商売の13 期間限定偽ブランド
「あ~? なんだよこの問題? 何が相似なんだよクソがよ……相似てねえんだよ」
江藤リョウコは期末試験を控え、なんとか勉強に取り組んでいた。数学はわからない。わからなすぎる。しかし彼女は女子高生、学生の本分は勉強である。すでに冷めたコーヒーが、彼女の苦悩を良く表していた。
都内、駅前の深夜、格安チェーンの喫茶店。
すでに夜の9時。それほどくだを巻いていても、少なくとも見咎められることはない珍しい店だ。左隣で声の大きい若い女性と、ホストみたいな格好をした男がなにやら手帳を広げてなにかを突き合わせている。
右隣のボックス席には、スーツ姿の男女が沈痛な面持ちで押し黙っていた。
気になる。
もしかすると、別れ話というやつかもしれない。
普段ならば歯牙にもかけないような話題だったが、期末試験という最悪の敵に相対している彼女にとって、それは勉強よりも関心のある極上のトピックスだった。
「どうする」
「どうするって言ったって……相手はあの動画を持ってるのは確かよ。こんな店に呼び出しておいて接触もしてこないだなんて……」
それはヒソヒソと喧騒に紛れるほど小さな声だった。気に留めなければ、だれもが聞き流すような内容だったろう。
しかしリョウコは違う。その仕草と声色から、彼らが誰かに脅されているのだ、と一瞬で見抜いた。
何故か?
答えは簡単だ。リョウコもまた同業の強請屋だからである。
「三つ首と言ったか? やはりイタズラだったんじゃ……」
「じゃああの短い動画が全部フェイクだって言うの? ありえない。AIにしたってあんなに確信を突いた内容にはならないわ」
リョウコはノートと参考書を閉じて、耳をそばだてる。大凡は図ることができた。
この男女は『ある男』の部下であり、SNSを介して謎の脅迫者から動画の『さわり』を見せられ、強請をかけられた。その謎の脅迫者は『三つ首』を名乗っている。
おかしい。
リョウコは違和感を拭えない。なぜなら三つ首とは、リョウコと他二名、アオイとミオを含む三人の名前だ。試験勉強で仕事をしていない自分たちが知らない仕事ということになる。
リョウコ、アオイ、ミオの三人は、理由あって一つの体に合体している。
理由を話すと長くなるため省略するが、消費カロリーが単純に三倍になるため、とにかくなんでもやって金を稼ぎ、食わねばならない。とはいえ、試験勉強は大切だ。女子高生とは、この日本において最高の身分証明である。留年退学などもってのほかだ。
だから、三人共試験勉強はきっちりやる。その結果の如何は別にして、だが――。
「……電話。待ってて」
女のほうが立ち上がったのを見計らって、リョウコも自然に立ち上がり、少し離れて彼女を追った。店の脇で曲がったところで、リョウコはグレープ味のガムを取り出し、胸を二度叩く。髪をまとめたリボンがほどけて、シルバーフレームのメガネに変わり、背は少し低くなって――その姿は赤いジャージ姿のアオイへと変わっていた。
「試験勉強と課題の手伝いはしない」
『ちげえって。仕事だ。その脇で女が電話してんだろ。お前確か読唇術ができるとか言ってたじゃねえか。読んでみろ』
リョウコが必死でそういうのへ、アオイは半信半疑になりながらも、立っている女を視界に捉え、その唇をじいっと見つめた。
『何〜? 今日オフで勉強じゃなかったの?』
『ミオ、黙ってろ。あの女、三つ首に脅されてるって言いやがった。あたしらが休み中にだぜ』
『ええっ、じゃあニセモノってこと?』
「分かった。読み取れた……『場所を移動しろなんて本気なの? 場所は? 東京タワーですって? 分かった。三十分以内……むちゃくちゃよ。金は用意してる。分かった』、か。どうも気に入らんな。我々の真似にしちゃあ、妙に目立つところを指定してる。これじゃあ相手によっちゃ、殺してくれって言ってるようなもんだ」
