商売の9 西日の当たる部屋で

 西日の当たるアパートには赤い夕陽が差し込んでいた。私の部屋。誰もいない部屋――生駒ミサキはコンビニ弁当の入った袋を置いて、スーツを脱いで着替えた。

 白いブラウス、二の腕あたりに、赤く血が滲んでいた。彼女は気にせず、テレビのスイッチを入れた。もう見ないのだが、すっかり癖になってしまっている。

 姿の見えないアナウンサーの声が、部屋を通り過ぎていく。冷蔵庫に張り付いている亡くなった息子の拙い手紙が、わずかにぺらぺらと音を鳴らした。

 剥がせない。また剥がせなかった。彼女は仕方なく、それに「ただいま」と声をかけた。誰に向けたかもわからない言葉がただ、虚しかった。

『速報です。江東区のマンションで会社役員の島田大介さん四十五歳が亡くなっているのが発見されました。妻の可憐さん四十二歳、長男の裕一くん十三歳、長女の遥さん五歳も亡くなっており、他殺が疑われていることから、警視庁は――』

 ミサキは二の腕に出来た真新しい傷跡を指でなぞった。爪の跡だ。大小様々だが、同じような理由で出来た傷跡がいくつかある。

「みんな一緒が一番いいわよね」

 首から下げているブローチを開けると、彼女が失ったもの――夫と息子の写真が彼女を迎えた。

 家族が一緒にいること。

 ミサキの理想はそれであり、願いであった。それはもう叶わない。与えられたものを享受することはできなくなった。

 だから彼女は、他人に同じ想いをさせないように生きている。



「あのう……失礼だが、話を聞いてもらいたいんだが」

 芸能プロダクション『ブルーム』の社長・咲川は面食らっていた。伝手を辿って雇った『私立探偵』が女だったのはまだいい。顔合わせで指定されたのがよりによってカニ料理店だったのも驚いたし、その女は話を聞きているのかいないのか、食べてばかりなのだ。もうカニが何匹分になったのかも分からない。

「えー何? おじさんカニくらいならいくらでも食べて良いって言ったじゃん。あーし、カニ大好物なんだよね。ズワイガニって身がギッシリだし」

 そんな事を言いながら、女は器具も使わずバキバキとズワイガニの殻をへし折り、身を引きずり出して口に運ぶ。何を見させられているのか分からなくなり、咲川は構わず話を始めた。

「うちの看板俳優の綺羅星冬弥は知っているかい?」

 金髪の女――ミオは、手元の小鉢に生卵を割り入れ、残ったカニみそと山盛りご飯を、運ばれてきた土鍋に流し入れ、甲羅に残った肉とともに入れる。

「あ、知ってる。あーし『恋愛特急』大好きだから」

『お前、ミオ! センスやべーなお前!』

『カニみその雑炊か……最後まで油断ならない女だぜ、お前は』

 脳内の同居人達――リョウコにアオイは、ミオのシメのセンスに舌を巻き、ただ驚嘆しながら共有した味覚で舌鼓を打つばかりだ。こういう時に『合体』しておいて良かったと常々思う。

 ミオ、リョウコ、アオイの三人は理由あって一つの体に合体している。

 理由を話すと長くなるため省略するが、消費カロリーが単純に三倍になるため、とにかくなんでもやって金を稼ぎ、食わねばならない。

 ただ、こういう店では自分の金より他人の金で食うほうが美味く感じるものだ。

「知ってるのなら話は早い。ぜひオフレコで頼みたいのだが……綺羅星は結婚していて、一子を設けている。五年前にブレイクした時の頃だ。時期も悪いということで伏せていたんだ」

「公表すればよくない? リコンしたんならアレだけど、今時アイドルとか俳優が結婚したくらいで評価下がんないっしょ」

『リョウコ、そういうものなのか?』

『あたしが知るかよ。別にどうでもいいだろんなこと』

「ところが、綺羅星には所謂強烈なアンチファン集団がいてね。そいつらが綺羅星憎しが極まって、殺し屋を雇ったというんだ。芸能プロダクションというのは、君らも含む裏の世界に顔が利くものだが――さすがに殺し屋を止める方法なんて直接思いつかん」

 咲川はそう言って、水を煽った。ビールの泡はすっかり失せてしまっている。話がとおるまで、飲む気はないということだろう。

「で、あーしに何しろっていうの?」

「殺し屋を撃退してもらいたい。方法は任せるし、なんなら、金で解決できるのなら金で解決してしまいたい。再来年、綺羅星は大河ドラマの主役に決まったんだ。今彼が殺されたり不祥事に巻き込まれたりしたら、ウチは違約金で倒産しかねない」

