑っていた。
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