アオイはそう言うと、脇へと入って人目を避け、どんどん加速していく。先回りするつもりなのだ。
『おい、先回りしてどうすんだ? ニセモノごととっちめてやるつもりか?』
「リョウコにしては話が早いな。そのとおりだよ。三つ首はブランドだ。ヘタな猿真似されて評判が下がるようなことは断じてあっちゃならない。二度とそんなことできないようにしてやる」
「ねえ、
気弱そうな女子高生であった。
詰め襟にスカートタイプの黒い制服。どこかおどおどとした態度だ。栗色の前髪をぱっつんにして、隠れた眉は不安げに下がっている。喫茶店を見下ろすことのできる、向かいのビルの、チェーン系レストラン。その窓際のボックス席で、向かいに座っていた女子高生がスマホを机に置いた。
「あるよ。金を用意して秘密を買おうって言うんだから。セコいんだよ。せいぜい振り回してやればいい。
ずごご、とストローでコーラを吸ったのは、風花の相棒である美優だ。同じ制服に身を包み、黒髪で毛先がはねている猫っ毛。大人への猜疑心をこねくり回して作ったような鋭い目が、侮蔑の光を伴って眼下を見おろしている。
「……でも、五千万だなんて……」
「だから! 良いって。いい年した大人がやることだろ? 好き放題言われても良いって、覚悟してなきゃあんな事できない」
美優と風花は都内の高校に通う女子校生だ。少なくとも、今月中は。
風花の父親が事業に失敗して失踪し、美優の両親が離婚して揉めた挙句事故死するまでは、二人は普通の女子校生でいることができていた。
彼女らが通っているのは私立の名門校である。頼れる親戚がいない風花と美優にとっては天文学的な学費を使ってようやく通うことにできる学校だ。
風花は中退を検討していたが「大人の都合で学校やめろって、風花が考えることじゃない」と美優が一蹴したことで思いとどまった。そして、美優はとんでもない話を持ち込んできた。
あるスキャンダルを起こした男を、自分たちで強請ろうと言うのだ。
「美優、あなた正気? 女子校生って所詮子供なのよ。誰かを脅そうだなんて……」
「それじゃあこのまま都合に流されてろって、そういうのか? 子供にだってそれなりの権利ってもんがあるさ。それに、この話は案外無理な話でもないんだぜ」
美優はそう言って、概要を話してくれた。
謎の強請屋『三つ首』の話。
曰く、三つの顔を持つ若い女。
曰く、何千万も平気で強請りとる業突く張り。
そして曰く――逆らえば死の報復が待つという。
「いいか、どうせ金持ちなんか小心者で臆病なんだ。私たちがふっかけたらビビる。五千万なんて方便だよ。半額もあれば進学費用も含めてなんとかなる。大人への特急チケットってわけさ」
そう言って、彼女は保存していたデータファイルを見せた。
中を開かなくてもわかる。おぞましい動画であった。
上気した赤みの差した赤い肌をした男女が映っていて、女のほうは風花達と大差ない――下手したら年下の少女であった。サムネイルにはそうした写真が山程並んでいる。
「オヤジの遺産だよ。親戚連中に取り上げられずに済んだパソコンの中に入ってた」
「美優のお父さんって、サーバ系の技術者だったよね…?」
「ろくでもないオヤジだったんだよ。サーバにバックドアを組み込んで、個人サーバにアクセスできるようにしてた。どうもこういう流出動画が好きだったらしい」
美優は吐き捨てるように言った。常日ごろ、親からは放置されていた彼女に、今更守るような親のプライバシーなど存在しなかった。
「で、この動画を撮ってたのが動画配信者のユリヤ。エロ系の裏アカ野郎だ。こいつは小物だけど、一本だけ複数人で撮ってるやつがある。顔を隠してるんだけど、このサムネに映ってるやつ見て」
男の背中が映っていて、その首裏に肌色の湿布が張り付けられている。そのシーンだけ、湿布が剥がれて赤いあざが広がっているのが見えた。
風花でも知っている。日本一の登録者数を誇る動画配信者『マルさん』。彼の痣とそっくりなのだ。