『ふーん……ミオ、悪くないな。受けろ』

 即決だった。アオイのその言葉に、リョウコは少々反発を覚え、声を荒げた。

『おい! 金の話もしないうちに決めんなよ!』

『してるだろ。違約金の話をな。もし言う事を聞かないなら、そのへんで突っついてやれば良い。私たちはべつにお利口さんじゃないからな。ミオ、報酬は例のルートだ』

「ねー、社長さん。あーし最近、ちょっと面白い会社もらったんだ。計画倒産させるのも勿体ないと思っててさ、ちょっと出資してよ。五千万くらい。そしたらたぶん、その殺し屋ってのもなんとかなるんじゃないかな」

 咲川はその意図を感じ取って、二つ返事で頷いた。ミオはふうふうかに雑炊に息を吹きかけながら、熱さも構わずかき込んだ。仕事の時間だ。



『綺羅星は家族と一緒に帝都ホテルの最上階スイートルームに移動させた。ホテルの社長とは顔見知りの仲だから、多少無茶をしてくれても構わない。とにかく手段は問わないから、殺し屋を止めろ』

 綺羅星冬弥はサングラスに帽子、ストールまで巻いて、妻と四歳の息子を連れて現れた。咲川と共に喫茶店で面通しをする――が、日本でも有数の売れっ子俳優に泥は被らせられない、と直接会うのは断られた。

 二つ離れた席で、顔を確認する程度だ。

『あーし、ファンだからサイン欲しかったなあ。恋愛特急、マジ泣けンの。リョウちゃんもアオちゃんも見たほうが良いよ』

 アオイはいつもの黒スーツ姿で高級コーヒーを煽りながら、綺羅星のことをじっと見つめていた。幸せそうな家族を連れた男――ファンでもない彼女にとってはその程度の認識だ。

『るせーな……キャイキャイ言いやがってミーハーかてめえ。こっちは困ってんだよ。来週、高校でいきなり保護者面談やるとか抜かしやがってよ。遅刻が多いくらいなんだっつうんだよ』

「また仕事で来れないとか言って誤魔化せばいいだろ」

『いい加減センセが怪しんでんだよ。まさか金渡すわけにもいかねえしよ……あーどうしよ』

「ま、それは後回しだ。……仕事の時間だぜ」

 

 

 その一方――三つ首の逆側でコーヒーを飲んでいた一人の女が、綺羅星一家をサングラスの下で観察していた。小さな子供がプリンを食べて口元が汚れ、綺羅星の妻がそれを嬉しそうに拭っている。

 あの人と明宏が亡くなったのも、ちょうどあの子くらいの年齢だった。私が不在にしていた時、二人だけで出かけた先で交通事故を起こして、呆気なく亡くなってしまった。私だけが遺された。

 私に笑いかけてくれるあの人も、あやとりを覚えて一緒に遊んだ明宏も、もう戻らない。

 標的に家族がいれば、家族ごと始末する。だって、家族はいつか死に別れるものだから、一緒のほうがいいに決まっている。

 それは女の考える救済すくいでもあった。


 

 三つ首はホテルの従業員制服を借りて、スイートルーム付近を警護することにした。基本的に、このフロアへのエレベーターは停止し、ルームサービスの場合のみ、従業員を呼び込む。

『ねーアオちゃん。ネットニュースになってるよ。『綺羅星冬弥、帝都ホテルで一週間療養』だって。余計危なくない?』

「短期決戦だ。アンチのやつらを探ったら面白い事が分かってな。殺し屋は『セピア』だそうだ」

 アオイは絨毯に掃除機をかけながら、事も無げにそう言った。裏ではそれなりに名の売れた殺し屋の名前だった。

『ああ? ガキがいようがなんだろうが、標的を家族ごと殺すっつうゲス野郎かよ』

「目撃者が出づらいという意味ではあながちバカじゃない。アンチのやつら、綺羅星が結婚していて子供までいる事自体許せなかったらしくてな。家族ごと消してしまえってことでセピアを雇ったらしい。安くもないだろうに、どうかしてる」

『セピアってたしか、絞殺専門だよね? 単独犯らしいし、出入り口だけ張ってればなんとかなるってこと?』

「そういうことだ。そして、来るとしたらルームサービスの担当が怪しいってことになる」

 チーン。エレベーターがフロアに上がって来た音が鳴り響いた。アオイは掃除機を壁に立てかけ、廊下の陰に身を隠す。料理用のワゴンを押して、黒髪のショートボブにしたホテル従業員の格好をした女が入ってきた。目深にドゴール帽を被っていて、顔はうかがいしれない。