「ネットじゃ聖人ぶってるマルさんが、私たちとそう変わらない年の女を抱いてそれを動画に残してるなんて、とんでもないスキャンダルだ。絶対金出すはずだ。勝確ってヤツだぜ、風花」
あの日から二週間。
動画の一部を送りつけて『ネット上に拡散する用意がある』とメッセージを添えると、まるで火を点けたようにトントン拍子に話が転がった。
窓口としてマルさんの個人事務所が連絡先を送ってきて、あっさり要求を飲むと言ってきた。
美優の読みは鋭かったのだ。
「さて、東京タワーまで移動しようぜ。データは現金と交換ってことで話はついた。それに、代理人は立てるなって釘も刺した。詰みだよ」
「でもさ、美優……そんなに上手くいくのかな。もし暴力を振るわれたら……」
「相手は有名人だ。わたしたちみたいなのに暴力を振るったらおしまいだろ。だから目立つ場所にしたんだ。風花は取引場面を撮影する役だ。保険にしなくちゃならないからな。どのみち、危険はないよ」
人の良さそうな、目を細めた笑みを湛えた男だった。
シンプルな黒い甚平姿にバンダナを巻いて、そこから明るい癖毛がはみ出している。耳には、無線式のワイヤレスイヤホンマイクが、青い光を放っていた。
タクシーから降り立った彼の手には、重そうなボストンバッグ。
『マルさん、申し訳ありません。ことがことでしたので、警察沙汰もまずいと思いまして……』
「ほんとだよ〜……ちょっとファンをつまみ食いしたくらいで毎度毎度金払ってたら会社潰れちゃうよ。それで? 三つ首ってのは女の子なわけ?」
マルさん――丸山圭太は
配信者というのはピンキリだ。
自分みたいに存在そのものがコンテンツ化する者もいれば、犯罪者との境界線上にいるような連中もいる。そういう連中とも繋がりが持てるのが、今のネットであった。ちょっと危ない遊びに手を出すくらい、どれほどのものでもない。
『業界では有名人らしいです。若い女だとも化け物だとも……』
「ふーん。まあ化け物だったら始末しちゃえばいいかな。セッティングはしてあるんでしょ?」
たちの悪いことに、ネット上の炎上というものの存在を元から断つ能力と人脈に彼は長けていた。印象操作と演技力――タレントと呼ばれる人間には欠かせない才能が彼には漲っている。
「じゃあとで迎えよこしてよ、マネージャー。三つ首がかわいい女の子だったら遅れる。連絡するよ」
すでに深夜0時を回っている。東京タワーの光は失われ、あたりは街灯ばかりの暗闇だ。そんな中、詰め襟の制服を着た女子校生が一人。美優だった。
「君が三つ首? お金持ってきたんだよ」
「……いくら持ってきた?」
「言う通り五千万。まあ勉強代だと思って我慢するよ」
美優はバッグを開いて札束を確認する。意外ではあった。こんなにもあっさり金を出すなんて――。
「ところでさあ、俺友達多いんだよね。東京タワーなんてわかりやすいとこだから、集合も楽だったよ。よかったらドライブ行かない?」
まるで丸山が合図したみたいに、黒塗りの高級ワゴンが三台滑り込んできて、ガラの悪そうな連中がバットやらパイプを片手に十数人降りてくる。美優にとって完全に予想外だったのは、キャンプ用ロープで縛り上げられ、顔に痣がつけられた風花が地面に転がされた事だった。
「この子スマホでずっと君撮ってたんだって。つまりこの現場を抑えて保険にしようってんでしょ? わかるよそのくらい。俺だって考えるもの〜。でも大人をからかっちゃいけないなあ。女子校生二人にはこの人数は荷が重いよね。大丈夫! 俺ら優しいから。二回ずつ相手してくれたらチャラにしてあげるからさあ」
そういって、丸山はぐいっと美優の首に腕を回し、引き寄せた。その体温が、美優に何をするつもりなのか容易に想像させる。