『……たしか、フロアの担当って男の人だったよね』

『だな。それに、ルームサービスはあたしらにも連絡を寄越すことになってる。コイツはニセモノだ。アオイ、声かけろ』

 アオイはすっと姿を現し、ワゴンを通り越して、その前に立ちはだかった。女は顔を上げ、柔和な笑みを浮かべている。首からはブローチ付きのネックレスをかけているのが分かった。笑顔によって細まった目の奥に、アオイは殺意を見た。

 女はそれを直感したように、ワゴンの上へ視線を向けた。

「やめておけ。何をするつもりか知らないが――ネタは上がっているぞ」

「何のことでしょうか? ルームサービスをお持ちしたんですが……」

 女は銀色のドームカバーに掌を向けて言い、それを取ろうとした。アオイは瞬間、一気に間を詰めるとドームごと手を抑えつける。開けた所に何かある、と思ったのだ。

 アオイの首に、キリ、と冷たいワイヤーが掛かったのは、その次の瞬間であった。首にブローチが下がっていて、キュン、とワイヤーが擦れる音と共に、喉元にブローチが食い込んでいる。

 そのワイヤーは女のブレスレットを滑車にして、かかとに伸びているのがわかる。ワイヤーを踏みつけることで、非力でも絞殺が可能なようにしている仕掛けだ。

 ブラフだったのだ。

 アオイは食い込み続けるワイヤーを手で食い止めながら女の行動を分析し続けていた。ドームに目を向けさせ、どんな形でも接近させることこそが、この女の目的だったのだ。

「その目……『遺す者』のいない目ね」

 女は笑っていた。三日月型の綺麗な笑みが張り付いていた。

「あなたのいない世界で、悲しむ者は誰もいない。それはとても気安いことよね」

 アオイの肌に、指に、ワイヤーが食い込み血が滲み始める。胸を叩けばリョウコやミオに変形できるが、これではなぶり殺しだ。

『リョウちゃん、まずいよこれ。息が苦しくなってきた』

『手が自由になんねえとあたしらはなんにもできねえ。アオイ、ドリル使え!』

 アオイは奥歯を食いしばり、左手首を高速回転させ、ワイヤーを無理やり引きちぎった。彼女自身も無事では済まない。白い壁にアオイの血が撒き散らされ、左手はズタズタだ。先ほどまで喉を圧迫していたブローチが、女の目の前に転がっていく。

「妙な手品を使うのね」

 彼女はそっとそれを拾い上げると、ブレスレットから予備のワイヤーを引き出してブローチをセット、ふわりと撒くようにワイヤーを巡らせ、かかとを踏んづける。アオイは視界の端からそれを認め、地面を蹴り壁を蹴り、一筋の青い線になって、狭まっていくワイヤーの包囲網を抜け、無事な右手で胸を三度叩いた。

 金色の髪が身長と共に伸び、アオイに刻まれた傷から血が噴き出す。体を共有している三つ首にとって、ダメージの共有は避けられないデメリットだ。

 それでも、ミオは無事な右手で腰の裏にマウントしていたコルト・デルタエリートを抜き、空気を裂いてこちらに迫るワイヤーを偶然避けるように膝をついて、銃口を女へとぴたり合わせ、トリガーを引く。

 ワゴンを蹴り、縦に持ち上がったそれがセピアの盾となって、ドームに銃弾が食い込んだ。再び着地した車輪を見て、女はそれを思い切り押し、その陰に隠れながら接近を試みる。銃弾がワゴンを食い千切るが、その後ろに隠れている女を穿つほどのパワーは無い。ミオはそれを咄嗟に理解し、大きな胸をどん、と一度叩いた。

「銃弾でワゴンを抜けねえってんならよ! てめえの頭ごとかち割ったらあ! 脳みそ見せろ!!」

 ずるり、と襟裏に手を突っ込み、スパークと共に斧が引きずり出される。柄を握り力を込めた瞬間、上を向いた女の顔に、リョウコの血が降りかかる。

「あたしの血は濁ってっからよ、当分前は見えねえよな! 死ね、ゲス女!」

 斧の刃は届かなかった。

 女は。見ただけではわからない、ささくれのようなフックが廊下の壁にへばりついている。そこをクモの巣のごとく複雑に経由し、あやとりのようにリョウコの首、手首、足首に胴体への拘束を実現していた。

 そして喉元には、ワイヤーを辿ってブローチが突き刺さり、リョウコ達の意識を刈り取らんと食い込んでいる。

「殺す前に聞いておきたいことがあるの。……あなた達、明らかに三人いる。そんなのあり得ない。一体どうなってるの」

 ブローチがリョウコの意識を飛ばす寸前――それでも彼女は笑い、その問いに答えた。

「知るかよそんなもん。死なば諸共、一蓮托生のってだけだ。親兄弟もいねえ。あたしらは『そういう』化け物なのさ」

 彼女が奥歯を食いしばったのを、リョウコは見逃さなかった。それは嫉妬だったのか、怒りだったのかはわからない。わかるつもりもない。

 なぜか?

 決まっている。三つ首は地獄から出禁を喰らっている。こんなところで死んでる場合じゃないからだ。

「……そんなの、ありえないッ! 家族はいつか死に別れる。離れ離れになる! あんた達なんか、この世界にいちゃいけないんだ!」

 女が手首を返し、ワイヤーをさらに締め上げようとしたその時――リョウコの脳内でアオイが冷静につぶやく。

『……今だ、リョウコ。斧を落とせ』

 手を離して、斧が落下する。その下を通るワイヤーが、斧の刃を受けてプツリと切れた。女は引ききった手首が空を切ったことに、違和感を覚えるヒマも無かった。ワイヤーがはらはらと解けていく。その中心で、全身から血を滲ませたリョウコが斧を拾い、柄を握る。刻まれた傷から血が僅かに噴き出して、白い壁と床を汚した。

「私のワイヤーを……切った?」

「そうだよ。脳みそ見せろっつったろてめえ。あたしの斧はそれぐらい鋭いんだ。アオイがタイミング見てくんなきゃ危なかったけどな」

 リョウコはブローチを拾い上げて、その中身を開けて見た。笑顔の男と子供――そして女の顔。

「あんたにも家族がんだな。そのくせ他人の家族は全殺しとはいいご身分じゃねーか?」

 それをセピアに向かって投げ捨て、右手の斧をくるりと回して、リョウコは女に向けて斧を振り下ろした。

 明確な殺意は、本当に彼女の頭をかち割る寸前で失せ、止まった。リョウコは斧を壁に突き刺すと、胸を二度叩き、アオイにあとを託した。

 女は既に戦闘意思を失くし、だらりと腕を垂らしていた。ブローチから、家族の笑みがこちらを覗いている。

「……家族によほど執着があるようだ。だが勝負はついた。あんたに残された選択肢は、回れ右して逃げるか、生き死に賭けて我々に挑むか二つに一つだ」

「……殺せばいいじゃない。フリーランスとしては失格ね。なにもかもおしまい。息子とあの人の所に、どうか送って」

「ところが、そういうわけにはいかない。あんたには利用価値がありそうだからな」

 女は卑屈そうに笑った。三十も半ばを過ぎたような女に、どんな利用価値があるというのだろう。脳裏に浮かんだのは不思議と、先ほど見た綺羅星一家の団欒だった。

 他人の家族の時間が羨ましかった。

 自分のポリシーが嫉妬から来たものだと知った時、彼女の胸に去来したのは虚しさそのものだった。

「なんとでもすればいいわ。何をやらされるとしても……どこかで自分の命を断てばいいだけだもの」




「江藤さんのお母様、お時間を裂いていただいてありがとうございました」

 次の日、女は――ミサキは、リョウコと共に彼女が通う夜間高校の応接室で面談を終えて、頭を下げていた。

「この度はリョウコがご迷惑をおかけしていたようで……仕事が忙しくてなかなか家庭を顧みる時間がなく、申し訳なく思いますわ」

 担任教師はどうもミサキの態度に感心しきりのようで、逆に恐縮している有様だった。

 高校の外へ出てからも、リョウコはどこか不満げであった。アオイの提案に乗る形であったが、不満は不満だ。三つ首が最近経営権を奪ったレンタル家族の会社にこの生駒ミサキこと『セピア』を所属させ、働かせつつ――彼女らの保護者代わりにしてしまおうという目論見はうまくいったのだ。

「けっ。利用できるっつうからなんだと思ったら、保護者の代わりかよ。まーさすがは本職だっただけはあったぜ。まるでお母さんだ」

 ミサキはふふ、と優雅に笑って彼女に向かって手を差し出した。ニセモノの家族をあてがわれる。自分の末路には相応しかった。

「じゃあ『お母さん』と一緒に手を繋いで帰る? リョウコちゃん」

「冗談じゃねえ。……子供じゃねえんだこっちは」

 リョウコはそう吐き捨てそっぽを向いて、彼女の一歩前へと踏み出した。ミサキはその背中を、なんだか微笑ましく感じるのだった。



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