「三つ首なんて都市伝説だってことかなあ。会ってみたかったな〜。二人より三人のほうが使い道多そうじゃない? ま、それはいいか。じゃ、女子校生二人ご案内で〜。言っとくけど逃げたらどうなっちゃうか分かるよね?」
へらへらと笑うその声が、まるで美優を愚かと断じるためのものであるような気がした。振りほどこうとしても身体はびくともしない。
「離せよ! 三つ首の噂知ってるんだろ! 死に急ぐな!」
美優の叫びを嘲笑うかのように、先に放り込まれた風花はぐったりしている。こんなはずじゃなかった。悔しさで目の前が真っ暗になる。風花から止めろと言われていた爪を噛む癖がぶり返しそうになって、右手が震えた。
「可愛い〜、震えてんじゃん」
「三つ首がなんだっつうんだよ。女子校生追加なら歓迎〜。
ニヤニヤと丸山の仲間が笑った、その時だった。
その男の首にすうっと赤い線が引かれて、ずるりとズレた。
「……ケンちゃん、おめー首、ズレてね?」
「は? 何言って……?」
震えながら、隣の男が指摘する。慌てたように頭をつかむと、本当にズレた。
「え? 嘘、ズレ」
ぐちゃっと頭が転がった瞬間、噴水のようにケンちゃんと呼ばれた男の首から血が噴き出した。なにが起こったのか、丸山もその仲間たちも、美優もわからなかった。
ただ確かだったのは、いつの間にかワゴン車の上に赤いジャージ姿の女が一人しゃがみ込んでいて、肩に斧を担いでおり――その刃には血がべったりと吸い込まれていることだった。
「……だ、誰だ!?」
「おお〜、三流悪役に相応しいセリフだな。お前らの運命決まったな?」
月を背負って立ち上がる赤ジャージの女、そして首を切られた仲間の姿に誰もが混乱し恐怖した。次の瞬間には、男の一人の顔に斧が突き刺さっていて、それを踏み台に女は飛び上がった。
「や、殺れ! みんな殺れ!」
「マルさん、こんなの聞いてないっすよ!」
スパークが地面を迸ると、今度は小柄な女へと姿が変わり、得物もまた鞭へと変わる。まばたきの間に女の姿が消え、音の壁を破る破裂音が響く度に、一人、また一人と昏倒していく。
丸山は美優を放り出し、ワゴンのひとつに乗ってスタートボタンを押し、目一杯アクセルを踏んだ。逃げようとしたのだ。適切な判断ではあった。
相手が三つ首でさえなければ。
突然、タイヤが空転を始めた。ムリもなかった。フロント部分を、金髪の女が持ち上げているのと目が合ってしまった。
女は茶目っ気を見せてウィンクしてきたが、丸山にとってそれは恐怖以外の何物でもなかった。次の瞬間には、天地が逆転し、丸山は頭をしたたかに打って目の前が暗転していた。
ひっくり返ったワゴンが炎を上げ始めるのに、そう時間はかからなかった。
ミオがボストンバッグを持ち上げると、呻く男たちから鉄パイプをもぎ取った美優が目の前に立ちはだかった。彼女にとってみたら、当たり前の行動だろう。トンビに油揚げのとおり、金を掻っ攫われる寸前なのだから。
「それは私たちの金だ! 身体張って手に入れたんだ! 離せよ!」
「んー……じゃあさ、ハンケンリョウってことで。三つ首の名前って、あーしらあんま使ってほしくないんだよね」
「勝手だよ、あんた! 金がないと学校にも通えない。それが最後の希望なんだ!」
ミオは少し考えてからバッグを開き、五百万を取り出すと、足元に置いた。
『このガキ共に金やんのかよ?』
『まあ、言ってることも一理あるからな。ただ、そのまま帰すわけにもいかないだろ』
二人の意見を聞き終え、そうすると決めていたかのように、ミオは腰の裏にマウントしていた大型拳銃を抜いて、美優へと向けた。
「じゃあ、口止め料と病院代。悪いけど黙って受け取ってね。鉛玉でお釣りは払いたくないから」
そういって、ミオは背中を向けた。血溜まりとうめき声のあがる東京タワーの下で、美優は金を掴み取って、今更ながら恐怖を感じてしゃがみ込んでいた。
終
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